「先生」
「せんせー」
「先生ェ~」
───学園都市キヴォトス、そのD.U.シラトリ区の一画に建てられた、一つのビルがある。
そこでは、一人の男が日夜生徒の為に、その身を粉にして働いていた。
『先生』と呼ばれ、生徒から慕われる彼は。誠実で、気さくで、親しみやすく。そして、なにより、やさしかった。
彼の所属する『シャーレ』は、キヴォトスの学園における様々な問題のマスターキーでもあり。『困った時に頼れる大人』として……シャーレの『先生』は、確かにその存在を確立していた。
様々な生徒が、彼を頼り、慕い、シャーレへと訪れては、帰ってゆく。
「今日はありがとうございました、先生!」
「"うん。また何かあったら、いつでもおいで"」
「はい、ありがとうございました!」
そうして今日も、生徒の悩みを解決した『先生』は、シャーレから去る生徒の背中を、最後まで見送っていた。
「"ふぅ。今日もこれで仕事は一段落、かな"」
そうして、自分以外の生徒が全てシャーレを退去した後で、『先生』は『
「──今日もなんとかなったな」
首を絞めていたネクタイを緩めたことで、息が通るようになったセンジョウは、大きく息を吸い込んだ。
RABBIT小隊とのいざこざからいくらかの時間が流れたころ。
『先生』としての立ち回りを会得したセンジョウは、瞬く間にキヴォトス中の『生徒』の信頼を勝ち得る事に成功し、『蒼井センジョウ』という存在は、『シャーレの先生』としてキヴォトスに広く受け入れられることとなった。
自分の考えや、意思では上手く行かなかったような、そんなことでさえ、『先生』の『選択』をなぞれば、面白いように全てが噛み合い、万事が円満に解決してきた。
必要なのは、悩むことでも、努力することでも、学ぶことでも、なかった。
『考えることを止め、ただ、『
そうすることが、センジョウが成りたかった『先生』へたどり着く方法だった。
彼は、届かぬことに涙し、渇望し、焦がれた『憧れ』を。確かにその手に掴んでいた。
苦悩し、もがき続けた果てとしては、あまりに呆気のない結末ではあったが。……『大人』になるとは、得てしてそういうものだ。
『子供の頃の夢』も、案外、なってみてしまえば大したことはない──なんて。そんなことを考えながら、彼は毎日を過ごしていた。
仕事の疲れを、汗と共にシャワーで流し、消費した気力を食事の形で補填すると、センジョウは日課の『見舞い』へと向かった。
シャーレの一室。そこに、彼の父は、今だ深い眠りから醒めぬまま、横たわっていた。
「……お待たせ。父さん」
返事を期待しているわけではない。ただ、父にそう声をかけるのは、今のセンジョウの日課だった。
────父が眠りについて、75日程が過ぎようとしていた。
その体は、キヴォトスの医療技術もあり、万全とまでは行かないものの、十分意識を取り戻してもおかしくない容態まで回復している。
しかし、依然として、『彼』は眠り続けていた。
原因は不明。……それはまるで、『世界』が『彼』を不要と判断しているようにも見えるが──そんなものは、根拠のない、子供の夢想にすぎない。
「俺さ。立派な『先生』になったよ。……父さんに託されて。その背中を追いかけて、ここまで来たよ」
センジョウは、穏やかな表情で父の手を握る。
「色々悩んで、間違えたけど。案外簡単なことだった。……灯台もと暗し。って言うのかな、こういうの。……今ならきっと。前よりずっと。父さんの役に立てると思う」
やさしい声で、彼は語り続ける。
「もしかしたら、父さんが居なくったって。俺が居れば十分。なんて、言われちゃうかもしれないぜ。……早く起きないと、俺が父さんの代わりに、全部やっちゃうかも」
冗談半分にそんなことを言う。……だが、半分は本気だ。
今の自分であれば、父の代わりを十分に果たすことができる。そう、確信していた。
「……そういえば。もうすぐ『晄輪大祭』が開かれるらしくてさ。いろんな学校から、練習の手伝いをしてくれないかって呼ばれ続けてるよ」
晄輪大祭。正式名称……『キヴォトス大運動会』。
2年に一度だけ開かれる、キヴォトス全土を巻き込んだ運動の祭典。……どれだけ争いの耐えない学校同士であっても、この日ばかりは銃を置き、共に汗を流し、公正なルールで競い合う。
「今回はミレニアムが主催らしくてさ。ユウカが、『必ず成功させてみせる』って息巻いてるらしいんだ」
『らしい』。と彼がこぼしたのは────公安局の不正が明るみに出た、『あの日』を最後に。彼はユウカに会っていなかったからだ。
他の生徒から又聞きした情報で語るしかないのは、互いに忙しいのだろうとセンジョウは考え、ユウカへ自らコンタクトを取るまいとした事に起因する。
事実、センジョウが『先生』となった日から。シャーレはこれまで以上に忙しくなり、以前のような『ペース配分』なんて事を考える余裕は無くなっていた。
そうして。いつの間にか、センジョウとユウカは互いに、その『日常』から姿を消した。
「そうそう、ミカの方も、ボランティアへの参加を条件に、晄輪大祭には参加できる恩赦がでたんだよ。せっかくのお祭りに一人残されるなんて、さすがにほっとけないしな」
そして。それと反比例するかのように、センジョウは『聖園ミカ』と過ごす時間がじわじわと増えてきていた。
センジョウがトリニティへ彼女を迎えに行く事もあれば、『更正』の一環として、シャーレの事務作業に参加するために彼女がシャーレへと訪れる事もある。
そうして、その度に、センジョウはミカにだけは『先生』ではなく、『
「あいつ、本当にワガママなんだけど、悪いやつじゃないからさ。……全部が終わって、『元通り』には、ならなくても。もう少しぐらい、『良い思い』ができるように、俺もがんばるよ」
センジョウは、ミカから受け取ったペンダントを優しく握りしめる。
肌身離さず持ち歩いているそれを。大切に。
「……きっといつか。アイツの優しさが、報われると。俺は信じてるよ」
そうこぼすセンジョウの表情は、一片の曇りもなく。ただ、穏やかに。優しく、微笑んでいた。
「────俺はもう。一人でも大丈夫。『
だから。
「いつでも良いから。起きたら沢山話そう」
その日を、彼はいつまでも。いつまでも。待ち続ける。
いつもと変わらぬ日々をこなし、いつもと変わらぬ言葉を交わし、いつもと同じ終わりを迎えて。
そんな毎日を繰り返しながら。
なんどでも。いつまでも。
ずっと。
────ミレニアム、執務室。
早瀬ユウカは、淡々と書類に目を通し、計画を調整し、誤差が産まれぬように何度も計算を繰り返していた。
「……ユウカちゃん。そんなに根を詰めて仕事をしていたら、身体に毒ですよ」
ここ数日。『晄輪大祭』を成功させるためと言う名目のもと、鬼気迫る様子で仕事を続けるユウカに対し、ノアは不安そうに声をかける。
「心配かけてごめんね、ノア。でも、私は大丈夫だから」
ノアに視線を向ける事もなく、ユウカはそう言いきる。
そう言われてしまうと……ノアはもう、なにも言葉を伝えることはできない。
なにが原因か。そんなことは、ずっと、もっと前からはっきりしている。
しかし、だからこそ。……自分の言葉が、今のユウカには届きようも無いことを理解してしまう。
「……先に、休んでますね」
「うん。お疲れ様」
そうして、ノアは今日もユウカを一人部屋に残し、執務室を去る。
日も沈み、静まり返ったミレニアムに一人。ユウカの叩くキーボードの音が響く。
時計をみれば、完全下校時間はとうの昔に過ぎていた。
「…………ふぅ」
いつの間にか、呼吸が浅くなっていたらしい。
画面から少し視線を離して天井を見上げれば、無意識のうちに大きく息を吸い込んだ。
そうして、肺に流れ込む空気の冷たさが、身体に籠った熱に染みて、独特な心地よさを感じさせる。
「なに、やってるんだろ」
我ながら子供じみていると。そんなことを考えて、ユウカは自嘲気味に呟いた。
結局のところ。未だに『ミカ』に突きつけられた問いの答えは、出ていなかった。
だと言うのに、あの男は『あの日』──私が、彼に最後にあった日──。私をみて、うすら寒い笑顔を浮かべながら。こう言ったのだ。
────俺、わかったんだ。
……一体何をわかったと言うのだろうか。
彼のその言葉は、ユウカにはひどく的はずれに見えていた。
ユウカにとって。今の彼は、以前までの『大人を目指して手を伸ばす子供』ではなく、『わかったような口を利くだけの大人もどき』にしか見えなかった。
知ったかぶり、わかったふり。
嘘と、はったり。
それはまるで、『イヤな大人』のやり方だ。
本当に彼は、そんなものになりたかったのだろうか。
────『センジョウ』は、本当に。そんな、『格好悪い』男の子だっただろうか?
どれだけ疑っても。どれだけ受け入れられなくても。どれだけ、そんな『彼』が嫌いでも。
────『それ』が。今の『蒼井センジョウ』なのだ。
そんな現実を認めたくなくて。受け入れたくなくて。
目を逸らして、瞑って、耳を塞いで。
忘れるために。仕事に打ち込んでいた。
そんなまるで、自分を『騙す』様な、利口なやり方も。『イヤな大人』の誤魔化しのような気がして。
「…………はぁ」
答えは出ずに。出るのは溜め息ばかり。
どうにも私は──感情の因数分解の方程式を忘れてしまったらしい。
そんな、下らない思考の沼に漬かっていると、『いつも』のように着信が届く。
ユウカは発信元も確認せずに、回線を開く。
「今日も来たのね、ナル」
『……はい。毎晩、すみません』
通話の相手。それは……『ナル』だった。
ここ最近、毎日のように、決まった時間にユウカの元を訪れるナルの声は暗く、ユウカはその度に彼女の言葉に耳を傾けていた。
それは、一方的な相談のようにも見えるが……その実、ユウカは『ナル』との会話に、どこか癒しと言うか、心が休まる感覚を覚えていた。
「今日はどうしたの?」
『えっと……』
何かを言いよどむナルの様子に、ユウカは口元を緩める。
「言いたくないなら、言わなくてもいいから。……ゆっくりお話ししましょう?」
『……すみません、ありがとうございます、ユウカ』
ユウカが『ナル』と会話をするようになって、その回数は10を越えたあたりから『ナル』は明確にその感情を隠そうとはしなくなっていた。
より正しく表現するのであれば、彼女はユウカとの会話の中で、『自分が感情がある』と受け入れ始めていた。
ある種、純真無垢な『ナル』との会話は、ユウカ自身にとっても、自分の純粋な感情と向き合える時間であった。
『ナル』の話は、その日の仕事の愚痴であったり、その日シャーレに訪れた生徒の事であったり。
その日、どんなことがあって。どんなことを感じたのか。
そんな他愛の無い話を交わしていたのだが。……どうにも今日は、いつもと様子が違っていた。
『……今日は、相談が、ありまして』
ユウカは、ここ数日の雑談のなかでも、ナルがなにかを言いたげにしている様子があるのには、気づいていた。
どうやら、ようやくその内容を話す決心がついたらしい。
「何でも聞くから。話してくれる?」
『はい。…………実は私。最近のマスター……お父さんの事が、心配で』
「心配……?」
『はい』
ナルは、静かに言葉を続ける。
『最近のお父さんは、良く、笑うようになりました。笑っている時間だけで言うなら、今が一番多いと思います』
たしかに。ナルの言うように、『センジョウ』は良く笑っていた。──だが、それは。『先生』としての笑顔だ。
『……精神も、たしかに安定しています。お父さんは、たしかに、楽しそうに笑っているはずなんです。……私が望んだ、『お父さんの幸せ』が。今、そこにあるはずなんです』
それは、ナルの求めた、『センジョウの幸せ』について、問いかけであり、悩みでもあった。
『……あるはず、なのに、私には。今のお父さんの笑顔は────受け入れられません』
「…………そう、ね」
ナルの悩みを聞き、ユウカは静かに目を閉じる。
────その悩みは、葛藤は。きっと、今自分の感じている不快感と、近いものなのだろう。
「それならナルは、センジョウにはどうしていてほしいの?」
『それは、もちろん。幸せに────』
「そうじゃなくて。もっと具体的な姿で良いから」
『具体的…………』
ユウカの言葉を受けて、ナルはしばらく考え込むと。一つの考えに、至る。
『────お父さんと。私と。……そして、ユウカと。3人で、笑っていたいです』
ポロリとこぼれでた、『そのイメージ』は。
その、光景は。
『ナル』が、心のそこから求める。淡い、淡い『幸せ』のイメージ。
優しくて、素直な。そんな、シンプルな『ワガママ』。
そして、それは。
「────そう。ね」
────『ユウカ』にとっても。何故か、心が暖かくなる。そんな、イメージだった。
ああ。本当に。私は……なんて、『卑怯』な女なのだろうか。
ユウカは、『ナル』のイメージを受け取り。どうしようもなく、自己嫌悪する。
『私』が、『ナル』と話して、救われるのは────
どんなに形にできなくても。どんなに答えが見つからなくても。
────『ナル』が。『
いつの間にか。ユウカの瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
本当に。どうして。───どうして、こんなことになってしまったのだろうか。
『ユウカ?大丈夫ですか?』
「……ごめんなさい、ナル」
溢れだす、静かな、けれど、押さえようのない感情を認めながら。ユウカは静かに涙を流す。
────『私』はただ。『
『………………ユウ、カ。…………その………………』
ユウカのその感情は、声には出ていなかった。
けれど、『ナル』は、たしかにその心の機微を、感じ取ってしまった。
『ごめん、なさい』
「ナル……?」
『ごめんなさい。──ごめんなさい、ユウカ。私は……私、が』
……どうして謝っているのか。ナル自身にもわからないまま。ただ、とにかく。ナルは謝罪の言葉を述べる。
たぶん、とにかく、『許して』貰いたかったのだ。『解放』されたかったのだ。
今の不条理から。その、閉塞的な苦しさから。
誰も。悪くはないはずなのに。
その気持ちは、ユウカにも痛いように伝わってきた。
ユウカは、『ナル』を抱き締められない事に、もどかしさを覚えながら。静かに、通話にしようしている端末を握りしめた。
「大丈夫、大丈夫だからね。……ナルは、悪くないからね」
痛む心と流れる涙をそのままに、ナルを慰める。
なにかを言葉にしようとして、なにも言葉になら無い。そんな風に、泣くように謝るナルを、優しく、あやすように。
『────私は、私は…………!』
「……大丈夫。大丈夫よ。……私は、そばに居るからね」
────そばに居てほしいのは。自分も同じだから。
その夜は、そのまま。いつの間にか、どちらかが泣きつかれて眠るまで。そっと、二人は寄り添う様に互いの声を、交わしていた。