#02-01 黒の絵
あれはもう、三年も昔のことになるだろうか――
わたしは、スミカ・ユーティライネンは、まだ十八歳の子供だったし、彼もまた一つ年下の若き少年に過ぎなかった。
彼は画家になることを夢見る少年で、わたしはレイヴンだった。わたしは彼の絵が好きだった。彼の絵には、とっくに滅びてしまった楽園のような地上世界が、色鮮やかに描かれていた。目の覚めるような青い空。心に優しく触れる暖かな緑。降り注ぐ光。
わたしは、彼の夢を叶えてあげたかった。
当時のわたしはまだまだ駆け出しで、修理費と弾薬費ばかりがかさんで、手取りが雀の涙になることも少なくなかった。それでもなんとか、彼が自分の仕事に没頭できるように、ギリギリの生活ができるだけのお金を稼ぐことはできていた。
美しい彼の絵を見ることが楽しかった。自分の絵にはしゃぐわたしを見て、彼もまた喜んでいた。二人で手を取り合い、寄り添い、夜が来れば抱き合って眠った。
貧しくても、幸せだった。
でも、彼が湯水のように使う高級な画材を揃えておくことは、わたしの稼ぎでは無理だった。必要な時に必要な画材が手に入らないと、彼は目に見えて不機嫌になった。わたし自身楽しみにしていた絵も、完成しなくなった。
彼は、手持ちの絵の具を駆使して、なんとか絵を完成させようとしていた。でもそこには、いつものような生き生きとした色合いは、もはやなかった。
このままでは彼の夢が潰れてしまう。貧困が彼の夢を潰してしまう。
わたしは、決断した。
新しい強化手術の実験台を探していたウェンズディ機関と呼ばれる秘密組織に取り入り、わたしは自ら進んで実験台になった。結果、わたしは力を手に入れた。その気になれば、アリーナのランク10位以内にも入れるほどの、力を。
これでもうお金で困ることはない。わたしは、彼の待つ我が家に駆け込んだ。
彼は一枚の絵を完成させて、わたしを待っていた。
――黒一色で描かれた不気味な絵を。
「ウェンズディ機関……それが、わたしを捕まえてた秘密組織の名前よ」
ツヴァイトはトラックを運転しながら、助手席にのってるスミカの言葉を聞き流していた。
あの後……
スミカがどこかに連絡を取ったかと思うと、いきなり救助チームが砂漠の真ん中にやってきたのである。連中は、砂の中からヴィーダーを引っ張り出すと、このトラックの荷台に積み込んで、そのままあっというまに去っていった。
なんていう準備の良さだ。そうとう手際のいい組織が、スミカのバックについてるとみえる。
ますますやっかいなことになりそうな予感がするのである。
おまけにトラックを運転させられるはめにもなるし。
最初はスミカが運転すると言っていたのだが、丁重にお断りしたのである。やつの運転する乗り物には金輪際乗りたくない。まっぴらごめんである。
「でね、そいつらが研究していた、新型兵器の開発計画が、プロジェクト・ファンタズマ……ねえ、きいてる?」
「へえへえ、聞いてますよ」
「ウェンズディ機関は、お得意様だったんだけど……ちょっとやりくちについていけないから、奴らを潰そうとしてる別の組織に協力する契約しちゃったの。それがバレて、わたしまでファンタズマ計画の実験台にされそうになって。で、なんとか隙を見計らって、あなたたちに依頼のメールを出したってわけ」
「自業自得じゃねえか」
スミカがむっとしてツヴァイトを見る。ツヴァイトはしらんぷり。別に、間違ったことを言ったつもりはない。
「生きたまま人間を切り刻んで、喜んでるような連中よ? 人としてほっとけないでしょ」
「今日日どこでもやってることさ。ニーズがあるからそういう連中が増えてくる。ニーズは人類みんなの連帯責任、だ。文句言えた筋合いじゃねえよ」
「ああそう! そうですか! 達観してらっしゃるんですわね、ツヴァイト先生は!」
すっかりすねてしまったスミカが、ぷいと向こうを向く。いい年して、ガキみたいなすねかたしないでほしいもんである。ツヴァイトは溜息を吐きながら、アクセルを踏み込む。トラックは道なき道を疾走し、なにやら妙な区画に紛れ込んできた。
これは、大破壊以前の都市遺跡だろうか。石造りの壁や、土が剥き出しの悪路が、それなりに整然と並んでいる。一度ホウシァン・シティのアジア街に行ったことがあるが、インディアン・ストリートの埃っぽい街並みが、ちょうどこんな感じだった。
「そこっ! 左っ!」
横からスミカが怒鳴る。まだ機嫌がなおらないようだが、そのくせナビだけはするちゃっかり者である。
「アレの中に停めてね!?」
「おい……アレってなんだよアレって」
「アレはアレよっ! お城のことです! わかれそんくらい!」
……誰がわかるか。
まさか、正面に見えてきた大きな古城……石造りの旧跡が、目指す隠れ家だなどと。
こいつはすごい。
ツヴァイトは素直に舌を巻いた。
アーチ型になった城壁の門をくぐり抜け、城の中にトラックを乗り入れてみれば……そこは、古ぼけた外見からは想像もつかない、現代風の空間だった。
辺り一面に張り巡らされたクロムの内壁。いくつものリフトやキャットウォーク、作業用の小型MTが並び、厳重に電子ロックが施されているらしいドアもいくつかみえる。
ガレージ、である。それも、どこぞの大企業の基地か工場にあるような、大規模の。よくもまあ、旧跡をここまで見事に改装したもんである。
「……歴史的遺産を保存する、って考え方はないもんかねえ」
トラックから降りながら、ツヴァイトは呆れ半分感心半分に呟いた。
「ゴミのリサイクル、って考え方はあるのよ」
助手席から降りてきたスミカが、いつの間にか隣で笑っている。さっきまでぶうたれてたのはどうしたんだか。
「下に見せたい物があるの。ついてきて」
言われるままに、ツヴァイトはスミカの後に続く。エレベーターに乗り込み、下向きの気持ち悪い加速度を感じながら、ツヴァイトは辺りに油断なく目を配っていた。エレベーターの内装や、コンソールの配置などに特徴がある。さっきのガレージにあったMTも……
「ファンタズマ計画のことは、まだよくわかってないんだけど」
不意にスミカがこちらに視線を送った。ツヴァイトは何か見とがめられたような気分になって、どきりとする。
「新種の強化人間技術を応用した新兵器システムらしいの。そういうのがほっとけないっていう企業は、たくさんあるわけ」
「それがあんたのバックってわけだ」
スミカは最後のセリフを横から奪われて、にこりとした。
抗菌コートの内装。そして、ちょっと位置が低すぎるコンソール。そう、ツヴァイトには低すぎるが、スミカには丁度いいくらいの高さ。ガレージにあったのは、流線型をモチーフにした外見のMT。
きれい好きで、背が低くて、流れを好む民族のためにつくられた技術だ。
エレベーターが止まった。ドアが開いていく。
真っ暗で、上よりもさらに広そうな空間が広がっている。スミカはエレベーターの灯りを頼りに、壁のスイッチに歩み寄る。
「これがわたしのAC」
天井灯が白く輝く。
「コーラルスターよ」
そしてツヴァイトは息を飲んだ。
そこに、一機のACが立っていた。細身の体に、流線型の装甲板。どれもこれも一般には出回っていないパーツばかり。
「おいおいこりゃあ……有明かっ?」
「有明」。ムラクモの虎の子である。市販のレイヴンズネスト規格とは全く異なる、ムラクモ独自の規格に基づいたACで、当然、ムラクモの防衛部隊くらいでしかお目にかかることはないはずの機体だ。
しかも有明は、シリーズ機体である「陽炎」「不知火」「狭霧」その他のベースとなる基本形だけあって、特に情報の漏洩には気を遣われているはず。
要するに、まっとうな手段でレイヴンの手に渡るような代物ではないのである。
「ずいぶんいい玩具だな」
「まーあねー。とにかく、これでわかったでしょ。わたしのバック」
わからいでか。
ムラクモ・ミレニアム社。現状で唯一、世界最大勢力を誇るクローム社に相対しうる、世界第二位の巨大企業複合体だ。
あの、日本人向けのエレベーターやMTも、全てムラクモ製ってわけだ。
「報酬はムラクモが保証するわ。だから、わたしに手を貸して。わたしは絶対に、ウェンズディ機関を潰して、ファンタズマ計画を止めたいのよ」
なるほど、確かにムラクモなら報酬は保証されている。少々の危険を覚悟ででも、受ける価値のある依頼といえる。
しかし。
それよりも、ツヴァイトはさっきからずっと、聞きたくて仕方がないことがあったのだ。
「そのまえに、一つ聞いていいかな」
「なに?」
「……こいつは、なんだってこんな色をしてんだ?」
コーラルスターと名付けられた「有明」の装甲板。真っ白な灯りに照らされたその色は。
ド派手な蛍光ピンク。
スミカは目をぱちくりさせて、さもそれが当然といわんばかりにズバリ答えた。
「女の子だから」
(つづく)