朔也様の元へ走る桐生君を見届けて、掴んでいた近藤の腕の拘束を解いた。
「大方…楓ちゃんを拐って大和を桐生君から引き離せば、簡単に桐生君を連れ去れると考えたんでしょうけど…僕の存在を、忘れてもらっちゃ困るんですよねぇ」
実際に、この渡り廊下に来る前…3人程桐生君に近付いてきたから、適当に相手して寝てもらったんだ。
「ぐッ…!従者でもないくせに、偉そうに!これ以上邪魔をすれば、どうなっても知らんぞ!」
そんな苦し紛れの脅しで、僕がビビると思ってんの?
「うるさいなぁ…だったら、どうなるのかやって見せてよ。こんな風にさ…」
一気に間合いを詰めて、近藤の鳩尾を蹴り上げた。
「……がは…ッ…!」
ーードサッ…!
僕に喧嘩を売ろうなんざ、百年早いよ。
渡り廊下に倒れ込んだ近藤を見下ろして、自嘲気味に笑う。
「……クリア…そんな顔をしていたら、どちらが悪人か分からないぞ…」
おっと…ヤバい、ヤバい。
封印したはずの昔の自分が、出てきてしまっていた。
朔也様はその頃の僕を知らないんだから、気を付けないと…
「すみません。それより、朔也様がご無事でよかったですよ」
朔也様の髪を鋤くように優しく撫でると、朔也様の目から大粒の涙が溢れ出した。
「美空君…?大丈夫?どっか、痛いの?」
心配した桐生君が、朔也様の背中をさする。
「……探した…いるはずの場所に…いなかったから、何か…あったかと、思った…」
泣いている朔也様を見るのは、何年振りだろうか…
7年…いや、もうすぐ8年になる。
心優しい桐生君といる事で、失われていた感情が戻ってきている。
後は、心から笑う事が出来れば…
「何かって…もしかして、水無月先輩の事…知らないの?」
「……水無月?クリア、どういう事だ?水無月は、食事の用意をしているのではないのか?」
朔也様に詰め寄られて、自分の失態に気付いた。
何かが起こった際の、報告の義務…
それを怠ったとなれば、従者である大和は独断で行動した事になる。
追及されれば、責任を問われる。
今からでも、朔也様からの命令を…
その場に膝をついて、朔也様を見上げた。
渡り廊下に寝転がっている近藤に聞かれないように、小声で話す。
「説明もせず、行動した事をお許し下さい。楓ちゃんがご隠居様の手の者によって、地下の座敷牢に連れ去られました。あの近藤も、その1人です。今は、大和が向かっております」
日常では起こり得ない事態にも、朔也様の心は乱されずに平然としている。
ご隠居様が首謀者と知って、楓ちゃんの命が脅かされる事はないと考えての平常心なのだろう。
「……高木が向かったのならば、俺達は必要ない。何より、桐生がここにいる方が危険だ。戻るぞ」
「御意」
朔也様のお言葉に短く返事して、渡り廊下の向こうの母屋へ続く扉に視線を向けた。
随分と、信頼されてるじゃないか…
大和…期待は、裏切るなよ?
「あの…クリアさん、聞いてもいいですか?」
「ん?あぁ、構わないよ。何かな?」
母屋への扉から視線を外して、問いかけてきた桐生君を見る。
相変わらず、いい目をする。
人の本質を見抜くこの目で見られたら、嘘なんてつけない。
「美空君のお爺さんは、どうしてこんな事を…?どうして、俺じゃなくて水無月先輩が……ッ…!?美空君?」
その質問に僕が答える前に、朔也様が桐生君の腕を引っ張って歩き出した。
「……母屋に近いこの場所で、その話は危険だ。今は気絶している近藤も、いつ目を覚ますか分からない」
仰られる通り、ここにいるのが近藤という小者1人だと思わない方がいい。
「人払い可能な食事の席が、1番安全かと思います。桐生君、ごめんね。後で、ちゃんと質問に答えるから」
僕が桐生君に謝ってからは、誰も喋る事なく廊下を歩き続ける。
それとなく周囲を警戒しながら、食事をする部屋に着いた。
「……人払いを…」
その部屋にいた侍従達が、朔也様の命を受けて足早に部屋から出て行った。
「見て参ります」
念の為に部屋の外に誰もいない事を確認して、部屋に戻り朔也様の指示を待つ。
「……食事の用意をする者まで、追い出してしまったな…」
気にする所って、そこですか…?
「え…?食事の用意なら、出来てるんじゃないの?」
確かに、おかずは問題なく並べられてるけどね…
「朔也様が仰られたのはね…ご飯や味噌汁をよそう人間が、ここにいないって事だよ」
桐生君も僕も、従者ではないからね。
このまま、大和と楓ちゃんを待つって選択肢もあるけど…
「そっか…この家では、そういう決まりなんですね」
「うん、そうだよ。朔也様、今日は僕にお任せ下さい」
自分の家では、いつもやっている事だ。
朔也様のお茶碗と客人用のお茶碗にご飯や味噌汁をよそって、それぞれの席に並べていく。
最後に自分用のお茶碗によそって、その場で味噌汁を飲む。