その指示自体に拘束力がないとはいえ、クリアがこちら側についている事はお祖父様に知られてしまったはずだ。
「……このままで終わるとは、思えない」
水無月を救出しに行った高木が怪我をして帰ってきたのは、少なからず抵抗と攻撃を受けたから…
攻撃をしてまで、救出を阻止しようとしたんだ。
絶対に、また何かを仕掛けてくる。
「終わらないでしょうね。連れ去りが失敗した以上、次は形振り構わず来ると……どうされました?」
自分の右手が震えているのは、自覚している。
それは当然、その右手と繋いだクリアの左手に伝わっているのだろう。
「……もう誰も、傷付いてほしくない。怪我を、させたくない…お祖父様と、話がしたいんだ」
このような事態になってすぐに『話がしたい』と言っても、普通は不可能な事。
しかし、クリアは…
「かしこまりました。少し、お時間を頂きます。お食事をされて、お待ち下さい。大和、ここは任せたよ」
やはり、無理だとは絶対に言わない。
どうやって話を取り付けるのか分からないが、クリアなら大丈夫だと思えるから不思議だ。
縁側にいる高木は、居住まいを正して正座をするとクリアに頭を下げた。
「ご武運を…」
高木の言葉に少し笑ったクリアは、テーブルの夕食に目を止めた。
「夕飯が、冷めてしまいましたね。楓ちゃん、ご飯と味噌汁入れ直して」
「かしこまりました」
返事をした水無月は、すぐに作業を始める。
その動作に気を取られていると、右手に触れていたクリアの左手が離れていく。
一礼をして立ち上がったクリアは、振り返る事なく部屋を後にした。
「美空君…クリアさんは、君にとってどういう存在なの?」
……?『どういう存在』…?
聞いてきた桐生の顔は真剣で、嘘や誤魔化しが通用する雰囲気ではなかった。
「……俺にとってのクリアは、兄であり親でもある。クリアの前では、俺は年相応の子供に戻れる気がするんだ」
己の親にさえ甘えられず、教えられたのは…
【他人に弱味を見せない事】
【感情を表に出さない事】
子供らしく笑う事も、走り回る事も…許されなかった…
でも、クリアは違ったんだ。
甘やかしてくれて、我が儘も聞いてくれた。
間違った事をしそうになった時は、本気で叱ってくれた。
「クリア様はこの屋敷の規則に縛られず、朔也様に接する事が出来る人間です。従者である私と楓とは違い、煩わしい制約がありません」
制約に縛れて何も出来なかった俺は、クリアといる時だけ《自由》になれた。
だけど…その束の間の幸せは、クリアが荒れた事によって終わりを告げた。
最初は、意味が分からなかった…
ほぼ毎日…屋敷に来て遊んでくれていたのに、ある日を境に全く来なくなって…
やっと会えたのは、《事件》の後の葬式場だった。
あの《事件》とクリアが荒れていた事は、何の繋がりもないのに周囲の大人達は口々にクリアを非難した…
『なんで、来るのよ!』
『ここは、お前が来ていい場所じゃない!』
『いくら腕っぷしが強くても、肝心な時にいないんじゃ意味ねぇんだよ!』
『あんな子が跡取りだなんて、神野病院もおしまいね…』
そんな声が、俺の耳にも届いていた。
それでも黙ったまま焼香を済ませて、その場から立ち去ったクリアはどんな思いをしていたのだろうか…
カリフォルニアにいた6年半は、日本にいるクリアとは連絡をとる事も出来なかった。
日本に帰国してすぐに、神野病院で健康診断を受けて…
俺はそこで父親の手伝いをするクリアと、7年ぶりに再会した。
嬉しかった…ずっと、会いたかったから…
荒んでいた事が嘘のように、笑顔を見せてくれるクリアがそこにいた。
それから1年、今では毎日のように家に来てくれる。
ーー昔と、同じように…
「美空君…ごめんね…?」
「……え?」
桐生が謝る理由が分からなくて、思わず聞き返していた。
確か、先程まで考え事をしていて…
まさか…また話しかけられていたのを、気付かずに無視したと思われたのか?
「あ…黙ってしまったから、怒ってるのかと…」
食事中に考え事をして、あまつさえ友達に気を使わせるなんて最低じゃないか…
「大丈夫ですよ。朔也様は、怒られているのではありません。あのお顔は、考え事をなさっておられたのです」
上手く説明出来ない俺の代わりに、水無月が言ってくれた。
「……すまない。これからは、気を付ける」
どこでも考え事をする癖は、絶対に直そう。
誰かが近くにいれば、その人に嫌な思いをさせてしまう。
「考え事って、お爺さんの事?」
「……いや、クリアの事だ。8年前から再会した1年前まで、ずっとクリアに嫌われていると思っていたんだ…」
桐生が、訳が分からないというような顔をしている。
それは、そうだろう。
クリアが昔荒れていた事など、桐生が知る由もないのだから…
「喧嘩とか、してたの?」