センジョウは、明け方の空をまっすぐに、ユウカのいる敵の本拠地へ向かって突き進んでいた。
眼下に広がる街には、先の戦いの痛々しい傷跡が残り、キヴォトスが傷ついていることがありありと感じられる。
──お父さん。
ふと、ナルがセンジョウへ声をかける。まだ、『父』と呼ばれることには違和感があり、どうにも背中がむず痒くなるような感覚を覚える。
「なんだ、ナル」
──ひとつ、聞きたいことがあったんです。
「俺に?」
──はい。
一体何を聞くつもりなのか。と少しの疑問と恐怖を覚えつつ、しかし、父親として我が子と真摯に向き合いたいという思いが勝る。
「何でも言ってみろ」
──ありがとうございます。
だが、センジョウはその答えをひどく後悔することになる。
──お父さんなんで浮気したんですか?
「ぶふぉっ!?」
『浮気』等という単語が飛び出してきた予想外の事態に、センジョウはおもいっきり吹き出した。
「う、浮気!?俺が!?」
──はい。してたじゃないですか、ミカさんと。
「まてまてまて!俺は確かに子持ちかもしれないが、妻帯者になった覚えはないぞ!?」
──ふーん。
父親として娘に答える初めての質問が、『なぜ浮気をしたか』です。
全国のお父さん。私は一体どうすれば良いでしょう。
あ、オヤジ!心の中のオヤジ!俺を助け──え?浮気したやつが悪い?俺は妻一筋なんで?……オヤジ?オヤジィィィィ!?
──で。なんで浮気したんですか?
ナルの冷たい追求に、センジョウは逃避していた現実に引き戻される。
誤魔化そうにも、誤魔化せるような雰囲気でもない。何とかこう、可能な限り差支えのない答えを探し、センジョウは口を開いた。
「…………寂しかったから?」
──体目的ですか。サイテーですね、お父さん。そんなんじゃユウカに本当に捨てられますよ。
「まてまてまて!!違う違う違うそうじゃないしなんでユウカ!?」
──はあ。
どこか呆れ返ったように、ナルは冷たい溜め息を吐いた。
──お父さん。ミカさんと付き合ってる間も、ずっとユウカの事を考えてましたよね?
「………………」
──『沈黙は肯定』ですよ。
ナルの言葉を否定することは、俺にはできなかった。
ミカと過ごす日常は、十分に『幸せ』と表現できるようなものだった。
ミカは、自己中心的にこちらの手を引きつつも、俺の傷心に気づいていたのか、彼を気遣うようなそぶりも多く見せていた。
しかし、そんな彼女の姿を見るたびに、俺が感じていたのは、『違和感』。
それが一体、何に起因するものなのか。つい先ほどまで、俺自身も理解できていなかった。
だが、ミカの言葉を受けて。逃げ場をつぶされ、真っ向から彼女に、現実に、自分に向き合った時に。
自分の人生の中で、『早瀬ユウカ』がどれほど大きな存在であったのかを、自覚した。
だからこそ、今ならばわかる。その違和感の正体が。
────ミカに、ユウカを重ねて、その違いを感じてしまっていた。
ユウカなら怒るだろうことも、ミカは許してくれた。
ユウカなら拘るだろうことも、ミカは認めてくれた。
ユウカなら拒むだろう『蒼井センジョウ』も、ミカは受け入れてくれた
それが、嬉しくなかったといえば噓になる。
ミカから向けられた好意に喜ばなかったといえば嘘になる。
ミカに、『救い』を感じていなかったというのは。まぎれもない『嘘』だ。
甘えていた。頼っていた。縋っていた。依存していた。
『甘い』彼女に。その優しさに、溺れていた。
自分の傷を言い訳にして、自分の弱さを言い訳にして。つらい現実に目をふさぎ、
聞き心地のいい言葉と、居心地のいい、『聖園ミカ』の愛に、安寧を求めていた。
だけど。
どうしても、そんな自分が受け入れられなかった。
────ユウカに出会う前の自分の、忘れていたように。ユウカに出会ったことを、忘れてミカに依存できたなら。どんなに楽だったろうか。
それでも。
ミカは、『どちらでもいい』と、俺に選択肢だけを差し出した。自分なら、『ユウカ』の事を、忘れさせてあげると。そう、聞こえた。
でも。どうしても。やっぱり。
「……結局、俺はユウカを忘れられなかった」
──……。
ミカの瞳に映る、自分の酷い顔を見て。思い知った。
「俺はさ、結局。大人ぶってるだけのガキだったんだ」
当然だ。
キヴォトスに来るまでの俺の『世界』のすべては。
そんな、小さく、狭い世界でできる『経験』なんて、たかが知れている。
いくら自分が、『先生』の再現をして、その『選択』を真似をしたって、それには『経験』が伴わない。
ただのおままごとと何も変わらない。……いつかはぼろが出て、剥がれ落ちるメッキ加工の輝きだ。
だけど。
「俺は今。ようやく『世界』の広さを知った、学んだ、体験した」
「『経験』した」
「だから────はっきりと言える」
男は。まっすぐな瞳で『
「『
迷いの晴れた、その心で。
「俺は、俺の行きたい道を行けばいい。『大人』だとか、『子供』だとか。『先生』だとか、『英雄』だとかは。後から勝手についてきた中から、俺が好きなものを勝手に選ぶさ」
彼は、笑ってそう言い切った。
──変わりましたね。お父さん。
ナルは、満足げにつぶやく。
「お前は、こんな俺は嫌いか?」
センジョウは、我が子に問う。
──いえ。
ナルは、心が静かに弾むのを感じながら、その問いに答えた。
──今のあなたなら。自慢の父だと。胸を張って言えます。
──でも。
──『浮気』の事はちゃんと反省してください。ユウカにも、ミカさんにもちゃんと謝ってくださいね?
「はい……」
ナルの言葉に、センジョウは現実を突きつけられ、肩を落とす。
罪の重さは、自覚していた。
「……送り出してくれたミカの為にも、ユウカは必ず連れて帰らないとな」
──勿論です。……さあ、加速しますよ。お父さん。
「ああ、急ごう」
決意と覚悟を新たに、親子は、『大事な人』を迎えに空を飛ぶ。
少しずつ、空が光を取り戻し始めていた。
「センジョウくんを一人で行かせた!?」
ウトナピシュティムの本船の出向準備の真っ最中。男は、艦内ブリッジにて、ホシノに問い詰められていた。
「おおぅ……。アイツ、本当にやらかしたんだな…………」
ホシノの剣幕に、男は気まずそうな表情を浮かべながら後退る。
「やらかしたもなにもない。『先生』は子供を死地に、それも一人で送り出したんだよ」
ホシノは、普段は見せないであろう、鋭い目付きで言葉を続ける。
「『先生』はあの時、私の事を引き留めてくれた。守ってくれた。なのに、どうしてセンジョウくんの事は止めなかったの?『先生』も、センジョウくんは大人だと思ってる?」
「あー……。まあ確かに似てる、な」
ホシノが言っているのは、男がキヴォトスに来て、初めて対面した『大きな事件』の事だ。
アビドスに貸された借金をめぐった、大切なものを守るための戦い。
だけど。それと、今には、一つ。大きな違いがある
「…………アイツはさ。俺の自慢の息子なんだよ」
「それは知ってるよ。でも────」
「10年前。アイツが、まだ8歳の時の話だ」
男は、遠いどこかを見つめるようにして、語り始める。
────10年前。俺もまだ23で、大学をなんとか卒業して自分の仕事で手一杯の頃だった。
なんとか周囲を説得して、俺とキョウカはまだ子供だったセンジョウをなんとか育てていくために、色んな手段をとった。
そんな中で、センジョウを快く受け入れてくれたのは、俺の叔父夫婦だった。
俺とキョウカが仕事や大学で忙しい間は、叔父達がセンジョウの面倒を見てくれて、なんとか回っているような状態で。思い返せば、その頃から俺は。……いや、俺達は、『親』らしいことなんて、何一つしてやれなかった。
それでも、アイツは、叔父達じゃなくて、俺達を『お父さん、お母さん』と呼び続けてくれた。
ぜんぜん上手くいかなくて、どれだけ頑張っても、苦しいままで。何一つ解決しやしなくても。
それでも。
『蒼井センジョウ』は。確かに俺達の息子だった。
そんなある日。公園で遊んでたセンジョウを迎えに行った時。
アイツは数人の子供に囲まれて、
「お前の父さん偽物なんだってな!」「偽物の子供!人間の偽物!」「気持ち悪いんだよ!人間のふり何かしてさ!」
なんて事を言われてた。
俺の『選択』のせいで。アイツは虐められてたんだ。
俺の。俺達の、勝手な自己満足のための選択で。
『より良い明日』を願った筈の、誰かの幸せを祈った筈の『選択』は。
センジョウの、『呪い』になっていた。
でもな。それでも、センジョウは笑ってた。
────好きに言えよ!俺の母さんは姉さんで、俺の父さんは兄さんなんだ!
────俺は!お前達の倍幸せなんだぜ!!
その言葉に。俺は確かに救われた。
俺達の『祈り』を。『呪い』に変えず、守ってくれてたのは。
────センジョウだった。
「────アイツはさ。優しいんだ」
男は、我が子を語る。
「自覚があるか、無自覚なのかはわからないけど。人の願いに、心に敏感で。……いつだって。誰かの側で一緒に戦ってくれる」
「誰よりも側で。一緒に前に突き進んでくれる」
「『誰かの願いに寄り添う』そして、『共に未来を掴むために、肩を並べて共に戦う』。……それが、アイツの本質だ」
男は、満足げに笑う。
「そんなアイツが。今まで生きてきて、初めて。『自分自身の願い』のために、『戦う』と言ったんだ」
「我が子のわがままが、こんなに嬉しい事は……初めてだよ」
「だから」
「俺は、『蒼井センジョウ』の親として。一人の息子の親として────」
決意を、意思を、言葉に掲げる。
「今のアイツを、全力で応援する」
男は、拳をつよく握りしめ、ふと視線をおろす。
────いつの間にか、その場にいる全員がこちらを見ていた。
「………………」
男は、そんな無数の視線にするすると拳をおろす。
「…………"出航準備、進捗はどう?"」
「先生。格好つけても誤魔化せませんよ」
「ぐっ……。リンちゃん!そこは流してよ!」
「『ちゃん』はやめてください」
リンは、先生の姿を見たまま、大きくため息をつく。
「やれやれ……。先生にとって、キヴォトスの危機より、自分の息子の願いの方が大切なようですね」
「えっ。あっ。いや。いやいやいやいや!そんなことはないよ!?キヴォトスも大事だよ!?みんなの事もちゃんと考えてるから!ね!?」
リンの指摘に、先生は大慌てで否定する。
そんな彼の姿を見て、ノアが笑みをこぼした。
「……そんなの、わかっていますよ。ねぇ、リン艦長?」
「艦長もやめてください。……はぁ」
リンは溜め息つくと、先生を見上げる。
「私達は、貴方とセンジョウさんに何度も救われました。……ですから、この戦いが貴方達への恩返しとなる事を拒む人など、誰もいませんよ」
「リンちゃん艦長……」
「ふざけてます……?」
リンは苛立ちを隠さずに先生を睨み付ける。
「ごめんって!!…………いや、うん。みんな、ありがとう」
謝罪をした直後、姿勢をただした先生は、改めて深く頭を下げる。
「……みんなで、必ずキヴォトスも、センジョウも守ろう。だから、そのために」
「みんな、俺に力を貸してくれ」
────はい!!
生徒達の、元気のよい返事が艦内に響いた。