ミカとの出会いから数日。センジョウは自分の違和感だけを頼りに、一人で事を探っていた。
それらの殆どはトリニティについてであり、今の組織ついてに始まり、過去の歴史の大まかな流れまで追うことになったが……。
「ダメだ。さっぱりわからん」
両手をあげて、背もたれに倒れ混むように天井をあおぐと、椅子がギシリ。と音を立てる。
「ミカさん……だっけ?あのトリニティの人に出会ってから、ずっと調べてるわね。もしかして、ああ言うのがタイプ……?」
「男の子ってああ言うのが好きなのね……」などと、不思議そうな顔をするユウカの邪推に、センジョウはため息をつく。
「すぐに恋バナにする……。自慢の計算で俺の感情を仮定して因数分解でもしてみたらどうなんだよ」
「恋心は測定不能で計算不能だから面白いのよ」
ユウカの言葉に目を丸くするセンジョウ。
「……お前、女の子っぽいこと言うのな」
「ちょっと!?それどういう意味よ!!」
ぐわっ!と怒りの表情になり、センジョウの胸ぐらを掴みあげるユウカ。
「ちょっと意外だったってだけだろ!そんなに怒ることか!?」
「意外とはなによ意外とは!!私も女の子なんですけど!!」
「ぐうぉ!?首!首絞まってる!!」
「絞めてんのよ!!」
ギブギブ!!とユウカの腕を叩くセンジョウに、ユウカは少し力を緩める。
なんとか息が出来るようになり、センジョウはゲホゲホと咳き込む。
「何なんだよ……そもそもお前、オヤジの前では確かにしおらしいかも知れねぇけど。俺にはそういう素振り見せてないんだから自業自得だろ……?」
「当たり前でしょ。あなたに見せたところでなんの得にもなりはしないし、あなた別にみたいと思わないでしょ?」
「まあうん」
バシィン!!
即答したセンジョウの頬に、一際大きな紅葉マークを作り。怒ったままのユウカは、ドスドスと足音に怒りを露にしたままの様子でミレニアムの執務室を出ていってしまった。
ユウカに張り倒され、顔に凄まじい激痛と衝撃を浴びたセンジョウは、ミレニアムの床にボロ雑巾のように転がったまま、呻き声をあげる。
「なんで、こんな目に……」
「今のはさすがにセンジョウくんが悪いと思いますよ」
はい。と氷嚢を差し出してくれるノアに、センジョウは体を起こして氷嚢を受けとる。
「俺が悪いのか……?別に事実だろ……」
「女の子はみんな、『可愛い』にプライドを持っているんですよ。センジョウくんが格好つけるのとおんなじです」
「……それを蔑ろにされたから怒ったってことか?」
「簡単にいえば」
と、センジョウの言葉を肯定するノアに、センジョウは大きくため息をつく。
「別に……。俺は、アイツはしおらしくしてる時より。あれぐらいハッキリ物言える方が似合ってるって言ったつもりなんだがなぁ……」
この男、『まあうん』の『まあ』に意味を込めすぎである。童貞かな?
そんなセンジョウに、さすがのノアも苦笑を浮かべてしまった。しかしまあ、言いたいことはわからないでもなかった。
「……それはそうかもしれませんけど」
でも。とノアは続ける。
「そんなユウカちゃんが、不器用にも懸命にアピールしてるのは可愛いと思いません?」
「……相手が俺のオヤジじゃなきゃ。まあ、認めてやる」
そっぽを向きながら、普段より少し小さな声でそういうセンジョウは、普段より少しばかり子供っぽく見えていた。
本当にしょうがない二人だと思いながら、ノアはセンジョウの手を引き、立ち上がる手伝いをした。
「センジョウくんは、ユウカちゃんの事どう思ってるんですか?」
「どうって……どういう意味」
立ち上がり、服についた埃を払うセンジョウは、ノアに言葉の意味を問うが、「そのままですよ」と、あしらわれてしまう。
「……面倒見がよくて律儀。計算が得意だけど不器用。たまに変に数学に拘った表現をする辺り、ちょっと天然。あと俺より書類整理下手」
「それ、本人に直接的言っちゃダメですからね?」
「(近いことは初対面の時に既に言ったな……)」
ノアの忠告の意味を、既に理解しているセンジョウは、少し遠い目をしてから。「それと」と付け加える。
「感謝してるよ。心から」
「……感謝、ですか?」
ノアの問いに、センジョウは少し恥ずかしそうにしつつ答える。
「……俺がキヴォトスにきて、最初に出会ったのがユウカでよかったと俺は思ってるよ。アイツにあって、アイツと本音でぶつかり合えたから、俺はキヴォトスに安心して馴染めた」
そんな言葉を語るセンジョウは
「その『始まり』がユウカでなければ無かったか。まではわからない。他の誰かと出会っていたとしても、もしかしたらなんだかんだあって、キヴォトスに馴染めていたのかもしれない。……それでも、俺は……胸を張って言える」
普段の、どこか緊張のある顔ではなく
「最初に出会ったのがユウカで、良かった」
──少なくとも、ノアの知る限り、最も穏やかな表情をしていた。
だからだろうか。ノアもつられて、頬が緩む。
「その言葉。私にじゃなくてユウカちゃんに言ってあげたらどうですか?」
「いーーーや。絶対に言わないね。言ったら確実にろくでもない事になる」
「喜ぶと思いますよ?」
クスクスと笑いながら、ノアは、センジョウがその言葉をユウカに伝えた瞬間を想像する。
ユウカちゃんは喜ぶだろうか。喜ぶとしても、恥ずかしそうに喜ぶのか、いつもみたいに喧嘩腰で誤魔化すのだろうか、それとも、平静を装って何事もなかった事にするのか。
そのどれをとっても、きっとその表情は、自分が今まで見てきたものとは、違うものを見せてくれるんだろうと思いながら。
……けれど少し。そんな二人のやり取りを実際に眺めるのは、不粋な気もしている。
そんな二律背反の思いに揺れながら、ノアはいつも通り、自分なりの距離感をもって、二人のやり取りを眺めることを決めるのであった。
きっと二人は大丈夫だろう。理由はなくとも、そんな確信がノアにはあった。
「……そういえば、センジョウくん宛に手紙が来てましたよ」
「手紙? 」
ノアは書類の中から、一通の黒い封筒を取り出す。
センジョウは怪訝そうな顔のまま、その封筒を受け取り外装を眺める。
「もしかしてラブレターですか?……この前のトリニティの人といい、センジョウくんも先生に負けず劣らず、すみにおけないんですから」
「こんな不恰好なラブレターがあってたまるか」
ノアの冗談を一蹴すると、センジョウは封筒を懐にしまう。
「後で確認しておくよ。ありがとう、ノア」
「いえいえ、どういたしまして」
センジョウは礼を伝えて、執務室を出る。
なんとなく、この手紙は一人で読まなければならないような気がしていた。
────結果からいえば、センジョウの予感は的中していた。
ゲマトリアの『黒服』を名乗る、謎の差出人からセンジョウへと届けられたその手紙の内容は、単純なもので。
『先生の置かれた危機的状況に対する答えがほしければ、指定する場所へお越しください。
敬愛なる先生のご子息様に、伝えねばならない事がございます。』
十中八九、罠だろう。答えを伝えるだけで良いなら、直接的会う必要などはない。何らかの狙いがあるのは確実だった。
だが、それでも。今のセンジョウには少しでも、一刻でも早い『答え』が必要だった。手遅れになる前に動かなければならないような危機感は、焦燥感を駆り立てていた。
故に、危険を省みず、懐へと飛び込んだ。
日が沈み、闇夜に人の明かりが灯る頃、センジョウは薄暗いオフィスに訪れていた。
必要最低限の照明だけが残され、暗闇に浮かび上がるように、一卓のテーブルが照らされていた。
そこには、一つの空席と、その対面に……黒い、男がいた。
全身を黒いスーツに包み、表情も読めぬような、深く、暗い闇に、穿ったような鋭い眼光を持つ男が。そこにいた。
男は、センジョウの姿を見ると、席を立つ。
「お待ちしておりました。お会いできて光栄です」
丁寧に一礼をした男は、センジョウを席へと促す。
「貴方が『黒服』、ですか」
「ええ。先生のご子息様である貴方の前で名乗るのであれば、先生に名乗ったモノを使わせていただくべきかと」
「……」
どう見ても食えない男だ。一瞬でも油断をすれば、ペースの全てを持っていかれる。
センジョウは確信していた。このテーブルに座ったら、もう逃げることはできない。
──ここは、
知識がないわけじゃない。だてに普段から書類仕事をこなしている訳じゃないから、詐偽の契約書の判断だってしたことはある。だが、しかし。それでも。
……そこは、明らかに相手側の土俵だ。そして、さらにいえば、センジョウにとって、これがはじめての『実戦』だった。
だが、それでも。だとしても。逃げる選択肢は、無い。
黒服の促されるまま、席へつく。それを見た黒服も、同じように対面へ座った。
「ご足労ありがとうございます。招待したとはいえ、いささか突然でしたから、まさか本当にお越しいただけるとは思っていませんでしたよ」
「狙い通りだろ。あの言葉の時点で俺が逃げない確信があったから、あの手紙を出したんだ」
腹芸で競って勝てる相手ではない。そう判断したセンジョウは、リスクを承知で切り込んで行く。
「……先生に良く似て、するどいお方だ。そして、向こう見ずでもある」
「御託はいい、アンタだって俺になにか目的があって接触してきたんだろ。……本題に入ろう」
センジョウは椅子に浅く腰掛け、背中を深めに背もたれに預ける。
「オヤジの危機ってなんだ。何のためにそれを俺に教える」
「私としてはもう少し、貴方とのコミュニケーションを楽しみたいところですが……。今回の貴方はゲストだ。要望に応えましょう」
黒服は上半身を前へ傾け、テーブルに肘をついて、手のひらを組ませて、口を開く。
「『エデン条約』はご存知でしょうか?」
「……少し前に、今は行方不明の連邦生徒会長の考案した、ゲヘナとトリニティの和平条約か?」
「それも正しい認識ですが、それは少々今回の件に置いては不足していますね」
「……まさか、今もその計画が進行してると?」
「お察しの通りです」
満足げに返す黒服に、センジョウは背筋を伸ばす。
「確かに、理想を掲げる和平条約の締結のため。でオヤジが力を貸すのは簡単に想像がつくが、どうしてそれが補習授業とか、危機って話に繋がるんだ」
「ゲヘナとトリニティの因縁は、何も一方的な物ではないと言うことです」
「内部抗争」
「……いやはや、本当に鋭い。私が手を貸さずとも、いずれ答えにたどり着いていたかもしれませんね」
余計なお世話だったかも知れない。と黒服も姿勢を正す。
「つまり、トリニティの内ゲバにオヤジは巻き込まれてるのか」
「ええ。……正しくいうのであれば、エデン条約に関わっているのは、現状のトリニティと、ゲヘナだけではありません。……遥か昔、今のトリニティがトリニティへと変わる切っ掛けとなった『第一回公会議』。その時、代償を払わされ、時代に放逐された存在……アリウス分校。彼女達が関わっています」
「アリウス……?」
「ええ。今のトリニティがトリニティへと集約された時に省かれたあぶれもの、とかげの尻尾として、悪意の集積先に選ばれた存在です」
その名前は、確かにトリニティの歴史に残ってはいた。だが、まるで検閲でもされたかのように、名前以外の全ての情報が残っておらず、故にセンジョウは、その存在を知ってはいても、理解はしていなかった。
「ゲヘナとトリニティへただならぬ憎悪を持つ彼女達にとって、エデン条約は考えるだけでもおぞましい事でしょう。……そしてそれは、自身を放逐した『第一回公会議』の再演でもある」
「復讐しようっていうのか。トリニティに」
「既に事は始まっています。……事実、どうやら、トリニティ首脳の一人が既にヘイローを破壊されていると言う噂も聞きました」
「……狂ってる」
人の感情が、時間を立つほど大きく歪む事は知っている。それが時に、巨大な悪意に変わることがあることも知っている。
「オヤジは、それを知ってて。殺されるかもしれないような場所にいるのか」
「おそらく」
静かに肯定する黒服に、センジョウは顔を歪ませる。
「……またそうやって、おんなじことを」
ポツリと。そんなことを呟いた。
「────そこで、私から貴方に提案があります」
ぱさり。と、資料がセンジョウの前に置かれる。
書面の一番上には、『契約書』の文字。
「……これは?」
「ご覧の通り、契約書と、資料です」
黒服の表情は、見えない。
「私は貴方に、先生の危機を救ってもらいたいのです」
「お前が?俺に?」
意図が、読めない。
「ええ。……私は、先生とは良い関係を築きたいと考えています。その為には当然、先生の身に危機が迫ることは、望ましくない」
「目的が同じだから、信じろと?」
「いえ。そんな感情論ではありません。私は『大人』ですので、『大人』らしく振る舞うだけですよ」
その為の『契約書』であると、言外に伝える。
「私にご協力いただけるのでしたら、全面的なサポートを約束します。金銭、情報、技術。……武力に関しては、人員的な側面は難しいので、代わりにこちらをご用意させてもらいます」
そうして、黒服は小さな筒を取り出す。その中には、透明な赤い液体が満ちていた。
「これは?」
「風の噂に聞きましたが。センジョウ様はここ、キヴォトスで戦う手段を手に入れたそうですね」
「……どこでそれを」
「企業努力の賜物。とさせていただきたく」
底が読めない。……いつの間にか、センジョウはテーブルに手をつき、前のめりに黒服の話を聞いていた。
「……私は普段、キヴォトスの生徒達の『神秘』について研究をしています。まあ、研究者、探求者とお考えください」
黒服は、リラックスした様子で、背もたれに体を預ける。
「先生や私達と、身体的にそう変わらない貴方が『神秘』に太刀打ちできるほどの力を手に入れたとなれば……自ずとその『リスク』も見えてきます」
「どこまで……!」
────センジョウが『ヌィル・ヴァーナ』を装備したまま戦闘を行う最大時間は、1度に5分が限界だった。
それ以上は、身体的にも、精神的にも負担が大きく、こまめな休息が必要になる。加えて、それでも身体負荷は大きく、完全に無反動程度に戦うなら、3分もつか、もたないか程度が関の山だ。
それだけでなく、どれだけ休息を挟んだとしても、1日に30分以上乗っていれば、翌日はまともに身体を動かすことも困難になる。
目の前のこの男は、どこまで、俺の事を知っている……!!
「御安心下さい。ただの今までの研究から来る推測です。……最も、その様子では当たらずとも遠からず。と言った所でしょうか」
言葉につまる。返答が追い付かない。
「その薬は……『調整剤』とでもいいましょうか。肉体を、過ぎた力に適応するように整えるための薬剤です」
「私も研究者の端くれ……自身の研究の成果には、自信と誇りを持っています」
「お望みなら、この場で宣誓書を書いても構いません。そうですね……不義の場合は、『貴方と、その周辺の人々が被った被害の全てをこちらで補填する事を誓う』とでもいたしましょう」
その場で紙を取り出し、さらさらと文字を書き記す。
そこにあるのは、どう読もうと、どう解釈しようと、黒服が不利になり、センジョウに利益のある誓約書だった。
「さあ、これなら貴方の懸念は、万に一つも起り得ないのではありませんか?」
たしかに、その通りだ。
契約が成されれば、この男はセンジョウに不義を成さないだろう。いや、万が一成されたところで、この契約がある限り、自分の考えうる最悪の事態は回避できる。
だか、しかし。それでも。
「……申し訳ありません。少々話しすぎたご様子、すこし、水を飲んではいかがでしょう」
いつの間にか、呼吸があらく、暑くもないのに、嫌な汗をベットリとかいていた。
「貴方はまだ未熟です。そして、先生の危機も、まだしばらくの猶予はあるでしょう」
「ですので、この場はその宣誓書と、契約書をお持ち帰り下さい」
「本来、契約書と纏めさせていただいている資料は、契約が成立された後にご覧いただくつもりでしたが……、今回はそのままお渡ししましょう。そちらの内容をご確認いただいた上で、どうぞ、ゆっくりとお考えください」
「『調整剤』も、試供品としてそちらはプレゼント致します。是非一度、お試しください」
「快い返事を、期待しています」
────そうして、センジョウは、黒服にいわれるがままに荷物を持ち、オフィスから送り出された。
敵意は、感じなかった。だが、底知れぬ闇を、ただ感じていた。
……まだだ。まだ、終わってない。
黒服の言葉を全て信用するつもりは、センジョウにはなかった。利用できる限りの情報を引き出して、先生を救う。その為に、たとえ、これがパンドラの箱だとしても、その底を覗かない選択肢は。
──今のセンジョウには、存在しない。
深淵を覗く時。深淵もまた、こちらを覗いている。