「────懲戒委員会が、クーデターを起こしました」
アコの言葉に、その場に居た全員が静まり返る。
「ちょ、ちょっと待ってよアコちゃん!万魔殿も懲戒委員会も、目的は
「それも推測、憶測に過ぎません。……いずれにしても、今確実に言えるのは、私達の預かり知らぬ所で、ロクでもないことが起きている。と言うことがハッキリしたと言うだけです」
イオリのもっともな疑問に対し、アコはイラつきを隠そうともせず、刺々しい声色でそう言いきった。
今の彼女たちにわかるのは『風紀委員会』に負担が来るような政策がとられていたことと、文字通り、『懲戒委員会』が『万魔殿』に反旗を翻したという事実だけだ。
「……これから、ゲヘナはどうなるんでしょうか」
チナツは不安そうに、小さくそうつぶやく。
喧騒と暴力とが日常で合ったゲヘナではあるが。それでも、現状がこれまでの日常とは一線を画した不穏さを有していることは、確かであった。
自分たちが過ごしてきた『当たり前』の毎日が、明日が。失われる感覚は、立っていたはずの大地がいつの間にか崩れ落ちてしまったかのような不安を煽る。
先も見えない絶望が、彼女たちにのしかかる中。一人、ヒナだけは顔を上げていた。
「とにかく。一度襲撃が有った以上、2度目の襲撃も考えられるし、政治が混乱してる以上、治安の悪化も免れないのは確実でしょう。なら、まずは風紀委員会の体制を立て直すことからね」
建設的で、現実的な発言に、その場にいた全員がヒナの顔を見る。
「……ただ普通にやるべきことを上げただけなんだけど」
急に見つめられ、困惑した様子でヒナは一歩後ずさると、そのまま「こほん」と小さく咳ばらいをする。
「とにかく。何もわからないなら分からないなりに、今できることを一つづつ進めていきましょう。イオリ、今の被害状況をまとめるの、お願いできる?」
「わ、わかった」
「アコはとにかく情報を集めて。懲戒委員会の動きは特に重点的にね」
「……かしこまりました」
「チナツはみんなが混乱しないようにフォローに回ってあげて」
「了解しました」
ヒナは手馴れた様子でテキパキとその場にいるメンバーに指示を伝え。大きくため息をつく。
「……面倒くさいことになるでしょうけど。頑張りましょう」
くたびれたような笑顔を向けるヒナに、イオリ、アコ、チナツの三人は満足げな笑顔を向ける。
「やっぱりこれだな」
「ええ。しっくりきますね」
「同感です」
「もう。……あなた達がそんなんじゃ私が離れた意味がないでしょ」
口では否定的なことを言いながらも、ヒナ自身もそんな彼女たちとのやり取りに安心感を覚えて、砕けた表情を浮かべた。
「なら、俺は────」
そんな彼女たちの姿を見届けたセンジョウが口を開こうとした瞬間。ヒナが手で彼を制す。
「貴方は一度ミレニアムに行きなさい」
「こんな大事な時にか?この状況こそ、シャーレって肩書を生かすべきだと思うんだが」
ヒナの発言の意図をくみ取れず、センジョウはヒナに意見を述べるが、ヒナは大きくため息をつく。
そうして、ヒナは素早い動きでセンジョウの右腕を掴んだ。
「こんな腕で、まだ戦うつもりなの?」
「────!」
感覚の喪失は、手の平から徐々に広がっており、確かに右腕全体へと広がっていた。
しかし、その事実は風紀委員の誰にも伝えていなかった筈だし、ヒナの前でそのそぶりを見せたつもりもなかった。
「……何のことだ」
とっさに、彼はとぼける選択肢をとっていた。それは、考えがあったものではなく、ただの、癖。
すると、途端にヒナの表情が険しくなり、センジョウは背筋が凍るような感覚と共に、反射的に後ずさろうとするが、掴まれている右腕につなぎ留められ、ずるりと足を滑らせた。
尻もちを着くようにしてその場に倒れこんだセンジョウを、ヒナは冷たい眼差しのまま見下ろす。
「センジョウ」
「…………ハイ」
底から響くような、酷く冷え切った冷たい声で名前を呼ばれ、センジョウは観念したように彼女の意見を肯定する。
実際、こうしている間にも、彼女が掴む自分の右腕の感覚はない。そこを支点に体を大きく滑らせたのにも関わらず、だ。……それを見られてなおしらを切れるほど、センジョウの肝は座っていはいない。
「ユウカにも伝えておくから」
「えっ」
あまりにも残酷、というか。いや、まっとうな判断ではあるのだが。ヒナの無慈悲な宣言に、センジョウは目を丸くする。
「えっ、いや。あの、そのー……なんというか、ほら。一応仮にも風紀委員会の為に頑張ってたわけじゃないですか?何かこう。手心というか……」
何とかシレっと誤魔化そうと思っていたセンジョウは、しどろもどろになりながら、妙に早口で言い訳を捲し立てる。が、ヒナは空いた手で端末を黙々と操作する。
このままでは間違いなくユウカの雷が落ちる、間違いない。どんな説教が待ち受けているかも予想ができず、その恐怖にセンジョウは震えあがった。
何とかしてユウカに知られることだけは避けなくてはならない。
「あのぉ……ヒナさん、こう。わかったし、反省してるので……お慈悲は……」
一向に返事をもらえないセンジョウは、情けない声でヒナに嘆願し、ヒナの手が止まる。
彼女は笑顔を浮かべて、センジョウを見る。
助かった……!
そう思ったのもつかの間、ヒナの手は端末の画面をセンジョウへ差し出す。
『説教』
ユウカから短く、その一文が送られてきていた。
「うわぁぁぁぁぁぁ!!」
イオリ、アコ、チナツの冷ややかな視線を向けられながら、センジョウはしばらく慟哭し続けるのだった。
その日の夜。シャーレに恐る恐る帰宅したセンジョウは、鬼の形相で入り口前に立ちはだかるユウカに腰を抜かし、そのまま夕飯の直前まで正座で叱られる羽目となった。
自業自得である。
────翌朝。ユウカの説教を受けてしおしおにしなびたセンジョウは、ユウカと共に朝食を済ませると、ヌィルの自身の体への影響を調べるため、ヒマリの元を訪れていた。
言われるがままに検査装置を身に着け、しょんぼりとした顔のまま台の上に横たわるセンジョウを、手際よくヒマリが検査していく。
医療行為というよりは、『Nuill-Vana』の機能調査といえるセンジョウの診察は、医療機関ではなく、ヌィルの改造に携わったヒマリが行っている。
Phaseの進行具合や、ヌィルがセンジョウに及ぼしている肉体的な影響などを調査し、記録することは、『人工奇跡』の解析にもつながるからである。
診察というよりは解析、分析に近いそれらの行為を行っている部屋の前で、ユウカは1人、椅子に座っていた。
センジョウの無茶は今に始まったことではない。ヌィルを手に入れるより以前から、思い返せばその兆候はあった。
そもそも、大人でもない、自分たちとそう変わらない年齢でありながら『先生』の補助としてキヴォトスへ来るという判断自体、とても正気であるとは言えない。もうそれは彼の在り方というか、彼が彼であるアイデンティティの一部なのかもしれない。
それは、ユウカも受け入れている部分ではあった。だからこそ、彼を支えていこうと、彼の傍に居ようと決心を固めたのだ。
誰かが彼を引き留めなければ、彼がどこかへ飛んで行ってしまわないように彼を繋ぎとめて置こうと。そう考えていた。
今回は、ヒナの協力があったことで何とか今回の件は取り返しのつかない段階になる前に気づくことができたが、『次』がどうなるかわかったものではない。
そんなことに頭を回していると、ユウカの端末に着信が入る。
通知の名を見れば、そこには『Nall』の文字が表示されていた。
ユウカは、疑問も浮かべつつ、応答の文字をタップした。
「もしもし?」
『……久しぶりですね。早瀬ユウカ。ナルです』
「……えっと」
聞きなれない、少女のような声の機械音声に、ユウカは記憶を探るが……イマイチ思い出せない。
『覚えていないのも無理はありません。……以前話したのは、バニーチェイス作戦の時に一瞬程度でしたから』
『バニーチェイス』という単語と、少女のような機械音声の組み合わせに、ユウカは答えへとたどり着いた。
「もしかして、ヌィルの中の……」
『はい。支援AIのNallです。……覚えていただけで、幸いです』
機械音声ながらに、どこか嬉しそうな声で答える『ナル』に、ユウカは笑みをこぼす。
ナルというAIの存在は、ユウカ自身もセンジョウから聞かされていた。
「感情がないと自称する割に表情豊か」であるとか、「妙に自信過剰なところがある」だとか、「変に頑固である」とか。そんな様な話だ。
いずれ直接話す機会もあるのだろうか。等と考えていたユウカにとって、この通話は予期せぬものではあったが、歓迎できるものでもあった。
「どうかしたの、ナル?」
『その……マスター以外の人間と1対1で話すのは、初めてなので』
「緊張してるのね」
『緊張……。そうですね、緊張、と言えるのかもしれません』
ユウカの言葉をすんなりと受け入れるナルの様子に、ユウカは少し驚きを見せた。センジョウの言葉で聞いていたよりもずっと素直な彼女は、まるで幼い子供のようにも感じられた。
「いつもセンジョウの戦いのサポートしてるんでしょう。大変じゃない?」
話しにくそうにするナルの為に、話しやすそうな話題を選んで提供する。センジョウについてなら、ユウカにも話せることは多い。
『ええ。本当に大変です。火器管制、姿勢制御、行動予測、索敵探知に、通信……私が有能で優秀なAIであることを感謝してほしいぐらいです』
「ヌィル・ヴァーナは、ナルが一人で動かしてるの?」
『そうですね。……操縦はマスターですが、その動作を反映させているのは私、と言えなくもないかもしれません』
こうして話してみれば、AIだとはとても思えない程に、ナルは流暢に会話を返してくれる。
彼女が機会であると知らなければ、ボイスチェンジャーでも使っているのだと勘違いしていただろうか。
「いつも、センジョウを守ってくれてるのね」
『守る……。はい、マスターは、私が守っています』
主人思いの、いい子だと。ユウカは感心して、笑みを浮かべた。センジョウには勿体無いと思う程だ。
ユウカは、そんなことを感じながら、ヌィルの中に存在するナルへと想いを馳せていると、ナルは言葉を続ける。
『ですが、貴女のようには、なれません』
「私……?」
『はい。……私は、AIですから。マスターの決定に従うことしか、出来ませんから。……貴女のようには、彼を、止められない』
どこか落ち込んだような様子で、ナルはユウカに語りかける。
『私は……マスターがNuill-Vanaを使うために、マスターの無意識によって産み出された支援AIです。その使命は、Nuill-Vanaを通じて、マスターを神の領域へと導くことです』
『神の領域』と言う言葉に、ユウカは、センジョウがヌィルに呑まれ、覚醒した姿を思い出す。
『ですから。私の支援は、その、目的の先では…………マスターは』
ナルは、その先を言葉にせずに、口を閉ざす。
何を意味しているのかは、ユウカにも伝わっていた。そして、解っていても、言葉に出来ない、その気持ちも。
『私は……。私の使命は、存在理由は。マスターを連れていくことだと。その魂に手を掛けることだと、解っているんです。……解って、いるのです…………』
「けど、それが嫌なのね」
使命と、感情との間で葛藤する姿は、何処と無くセンジョウに似ていると、ユウカは感じていた。
『私には、マスターを止められません。彼が力を求める限り……私に出来るのは未来の、可能性の提示だけです。彼の選択を、止めることは出来ない』
「頑固だもんね。センジョウ」
こんな子にまで苦労を強いていると言うことに、ユウカは苦笑を溢さずにはいられない。どうやら、説教はまだ足りなかったらしい。
「ナルは、センジョウに幸せになってほしいの?」
『私は……。マスターに…………』
ユウカの問いに、ナルは沈黙する。そうして、しばらくの静寂が二人の間に流れた。
『そう、ですね。……私は、マスターに幸せになってもらいたいと。思っています。……支援AIとして、Nuill-Vanaとしては、間違っているのに』
きっと、彼女なりに考えて、悩んで、気持ちと向き合ってだした答えなのだろう。少し悲しげにそう答えたナルに、ユウカは優しい笑顔を浮かべた。
「……間違ってなんてないと。私は思う」
『使命に、存在意義に、反しているのに、ですか?』
「ええ」
ユウカは、諭すように。優しく、ナルに応える。
「ナルは、センジョウの無意識から生まれたんでしょう?……なら、センジョウはナルのお父さんじゃない」
『マスターが、お父さん……?』
「そう。お父さん」
不思議そうにするナルにたいして、ユウカは温かく、優しい声で続ける。
「子供が、自分の産みの親に、『幸せになってほしい』って思うのは。……何も、変なことじゃないと思うわ」
『………………』
「だから、ナルは。使命とか、存在意義なんかより、自分のやりたいと思う事に素直になっても、いいと思う」
『私の、やりたい事』
どこと無く、震えたような声で呟くナル。
「私もね。センジョウには、幸せになってほしいと思ってるの」
『……はい』
「けどね。私も、ナルみたいには成れない。……センジョウの事を、直接的に守り続けることは。できないから」
それは、立場だったり、仕事であったり。現実的な理由で、ユウカは全てを捨ててでも、センジョウの為に。なんていう選択は、できなかった。
それは、その選択は。センジョウ自身も望んでいないのだから。
けれど、それでも。一人では出来なくとも、諦められないのなら。
「だから、一緒に頑張ろっか」
『一緒に、ですか?』
「ええ。一緒に」
二人は、同じではない。
「私が、センジョウを必ず引き留める。繋ぎ止めるから。ナルは、センジョウの事をしっかり守ってあげて?」
『…………早瀬、ユウカ』
「ユウカでいいわ」
違うからこそ、互いに足りない部分を補い合える。支え合える。だから、こそ。想いを繋げる事が出来る。
「二人で頑張りましょう。ナル」
その言葉に、ナルは再び沈黙を返し。そして────
『────はい!マスターは……。お父さんは、私達で守りましょう!ユウカ!』
ナルは、元気一杯な返事をユウカに返すのだった。
筆者は今、ユウカの出番そこそこあるやん……ってなってます。