でも書き起こすならこう言うところに残したくなる。
プロローグ
シャーレの先生の朝は早い。
眠気の勝る思考に、カフェインという喝を入れ、朝食という燃料を口から流し込めば、後は仕事を始めるだけだ。
教員はブラックとは言うが、いくらなんでも仕事の量が一人で抱えるには多すぎる。
それが、シャーレの問題で、現実だ。
キヴォトス中から集まる、苦情、嘆願、陳述、その他諸々。
連邦生徒会長がいたとか居なくなったとか、もはやそういうレベルの事情ではなく、なにかもっと根本的におかしなところがあるのではないかと考えられるが、そんなことを考えたところで仕事が終るわけでもない。
『おはようございます!先生!』
"おはよう、アロナ"
《シッテムの箱》と呼ばれるタブレット端末から響く合成音声に先生はにこやかに挨拶を返す。
アロナと呼ばれるOS……というか、彼女は少し間が抜けてはいるものの、有能な先生の秘書である。
その有能さ足るやまさに筆舌に尽くしがたく、話してると時間が足りなくなるので割愛しよう。
『今日も沢山お仕事がんばりましょう!』
"……昨日は少しは減ってきてると思ったんだけど"
"気のせいかな?増えてない?"
『それだけ皆さんが先生を頼りにしてるということです!』
"そっかぁ"
死んだ目で無感情に、適当な相槌を返す先生を誰が咎められようか。
悲しいかな、狂った量の仕事をこなす先生が正気を保つには、それはもう悟りを開き、無に至るほか無いのである。
というか正確には、既にすこし壊れてきてる気もしないでもないが。
"とりあえず、今日の当番の子が来るまでにはタスクの整理ぐらい終らせようか"
『はい!任せてください!』
さて、そんなシャーレにも救いはある。
それは《当番》と呼ばれる助っ人の存在だ。
シャーレの権限に置いて、キヴォトスに不可能はほぼ無い。その一端がこの《当番》であり、キヴォトスに住む生徒の力なら誰でも借りられるのだ。
子供にすがる情けない大人の構図である。
だがしかし、キヴォトスの生徒達は学習活動の一環として学校そのものの管理、運営を行っていたり、場合によっては経済活動に近い環境で活動をしている。
その為、幸いと言うべきか、《仕事》がよくできる。
加えて言えば……下品ではあるが、言ってしまえば花の女子高生が、付きっきりで仕事の手伝いをしてくれる訳で。
その姿はやはりというか『華』があり、先生のメンタルの回復を手助けしてくれるのである。
念のため、先生の名誉のために補足すると。
先生は決して生徒に欲情なんてしないし、やましいことなどしていない。
ただ少し、たまーに、ごくごく稀に、うっすらと、変態紛いの行為をするが。それは別に欲情ではない。愛でてるだけである。
多分、きっと、メイビー。
さてさて。手慣れた様子で先生が仕事を纏めていると、シャーレに訪問者を告げるベルがなる。
"入っていいよ、開いてるから"
手元のモニターに映る人影を確認した先生は、マイクへと語りかける。
しばらくすれば、シャーレのオフィスに一人の少女が訪れる。
「おはようございます、先生」
"おはよう、ユウカ"
早瀬ユウカ。ミレニアムの誇る冷酷な算術使い…もとい、セミナーの会計担当の少女である。
シャーレの先生に、非常に協力的で献身的な生徒の一人であり、先生が頼りにしている生徒でもある。
"それじゃ、今日もよろしく"
こうして、今日も今日とてシャーレのなんでもない日常は過ぎていくのだった。
軽い雑談を交えつつ、計算の必要な仕事をユウカに。確認と検討が必要な仕事を先生が分担して進めていく。
手慣れたもので、そこそこのペースで仕事は進んでいき、仕事は順調。計算通り、かんぺき~な様子で業務をこなしつつ、軽い雑談を交える二人。
そんな、何気ない会話のワンシーン……の筈だった。
「そういえば、先生はどうして先生なんですか?」
"急に哲学みたいなこと聞くね……"
「え?……あっ、ああ。いえ、そうではなく!」
"どうしてこの仕事をしてるのか。ってこと?"
「はい。……いくらなんでも、この仕事量は一般的とは言えないですし、給料が良いというわけでもない筈です」
因みに、先生はユウカに財布の紐を握られているので、おおよその収入は知られてる。どうして。
"んー、生徒の皆のためだよ"
「まーた、そうやってごまかそうとする。今日という今日は譲りませんよ」
"う、うーん……あんまり生徒に話すような事じゃないんだけどなぁ"
「そう言うことならご心配無く。私、約束はしっかり守るタイプなので、他の誰にも話しませんよ。……それともまさか、生徒にセクハラするのが目的とか……」
"ない!ない!それだけは違うよ!?"
先生の慌てた声に、ユウカは小さく笑みをこぼし、「知ってます」と返す。
"うーん……じゃあ、ちょっとだけね"
ここまで言われるなら……と、あまり乗り気ではない様子の先生は、席を立つ。
"丁度良いから、仕事は一端休憩にしようか"
「え?」
"コーヒー、淹れてくるよ"
ユウカの返事も待たず、先生は席を立ち、そのままコーヒーマシンへと向かう。
明らかに普段とは様子の違う先生に、ユウカは困惑しつつ、しかし興味は止められない。
先生の身の上話を聞くために、仕事に区切りを付けて休憩のためのスペースを確保する。実際、一息付くには良い塩梅だった。
コポコポというコーヒーマシンの音だけがオフィスに響く、静寂の瞬間。ユウカは自分がなにかまずい扉を開いてしまったのではないかと疑うが、もう後には引けなかった。
"はい、どうぞ"
「ありがとうございます、先生」
先生からコーヒーを受け取ったユウカは、気まずさと、疑念をコーヒーと一緒に自分のなかに飲み込んだ。
落ち着いた様子で椅子に戻った先生も、同じようにコーヒーを一口飲み、すこし、遠くを見つめるような素振りをする。
その横顔は、優しさと、ほんの少しの陰りがあって、とても画になっていた。
"約束、なんだ"
「……約束、ですか?」
ぽつり、と先生の口からこぼれたような言葉をユウカが反芻する。
"うん。大事な約束。『誰かの明日のために、頑張れる人でいる』っていう"
「……そっか、先生はその約束の為にこんなに身を粉にして……」
と、納得しかけたユウカは、言っていて違和感に気づく。
「……せ、先生。因みに、その約束って……」
"言わなくちゃ、だめ?"
困り果てた様な表情をユウカに向ける先生。そんな素振りにユウカは声を詰まらせるが……ここまで来たのだ。行くなら最後までだろう。
「ダメです」
"そっかぁ"
嫌な予感はしてくるが、いやいやしかし決まったわけでもない。しかし仮定が事実なら話したがらない理由にも、先程の物憂げな表情にも納得が……なんて、そんなことをグルグルと考える。
"えっと……奥さんとの約束"
「うぇぇぇぇ!?!?」
シャーレの窓が割れんばかりの奇声をあげる。まあ、無理もないかぁ。というのんびりとした様子で先生はそんなユウカを眺めつつ、他人事のようにコーヒーを味わう。
「え?奥さん!?先生、結婚してたんですか!?」
"うん、まあ"
「仕事もミスばかりで女子生徒にセクハラするしスケコマシな上に金銭感覚もおかしくて趣味が子供などうしようもなくみっともない人なのに!?!?」
"ユウカ?なんか凄いこと言ってない?"
「凄いのは先生のデリカシーのなさです!」
"わ……わぁっ……!"
ないちゃった!
「と、言うか!先生!指輪もしてないし、そんな素振りもないし、奥さんはそもそもどこにいるんですか!見たことはおろか、電話してたり、手紙やメールだって見たことないですよ!?」
"手紙やメールは勝手に見ちゃだめだよ?"
「"私は"見てません」
"そっかぁ"
果たして先生にプライベートはあるのか。
「先生!」
"……本当に誰にも言ったらだめだよ?"
どう見ても冷静さを失っているユウカに観念した先生は、再び強く念を押すと、困ったような、気まずそうな顔で口を開く。
"もういないよ。3年前に死んじゃった"
「……えっ」
だから言いたくなかったんだけどなぁ。という、困ったというか、どうすれば良いか、先生自身もわかっていない様子で言葉を続ける。
"やり取りをしてないのはそれが理由。指輪は……失くすと怖いし、見せびらかすような物でもないし、それがきっかけでこの話を皆に聞かせても、あんまりね"
「そう、でしたか」
さすがのユウカも、この答えは予想外だったようで、頭から冷や水をかけられたように、先程までの勢いはどこかへ消え去った。
どうすれば良いのか、よかったのかなど、先生にも、ユウカにもわかる筈もなく、どちらが悪いという話でもなく。
ただ、運が悪かった。
「先生、その……」
"気にしないで。きっといつかは、話す時が来てたと思うし。それが少し早くなっただけだよ"
「先生……」
一言二言のフォローがあったとしても、この空気が改善される訳でもない。それでも、少しでも生徒為にと先生は言葉を選んだ。
"大丈夫。私はもうちゃんと前を向いて進んでるよ"
その言葉の意味がわからないユウカではない。だから、この話はここで終りだと、暗に先生が伝えていた。
"さて、そろそろ休憩も十分だろうし、仕事を再開しようか"
「……はい。そうですね!」
その気遣いに応えるために、ユウカは気分を切り替える。自分の気持ちをちゃんと因数分解して、今得るべき答えを求める。
先生はこれからの話をしたなら、まずはその為にも目の前の仕事を進めるべきだ。
まだまだするべき仕事は山積みだし、先生にどんな過去があろうと、今の先生は生徒と進む明日を信じている。
だからここにいるし、きっとこれからも生徒の側にいて、生徒の助けになり、生徒を先導する、良い『大人』であってくれる。
だから、この話はここでおわ────らない
ピロン。という通知音。先生の端末になにやら連絡があったようだ。
仕事に関する連絡かも知れない。そう考えた先生が確認すれば、それはモモトーク──キヴォトスで使われているトークアプリ──の通知で。
差出人は生徒の一人、『砂狼シロコ』だった。
瞬間、先生の脳裏に走る悪寒。いや、危機感。いやこれ絶対ろくでもない展開だ。なんて事を思い、その対策を少しでも確保するために情報を求めて、トークを開く。
内容は、いたってシンプル。
『先生、結婚してたって本当?』
おかしい。なぜそんな話がシロコから来るのだろうか。
妻の話をしたのは、間違いなく今のユウカとのやり取りが初めての筈で。
「先生?どうかしたんですか?」
固まったまま動かぬ先生の様子を不審に思ったユウカが、そう声をかけた瞬間。
──ピロン。ピロン。
また、着信音。
──ピロン。ピロン。ピロン。ピロン。
止まらない。
──ピロンピロンピロンピロンピロンピロンピロンピロンピロンピロンピロンピロンピロンピロンピロンピロンピロンピロンピロンピロンピロン
通知が通知を押し流し、端末はまるで壊れたラジオのように着信音を繰り返す。
先生は青ざめた表情で、ユウカの顔をみる。
「……わ、私じゃないですよ!?」
そんなわかりきった答えしか返せぬユウカだが、この状況が何を意味しているかは簡単に予想がついたし、この後どうなるかも簡単に予想がついた。
"と、とにかく逃げよう!"
「逃げるって、どこにですか!?」
"わかんない!"
大体こういう展開の後の相場は決まっている。
爆発、銃声、喧騒、怒号と悲鳴。
それもまあ、キヴォトスのなんてことない日常だが、この日は少し、いつもより騒がしい日常が、先生を中心に繰り広げられたとか。られないとか。
これは、そんな生徒思いの先生と、彼を慕う生徒達の、儚くも美しい、青い、青い物語。
────from:センジョウ
『明日には着くと思う。一応もう一回、オヤジの仕事先教えてくれ』
to be continue
次回 『蒼井センジョウ』