ヒナが停学となって、更にいくらかの時がすぎ、センジョウは、イオリの率いる風紀委員会の様子を確認するためにゲヘナへと訪れていた。
すると、不思議……というか、不自然なほどに、ゲヘナ全体は恐ろしく静かで、普段であれば遠方から聞こえてくるような銃撃音や爆発音の一つでさえ聞こえない、奇妙なまでに静かな世界が広がっていた。
センジョウは、その光景に疑問と不安を覚えつつも、風紀委員会の執務室へと向かう。
そうして、彼が執務室を開いて最初に目についたのは、『委員長』の席に座り、黒のコートを着こなしているイオリの姿だった。
「あ、センジョウ」
「よう。大分慣れてきたみたいだな?」
自分に気づいたイオリに、右手をあげて軽く挨拶を返すと、イオリは照れ臭そうな、居心地の悪そうな表情を浮かべる。
「そう見えるのか……?」
「意外とな。自分ではそうは思えないのか?」
センジョウの問いにイオリは腰を浮かせて、自分が座っている椅子の背もたれをさする。
「どうにも慣れないんだよな……この椅子」
「物理的にも、立場的にも。か」
「まあ、そうかな。……覚悟とか、準備とか、してなかったし」
居心地が悪そうに苦笑するイオリに、センジョウが同じように苦笑を返す。
「わかるよ」
「わかるって……あ」
センジョウの素性を思いだし、イオリはさらに気まずそうな顔を浮かべる。そんなイオリに、センジョウはクスリと笑みをこぼした。
「悪い。そんなつもりは無かったんだ。ただ、少し懐かしくてな」
「懐かしいって程前の話でもなくないか……?」
「それだけ色々有ったんだよ。色々、な」
センジョウは、両手をコートのポケットに突っ込みながら、イオリに言葉を続ける。
「苦労するぞ、これからな」
「止めてくれ……もう今の時点でも結構手一杯なんだぞ……」
眉間にシワを寄せて、頭を抱えるイオリに、センジョウは声をあげて笑い、イオリに「笑うな!」と叱られた。
そんな会話をしていると、ノックの後に、扉が開かれる。
「あら、蒼井さん。きてたんですね」
「様子を見にな」
扉を開けた生徒……アコはセンジョウをみると、挨拶もせずに彼を一瞥し、センジョウはそれを気にも止めず、用件を返した。
アコはセンジョウの横を通りすぎると、イオリの作業机の上に一掴み程度の書類を置く。
「イオリ……委員長。こちらの書類もお願いします」
「うえっ……アコちゃん、まだ増えるの?」
「アコ『ちゃん』は止めてください。貴方の立場も関係も変わっているんですよ?……それに。ヒナ委員長であればこの程度の書類、片手間で済ませていましたが?」
「それはそうかもしれないけどさぁ!!アコちゃぁん!」
「だから!『ちゃん』を止めてください!!」
涙目になりながらアコにすがり付くイオリと、それを叱りつけるアコの絵は、よくも悪くも、『新しい風紀委員会』の空気を象徴していた。
空崎ヒナという、『絶対的存在』が失われたことで、風紀委員会は間違いなく弱体化したと言えるだろう。
また、イオリにヒナ程のカリスマ性、求心力があるわけでもなく、イオリ自身も懸命に活動こそしているが、それは当然、ヒナには遠く及ばない。
しかしそれでも、風紀委員会が崩壊せずに活動を続けられているのは……一重に、イオリ、アコ、チナツの連携によるものだった。
確かに『空崎ヒナ』は風紀委員にとって大きい存在だった。だが、全てではない。
多くの風紀委員達にとって、イオリやアコ、チナツの存在は、ヒナと同等の存在感を持っており、彼女達の掲げる『風紀委員』の在り方は、確かに信頼するに足るものであると。多くのメンバーが感じている。
例え長が変わり、体制が変わり、環境が変わろうとも……その心の根底だけは、揺らがなかった。
イオリが前線に立つ機会が減った分はチナツが補い、イオリの足りない事務能力をアコが補い。イオリは、未だ不完全ながら、確かに、ゆっくりと『風紀委員長』としての成長を始めていた。
そんな彼女達の姿は、確かにヒナの望んだ光景……未来なのかもしれない。
そこに彼女の姿が無いことは……少し寂しいかもしれないが。それでも確かに、ヒナの植えた種は、ゆっくりと芽を出し始めていた。
そんなことを考えながら、センジョウが黙ったまま彼女達を見つめていると、その視線に気づいたアコが鋭い視線を返す。
「そう言えば。ヒナ元委員長の様子はどうなんですか?噂に?よると?どうやら?シャーレに連日、入り浸っていた……という話も散見されるのですが???」
どういう了見だオラァん?と言わんばかりのアコの態度に、センジョウは冷や汗を滴しながら、顔をひきつらせた。
「あー、いや……。うん。今はヒナも楽しくやってるよ」
「『今は』ですか」
「……」
アコの鋭い追求から目を逸らしつつ、センジョウは逃れるために舌を回す。
「初の長期間の休みっていうので、趣味探しをしようってなってな。一人じゃ思い付かないってんで。俺と、あと一人の協力のもと、ゲームにチャレンジすることになってな?」
「そしたら丁度都合よく俺とそいつがミレニアムに顔が利くもんだから、そこにあるゲーム開発部ってところに参加して貰ってるんだよ」
「最初はヒナ自身も馴染めるかって不安そうにしてたけど、活動してみたらこれが案外楽しいみたいでさ!最初はゲームをやってるだけだったけど、今となってはゲーム開発のほうにもチャレンジしてるって話だぞ?」
嘘は言ってない。というか、後半に至っては、センジョウやヒナ。そして、紹介したユウカ自身も驚く程の高相性で、ゲーム開発部へと馴染んでいるヒナが、実際に現在送っている日常の話だった。
「あのヒナ委員長がゲーム……?」
「想像が出来ませんね……」
「まあ、地がハイスペックだから何やらせても理解さえしたらかなり上手いんだよ」
「「あぁ……」」
センジョウの表現に、妙に納得した様な反応を見せる二人。
「……まあ、いずれにしても、ヒナ元委員長がお元気なのであれば何よりです」
「私のほうにもちょこちょこ連絡きてるから、何かやってるのは知ってたけど……ゲームだったのかぁ」
「私はヒナ元委員長から連絡なんて貰ってないのですが。イオリ?……イオリ!?」
自分の失言に気づいたイオリは、アコが自分の名前を呼ぶのを無視して、都合よく鳴り響いた端末の通話を取る。
通話の相手はどうやら、現場で指揮をとっているチナツのようだ。
『イオリ委員長。少々厄介な相手がでたので、救援をお願いします』
「なに!ピンチか!成る程わかった!今すぐに向かう!!」
『は?……いえ、ピンチという程では』
「すぐに向かうから!それまで持ちこたえてくれ!!」
『あの、イオリ?』
「じゃ!!!!」
チナツの話も半分に、そう勢いよく通信を切ると、イオリは立て掛けていた自身の愛銃を掴み、勢いよく椅子から飛び上がった。
「イオリ委員長!!」
「それじゃアコちゃん!そう言うことだからあとよろしく!!」
イオリはそう捨て台詞のように言い残すと、黒いコートを靡かせながら、風のように執務室を抜け出して外へと駆け出してしまった。
「……書類、手伝うか?」
「……貴方の手を借りるのは不本意ですが、苦汁を飲みましょう」
「ひでぇ言い様だなほんと」
執務室に残された二人は、走り去るイオリの背中をみながら、そんな会話を交わすのだった。
アコの指示の元、センジョウは自分にできる範囲の書類業務をこなし、手早く整理を終わらせると、アコに「残りは自分でやる」と執務室を追い出されてしまった。
しかし、時間としてはまだシャーレに帰るには少々早すぎる。
どうしたものかと考えながら、ゲヘナの校舎のなかをふらふらと散歩していると……見慣れない、包帯姿の少女を視界に捉えた。
丁度相手も、センジョウを視界に捉えたようで、彼女は小さく笑顔を浮かべながらセンジョウへと近寄った。
「お久しぶりですね。先生」
「宍戸オウカ……だったよな」
「はい。名前を覚えていただけたようで光栄です」
オウカはペコリ、と頭を下げると、センジョウを顔をみる。
「今日は、どう言った御用で?」
「用事は済んだんだが、如何せん早く終わりすぎてな」
「ああ。風紀委員会」
納得したようにオウカは頷く。
「今は私達も居ますから、空崎さんの抜けた穴はもう十分埋まっていたでしょう?」
「ああ、正直驚いた」
素直にセンジョウがそう返すと、オウカはくるりとその身をひるがえしてから、上体だけを振り替えるようにして、センジョウを見る。
「少し……歩きませんか?私、先生とお話してみたいと思っていたので」
「ん?ああ。いいぞ」
「ありがとうございます」
センジョウはオウカの誘いを快諾すると、歩き出したオウカの1歩後をついて歩き出した。
「空崎さんの様子はどうですか?休暇、楽しめてますか?」
「予想以上にな」
センジョウの言葉に、「それは何より」とだけ返すオウカ。
「……オウカは、どうしてそんなにヒナに気を遣うんだ?風紀委員会に憧れてた……って訳でもないだろうに」
「私ですか?……そうですね……」
オウカは、センジョウの問いに、少し考え込む素振りを見せて──
「尊敬。してるんです」
そう、返した。
「尊敬。尊敬か」
「ええ。だって空崎さん、この混沌としたゲヘナに、不完全とはいえ、『秩序』をもたらしてたんですよ?偉業だと思いませんか?」
別に変な話しでもない。確かにヒナの成していたことは『偉業』と言えなくもない。
そして、その彼女のある種の超人的な姿に魅せられる人がいることも……又、不自然ではない。
「どうして、この混沌としたゲヘナで、誰よりも力を持っている空崎さんは、『秩序』に拘ったのか……それは、私にもわかりません」
「けれど、そこにはきっと、私の理解も及ばないような考えや信念があったと思うんです」
「だから、私はその姿に衝撃を浮けて、彼女を尊敬したんです」
オウカは、熱に浮かされた少女のように、謡うようにそう続ける。
「だから、私は私なりに、このゲヘナで、『秩序』を作りたいんです」
オウカは、満面の笑みで振り返り、センジョウの顔をみる。
「……みてください、先生」
オウカがセンジョウを連れてきた先は……ゲヘナの第一校舎の屋上だった。
「ここからは、どこまでも遠くが見渡せます。ゲヘナ自治区が、キヴォトスが、こんなにも広くみえる」
「キヴォトスには、ゲヘナ以外にも、様々な学校があります。そして、それぞれがそれぞれの『秩序』を持って、そこに多くの人たちが暮らしているんです」
「不思議な話だと思いませんか?……私達はみんな、同じ世界に生きているのに、こんなにも色々な『秩序』が存在しているなんて」
だから。
「私は、私の『
そうして振り返った少女の右目の包帯は赤く、赤く滲み。一筋の、赤い涙を溢していた。
「オウカ……?」
「あっ……すみません。私、興奮するといつもこうなっちゃって」
オウカは、自分の制服にポタポタとこぼれる血液を、懐から取り出したハンカチでぬぐう。
「……私、小さい頃にお湯を被っちゃって。これは、その火傷の跡なんです」
「随分ひどくやったんだな」
「ええ。本当に小さい頃の話なので……」
申し訳なさそうにしながら、オウカは言葉を続ける。
「右目も、見えてなくて。こうして怪我の後は包帯で隠しているんですが、興奮して頭に血が上ると、右目から血を流しちゃうんです」
「こんな姿ですから、なかなか受け入れて貰えなくて。……色々頑張ってたら、岩動さんにであったんです」
「キヨミらしい、と言えばらしいな」
岩動キヨミと言う生徒は、絶対的な実力主義者であり、万事に置いて『力』を最優秀とする癖がある。
その『力』は、戦闘能力だけでなく、実務的なものや、カリスマ性、生産性など、多岐にわたるが……彼女はとにかく。『力』と言う一点に置いて、全てに平等な生徒だった。
「辛くないのか?」
「岩動さんは、厳しいですけど……ちゃんと、私自身をみてくれていますから」
照れるようにオウカは返す。
「私は……岩動さんとなら、きっと。私の目標を遂げられると考えているんです。だから、私は」
どこまでもまっすぐな瞳は、ゲヘナの地の果てを見据え──いや、その崎を見据えているようにも、センジョウには見えた。
「きっといつか、先生にも見せられる日が来るように、頑張りますね」
宍戸オウカは、果てを見つめたまま。そうセンジョウに宣言を告げた。
そんな彼女の力強い姿に、センジョウは自らの進む先を思い。
「いつか、な」
静かにそう、一言を返した。
と言うわけでゲヘナの現状回でした。
懲戒委員会が具体的になにやってるかとかは、次回かなぁ。