「久しぶりだね。クズノハ」
「────誰じゃ。お主は」
夢と現の狭間に揺れる空間で、クズノハは予期せぬ来客に顔をしかめる。
「ああ、そっか。ごめんね。『はじめまして』の方が正しいよね」
「礼儀の話などしておらぬ。妾は『お主は誰か』と問うた筈じゃが」
この空間に足を踏み入れることは、まず普通の存在では不可能だ。
だが、クズノハが
「私の事?……うーん。それはちょっと事情があって、まだ伝わらないんだ」
「────伝わらない?」
「そう。『伝わらない』」
『大人』はクズノハの疑問を肯定する。
「これは『定理』じゃなくて、『定義』だから。説明も出来ないんだ。……ごめんね」
「随分と回りくどい表現を使うのぉ……」
得体も知れず、正体も解らず。されど、情けなく、けれど真剣に頭を下げる『大人』の姿に、クズノハは眉尻を下げた。
「ごめんね。人に教える方法は沢山勉強してきたんだけど、どうにも上手くならなくて……」
「はぁ。……もう良い、わかった。其方に敵意も害意も無いことは十分に
呆れ返った様子のクズノハに対し、『大人』は申し訳なさそうに、誤魔化すような笑みを浮かべて顔を上げる。
「それで。様子からみるに。妾に何か用があると見えるが?」
「さすがに察しが良くて助かるなぁ……」
『大人』は相変わらず頼り無さそうに笑う。
「────これからここに『先生』がくるから。力になってあげて欲しいんだ」
「…………ほう?」
この『大人』が言う『先生』とは。まず間違いなくキヴォトスに来たと言うあの『先生』だろう。
つまり。
「お主は、『先生』の関係者。と言うことか?」
「うーーーーん…………」
『大人』は「どこまでなら伝えられるのか……」と腕を組んで考え込む。
「そうだなぁ……。少なくとも。『先生』は、私にとって大事な人だよ」
「答えになっておらん」
「そっかぁ……。ごめんねぇ……」
本当に要領の得ない会話ばかりが繰り返される。
だが、不思議とクズノハに不快感はない。
「では問いを変えよう。……妾がその者に力を貸したとして。妾に何の『利』がある?」
「え?あー。えっと……」
静寂の後、『大人』は弾んだ声で言い放つ。
「私が沢山誉めてあげる!」
「阿呆かお主は」
あまりに腑抜けたその答えに、クズノハは思わず自分の毒気が抜けてしまった事を自覚する。
「………はぁ。良い、もう良いわ。どのみち時間ばかりはいくらでもある。力を貸すかどうかは、その『先生』次第ではあるが……話ぐらいは聞くことを約束しよう」
「本当?やったー!」
まるで子供のように感情を見せるその大人の姿に、クズノハは自然と表情を崩した。
「全く。お主は本当に────」
「じゃあ。よろしくね」
その澄んだ声が妙に響き、クズノハはハッと意識を前へと向ける。
だが、そこにはもう……誰もいない。
いや。まるで、そこには最初から誰もいなかったかのような────。
「……あれ。ここは、一体……」
今度は男の大人の声。
クズノハは大きく溜め息を付く。
「……今日は本当に来客が多いのぅ」
「君が、俺を呼んだのか?」
「呼んでなどおらぬ。お主か勝手に導かれただけじゃ」
「……そっかぁ」
男は少し寂しそうに笑い、自らの右手を見る。
「────懐かしい声に。呼ばれた気がしたんだけどな」
「………………」
その表情はまるで──。
「……『先生』とやら。まずはお主の事情を聞こう」
クズノハはあの『大人』に言われたことを済ませるために、『男』へと声をかける。
「其方の力になって欲しい。と、そう頼まれている身でな。妾に出来る範囲であれば、力を貸そう」
「本当に?……それなら────」
「『何か』に触れて、侵食されて、夢の世界に取り残された子を助ける方法、とか。知ってる…………?」
先生の言葉にクズノハは目を細める。
『何か』とは。……おそらく、『色彩』。
あの『大人』は、『
────ヤツめ。厄介なモノを押し付けてくれた。
クズノハはここにはいない大人に恨み言を募らせながら。『義理』を果たすために思考を巡らせる。
だが。……久しぶりに、『流れ』に身を任せるのも、悪くはない。
────これは、誰も知り得なかった……忘れられし日の一幕。
場面は変わり、異形の者共が集まる会議室。そこへ一人の大人が現れる。
「失礼、少々遅れました」
黒いスーツをまとった闇の男……黒服は、他の面々を一別する。
「……皆さん、お集りのようで」
そこにいるのは黒服を含めての4人。……いや、『4つ』と言うべきだろうか。
木でできた彫刻の男。頭の無い、絵画を抱えた男。 そして、赤い肌の女。
彼らはみな、『ゲマトリア』と呼ばれる組織の一員だった。
「それでは、会議を始めましょうか」
仕事をこなす大人らしく、黒服は落ち着いた声で本日の『議題』を口にする。
「少々前の事ですが、『無名の司祭』の遺産が観測されました」
「『無名の司祭』…………。『
思案するように呟くマエストロに、黒服は肯定を返す。
「ええ。……彼らについては、『Nuill-Vana』についてあなた方に説明する時に語った通りです」
「現代を越える超科学技術。……存在そのものに意味の有るテクストを貼り付けられる程の力を持つとはいえ。『物語』への影響を与えられる程の文脈は持たぬ筈。……故に、貴方はそれを指して『金になる』と言っていたのではなかったか?」
次に言葉を発したのは、デカルコマニーの持つ絵画に描かれたゴルゴンダだった。
黒服はその問いを肯定し、その上で。
「ですが、観測されたのはそんな凡庸なものではありません────」
否定の先に答えを告げる。
「────『箱舟』が観測されたのです。一瞬ではありましたが」
「『観測』?それは知覚される概念なのか?物体ではなく、現象であると?」
『箱舟』という言葉が指すものは実態を持つ筈だとマエストロは指摘する。
黒服はそれに応じ、クツクツと笑みをこぼした。
「興味深い質問ですね。私も『
黒服は自身が観測し、記録した『現象』を元に思考を回す。
「カイザーグループにアビドス砂漠を調査させておりましたが……すべて無駄骨でした。……私は、勘違いをしていたのです」
腕を組み、思案するように右手の指を口元へ添える。
「『箱舟』が、すべての神秘を併せ持つ抽象的な概念であるのならば────」
そこまで思考を巡らせてから、黒服は自嘲ぎみに笑い、組んでいた手を崩した。
「────いえ、これでは論点がずれてしまいますね。本題へ戻りましょう」
今は思考を回す瞬間ではない。探求者としての姿勢も大事だが、『大人』として、目の前の仕事にも気を払うのが道理である。
黒服は自身の思考を頭の隅へ追いやると、会議の議題へと意識を戻す。
「消えゆくはずの『無名の司祭』の兵、そしてその遺産が再び観測されたこと……これらは確かに、我々の想定を上回りました」
黒服は冷静に、しかし、事態は深刻であると言外に告げながら、その論拠を並べる。
「シャーレの出現、キヴォトス最高の神秘の確保失敗。唯一残されたアリウス領の剥奪、デカグラマトンの死────。そして、『人工奇跡』の覚醒と、『無名の司祭』の遺産である『箱舟』の観測」
黒服の言葉に、ピクリ。とベアトリーチェが反応を示す。
「計画通りであれば、起こり得ることがなかった事態。遠い未来でさえ到達することが──いえ、訪れることすらない現象だったかもしれません」
「確かに。……『私達の計画通り』ならば、ね」
ベアトリーチェの言葉に、黒服は静かに首を横に振った。
「ベアトリーチェ。『人工奇跡』の覚醒は計算外であると伝えた通りです。私怨があるのであれば後程伺いますので。今は議題を優先させていただきたい」
「そうだな、ベアトリーチェ。この会議の問題は、貴下の行動に有る」
黒服の言葉を引き継ぐようにしてマエストロが『本題』へと触れる。
「『色彩』がここを発見してしまった。ベアトリーチェ、貴下が行った儀式のせいでな。……儀式は、『色彩』と接触するためのものだった。アレが招く狂乱は、分かっていたはずだろう?」
「正確に言えばあれば接触ではなく、力を利用するためのものだったかと。マダムはアレを呼び寄せるつもりではありませんでした」
マエストロの追及に対し、ゴルゴンダはその熱を諌めるためか、幾らかの助け船を出す。
しかし。マエストロはそれを意にも介さず、ベアトリーチェへと言葉を続けた。
「ああ、そうだとも!『色彩』の力を利用し、自分を偉大なるものに仕立て上げようとした……。そんな低俗な目的の為に、アレを────!」
マエストロはベアトリーチェの暴挙に激昂し、言葉をあらげる。
「口の利き方に気をつけなさい、木偶」
ベアトリーチェはそんなマエストロを軽蔑するように吐き捨てた。
一触即発の空気の中──黒服が再び口を開く。
「────皆さん、大人になりましょう。ベアトリーチェは色彩を利用しようとしただけであって、キヴォトスに呼び寄せる予定ではなかった筈です」
「『奇跡の実行』を行った今でも、貴方はそう考えているのですか?」
黒服の仲裁に対し、感謝を述べるより先に敵意を向けるベアトリーチェに、黒服はゆっくりと首を横に振った。
「……彼の者の『力』は、この世界において『色彩』に匹敵しうるもの。『神へと至る技術』が真であるならば、色彩に対抗しうる無二の選択肢となりうる。……ですが、それは結果にすぎません」
「それが『物語』の作法。だとでも?────そんなもの、とうに破綻しているではないですか」
黒服の言う『神』とは。……この『
「ここが『学園都市』であるのならば、『先生』が倒れ伏した時点で、その論はとうに破綻し、終焉しているはずです。……それが成らぬのは、ひとえに、『
言外に、その一端が黒服にあるとベアトリーチェは黒服を非難する。
しかし、黒服は動じるでも、驚くでもなく。静かに口を閉じたまま。反応を示さない。
そんな彼に、ベアトリーチェは呆れたように、狂ったように、口の端を吊り上げて、嗤う。
「────分かりました。私が、皆さんに解を示して差し上げます。『無名の司祭』も、『シャーレ』も、『箱舟』も────すべて一度に解決する事ができる、究極の解を」
「ふむ……?」
「『色彩』はすでに此処を発見しております」
────崩壊への序曲は。もう、始まっている。