灯りが消えた。
「……停電か?」
隣でスティンガーが小さく呟く。確かに停電は停電だろう。だがこれは――
がんばってくださいね、ってことだ。
ツヴァイトはすっくと立ち上がり、真っ暗になった部屋の中をすり足で歩いた。慎重に手を伸ばし、格子に触れると、そのまま手探りで扉を探す。クロム貼りの冷たい扉をぺたぺたと手で撫でまわし、取っ手を探す。
「電子ロック式のドアってことは、だ……」
取っ手に指を引っかけて、全体重を乗せて引っ張る。
ずず、と低い音を立ててドアが少しだけずれた。思った通り。電磁石の引力でドアが動かないように固定しているのだから、電源さえ途絶えてしまえばただのドアである。
「よっしゃ!」
これなら行ける。ツヴァイトはようやく暗闇に慣れてきた目を瞬かせて、腰を浮かせて呆然とこちらを見ているスティンガーににやりと笑ってやった。
「手伝え! 逃げるぞ!」
「……げるぞうー!」
ごとん。
「んあ?」
寝言と一緒に寝返り打ったスミカが、パイプベッドから転げ落ちて目を覚ました。
はじまる。
照明が消え、漆黒の闇に包まれた空間の中で、少女は一人立っていた。
むかえにいかなきゃ。
まるで呪文のようなそれは、果たして少女の意識だったのか。
地下から一層上に昇った所で、やっと廊下の照明が灯る。白く照らし出された廊下に立ち、三人は――ツヴァイトとスミカとスティンガーは顔を見合わせた。ツヴァイトとスミカが頷きあって走り出す。スティンガーは無表情のままその後に続く。
「ねー、なんでいきなり停電なんかしたわけ?」
スミカが寝起きの頭を捻っている。
「持つべきものは友達だよな、スミカさんよ」
「友達? って、エリィが?」
「いい友達じゃねえの」
と。
無言のまま走っていたスティンガーが、ふと足を止めた。
それに気付いてツヴァイトとスミカも立ち止まる。
スティンガーは、十字路の左手に目を留めて、ただじっと、信じられないようなものを見るかのように、目を見張っている。ツヴァイトが不思議がり、彼の視線の先を覗き込むと――
少女。
白く淡く輝く、かわいらしい少女が、じっとこちらを見つめている。
ツヴァイトの脳裏に記憶が蘇った。あの時の少女だ。最初にスミカを助ける為、この基地に侵入した時……スティンガーと出会う直前に見かけた少女。その姿は、まるで……
まるで亡霊――
「アヤ……」
スティンガーが、ぽつりと呟いた。
「……あ?」
その時だった。少女が突然踵を返し、どこかへ向かって走り始めた。紺色のスカートをひらひらとはためかせ、踊るように、滑るように、みるみる向こうへ遠ざかっていく。
「アヤッ!」
そしてスティンガーは走り出す。
一直線に。
アヤの亡霊を追って。
「待てッ! おいスティンガー!」
ツヴァイトの声ももう聞こえない。
まず、脳の中身の電子的解析から始まる。
脳は一種の電気回路だ。オンオフのスイッチと、それを繋ぐノード。そして短期メモリ。それらの構造とデータを電子的に解析することで、脳に封じられた人格、記憶、感情の一次コピーは完了する。
しかし脳はそれだけで論じることができない。なぜなら、脳は電気的思考記憶デバイスであると同時に、化学的思考記憶デバイスでもあるのだ。化学的な物質の配置や繋がり、構造そのものにも、記憶や感情といった情報は依存する。
だからそれも解析し、再現しなければならない。
それを解析するための方法はいくつかあるが、この方法が手っ取り早い。
端から慎重に、分子レベルにまで脳を分解。平らな面に隙間なく敷き詰め、トンネル走査で化学物質の構造一つ一つに到るまで調べ上げる。こうしてできた脳の構造マップを、ファンタズマの生体制御ユニットに移植するのである。
電気がつくなり、技術者が行ったのはその作業だった。
スティンガーは立ち止まった。
息が切れていた。肩が大きく上下していた。心臓ははち切れんばかりだった。
だがそんなことはどうでもよかった。
真っ白で大きなその部屋に収められているのは、甲殻類を彷彿とさせる、真紅の曲面装甲に包まれた巨大な機動兵器。それの起動作業のために群がる、白衣姿の技術者たち。ここまでスティンガーを導いたアヤの姿は、いつの間にか消え失せていた。
「おい! スティンガー!」
足音が聞こえる。あの二人が追いついてきたらしい。ツヴァイト。スミカ。
「何してる! さっさと逃げないと……」
「うるさい」
スティンガーは振り返りもせずに言った。
「失せろ。俺に面倒をかけるな」
「なにを……!」
後ろから肩を掴まれた。だがスティンガーはそれでも振り返ろうとはしなかった。力強いツヴァイトの腕を、さらに強い力で振り払った。
「逃げなきゃ死ぬぞ!」
知ったことか。
「ちょっとツヴァイト! バレたみたいよ、足音が聞こえるわ!」
「くっ……」
「早く! そんなやつほっといて! 逃げないとわたしたちまで危ないわ!」
「くそッ!」
そうだ。それでいい。
うるさいのは未練がましく悪態を吐き捨て、別の出口から風のように駆け出していった。
そもそも俺と一緒に逃げようなどというのが馬鹿げた考えなのだ。
俺は俺だ。きさまらとは違う。
そしてスティンガーは、ふらふらとそれに歩み寄り、呆然としている技術者をはね除け、それを収めている円筒形のガラスケースにそっと手を触れた。
お前は俺を導いてくれたのか。
「アヤ……」
ガラスケースの中にある頭部。頭蓋を切り開かれ、脳を取り除かれても、スティンガーにはわかる。
アヤの顔だ。
横でびくついている技術者の胸ぐらをひっつかむ。
「アヤの脳をどこへやった」
「ふ、ふふふふふファンタズマの制御ユニットに……」
そうか。
そういうことなのか。アヤ。
スティンガーは嗤った。
ファンタズマの装甲が震える程の大声で。
まるでその声は、森の暗闇で不気味に吠える獣のよう。
「おい」
「は、はいっ!」
スティンガーは手近にあった電気ドリルを手に取り、その細い金属の先端を、回転させながら研究員の腿に突き刺した。飛び散る肉片。迸る血。返り血がスティンガーの体を汚す。
「っぎゃあああああああああッ!!」
ドリルのトリガーを引きながら、スティンガーは研究員に鼻先を近づける。
まるで悪魔のような笑みを浮かべたまま。
「俺をあれに乗せろ」
ガレージでは、エリィが今や遅しと待ち受けていた。彼女のそばには大型のトレーラーが一台。ACなら二三機は搭載できそうなほどのやつである。エリィはその運転席からひょいと顔を覗かせて、疲れ切ったツヴァイトとスミカにぱたぱた手を振る。
「おーい! こっちでーす!」
そしてドアを開き、はしごを伝って下りてくる。
「待ってましたよ。あなた達のACはこの中に積んであります。あと、迷惑料代わりにACパーツを一つ、失敬して載せときましたから、売ればそれなりに……」
と、言いかけて、エリィは首を傾げる。
「あれ、スティンガーは? 一緒に逃げなかったんですか?」
三人を載せたトレーラーが、森の中を疾走する。一直線に、ウェンズディ機関の秘密基地から逃げる方向に、である。
「ねー! なんであんたまで逃げるのよ!」
スミカが叫ぶ。
ハンドルを握るエリィに向かって、である。
エリィの表情には余裕がない。さっきまでのにこにこした微笑みもとっくに凍り付いている。額に浮かぶ冷や汗。
「スティンガーが残った理由なんて一つしかないです!」
木にぶつかりそうになり、エリィは慌ててハンドルを切る。その瞬間、遠くで待機しているMTの大部隊が目に入った。その数は下手をすれば百以上。機影はどれもこれもムラクモのものではない。
クローム社。ムラクモを目の敵にしている、世界最大の巨大企業複合体。
「クローム……だめだわ、あの程度の戦力じゃ」
その瞬間。
トレーラーを、横手から衝撃が襲った。
猛烈な風――爆風。この巨体が耐えきれずに吹き飛ばされる。窓が割れ、ガラスの破片が降り注ぐ。とっさにツヴァイトはスミカを体の下に抱き込み庇った。そしてもう一度衝撃。ここが森で良かった。木にぶつかって止まったらしい。
衝撃は十数秒で収まった。
ツヴァイトは、体の上にかかったガラスの欠片を払いのけながら、ゆっくりと体を持ち上げた。
やけに明るい。
空を見る。
空が。
空が燃えていた。
レッカッジ。
残骸。
レッカッジ、レッカッジ、レッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジレッカッジ。
歌っている。
無数に積み重なるムラクモ懲罰部隊の残骸の上で。
真紅の装甲に包まれたファンタズマの上で。
スティンガーとアヤは。
歌っている。
to be continued.