行かなきゃ。
エリィは車に乗り込むなり、ムラクモ・アンバークラウン支社の地下ガレージから飛び出した。綺麗な照明に彩られたアンバークラウンの中央通りを突っ切り、螺旋ターミナルを伝って下層に降りる。アクセルは踏みっぱなしだ。
目指す先はもちろん、閉鎖実験施設、アビス。
『おい、応えろエレン! エレン・ガブリエラ! 戻るんだ、戻れと……』
上司の声を吐き出し続ける通信機を、エリィは人差し指一本でオフにした。
行かなきゃ。
まるで強迫観念のようなその思いだけが。
横っ飛びに飛び退いたヴィーダーの脇を、赤い刃が突き抜けていく。凄まじいスピードのファンタズマ。両腕のクローを前面に押し出しての突撃だ。かすりもしなかったその攻撃が、次の瞬間には爆発にも似た衝撃波となってヴィーダーを襲う。
コックピットの中で踏ん張りながら、ツヴァイトは視線をモニター中に走らせた。そして赤い姿を見つけると、二度と見失わないように両目を見開いてその姿を追う。
奴のスピードは亜音速にまで達している。あの見たこともない超大型プラズマジェットスラスターの成せる技か。
「ちょっとブーストしすぎだぜ」
さしずめ、オーバードブーストっていうところだ。
だが、とツヴァイトは舌なめずりする。あのスラスターは偏向制御ができないと見える。かなり単調な軌道しか取れないはずだ。ならば、どれだけ速くても狙い目はある。
『俺はついにこいつと一体になった!』
スティンガーの叫び声。旋回するファンタズマ。赤い亡霊が大きく弧を描きながら、アビスの中心に佇むヴィーダーを正面に捉える。
対するヴィーダーはパルスライフルを正面に構え、頭部カメラの正確無比な測量で、寸分違わず狙いを定める。一分の狂いもあってはならない。仮説が正しければ、ほんの少しでもずれたら奴にはかすり傷さえ負わせられない。
『もう誰も!』
来る!
二度目の突撃。ツヴァイトは動かない。ただじっと、ファンタズマに収束するロックオンマーカーを見つめ――
引き金を引く。
放たれたリング型の曳光弾は、ファンタズマのやや上の方を目がけて飛んでいき、そして命中の直前で大きく軌道を上にそらされ、遥か彼方へ虚しく飛んでいった。
はずれか。しかし――
舌を打つ暇もない。突っ込んでくるファンタズマに、ツヴァイトは思いっきりペダルを蹴りつける。跳ねるように横に飛ぶヴィーダー。重量級の鈍い動きでは、ファンタズマの突撃をかわしきれない。クローがかすったか、衝撃波に耐えかねたか、肩の装甲板が一枚剥がれて吹き飛んでいく。
空中で体勢を立て直し、ヴィーダーはなんとか両の脚で地面に着地した。そして再び大きく弧を描くファンタズマを視界に捉える。剥がれ落ちた装甲板の下から、どろどろとした緩衝液が、まるで血のようにしたたっている。
『俺を止めることは!』
三度目。ファンタズマが、ヴィーダーを真正面に見据え――
『できないッ!!』
ツヴァイトの全神経がファンタズマに集中する。さっきはあそこを狙って、ああいう軌道になった。脳が全力で計算を巡らし――そして煙を噴いた。だめだ。計算じゃだめだ。計算ではとても捉えきれない。
計算では捉えられないなら。
「できる」
ツヴァイトは腹の底から叫んだ。
三度目の突撃を仕掛けてくるファンタズマの真っ向に、ヴィーダーが銃口を突きつける。真ん中。真ん中だ。ただ奴の真ん中を――
「できる!」
ツヴァイトはトリガーを引いた。
スミカはコーラルスターの巨体を見上げた。
ガレージの常夜灯を浴びて、蛍光ピンクの装甲板が輝く。流れるように滑らかで、すべすべした装甲板。灰色に染まってしまった死の世界の中で、ただ一つだけ明るく輝いている鮮明な色。
「もし、わたしにわかっていたら」
スミカは小さく呟いた。誰に向かって呟いたのだろうか。
「彼が何を欲しがっているかがわかっていたら、もっとうまくやれたのかもしれない。
でも、そんなことわかりっこないよ。わかるわけない――」
あの時もわからなかった。
そして今もわからない。
でも。
それでも。
――本当にそうすべきだって思うなら、そうすればいい。
スミカは固く、白い指を拳の中に握り込んだ。
迸るリング型曳光弾。それはまごうことなくファンタズマの中心目がけて飛んでいき――
ファンタズマの赤い装甲板に、強烈な衝撃を叩き付けた。
「あたったっ!?」
『うおおッ!?』
スティンガーの呻きが聞こえる。ファンタズマの巨体が揺らぐ。しかしファンタズマはギリギリのところでホバーユニットを動かし踏みとどまると、よろめきながらもヴィーダーの突進を再開する。だがその速度に依然ほどの脅威はない。飛び退くヴィーダーを捉えきれず、ファンタズマのクローは虚しく宙を裂いて過ぎる。
『おのれ……おのれえッ』
三度目の弧は弧ではない。今度はヴィーダーの周りを、円を描くように動き始める。
恐れか。あるいは戸惑いか。
いずれにせよ、ファンタズマはヴィーダーに近付きたがらない。
『なぜだ!?』
スティンガーの声を借りて叫ぶ。
『なぜ俺は傷つく!?』
「ど真ん中を射抜いたからさ」
いつの間にか、ツヴァイトの息は軽く弾んでいた。
緊張していたからか。ファンタズマを射抜く為に、意識を集中しすぎていたからか。
「核攻撃でも傷一つつかないファンタズマの防御力――その正体は、なんのことはない、ふつうのACにも使われてる反ヒッグス粒子防御スクリーンの強化版ってこった」
ともかくツヴァイトは大きく深呼吸して、どくどくと力強く脈動する心臓を抑え込んだ。落ち着け。冷静になるんだ。でないと亡霊には勝てない。亡霊の姿は見えない。そう自分に言い聞かせる。
「ってことは、対処法も同じ。弾道を曲げられないようにスクリーンの法線方向から運動エネルギーを加えるか、あるいはスクリーンの内側から攻撃すればいい。つまり」
亡霊と戦うには。
「真っ正面から心臓をぶち抜くか、肌が触れ合うほどに近付くか、ってことさ」
亡霊を見据えなければならない。
亡霊に近付かねばならない。
『貴様ッ! 貴様だけはッ!』
だが、亡霊に声は届かない。
ファンタズマが回頭する。プラズマジェットスラスターを停止させ、通常のホバーだけで浮遊しながら、荒々しくヴィーダーの睨め付けた。
憤怒。あるいは焦燥に、塗りつぶされた心。
『死ねぇえっ!』
ファンタズマの背中から、無数の砲塔が姿を現す。ツヴァイトはそれを見るなりペダルを蹴りつけ、ヴィーダーを急速後退させる。どんな砲撃かはしらないが、これだけ距離が離れていれば――
次の瞬間。
ツヴァイトの意識が凍り付いた。
残骸。
全て、残骸へ。
歌うように、祈るように、スティンガーは意識を外へ広げる。全ての矛盾を平らげるために。全ての不条理を掃き捨てるために。どこまでも広がる真っ平らな地面のイメージ。それを創る。何一つない世界。完全に平坦な地平。
全て、残骸へ。
内から沸き上がるその衝動を、もはやスティンガーは疑わない。アヤの願いが、アヤの祈りが、スティンガーの心を塗りつぶす。肉体と心と精神が、バラバラに砕けて離れていく。
スティンガーであるかのように振る舞う肉体。
アヤの姿を借りる亡霊に取り憑かれた心。
そして、精神は?
全て、残骸へ。
お前の精神は、一体何を望んでいる?
(つづく)