「はぁっ…はぁっ…ぉえ。」
息を枯らしながら、彼女は進む。
先程の世界が終わるかと思うほど大きな地響き。
それは、彼伏黒メグミの生存を信じてやまない彼女の心を容易く折るほど絶望的で信じられない光景が窓の外に広がっていた。
そうして、既に限界だった彼女の心は唯一形を残した自分の大切な人へ進む。
そう、梔子ユメの元へ。
「ユメ…せんぱい。」
その言葉に返事を返す者はもう誰もいなかった。
領域『伏魔御廚子』。この領域は領域内に入ったものすべてに斬撃を絶え間なく浴びせ続ける。有機物ならば『㭭』、無機物ならば『解』、それぞれの斬撃が領域内を飛び交い、すべてを塵と化すまでこの斬撃は止まらない。なおかつこの領域は嵌合暗翳庭と同じく外殻を持たず、領域の展開範囲は半径100mにも及ぶ。
本来、外殻を持たない領域とは『キャンパスを使わず空に絵を描くこと』や『ハードを使わずにソフトを再生すること』などに例えられる通常では考えられないほどの”神業”。
なぜ、伏黒メグミはこの領域を展開することができたのか、それは彼自身の解釈の広さと発想、そして嵌合暗翳庭の存在である。
嵌合暗翳庭を展開した時、結界で領域外と領域内を隔絶しない不完全な展開で終わってしまった。
しかし、この結界で隔絶しない不完全な展開が彼に思わぬヒントを与えてしまう。
色彩によって新たに与えられた術式『御廚子』及び『■ ■』。この中で御廚子のみに焦点を絞り、領域を展開する際、嵌合暗翳庭に御廚子を付与することで、嵌合暗翳庭の領域範囲と領域展開の肝である必中効果を得ることに成功する。
「ケヒッ。」
その領域の中心点にて、彼は喜悦に歪んだ笑みを漏らした。
その姿にかつての伏黒メグミを重ねることは難しい。それほどまでに変わり果てていた。
色彩に触れたことによって精神が変質し、歪み、捻じれきってしまった彼は笑う。ゲラゲラと、自身に逆らった愚か者どもを笑うかの如く。
ひとしきり笑った彼は、まるで次の獲物を見つけたかのように100m先にある街へ視線を向ける。
(次はあそこだ、あそこを破壊しよう!!塵殺だ!!全てを破壊してや…る?)
次の獲物を見つけたと弾んでいた心を抑えるかのように彼の右腕が自身の首を締め上げる。その右腕を引き剝がすと、彼は心を冷静に保ち現在の自分の状況を分析した。
「…アレに触れた影響だな。魔虚羅の適応は俺には反映されんか。」
彼は今までの自分と変わってしまったことを自覚する。魔虚羅はあくまでも色彩が術式に触れたが故にその手を払い落としただけであって術者本人には一切干渉していない。
すなわち、色彩によって植え付けられた破壊衝動は健在であって今も伏黒自身を破壊の権化へ誘おうとしていた。
故に、彼は自分へ一つの縛りを設けた。
その縛りとは『伏黒メグミという名と破壊衝動を封印する代わりに呪力量及び出力を大幅に向上させる』というもの。
既に変わり果ててしまっている自分を見て彼は分かっていた、もう自分が彼女たちの元へは戻れないことも。神秘の力を持つ者と恐怖の力を扱う者、それぞれは相逸れず、道は交わらない。
だからこそ、彼は伏黒メグミを封印する。
「さらばだ。小鳥遊ホシノ、梔子ユメ。そして、伏黒メグミ。」
アビドス高校へ名残惜しそうに視線を向けた直後、彼の姿は掻き消えた。
小鳥遊ホシノへ一つの『呪い』を残して。
新たに生まれた『鬼神』の牙は常に自身を揺るがす強者へと向かう。
鬼神が生まれたこの日を境としてキヴォトス各地で、常人より遥かに力を持った生徒が確認されることとなる。
まるで、
一人は、
一人は、
一人は、
そして、ここにも一人。
自分のしたことの責任を自分自身に追及されている少女。
アビドス高校の一室。ここにその少女はいた。
小鳥遊ホシノ、彼女は梔子ユメの死体に触れ、今までの彼女との思い出を振り返っていた。
ホシノの頭の中に流れるのは、三人のたった数か月の青い春。
そして、ポツリと目の前に横たわる彼女の名前を呼んだ。
「ユメ先輩…。」
当然、返事が返ってくるわけもない。今彼女の前に横たわるのはただの死体であるから。
ただの肉の塊がこちらに返事を返してくれるわけもない。
そう思い、また吐き気を催しその場を去ろうとした時だった。
『なぁに?』
何かの声が聞こえた。
その声は、確かに自分の大好きだった先輩の声で。
「…ユメ先輩!!」
振り返って彼女の名前を呼ぶ。はっきりと大きな声で。”どこにも行かないで”と思いを籠めながら。
だが、現実は青い春の中でも非情なもので…。
振り返った先には彼女の死体のみ。その事実はまるで現実を見ろと自分自身の心が言っているかの如く、彼女を見捨てた自分という現実が、重みがのしかかるのみだった。
だが、確かに聞こえたあの声は幻聴ではなかった。
『なぁぁに?ホシノちゃあん?』
聞こえる。どこかから彼女の声で自分を呼ぶ声が。
ホシノは部屋をキョロキョロと見回す。一体何が起こっているのかわからない困惑の色を含んで。
そして、自分の足元に目をやったとき、それに気づく。
『ホシノちゃあああん。ホシノちゃあああん。』
「せ、ん、ぱい?」
怪物が、ホシノの足を掴んでいた。
まるで、縋るようにしてホシノの足元にいるそれの頭の上にはユメと同じヘイローが浮かんでいる。
それは、怪物がユメであると言っているかのように。
その事実に、その光景にホシノは、
「ひっ…。」
小さく息を漏らすことしかできなかった。
それから数日が経ち、伏黒メグミの領域によってクレーターと化した砂漠に侵攻してくる軍隊があった。
総勢500人以上の大部隊で侵攻してきたのはカイザーPMC。
その部隊の目標はアビドス高校。先のビナーとの決戦においてビナーが破壊され、伏黒メグミが死亡したと黒服から報告を受けたPMC理事が計画を推し進めたのだ。
今まで邪魔をしていた伏黒メグミとビナーの存在がなくなった今、アビドス高校を手に入れることは容易いとそう理事は考え、今回の大部隊を送った。
だが、その想定は何もかもが甘かった。
大部隊が侵攻しているルートに一人の生徒が立ちはだかった。
無論、その生徒は小鳥遊ホシノである。
彼女は、まるで祈るかのように目を閉じると一言呟く。
「来てください先輩。全部だ。」
その後の大部隊の末路は言うまでもない。
ただ一言、言うとするならばここに『暁のホルス』が誕生した。それだけである。
そしてそれからさらに数か月の月日が経ち、ホシノは進級し二年生となる。
あれから、自分の下の学年に一人下級生として十六夜ノノミという少女がアビドス高校に入学してきた。
そのノノミという少女を横に侍らせ、学校を案内している途中だった。
「…ありゃ、誰か入ってきちゃってるよ。」
ふと、学校の隅で壁にもたれ掛かっている少女を発見する。白い髪に獣のような耳が生えており、狼のような印象を受ける少女だった。
その少女は既に息も絶え絶えで、この場で見捨てればそのまま死んでしまいそうな様子だった。
「…ん、あなたたちだれ…って何その顔。」
「───ああ、いやちょっと思い出しちゃって。」
その少女を見つけた時、ホシノは目を見開いたまま呆然としていた。かつてあった出来事と同じことが起こっていた時を思い出したかのように。
気を取り直してホシノは少女に質問する。
「君、どっから来たの?もしかして迷子とか?」
「…記憶がない。目が覚めたらここにいた。」
「…記憶喪失ですか。どうします?ホシノ先輩。」
少しでも情報があればどうにかなったんだけど…と呟き、ホシノは一瞬だけ考えると何か思いついたかのように少女へと二つの提案をする。二ヤリと悪い顔で。
「そうだ、君さ、うちの高校に入らない?歓迎するよ~?」
「…どういうこと?」
「うちはさぁ、生徒数がかなり少なくなっちゃって今入学する生徒を募集してるんだよねぇ。それで、どう?」
「ん、ここで野垂れ死ぬくらいなら入る。」
「よし!!決定だねぇ~。」
「ちょっと先輩!?」
記憶喪失かつもはや逃げ場のない相手に提案するホシノとなにか流れで入学しようとする少女にノノミが待ったをかける。
しかし、その待ったに聞く耳を持たずホシノは少女に自分のマフラーを掛ける。
「…あったかい。」
「まぁ、でもうちに入るんだったら大変だよ?ちょっと無理してもらうかも。」
「ん、大丈夫。覚悟は決まった。」
「そっか、じゃあ頑張ってね。」
困ったような笑顔を向けるノノミと目を煌めかせる少女にホシノは目を向け、憂うように目を閉じる。
そして、彼女は
「…ぱーい…せんぱーい!!起きてください!!」
「ん、先輩よく寝てる。」
「もー、先輩ったら、いつもこんな感じ…って起きた!!」
目が覚め、お気に入りアイマスクを取ると
二年生となった十六夜ノノミとあの時の少女砂狼シロコ、そして一年生の黒見セリカと奥空アヤネの四人が廃校対策の会議を続けている。
「ちょっと先輩、会議中に寝ないでくださいよ!!」
「あら~☆いいじゃないですかセリカちゃん☆」
「先輩もお疲れみたいですし今日の会議はここまでにしておきましょうか。」
「セリカ、落ち着いて。ホシノ先輩はいつもあんな感じ。」
「それが問題なんですよ!!」
廃校対策になっているようななっていないような会議を見てホシノは微笑み、頬杖をついた。
その様子にシロコが不思議そうに声を掛ける。
「?どうしたの?先輩。」
「ふふっ、べつに。」
「貴様が聖園ミカか?」
「へぇ、誰かな?」
呪いは廻る。