「リンちゃん、リンちゃん。聞こえてる?」
──貴女は……?
「ごめんねぇ……。こんな形になっちゃって」
──いえ……こんな形もなにも、私は現状を何一つ飲み込めていないのですが……。
「そうだよね。そうなっちゃうよね……。でも、今の私にはこんな方法しか出来なくてさ」
「リンちゃんに、お願いがあるんだ」
──お願い、ですか?
「うん。……もうすぐ、キヴォトスに危機が訪れる。それこそ、キヴォトスが滅亡するような。そんな危機が」
──何を言って
「7つの狂気が空を抉り、大地を穿ち、世界を削る──そんなところかな」
──…………荒唐無稽な話を信じろと言うのですか?
「うん。……ここにはもう『先生』もいないし。リンちゃんに頑張って貰うしかなくて」
──無責任過ぎます。
「うぅっ……!それを言われると痛い……!!……けど、私に出来ることはリンちゃんを……みんなを信じることだけだから。────『あの人』の様に」
──…………もしかして、貴女は。
「それじゃあ、よろしくね!」
「───んぱい、リン先輩」
いつの間にか眠っていたリンは、アユムの呼び掛けに目を醒ます。
「……私は、居眠りを?」
「大丈夫ですか?……最近忙しいみたいですし、今日は早めにお仕事を切り上げてみては……」
「いえ、問題ありません。」
リンは崩れていた姿勢をただし、すこしズレたメガネのブリッジを指で押し上げる。
「(…………今の、夢は)」
ぼんやりとした感覚の中、はっきりとした会話の内容だけが浮かび上がるその夢に、リンは妙な違和感を覚える。
──記憶にない声は優しい声で自分を『リンちゃん』と呼んでいた。
そんな呼び方をする人間を、リンは連邦生徒会長と“先生”の2人しか知らない。
だが……、声の持ち主はそのどちらでもない。
「(……それに)」
声の持ち主の言っていた、キヴォトスの『危機』という言葉が──妙なわだかまりとなって、リンの心に残っていた。
「センジョウさんにも──いえ、まずは情報の整理が必要ですね」
もし、この夢が何かを知らせるための物であったのなら、動いていて損はない。
確かにいくらか仕事に支障は出るかも知れないが……、夢の言葉が真実だとすれば、仕事などしている場合でもなくなってしまう。
そこまで考えてリンはふと気付く。
こんな不確かな『予感』めいた感情に突き動かされるなど、自分らしくはないと。
もし、有るとすれば──『先生』から同じように言葉を聞いた時ぐらいだろう。
そんなことを考えながら、リンは普段の業務に加えて、『来るかもわからない危機』へ向けて、動き始めた。
────そして、彼女は。その夜にモモカより告げられた『6つの力場』の存在により、己の予感の正しさを知る。
『崩壊』の足音は。既に、そこまで。
「────『色彩』がこちらに向かっている……?」
ゲマトリア会議室にて、ベアトリーチェの話を聞いたマエストロが静かに驚きを露にする。
「ええ。そうしたら『シャーレ』も、『名もなき神』も、『箱舟』も、『人工奇跡』もすべて消え失せる。いかがでしょうか?これが最も確実な方法かと」
ベアトリーチェはそれに対し、答えにならぬ答えを返した。
「その場合、『色彩』はこのキヴォトスをも消し去るだろうな」
「……マダムは、わたくし達の探求を台無しにするおつもりで?」
当然、そんなことを『ゲマトリア』は望んでいない。
彼らの目的はあくまでも『探求』であり、破滅ではないのだから。
しかし。
「ええ、探求など、どうなっても構いません。私が本当に求めていたものは、別のものだという事に気が付ついたのです」
ベアトリーチェは……熱に浮かされたように言葉を謳う。
「一部ではありましたが、儀式を通じて『色彩』と接触した際に、そして、あの『光』に触れた際に、私が本当に求めているものを悟ったのです」
その瞳には確かに『狂気』が宿っており。
「為すべきこと……それは、くだらない実験や探求ではない。そう……偉大なる存在になるためには────」
「世界の滅亡と、創成の権限を所有しなくては……そう、『破壊』し、『創造』する絶対者になるのです。これこそが唯一の方策……」
「解釈されず、理解されず、疎通されず────ただ到来するだけの不吉な光。目的も疎通もできない不可解な観念……ああ、そう。『目には目を、歯には歯を』という古来からある習わしのように」
「────『
「何という体たらく。理性を失ったか、ベアトリーチェ」
「……そうですか、マダム。貴女は自分の憎悪に飲み込まれてしまったのですね。……とても残念です」
……当然、そんなベアトリーチェに他の面々は落胆を示す。
「ゲマトリアは探求者であり、求道者……狂気こそ、我々が打破すべき宿敵なのですが……ベアトリーチェ、あなたはゲマトリアの資格を失いました」
黒服の言葉にベアトリーチェは狂ったような笑顔を向ける。
「口を慎みなさい……私には『色彩』の力が宿っているのですよ?あなた方があれほど恐れていた、狂気の力が────」
確かに、今の彼女は狂気を代償に相応の力を持っている。……しかし、黒服は欠片も動揺を示さない。
「そのようですね。ゴルゴンダ、彼女を送り届けてください」
「はい。────楽しい時間でしたよ、マダム」
直後。空間が歪み、ベアトリーチェの身体をたたみ、圧縮し、磨り潰し始める。
「ぐ、あぁぁぉぉぁ!?!?これはぁ!?」
「ふむ、ヘイロー破壊の爆弾より確実なようですね」
「ええ、神秘は解析できないからこその『神秘』ですが、彼女はわかりやすい存在ですので」
苦悶の声をあげるベアトリーチェを、まるで実験でも眺めるかのように黒服は眺め、ゴルゴンダは教授のように説明をする。
「我々に『色彩』への対抗手段が無いと思っていたのですか?……あなたが『色彩』と接触したと聞いた時から準備しておりましたよ」
「そういうこったぁ!」
「貴下とは異なる世界観をもっているがゆえに、何かと衝突が多かったな。だが、貴下の野望には敬意を表そう、ベアトリーチェ」
もはや、言葉にもならない悲鳴と怨嗟を上げて消滅していくベアトリーチェに対し、思い思いの言葉を告げて────
────ベアトリーチェは、キヴォトスから消滅した。
「……また、席が空いてしまいましたね。次の人員については、後ほど議論するといたしましょう」
黒服は残念そうに、面倒くさそうに、そんな感想を述べて。
「それでは次の議題を────」
────そうして、淡々と会議は続いていく。
ミレニアム、宿直室。
日が沈み、皆がそれぞれの家へと帰った頃。ユウカは1人、ベッドの上で膝を抱えていた。
「…………はぁ」
『後悔、しているのですか?』
彼女がとなりに転がしている端末からナルの声が聞こえる。
「していても、していなくても……。もう、選んじゃったことだから」
ユウカは『あの日』以降、彼と出会う前の……いや。先生と出会うより前の日々に帰ってきていた。
ノアと共に仕事をし、ミレニアムの財政に頭を抱え、ゲーム開発部やC&C、エンジニア部にヴェリタスといった面々の自由さに振り回される……そんな日々に。
けれど、そんな日常のなかにも、『彼』のいた証拠が至るところに存在している。
ゲーム開発部に顔を出すヒナや、『Nuill-Vana』の稼働記録、整備用具。
そして、今こうして話している……『ナル』。
彼と過ごした『毎日』なんて……忘れようとして忘れられるものではない。
『ユウカは……それで。それで、納得できているんですか?』
「納得もなにも……、『納得する』しかないでしょ」
ユウカは膝に顔を埋めて言葉を続ける。
「私は、『センジョウ』の全部を受け入れられなかった。拒絶した。否定した。……側で支えるって言っていた、私自身の覚悟を否定したのは。他の誰でもない、私自身で。……『今の私はセンジョウには相応しくない』もの」
『…………』
ナルはそんなユウカの言葉に、『心』が締め付けられるような感覚を覚えた。
プログラムが産み出した『
『ユウカは。お父さん……センジョウに、不幸になって欲しいのですか?』
「そんなこと──!」
彼女は、ナルの言葉に伏せていた顔を上げる。
「そんなこと、有るわけ無いでしょ!!幸せになってほしい!なってほしいから、今のは私は側にいられない……!!『彼』を否定する私じゃ!傷つけちゃうから……!!」
『ですが。私からみて、今のお父さんは……これっぽっちも『幸せ』なんかじゃ有りません』
「────ッ!?」
そんなこと──ユウカもわかっている。
『お父さんも、同じです。──あなたに笑っていて欲しいと、幸せであって欲しいと、心のそこから願っていました。……いえ、『願っています』。……それなのに、互いに幸せを願っているのに、どうしてあなた達は、互いの心を傷つけるのですか?』
ナルはそれでも言葉を続ける。
『……私に、やりたいようにやるべきだと。《心》に従えと言ったのは────他でもない、ユウカです』
「……ナル」
『それなのになんであなたが!』
「ナル」
『どうして!自分の心に嘘なんかついて!納得したふりをしているんですか!!!!』
「やめて!!ナル!!!!」
「わかってる!!わかってるわよ!そんなこと!そんなの、そんな当たり前なこと!!私が一番納得できてない事ぐらい!!私が!一番、やりたいことじゃないってことぐらい!!!」
「でも、仕方ないじゃない……!!世界は、思い通りになんてならないの!!うまく行かないことだらけで、それでもやらなきゃいけないことが沢山あって!!『やりたいように』なんて……!!そんなことだけは、言っていられないのよ!!」
「私達は────『
ぼろぼろと涙をこぼしながらユウカは叫ぶ。
「────どうして。どうして、……ただ。明日がもっとよくなるようにって。少しでも、マシな明日が来るようにって……、そう、頑張ってるだけなのに……。前に進むために、『アイツ』と別れたはずなのに────」
そうして、ユウカは再び顔を膝に埋める。
「────私は……前に進めないの……?」
少女は暗い部屋で独り、小さく膝を抱えて震えていた。
『…………ユウカ』
「ごめんなさい、ナル。あなたは悪くないわ。怒鳴って、ごめんね」
「……今は少し、独りにして欲しい」
『…………解りました。また、来ますね』
ナルはユウカの望みを聞き、端末から去る。
「────センジョウの、ばか」
ユウカは一人。孤独に涙を流す。
『彼』がミレニアムから去ったあの日から──何一つ変わらない。『彼』の過ごした部屋で、ただ。
「さて、と。……明日の仕事の確認だけしてから寝るか」
ミカとのデートが終わり、シャーレへと帰りついたセンジョウは、仕事の確認のためにPCの電源を入れる。
そうして新着メッセージに目を通すと────
「─────うそ、だろ?」
一通のメッセージが、目に止まる。
差出人は。
────『宍戸オウカ』。
内容は、決着をつけるために『アビドス砂漠』へと来い。と言うもの。
だが。今のセンジョウにとって──内容なんてどうでも良い。
その『名前』に、センジョウは声を震わせる。
「だって、アイツは」
自分が『殺そう』とした。彼女は確かにあの日、瓦礫に押し潰され。
「俺が…………」
だが、もし。あの日の彼女が逃げ延びて、生き延びていたのなら?
「俺、は………………」
心が揺れる。
光に惑わされる。
『もしも』の光景が……頭をよぎる。
「────まだ、もう一度だけ」
やりなおせるなら。
────俺は。