車を降りたツヴァイトは、誰かの視線を感じて、ふと後ろを振り返った。
ここはもう安全な古城の中。後ろに見えるのは閉まっていく城の門――にみせかけた最新式のシャッターと、それに狭められていく外の風景だけだ。朽ちかけた石造りの街並みが、夕日を浴びて、赤く揺らいでいる。
不気味で、切ない風景。まるで亡霊たちの住む、幻の街だ。遥か遠い昔に死んでしまった街。
そこに、生きている人間の気配はない。
「気のせいかな……」
ツヴァイトが呟くと、同じく車を降りたスミカが買い物袋をひょいと持ち上げた。見かけによらずけっこうな力持ちだ。
「何が?」
「いや……別に」
ツヴァイトの目の前でシャッターが完全に閉じた。それと同時に、城内の照明が一斉に灯る。あのまま置きっぱなしにしてあったトラックも、無事のようだ。もちろんその中ではヴィーダーが静かに眠っている。
「んじゃ、ばんごはん作ってくるから。ちょっと待ってて。仕事の話は、食事のあとにしましょ」
「おい、オレはまだ引き受けるなんて言ってねえぞ」
「さぁーて腕によりを掛けますかねー!」
「人の話を聞いてくれ……頼むから……」
小躍りしながら、スミカは奥の居住スペースに引っ込んだ。あれでもうすこしかわいげがあれば、いい嫁さんにもなれるというものだが。ツヴァイトは細く長く息を吐いた。どうもああいうタイプは苦手である。何をするにもとにかく振り回されてしまう。
しかし、それはともかく。
改めて、ツヴァイトはこの改造された古城の様子を見渡した。さすがにムラクモがバックについているだけのことはあって、そこらの中小企業がやるような安普請とは格が違う。そのまま軍事基地として転用が可能なレベルの、作り込まれた代物である。
おそらくは、遠からぬ将来、ここを基地に使う予定があるに違いない。スミカはそれに間借りさせてもらっているに過ぎないのだ。
――なぜ?
当然の疑問がついてまわる。
たかがレイヴンに提供する隠れ家としては、この古城はあまりに破格である。
ムラクモほどの企業ともなれば、ウェンズディ機関とかいったか、あの程度の研究組織、正面から踏みつぶすことも容易いはずである。わざわざ内部に囚われているスミカなどを抱き込んで、攪乱なり情報収集なりをする意味があるだろうか。確かに、スミカが裏切ったことで、今後予想されるムラクモによる侵攻は多いに助けられるだろうが。
クロームとのパワーバランスを気に掛けているのだろうか。大がかりな作戦を展開すれば、その隙をクロームにつかれる恐れもある。だからおおっぴらに動けないということか。
あるいは。
他に何か、ウェンズディ機関への侵攻作戦――あるいはウェンズディ機関そのものを、公表できない事情があるのか。
それはわからない。わからないが――
一つだけ、確かなことがある。
「今考えたってどうしようもねえよなあ……」
がっくりツヴァイトは肩を落とした。
「んーんー、んんっんーんんー」
鼻歌うたいつつスミカはエプロンを身につける。ついいましがた、買ってきたばかりのものである。ここには調理場はあってもエプロンはない。娯楽室はあってもテレビはない。缶詰レーションはあっても生野菜はないのである。これだから軍事施設というやつは困る。
買い物袋の中から、とりあえず今日使わない物だけ取りだして、冷蔵庫に放り込む。他の食品を一つ一つ確かめながら、今晩のメニューと、料理の手順に思いを馳せる。包丁、まな板、鍋、ボウルにザルと、あれこれ用意していくうちに、スミカは昔を思い出す。
昔。まだスミカが、ウェンズディ機関と関わっていなかった頃。
よくこうして料理をしたものだった。
彼のために。
ふと、スミカの手が止まる。
「んふっふふーん! ふふんふーんーんー!」
そして、やけくそ気味に鼻歌が大きくなった。
吹き飛ばしてしまいたかった。どうせ、今思い出したってなんにもならないことだ。そう思った。
そうやって自分の心を無理に押さえつけていたことが、隙を産んだのだろうか。
スミカは、背後から口を塞がれるまで、忍び寄っていたなにものかに気付かなかった。
かちゃり。
居住スペースに向かいかけていたツヴァイトは、弾かれたように顔を上げた。
チェンバーに弾丸が装填される音!
思うが早いか、床を蹴って横に飛ぶ。ついさっきまでツヴァイトのいた空間を、音速の鉛玉が裂いていく。クロム貼りの内壁にこだまする銃声。残響が大きすぎてどこから撃たれたのか特定できない!
ツヴァイトは転がりながら、ヴィーダーを積んだトラックの影に隠れ込んだ。すぐさま懐から銃を取り出す。安全装置を解除する。
敵にここがばれたか。やっぱりさっき感じた視線は気のせいじゃなかったというわけか。
慎重に顔を覗かせ、敵の姿を探す。この広いガレージは、金属製のキャットウォークが、壁の中程のところにぐるりと張り巡らせてある。だがあそこを歩けば大きな足音がしてしかるべきだ。
なら……いくつかある作業用MTの影。あるいはこのトラックの裏側にいるのか。
冷や汗が、ツヴァイトの額を流れ落ちる。
ゆっくりツヴァイトはしゃがみ込んだ。トラックの車体の下から、向こう側の様子をうかがう。タイヤが六輪。特に人の足のようなものは見あたらない。となればやはりMTの影にいるのか。
と、その時。
ツヴァイトの手に、何か黒いものが落ちてきた。
影。
その瞬間、ツヴァイトは床を蹴って飛び退いた。真上からうち下ろされた銃弾が、床のクロムに穴を穿つ。転がって、起きあがりざまにツヴァイトが反撃。銃口の狙いは、トラックの荷台の上。
荷台の上の人影が、舌打ちをしながら飛び降りる。ツヴァイトの放った銃弾は虚しく空を切り裂いて壁に食い込むのみ。人影は落ちながらもツヴァイトに向かって連射する。着地の隙をつかせないつもりだ。ツヴァイトも負けじと横っ飛びしながら、適当な狙いで数発引き金を引いた。
壁。床。トラックのサイドミラー。けたたましい音を立て、プラスティック製の鏡が割れて飛び散る。
そして二人は凍り付いた。
互いの銃口が、真っ正面から互いに狙いをつけている。しかもこの距離。お互いに、指先の動きを見てから回避しても、ギリギリ銃弾が避けられるかもしれない距離。撃てば倒せるかもしれない。だが、避けられ、逆にその隙をつかれる恐れも多分にある。そんな距離。
うかつに動くわけにはいかない。ツヴァイトはじっと人影を見つめた。
銀色の髪をした、長身の男。射抜くような切れ長の目をしている。そして全身から放つ、隠しようのない殺気――血の臭いは、ツヴァイトの鼻をしたたかにつく。ツヴァイトは腹の底から込み上げるものを感じた。
同族嫌悪。
ツヴァイトは直感した。この男は自分と同種の人間。人の屍肉を喰らうレイヴン。
奴だ。
「スティンガーとか言ったな」
ツヴァイトは、膝立ちのしせいから、そっと立ちあがった。同時に、奴も崩れた体勢をゆっくり立て直している。
「なぜ、俺だとわかった?」
奴は――スティンガーは、不思議そうに眉をひそめた。
「雰囲気でね。いかにも突き刺しそうな空気してるよ、あんた」
スティンガーが口の端から笑みを漏らす。
お互いに体勢を立て直し、今度は互いの隙をうかがう段階に移行する。むやみに動くのは不利。とはいえ、いつまでも固まっているわけにもいかない。なんとか隙を見つけて先手を取りたい。
「面白いことを言う奴だ。名前は?」
一瞬ためらってから、ツヴァイトは口を開く。
「ツヴァイト」
「そうか」
スティンガーは何の感慨も籠もらない口調で、淡々と言った。その右手の銃は、ぴくりとも動かず、ツヴァイトの脳天を捉えている。
「感謝するがいい」
「……あ?」
スティンガーが肩をすくめ――
「面倒だが、墓標くらいは立てておいてやる」
「そいつは――」
その瞬間、スティンガーの銃口がわずかにぶれた。
――今!
「ありがとよっ!」
ツヴァイトが飛び込む。
すぐさま反応したスティンガーが銃弾を放つ。しかしわずかに狙いがずれ、ツヴァイトの服の裾を貫くに終わる。
計算通り。ツヴァイトは飛びながらトリガーを――
そのとき。
スティンガーの左手が、服の裾から隠しナイフを抜き取った。
(つづく)