──君は、ゲヘナの盟主。
センジョウがトリニティを訪れた翌日。彼は、約束通りシュウコをつれ、ゲヘナ自治区へと足を運んでいた。
「護衛を引き受けるとは言いましたが……此処ばっかりは、私がいない方が良かったのではありませんか……?」
周囲から向けられる嫌悪と好奇の視線に、シュウコが居心地悪そうにぶるりと身震いをする。
ゲヘナとトリニティの生徒達の多くは、互いにあまり好意的な感情を向けていない。いや、それどころか嫌悪している様な生徒もそう珍しくはなかった。
治安も悪く、特に血の気も多いゲヘナの自治区に、トリニティの生徒がいたのであれば……それはもう、飛んで火に入る夏の虫その物だ。
だというのに、センジョウはシュウコを連れて、ゲヘナ自治区へと赴いていた。
「大丈夫だよ。実際、今のところ襲われてないだろ?」
「それは、センジョウ先生が隣に居るからなのでは……?」
ゲヘナ自治区に置けるセンジョウの異名──『ゲヘナの盟主』。
それは、『ゲヘナ動乱』の際、対立する『風紀委員会』、『万魔殿』、『懲戒委員会』の三勢力の中心に立ち、その約束事の取り決めの中核を担ったことに起因する。
つまり、『蒼井センジョウ』に手を出すことは、これらの三勢力から同時に狙われる理由に成りかねない。
又、風紀委員の治安維持活動に参加していた彼の暴力的なまでの戦闘力に、噂のなかで尾鰭が付いた結果……、『蒼井センジョウは単独でゲヘナ3勢力に睨みを効かせる傑物』という、よくわからない評価が広まっていた。
そんな話を知っているからこそ、シュウコはどこか腑に落ちない表情で、「これではどちらが護衛かわかりません……」と、独り言をこぼした。
「わるかったって。……お前と話をしたいって言ってる生徒が一人いたからな。こういう機会でもないと、トリニティ生のお前と、ゲヘナに接点なんて産まれないだろ?」
「私と、話を……?ゲヘナ生が……?」
わけもわからないまま、突拍子もないシチュエーションと情報を脳内に詰め込まれたシュウコは、聡明な彼女にしてはらしくない戸惑いの表情を浮かべた。
「エデン条約がらみの、ナギサ様への報復……?」
「ちげぇよ物騒だな」
「ですが、私とゲヘナの接点なんて、『エデン条約』規模の異変がなければ────」
と、そこで。シュウコはハッとなにかに気づく。
そういえば、ここ最近。『エデン条約』と同じ、いや。それ以上の異変があったばかりだった。
「────え、いや。待ってくださいセンジョウ先生。だとしたら私は今すぐここから帰らなくてはならない気がします」
つぅ。と、一筋の冷や汗をかきながら、シュウコは青ざめた表情でセンジョウを見る。
当のセンジョウはなにやら楽しげに笑っていた。
「なにがおかしいんですか一大事ですよ私はあくまでもただの一生徒であってトリニティの代表でもなければいえティーパーティーの組織の一員ではありますがそれでも権力は無いというかそういうのはあくまでもナギサさまの果たすべき役割であって断じて私のような使い走りの担うべき大義ではなくここはもっと慎重に事を構えて大局を見ながら個々の果たすべき役割と担うべき責任を更正に精査した上でもっとふさわしい人を選んでから──」
シュウコは、目を回した様子でペラペラと舌を回し、言葉を並べ立てるが、あまりにも早口で途切れなく話すものだから、その言葉の意味は誰にも──勿論、本人を含めて──伝わることの無いただの羅列となっていた。
そして、そんな彼女と、そんな彼女をみて苦笑いするセンジョウの前に、一人の少女が現れる。
「お待たせ、センジョウ。ちゃんと、連れてきてくれたのね」
「ご要望通りな。……とは言え、偶然俺の都合とも合致しただけだ。そういう意味では、頼まれなくても結果は同じだったかも知れないがな」
センジョウと親しげに話す、その小柄な少女をみて、シュウコは、ヒュッ。と、変な音を喉から出した。
「空崎…………ヒナ………………さん」
「ヒナでいいわ、柳木シュウコさん」
青ざめ、萎縮したシュウコの姿に、ヒナは苦笑を浮かべて挨拶を交わした。
センジョウの言う、『シュウコと話したがっていた生徒』というのは、ヒナの事だった。
プレナパテス襲来の際、アトラ・ハシースに向かう先生達を見送り、地上に残った防衛部隊。その統括指揮を、偶然とは言え、流れでシュウコがこなす羽目になり、彼女の手腕に興味を抱いたヒナが直接あって話す機会を願うことになる。
しかし、ヒナはゲヘナの風紀委員会の長であり、対外的には万魔殿の長たるマコトと同じか、それ以上の権力者として認識されている側面もある。
そのうえで、ティーパーティー、桐藤ナギザの側近であるシュウコに、不用意に近づくことは現実的ではなかった。
そこで、その仲介者となったのがセンジョウだ。
現在の彼はシャーレ所属ではないが、それでも、ゲヘナ、トリニティに共通する『重要人物』であることに変わりはない。
故に、彼をパイプとすれば────
「不本意ですが。貴方の手腕は認めざるを得ない様ですね」
「これが、ティーパーティーの側近の実力。……行政組織の幹部生徒にこれ程の人が居るのは、少し羨ましいです」
「アコちゃんより融通も効くしなぁ。なんか少しトリニティが羨ましく感じてきた」
「イオリ……?貴方も幹部の一人と言う自覚を持ってください……?それどころか貴方は次期風紀委員会会長なんですよ……???」
「あの、……えっと。その……。…………私は、そろそろお暇しても────」
「「「もう少し!」」」
「…………はいぃ」
ゲヘナ風紀委員会、その執務室で、アコ、チナツ、イオリに取り囲まれ、涙目になりながらシュウコは様々なことを根掘り葉掘りと聞き出されていた。
「元気そうだな、みんな」
「ええ。お陰さまでね」
そんな4人の姿を遠巻きに見ながら、センジョウとヒナは壁に寄りかかりつつ、シュウコの淹れたコーヒーを嗜んでいた。
アコの淹れたそれとは比べ物になら無い出来上がりのコーヒーを飲みつつ、二人は落ち着いた時間を享受する。
どちらが、なにを言うでもなく。ただ、シュウコとイオリ達のやり取りを静かに眺めて。センジョウは、時折向けられるシュウコの助けを求める視線を笑顔でごまかしていると、ヒナがゆっくりと口を開いた。
「────今回は随分遅かったのね」
センジョウは、ヒナのその言葉の意味を図りかねて、首をかしげる。
今日は予定通りにゲヘナへ来ていたはずだし、何か、特別にヒナを待たせるような事をした記憶はない。
要領を得ないセンジョウに、ヒナは一つ大きな溜め息を付いて、彼の顔を見上げる。
「立ち直るの。随分時間かかったのね」
「…………あぁ」
その言葉に、センジョウは理解する。
────ヒナは、『俺が答えを出す』のが、遅かったと。そう言っているのだ。
「あの日の夜、『自分じゃない誰かになんてなれない』って教えてくれたのは。他でもない貴方だった筈なのだけれど?」
「うぐぅっ…………痛いところを」
過去の自分の言葉を掘り返され、センジョウは苦い顔をする。それも当然だ。『一度だした筈の答えについて、もう一度悩みました』なんて、格好わるいにもほどがある。
ヒナは、そんな苦悶の表情を浮かべるセンジョウに、小さく笑みをこぼすと、天井を見上げて、想いを馳せる。
「『先生』が撃たれ、倒れて。私と貴方は膝を突いた。己の非力に嘆き、苦しみ、悔やみ。先へ進むことなんて、これっぽっちも考えられなかった」
心が。折れていた。積み重ねたものの全てを否定された気がして。自分の全てを否定された気がして。
無力だと、そう思っていた。
「けれど」
ヒナは、センジョウの顔を見る。
「貴方はちがった。その後悔も、哀しみも、傷も。それすら『積み重ね』にして。『それでも』と、前へ進んでいた。…………少なくとも、あの時の私にはそう見えた」
「ヒナ……」
「私は確かに、そんな貴方に────憧れて、惹かれたのよ」
そう告げるヒナの表情は、優しくて、柔らかくて。
「だからね。私は、貴方の事を信じ続けるわ。あの日の私が見た貴方を。……貴方が、私の事を立ち直ると信じてくれていた様に。いつだって、何度だって、立ち上がって、私たちと共に前へと突き進む、貴方の姿を。それに並ぶ、私の姿を」
すっ。と、ヒナは壁から背を放し、センジョウの前へと回り込む。
「忘れないで。私の信じる私は、貴方の信じる私で。私の信じる貴方は、貴方の信じる貴方なの」
────その言葉は。まるで。
「それが、私が貴方から教わったこと」
満面の笑みを浮かべ、ヒナはセンジョウへ言葉を贈る。
「いつもありがとう。センジョウ」
その感謝に。センジョウは。
「────ああ。こっちこそ、な」
優しく、微笑みを返す。
「それじゃあ、私も少し、シュウコと話してくるから……。もう少し、ゲヘナを見回っていて」
「おう。そうさせてもらうよ」
ヒナの差し出された手に、センジョウは空になったコーヒーカップを返し、壁から背を離す。
それを受け取ったヒナは、くるりと背を向けて────
「────あ、それと一つ」
そんな言葉と共に、首だけを振り向かせて、センジョウへ、含みのある笑みを向ける。
「私の隣は、貴方の居場所として、いつも空けてあるから」
普段のヒナとはちがう、どこか蠱惑的な笑みに、センジョウは息をのむ。
そんなセンジョウをみて満足したのか、ヒナはクスクスと笑う。
「冗談よ。────半分ね」
そんな言葉を残して、軽い足取りでシュウコの元へと向かっていった。
「………………俺、夜道気を付けた方がいいかな」
センジョウは微妙な顔で、そんな言葉を漏らすのだった。
執務室を後にしたセンジョウが向かったのは、懲戒委員会の執務室へと向かった。
それは、センジョウがゲヘナへと訪れた目的の一つでもある。
こんこん。と扉をノックすると、「どうぞ」。と部屋の中から声が聞こえ、センジョウは戸を開く。
戸を開くと、そこには、懲戒委員会の長を退いた筈の少女──岩動キヨミが、黙々と書類作業を進めていた。
「久しぶりだな、キヨミ」
「…………蒼井センジョウ」
センジョウ言葉に顔を上げたキヨミは目を丸くすると、気まずそうに苦笑いを浮かべた。
「久しいな。まさか、本当に訪ねてくるとは思わなかったが」
そう話すキヨミの姿には、以前のような堅苦しさはなく、角のとれた印象があった。
────キヨミが懲戒委員会の長を退いた後。当然、後任たる長を探したのだが、万魔殿や風紀委員会の長である『羽沼マコト』と『空崎ヒナ』と同等以上に采配をとれる傑物はそう易々と見つからなかった。
加えて、やり方が如何に過激であったとしても、復活した『懲戒委員会』をまとめ上げた『岩動キヨミ』の存在感と、部下からの信頼は厚く、彼女以外の『長』を、懲戒委員会の生徒達は受け入れなかった。しかし、責任として席を退いたキヨミは、どれだけの声に推されようともその態度を変えることはなかった。
結果、落とし所として、キヨミは権力を持たず、その業務だけをこなす『ボランティア』として、懲戒委員会に奉仕をする形式となっていた。
「それで。ただの一介の生徒である私に、なんのご用かな?」
キヨミはペンを置くと、自嘲気味にセンジョウを見る。
「俺も別に何者でもねぇよ。ただ、知り合いに頼み事をしに来ただけだ」
そんな自虐に対し、センジョウも肩をすくめ、笑みを返す。
「そうか。……そうだな、今の君も、私も。以前とは立場が違うのだったな」
「そう言うことだ。あくまで対等。歳の近い知り合いだからな」
「ふむ」
対等。という言葉をやけに強調したセンジョウに、キヨミは少し考え込む。
「頼み事の内容を聞こう。その方が話が早そうだ」
「話が早くて助かる。……明日から2~3日の間、俺の護衛を頼めないか?」
「護衛?お前にか?」
センジョウの言葉に、キヨミは怪訝そうに彼を見る。
「護衛など無くとも、お前の実力であれば安全は確保されているようなものだと思うのだが」
「あー、それなんだが……」
センジョウは、トリニティでナギザ達にした説明を、なぞるようにキヨミへと伝える。
「……んで、今日も此処に来るのに、トリニティのシュウコって生徒に護衛を頼んだんだ」
「トリニティ?…………ああ、なるほど」
どうりで妙に騒がしい訳だ。とキヨミは呟くと、椅子の背もたれへ身体を預けた。
「『ゲヘナの盟主』が、トリニティ生だけを護衛にキヴォトスを見て回っていれば、それはゲヘナにとって少なからずトリニティとの軋轢の種になりかねない。故に、バランスをとるためにも私に声をかけた。ということか」
「察しがいいな」
「ふっ。伊達に組織の長は修めていないさ。それももう、過去の話だがな」
キヨミは、テーブルの上に置いてあったコップの水を一口飲むと、腕を組んでしばらく考える素振りをする。
そして。
「いいだろう。君には直接的な負い目はないが、感謝はしている。これが全ての清算となるものではないとしても、君の力になることに異論はない」
「そうか。……助かるよ。ありがとう」
キヨミの答えに、センジョウは安堵の笑みを浮かべ、感謝を伝える。
「感謝ついでにもう一つ、頼み事があるんだけど」
「まだあるのか?……良い、一つも二つもそう大きな違いはない。話せ」
「実は────」
キヨミは、センジョウの言葉を聞いて。怪訝そうな表情を浮かべながら。けれど、些細なその頼みを、快く引き受けるのだった。
ゲヘナ火山地帯。単身で不用意に近づくには、あまりに危険なその場所に、センジョウは一人で足を運んでいた。
とは言え、何も考えがないわけではない。
その為に、センジョウはキヨミに過去の懲戒委員会の資料を見せてもらったのだ。
────先日のプレナパテス襲来の際。事件終盤、虚妄のサンクトゥムが再出現した時の話だ。
サンクトゥムは、6箇所。新たに出現していた。
だが、実際にサンクトゥムが確認されたのは──5箇所。
ゲヘナ自治区周辺にのみ、その存在が確認されなかったのだ。
だが、サンクトゥムはそれそのものが通信妨害の機能を持っており、観測するには肉眼でもって確認する他にない。
つまり、出現してから観測出来るようになるまで、いくらかのタイムラグが存在している。
それは、理論的には『出現から観測するまでに何者かがサンクトゥムを破壊した』証拠である。と、言えなくもない。
穴だらけの理論だったが、当時のゲヘナ区画に、巨大建造物を単独で破砕することが出来るような、そんな『爆発的』な火力を備えた生徒など。存在しない。
存在、しないのだ。
少なくとも────『ブルーアーカイブ』には。
だから。センジョウは確信していた。
「────ノコノコと人様の領土に踏み込む阿呆がいるから、誰かと思えば。テメェか」
不意に響いた声に、センジョウは崖の上を見上げる。
「湯治の邪魔だったか?────宍戸オウカ」
センジョウの声に、包帯を全身に巻いた少女、『宍戸オウカ』は、不機嫌そうに唾を吐き捨てる。
「なんの用だ。蒼井センジョウ」
「話をしに来た。……俺と、お前の話だ」
それは。誰も語らぬ、語られぬ。部外者達の、物語。
作者、和月先生好きすぎじゃない?