センジョウとユウカ:その1
ある日。センジョウとユウカはいつものように二人でミレニアムを歩いていた。
いつも、と言っても、二人が共に行動する時間が増えたのは、センジョウが初めて最大稼働の反動を受けてぶっ倒れた辺りからである。
現在は、片腕と片足が動かせないセンジョウの車椅子をユウカが押す、という構図であるので、正しくは歩いているのはユウカだけではあった。
セミナーの会計であるユウカが、シャーレの二代目先生と仲良くしている姿は、ミレニアムに置いては最早有名な物ではあったが……しかし、一部では『早瀬ユウカ』は権力の有る男に靡くがめつい女。等といういわれの無い陰口を叩く者もいた。
ユウカがシャーレの『先生』……センジョウの父にアプローチをかけている姿を見たものは少なくはない。
そんな彼女が、先生がいなくなった途端に、その息子……後継へと献身的に接する姿を見れば、邪推をしたくなるのも無理はないのかもしれない。
しかし、それでもユウカはセンジョウの側を離れようとは思わなかった。
彼の父と同じぐらい。いや、それ以上にセンジョウは自身の命を軽んじる傾向がある。
本人に自覚はなくとも、彼は他者のために平気で自分をすり減らす男であると。ユウカは気づいていた。
確かに、トリニティとゲヘナを襲った悲劇を止めるためには、『シャーレの先生』の介入が不可欠だった。それがわからない程、ユウカは愚かではない。
しかし、それでも。どうして彼がその運命を担わなければならなかったのかと考えると……胸が強く締め付けられる思いだった。
彼の全身に巻かれた包帯を見るたび、寂しさと怒りと、虚しさが込み上げてくる。
「……ユウカ?」
いつの間にか、車椅子に座るセンジョウが
ユウカの顔を覗いていた。
「大丈夫か?」
感情が、顔にでていたのだろうか。彼は、心配そうにユウカを見つめていた。
────人の気も知らないで。
そんな彼の優しさに、嬉しさと苛立ちを覚える。
彼は、本当に身勝手だった。
「……なんでもないわ」
「そうか?……車椅子、重かったら無理に押さなくても良いんだぞ」
「いいの、これぐらいやらせて」
「そうか……?」
今はただ。この手を離したら、また彼が危険な場所へ行ってしまう気がして。
「今の貴方は、怪我人なんだから、優しさに甘えなさい」
「……まあ、じゃあ」
ユウカの言葉に、一応の納得をして、センジョウは向き直る。
今はこうして、理由を付けて彼を引き留められていても。きっと、肝心な時には、私の言葉では引き留められない。
今回みたいに。きっと。
静かに、車椅子を握る手に力が籠る。
どうして私は。こんな人のことを。
その言葉の先を、形にはせずに、心にしまう。
それを言葉として認識してしまえば、きっと私は変わってしまうから。
今はただ。彼の側に。それだけで良い。
そう、自分へ言い聞かせて、静に車椅子を前に押した。
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「ユウカちゃんは、センジョウ君のことどう思ってるんですか?」
そんな言葉が、ノアの口から飛び出した。
……以前から、突拍子もなく、ユウカを驚かせるような問いをかけてくるノアだが。ユウカにとって、その質問は今までの比にはならない程の衝撃だった。
しばらく思考が止まり、持っていたペンをポロリと手からこぼす。
「と、突然何を聞くのよ。そんなの、言わなくてもわかるんじゃない??」
分かりやすく動揺するユウカを見て、普段なら笑みをこぼす筈のノアは、真剣な表情を崩さなかった。
「……ええ。ユウカちゃんにとって、センジョウ君は誰より特別なんですよね」
「の、ノア!?なにか言い方おかしくないかしら!?」
『特別』という言葉に、顔を真っ赤にして声を裏返すユウカに、ノアは溜め息をつく。
「全然おかしくありません」
からかう様子もなく、始終落ち着いた様子のままのノアに、ユウカは違和を感じ、少し落ち着きを取り戻した。
「おかしくないなら……どういう意味なの?」
「本当に、そのままの意味です」
ノアらしくない要領を得ない答えに、ユウカは怪訝そうな顔をする。
「……怪我をしたセンジョウくんを、初めてミレニアムへ連れ帰った時。ユウカちゃんはどんなことを考えていましたか?」
「どんなことって……様子がおかしかったから、嫌な予感がして、それで……」
「自分の仕事も放り出して、センジョウ君のために動きましたよね」
……ユウカは、自分がセミナーの会計であるという、強い責任感がある。加えて、ルールを破ることを良しとせず、誠実に、確実な事を優先する。
「この前の時だって。ユウカちゃん、後先考えずにみんなに声をかけて、センジョウ君のために走り出しました」
「それは……」
返答に困る。……理由が、説明できない。
「……今までのユウカちゃんには、考えられない事ばかりです」
困ったような表情で、ノアは爆弾を投下する。
「恋が人を変えるとは言いますが、まさかここまで変わるなんて……」
「?!?!!???!?」
ノアの発言に、ユウカは声になら無い悲鳴を上げて、目を白黒させて、顔を真っ赤に染め上げる。
「ど、どどどっ!どうしてそうなるのよ!!」
動揺を通り越した、混乱した様子のユウカにノアは笑みを返す。
「もしかしてユウカちゃん、自分でも気づいてなかったんですか?」
「そ、そんっな。わけ…………」
無い。とは言いがたい。実際、さっきちょうど見ないふりをして蓋をしたのだ。まあ、そんな健気な努力もいまノアが台無しにしたのだが。
「……どうして、素直にならないんですか?」
「だ、だって……」
恥ずかしそうに膝を抱き抱え、顔を埋める。
「……あんなに色々言っちゃったのに。今さら好きとか、そんなの、言いにくいじゃない……」
──可愛い!!ユウカちゃんがいますごく可愛い!!
ノアは脳内のシャッターをバシャバシャと迷わず連写する。そんなことをしても忘れない体質ではあるが、それとこれとは話が別なのである。
いじらしい乙女の表情をするユウカを堪能するノアに気づかないまま、ユウカは「それに」と続ける。
「────血は繋がってなくても、センジョウはあの人の息子だから」
寂しげに、物憂げな表情で、頭を膝の上で組んだ腕に乗せて。そんなことを言う。
「……あの人がセンジョウを遠ざけたように、きっと、センジョウもいざという時に『大事な人』を守るために遠ざけようとする」
……先日の戦いの時。
「……追い付いた私に、センジョウは『なぜここにいるのか』と聞いて」
そして。
「……私を呼ばなかった理由を、『待っていて欲しかった』って言ったの」
ユウカは、ぎゅっと、自分の体を抱き抱える。
「……そんなの。そんなこと言われたら」
ユウカにとって、センジョウは対等で、かけ替えの無い存在になっていた。共に過ごす時間が心地よくて、遠慮がなくて、本音で話し合えて、心が休まるような。そんな相手。
「…………私がもし、あの人にとって、本当に大切な人になっちゃったら…………きっと、もう。隣にはいられない」
震える声で、ユウカは続ける。
「私は。私は、あの人の側にいたい。側にいられるだけで、それだけで良いの……」
嘘だ。
「恋人じゃなくていい、友達でも、仕事仲間っていうだけでも構わない」
嘘を、ついている。
────本当は、それより先を、きっと望んでいる。
彼と歩む明日を、ユウカは心から欲していた。
けれど、だからこそ。
「ただ、側に…………」
彼の事を、誰よりもわかっているからこそ。
「一緒にいたい、だけなのに…………」
────想いを、認めたくなかった。形にしたくなかった。気づきたく、無かった。
こんなに苦しいのなら、彼の事なんて、好きにならなければ良かったのに。
それでも、本心から、彼に会えたことを嬉しく思う気持ちを、隠し通すことはできない。その出会いを『不幸』とは、呼びたくなかった。
ユウカは、静かに涙をこぼす。
「本当に……本当に最悪……、本当に……嫌なやつ……。どうして、私が……私だけが、こんな想いをしなくちゃならないのよ……」
溢れる想いに、理性で蓋をしていた。
軋む心を、嘘で繋ぎ止めていた。
でも、それももう、できない。
「……センジョウの……バカ……」
ユウカは泣きながら、愛しい彼の名を呼ぶ。
「…………ユウカちゃん」
ノアを責めることはできないだろう。これは、ユウカがセンジョウの事を誰よりもよく知るからこその悲劇、悲恋。
……想いを伝えぬことの悲恋ではなく、想いを知ることすら悲恋になるなど、到底考えは及ばない。
「いいの、ノア。……どうせきっと、いつかはこうなってたから」
ユウカは、涙を拭いて、顔を上げる。
「ただそれが、ちょっと早くなっただけ。だから、大丈夫」
「そんなの……」
「大丈夫、だから。この話はおしまい」
────その言葉はまるで、ノアに言うより、自分自身に言い聞かせるような。そんな印象を受けた。
「…………えっと…………出直した方がいい?」
いつの間にか、センジョウが入り口にいた。
「わぁぁぁ!?!?い、いつからいたの!?!?」
「いや、なんか、いつかはこうなってたとか……その辺り……」
セーフ!!セーフです!!!!
ノアは内心で大量の汗をかきながら、センジョウへと近づく。
「ど、どうして此処へ来たんですか?たしか今日はもう、自室で休んでる筈……」
そうして、さりげなくユウカをセンジョウの死角へ入れる。
ノアの気遣いに気づいたユウカは、涙の痕を可能な限り素早く処理をする。
「ん、ああいや。今日のトリニティ出張で、ハスミから安くて美味しいトリニティの店を聞いたから、せっかくならユウカ誘って行こうかなと。ノアも行くか?」
「……いえ、私は遠慮しておきます」
なんてこと無い、当然のように答えたセンジョウに、ノアは小さく微笑んで、誘いを断る。
さすがに、馬に蹴られに行く趣味は、ノアにはなかった。
「で、どうするユウカ?今日はもう仕事終わってるんだろ?」
体を大きく横に伸ばして、ノアを避けて奥のユウカへ声をかける。
「アンタねぇ……大怪我してる人間なのに、なんでそんなフットワーク軽いのよ、移動だって手間でしょう」
「最近世話になりっぱなしだから、ちょっとはお礼しようって言う気遣いだろうが。ったく……人の親切にケチつけやがって……」
呆れたような顔で、車椅子の背もたれに体重を預けるセンジョウ。
「それに移動の心配はない」
センジョウは、にやり、と笑う。
「車椅子、押してくれるんだろ?」
「……本当にしょうがないんだから、付き合ってあげる」
「よし。じゃあ決まり!」
パチン!と左手の指をならすセンジョウに、ユウカは呆れたような笑みを浮かべる。
「……本当に、しょうがないんだから」
小声で、ポロリとそんな言葉をこぼすユウカの顔は、優しい笑顔を浮かべていた。
ご、ごほうび……の予定だったんだけどなぁ……