ゴジラ+2.0   作:沼の人

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1954年9月(3)

 オホーツク海から日本海を航行中のソ連海軍駆逐艦「ラズヤリョーンヌイ」は、母港であるチホオケアンスキ―の基地に向けて針路を取っていた。

 これが最後の航海になるだろうと、艦長のゼムスキーは感じ取っていた。そろそろ退官の近い自分と同じで、この艦も時代の波から遅れた旧式艦であり、そう遠くないうちに退役することはほぼ決まっていた。

 この艦の歴史は、栄光に満ちてはいなかった。大戦中何度も海底にスクリューや船首をぶつけて損傷させ、挙句の果てに岩礁に乗り上げて艦首が折れ曲がり、当時の艦長は懲罰大隊に左遷された。大戦終結の年にはドイツのUボートから発射された魚雷が艦尾に命中し、甲板とかろうじて繋がって留まるという不細工(ぶさいく)極まりない姿を晒し、さらに曳航中にその瀕死の艦尾は虚しく外れて海に沈んだ。戦後になって艦尾は修復されたが、戦時中も戦後も「ラズヤリョーンヌイ」は目立った戦功を上げることが出来ず、いずれ除籍を迎えて沈められる日を待つしかなかった。それは大した軍功のないゼムスキーの軍歴とよく似ていた。

 せめてこの艦の最期は自分が見届けよう、それだけがゼムスキーの切ない願いだった。

「何だあれは!」

 航海士の叫び声を聞いたゼムスキーは、彼が見る方角に双眼鏡を向けた。

 そこには艦から800メートルほどの海上に、黒く大きな(とげ)が乱立した島のようなものがあった。ゼムスキーは言葉を失った。東京、ハワイでの悲惨な出来事はソ連でも知れ渡っており、独自の調査研究が行われている。あの特徴的な背鰭の生えた恐竜のような怪物の写真を、ゼムスキーも見たことがある。

 レンズ越しに見えるその物体は、どうやら動いているようで、「ラズヤリョーンヌイ」と並走している。島でないことは確かだった。

「すぐ司令部に報告するんだ」

 副官に命じたゼムスキーは、双眼鏡から手を離さなかった。

「全長はどのくらいある」

「およそ、15サージェン(約32メートル)はあるかと……」

 隣にいた航海士は、ロシア特有の単位でそう答えた。革命後、ロシアではメートル法を採用していたが、未だにサージェンやアルシンといった固有の単位を使う者は多かった。

 すると背鰭は、「ラズヤリョーンヌイ」に向けて動き出した。

「……攻撃準備だ」

 ゼムスキーは命令したが、乗組員たちは誰もが、こんな老いぼれの駆逐艦で倒せる相手ではないと分かっていた。ハワイでは超弩級戦艦も砲撃したと聞いたが、呆気(あっけ)なく沈められたという。だとすれば戦艦よりもはるかに火力が劣る駆逐艦でなど、立ち向かえるわけがなかった。それはゼムスキー自身も理解していたが、かといってこのまま引き下がるわけにもいかない。

 せめて最後くらい、この不名誉の連続だった「ラズヤリョーンヌイ」に、決死の戦闘の末に爆沈という名誉を与えてもいいではないか。ゼムスキーはそう覚悟を決めた。

「嫌な者は艦を降りろ。私は一人でも奴と戦う。愛する祖国のためにな」

 艦長の言葉に、乗組員たちは複雑な感情を抱いたが、逃げようとする者は誰もいなかった。

「戦闘準備!」

 改めてゼムスキーが命令すると、乗組員たちは各自持ち場につき、50口径130ミリ単装砲四門がすべて、接近してくる攻撃目標に砲門を向けた。背鰭はすでに600メートル付近にまで近づいていた。

「魚雷も発射用意をしろ。とにかく使える火器をすべて使う」

 副官は(うなず)き、艦長の命令を伝声管で伝えた。

 背鰭が500メートル近くまで接近した時、すべての火器の準備が整った。

「……撃てっ」

 主砲四門がすべて火を吹き、第一次攻撃では二発が命中した。魚雷も一発投下され、すぐさま次の魚雷が発射管にセットされた。主砲は砲撃を繰り返した。乗組員たちはしばらく実戦から離れていた為、正確に目標を撃つ腕が乏しかったが、それでも一所懸命に砲身に弾薬を込め続けた。

 300メートルまで近づいたところで魚雷が一発命中し、水柱が上がった。その水滴は「ラズヤリョーンヌイ」の甲板にも届いた。続けてもう一発の魚雷も命中し、練度を急速に上げた乗組員たちの主砲もことごとく命中した。

 艦から200メートルという所で、ゼムスキーは攻撃中止を命じた。

 目標は、沈黙していた。砲撃による傷が生々しく、その肉片は艦のあちこちにも飛び散っていた。

 波に漂うソレは、一分、二分と時を刻んでも沈黙を続けていた。

「……勝った」

 艦長の勝利宣言を聞いた乗組員たちは、大歓声をあげた。ゼムスキーは制帽を取り、大きく息を吐いた。まさか勝てるとは思いもしなかった。撃ち所がよかったのだろうか。とにかく今生きていることに心から安堵した。

 背鰭を宿した死骸は波に揺られて「ラズヤリョーンヌイ」の左舷(さげん)にゆっくりと衝突した。乗組員たちは背鰭にロープを引っかけて固定した。とんでもない戦利品を手に入れたとばかりに、皆の顔は歓喜に満ちていた。

「これでみんな昇進できるな」

 艦長の言葉に全員が笑った。曳航準備が間もなく終わろうとしていた時、副官が険しい顔をしながら駆け寄ってきた。

「ちょっと、見ていただきたいものが……」

 副官と共に艦尾へ向かうと、そこにはゴジラの尾……は無かった。

 ゼムスキーは再び言葉を失った。

 砲撃で抹殺した物体には、イチョウ型の尾鰭(おひれ)がついていた。

 

 *

 

「shark(サメ)の次はwhale(クジラ)……まったく何がどうなってんのかしら」

 ジェニスは読み尽くした新聞をちゃぶ台に置き、火の点いた煙草を吸った。どの新聞各社も、ソ連領海で捕獲されたという怪生物を見出しにしていた。港で撮影されたそれは、背鰭の生えた巨大な(くじら)だった。

「これもおそらく、あの(さめ)と同様にゴジラの細胞が変異させたんでしょう」

 野田は一紙を手に取りながら呟いた。加代は二人にお茶を淹れた。

「それにしても笑えるわ……ありがとうカヨ。ソ連は本気でゴジラを倒したんだと信じて疑ってない。見なさいよ、仕留めた駆逐艦の艦長さん、勲章までもらってる」

 緑茶をひとくち飲んでからジェニスが見せたのは、クレムリンでソ連指導者から勲章を授与される髭面の海軍人を捉えた写真だ。記事にはゼムスキー艦長とあり、艦長は異例の三階級特進と、乗艦していた駆逐艦が名誉艦として永久保存が決まったということも書かれていた。

「きっと、あれは本当はゴジラじゃないって叫ぶ人がいたら、容赦なく粛清(しゅくせい)されるんでしょうね。恐怖の国だわまったく」

「一体、海で何が起きてるんでしょうか。こう連続するというのは、今までになかったことですし」

「おちょくられてるのよ、私たちは」

「え?」

「俺はいつでも現れる、恐れるがいい……私がゴジラなら、そう思う」

「ゴジラは生物ですよ? そりゃ、とんでもない放射能を宿していて、熱線だって吐く。だけどあいつは生物なんです、我々みたいな高い知能はないと思います」

「断言できる? 生物には進化が付き物よ。私たち人類だって、最初は脳みその量が少なくて高度な文明を築くことはできなかった。斧や槍を武器にして獲物を狩り、縄張りを作り、男と女はひたすらセックスして子供をつくった。だけど度重なる進化を経て、今はどう? 人間より賢い動物はいる? 車に乗ったりダンスをしたりマシンガンを撃ったり、そんな動物が他にいる? もしも今のゴジラに、7年前の記憶がそっくり残っていたら、人間に対してとてつもない憎悪を抱いているに違いないわ。それに実際、体長だって前回の時よりも大きくなってる。脳が発達していないと、あなたは断言できる?」

「……断言は、できません」

「とにかく奴は、7年前よりも巨大になり、悪知恵が働くようになった。私はそう思ってる」

 野田は返す言葉がなく、黙って緑茶をすすった。仮にジェニスの言うとおりなら、討伐はかなり厄介なことになるだろうと思った。

「ところで、大学での研究は順調?」

「ええ。植物学教授の佐々さんにお願いしてますが、毒物の解明にはより専門的知識が必要ということで、化学教授の(まき)さんという先生にも協力してもらっています。近日中には、結果が出るそうです」

「楽しみだわ。病院ではドクター・ナカジマがオニカブトを使って治療薬の実験を重ねてる。こっちもそろそろ治験に入るそうよ」

「上手くいくといいんですが……」

 不安顔の野田の肩を、ジェニスは力強く掴んだ。

「上手くいかなきゃ、私たちはゴジラに殺されるのよ? もっと自信を持ちなさい」

「……はい、そうですよね。しっかりしないと」

 ジェニスは微笑しながら手を離し、美味そうに煙草を吸った。

 

「反応ないっすね、大丈夫っす」

 網で捕獲した魚たちにガイガーカウンターを当てた三郎は、危険な放射能の検出がないことを秋津に告げた。

「よしっ、今日はこんなもんでいいだろ。港に帰るぞ」

 エンジンを入れてスロットルを回し、第二新生丸は沼津港に針路を向けた。

「あれからゴジラザメもゴジラクジラも現れないっすね」

「何だゴジラクジラって、まぎらわしい」

「じゃあ何て呼ぶんすか? クジラゴジラ? あっ、グジラはどうっすか?」

「お前、俺に頭引っぱたかれる前に口閉じてろ」

「へーい」

 三郎は軽い口調で返事をした。以前の秋津なら事前通告なく頭を小突いていたが、ゴジラザメの一件以来、態度は丸くなっていた。父親がいない三郎にとって、秋津は疑似的な親父のような存在だった。

 野田の提案を受けて漁にガイガーカウンタ―を持ち込むようになった秋津だったが、あれ以来放射能を放出する怪魚とは出会っていない。現状、捕獲した魚に放射能汚染がないことを確認し、安心して出荷できるよう検査をするような作業になっていた。他の漁船でも同じ取り組みを行って、沼津の魚は安心安全であると証明するのに躍起(やっき)だった。でなければどれだけ魚を獲っても市場に出されず、金にならない。

「おい、そういやハワイ復興隊ってのが出来たんだろ? オマエ行かねぇのか」

 ゴジラによって焦土と化したハワイの復興を手伝おうという動きが民間有志の間で立ち上げられ、ハワイ復興隊と命名されたその組織は、いま参加者を募集していた。参加者には給与と住居が保証され、もちろん旅費もタダときている。新聞でそのことを秋津は知り、まっさきに三郎のことが浮かんだ。

「うーん、正直悩んでます。俺の友達は行く気満々なんすけど」

「行ったらいいじゃねぇか。向こうさんは人手が欲しいだろうしよ。あっちには日本人や日系人だって多いんだ、そんな苦労もしねぇだろ」

「……でも、本当にいいんすか?」

「お前の人生はお前が決めろ。いいか、自分の生き方を自分で決められることは、戦争体験してねぇぐらい幸せなことなんだよ」

 秋津の想いのこもった言葉に、三郎は熱いものを感じた。

 だがその場で決断はせず、じっくり考えてから決めようと思った。

 

 職員室で試験の採点をしていた敷島は、突然頭痛に襲われ、席を立って職員用トイレに入った。しばらく鳴りを潜めていた症状が再びやってきた。トイレに着く頃には猛烈な吐き気をもよおし、手洗い場で嘔吐した。こういう時、松葉杖を手放せるくらい回復していて助かったと心から思った。杖をついている間に廊下で吐いていただろう。

「くそっ……」

 敷島は蛇口をひねって何度もうがいし、吐瀉物(としゃぶつ)を排水口に流した。鏡に映った顔には、玉のような汗が浮き出ていた。

 頭の中にまた奴が現れる。人々の営みを、アリを踏み潰すかのように蹂躙し、殺戮の限りを尽くす怪物の姿が。

 昨今、ゴジラに類似した怪生物の現出が増えた。大戸島の怪物、沼津のゴジラザメ、そしてソ連のゴジラに似たクジラ。次は何なんだ? 鳥になって空でも飛ぶか? だったら俺が撃ち落としてやる……。

 そこまで考えて、自分がもうパイロットではなく、ただの学校教師であることを敷島は思い出した。そうだ、もう俺は飛ばない。飛べない。一般の人たちのように逃げることしか出来ない。急にそのことがもどかしく感じられ、奥歯を強く噛みしめた。

「……俺はまだ、飛びたいのか?」

 鏡に映る自分自身と対峙しながら、答えのない問いかけに敷島は苦悩した。

 

「これは……実に興味深いですね」

 典子の夢日記に目を通しながら、兒島(こじま)医師は感嘆の声を漏らした。中身がだいぶ埋まってきたのを機に、典子はやっと自分以外の人にこのノートを見せようと決意した。

「まるでゴジラの目線というか、いやまさしくそうだとしか言えませんね、これは」

「やっぱり、先生もそう思いますか」

 読了した兒島はノートを典子に返した。その際、二人の手が触れたが、典子は気にせずノートを巾着袋にしまった。

「あの、どう思われますか? 何か治療に役立てばと思って書き留めたんですが」

「……そうですねぇ。夢分析は専門ではないのですが、知り合いに専門分野を研究している者がいるので、意見を聞いてみます」

「そうですか……」

 典子は少し落胆した。そんな精神分析のようなことをされても、意味があるようには思えなかった。それに、これはただの感覚ではあったが、兒島はあまり真剣にこのノートの内容について考えてくれてはいないように典子は感じた。

 典子は、意を決して口を開いた。

「あの、以前診察で、大学病院への紹介も可能とお聞きしましたが……」

「……私の診察では、ご不満ですか?」

 兒島は、悲しげな目をした。典子は申し訳ない気持ちになった。

「い、いえ……今まで、先生にはとてもお世話になってきました。感謝しても、しきれないぐらいです……」

「……いえ、どうぞお気になさらず。実は、お伝えしなければならないことがあります。私は来月から、別の病院に勤めることになりまして……」

 突然の告白に典子は驚いた。兒島は続けた。

「実は、私の実家は名古屋で病院を経営してるのですが、院長をしている父が先月倒れまして、どうしても私に戻って来てほしいと頼まれまして」

「……そうでしたか」

「安心してください、大学病院には私から紹介状を出しておきます。当院でもカルテは引き継ぎますから、今後もこちらでの診察がご希望なら、それでも構いませんので」

「……わかりました」

 典子は力なく答え、兒島に礼を述べて診察室を出た。

 処方箋が出るのを待っている間、典子はただ宙を見つめて溜息をついた。自分のしたことは何も意味がなかったのだろうか。何をしても意味はないのだろうか。

 不意に、野田が治療法を開発中だと言っていたのを思い出した。野田は医者ではないが、日本最高学府たる東京大学の職員であり、あの人は嘘をつかない。きっと今頃、治療法を見つけるのに奔走しているのだろう。そのことを想うと、もう望みはそこしかないと典子は感じた。

 一般の治療でこの病気は治らない。そのことを改めて典子は思い知らされ、心身ともに打ちのめされた気分だった。

 

 *

 

「野田君、これはまったく新種の物質だよ。構成されている物質から判断して、私はこれをオソニチンと命名した」

 東京大学理学部化学科教授の(まき)は、研究結果をまとめたレポートを野田に手渡した。

「オソニチン?」

「どの物質とも照合したが、これと同じものはどこにもなかった。新種と考えて差し支えないだろう」

「これで次期総長(そうちょう)の椅子が近くなったなぁ牧君」

 煎餅(せんべい)をかじりながら、佐々はにやけた顔をした。

「もしそうなったら、佐々先生にはぜひ副学長をお願いいたします」

「嬉しいねぇ。このままただの教授で終わると思いきや、まだまだ研究不足だった植物の構造解明に加えて、新毒性物質の発見、おまけに副学長かね。いやぁ嬉しいねぇ」

「……たった0.01mgの接種で、致死量に相当す、ですか?」

 野田はレポートの内容を見て愕然としていた。

「計算上ではそうなる。とにかく猛毒だ、こんな毒性の強い植物は今まで聞いたこともないよ。そうだ、これが結晶化したオソニチンだ」

 牧は白衣のポケットから透明のガラス瓶を取り出した。そこには赤色の結晶体が収められており、野田は手に取ってまじまじと見つめた。

「牧君、論文の執筆についてだが、名前は僕を先に出して構わないよね? 野田助教授に頼まれたのは僕が先なんだし」

「構いませんよ。何にせよこれは世界に誇る発見です。連名でも充分功績になります」

「あの、牧教授。このオソニチンですが、量産は可能ですか?」

 野田の質問に、牧は一瞬(いぶか)しい目を向けたが、素直に答えた。

「ああ、構成する物質さえそろえば可能だが……どうして?」

「……実は、ご両名にはお伝えしていませんでしたが、私はこれを対ゴジラ兵器に使用したいと考えています。そのためにも、もっと多くのオソニチンが必要に……」

「待ちたまえ、いま何と言った? 兵器に転用するのかこれを」

 野田の言葉を遮って、牧は険しい形相で詰問した。佐々は相変わらず煎餅をかじっている。

「……私は、或る米国の研究者と、このオニカブトについて研究をしています。ひとつは、7年前の銀座襲撃で生き延びた人で、黒い痣を持った人への治療薬の開発。そしてもうひとつが、ゴジラを倒す兵器として利用するためです。お伝えするのが遅くなり、申し訳ございませんでした」

「……野田君、君も分かってるだろう? 我々科学者は、もう二度と兵器の開発に携わらない。先の大戦で思い知ったはずだ、科学とは兵器を作るのに役立てるものではない、より人類を豊かにするためのものだと。戦争は、多くの技術を生む。だがその技術で多くの人間が死ぬことにもなる。軍の技術士官ならいざ知らず、ここは我が国最高の学府だ。……悪いが、協力は出来ん」

 野田からレポートを取り上げて去ろうとする牧を、野田は追いかけた。

「では再びゴジラが東京に上陸したら、我々の対抗手段は何ですか! 奴には普通の兵器では太刀打ちできない、それはあなたもよくご存じでしょう! こうなったら、奴を内側から攻撃するしかない、そのためにはこのオソニチンがどうしても必要なんです!」

 野田は牧の前に出て、土下座をした。

「お願いします! 全ての責任は私が負います! どうか、どうか!」

 頭を床にこすりつけながら、野田は懇願した。

 植物学研究室には、佐々が煎餅をかじる音だけが鳴った。

「……牧君、いいじゃないか。やろうよ」

 佐々の声に牧は振り返り、しばらく考え込んだ後、重い口を開いた。

「……私の妻は、7年前に死んだ。山手線(やまのてせん)に乗っていたところを、ゴジラに襲われ……」

 野田はゆっくりと顔を上げた。牧は鼻をすすっていた。

「それに息子も、大戸島で死んだ。整備兵として赴任していた時に、あいつもゴジラに……私はずっと、ゴジラを倒せる兵器を作れないかと試行錯誤していたが、時代は変わった……設計図を全て燃やして、私は誓った。東京大学に籍を置く者として、学生を正しく導き、最高学府たる権威を守っていこうと……」

「でも、ゴジラがまたやって来て焼け野原になったら、元も子もないと思うがね」

 煎餅を食べ終えた佐々は、音を立てながらお茶を飲んだ。

 牧は、まったくそのとおりだと言わんばかりに頷き、目頭を拭ってから野田に向き直った。

「……わかった、やろう」

「ありがとうございますっ!」

「私も、このオニカブトの組織を培養できないか試してみよう。牧君、総長の椅子は遠いな」

「……いいですよ、どうせそこに座ることが出来ても、褒めてくれる家族はもういない。だったら、自分のできる限りのことをして、仇を取ります」

「よっ、それでこそ男だ。はっはっは! よしやろう諸君」

 野田は両教授に深く頭を下げ、何度も礼を述べた。

 

「いやぁまだまだ暑いねぇ。早く秋になるのが待ち遠しいよ……典子さん?」

 たわわに実っただだちゃ豆を枝から取っていた澄子は、ぼうっとして手が止まっている典子に気づいた。澄子の声掛けに、典子は気を取り戻した。

「すいません、考え事してて……」

「まぁいいさね。私もたまに、死んだ子供たちのことを思い出すと何も手が付かなくなっちまうこともあるしさ」

 澄子は豆を枝から取り除きながら話した。太田家の本家は山形にあり、そこから大量に送られてきた特産のだだちゃ豆を敷島家にもおすそ分けするついでに、内職のように枝から豆を取る作業を典子は手伝っていた。

「浩一さんはあれから元気にしてるかい?」

「はい。もう杖も使わなくても大丈夫になりましたから」

「まったくねぇ、男ってのは女を泣かせる生き物だね」

 二人は笑いながら豆を取る作業を進めて、ほどなく(ざる)いっぱいにだだちゃ豆が盛られた。

「明ちゃんにもたんと食べさせてやりな」

「はい、ありがとうございます」

 豆いっぱいの笊を抱えて太田家を辞し、すぐ隣の我が家に典子は帰った。

 笊を台所に置いた時、突如頭痛が襲ってきて、典子はふらついた。

 目を閉じて呻きながら、典子はその場にしゃがみ込んだ。

 まっくらな中に、何かが見えてきた。

 それは、海だ。今まで見てきた暗く冷たい深海ではない。海上すれすれの、日の光が当たる青い海。

 目の前を船が航行している。全速力で、まるでこちから逃げるように。

 やがて船が左に曲がると、またそれを追おうとした。だが船の正面には、さらに大きな船が待っていた。そして二度の衝撃と共に、目の前がまっくらになった。

 グルルルル

 あの忌々しい唸り声が聞こえた。

〈まったくニンゲンとは、どこまでも小賢(こざか)しい生き物よ〉

 心に入り込むその声は、聞くだけで頭痛を酷くした。超音波攻撃などというものがあったら、まさにこれがそうかもしれないと典子は思った。

「……さっきのは、沼津の?」

〈土地の名は知らん。だが、お前も知っているだろう? 我に似た魚が捕まったことを〉

「……あれは、あなたの仕業? クジラもそうなの? ……ねぇ答えて!」

 返事はなく、頭痛はやがて潮が引くように治まった。

 典子は目を開けて、だいぶ息が上がっていたことを自覚した。流し台の縁をつかんで起き上がり、水を飲んだ。

「……何なのよ。何で私に、あんなものを見せるの……」

 典子はうつむきながら、泣くのを必死に堪えた。もう泣くことにも疲れてしまった。

 

 *

 

「では、第一回投与を行います」

 病院長の中島が指揮をとりながら、特殊病棟の患者に対し、試薬の治験が始まろうとしていた。ジェニスと加代もマスクを着用し、その場に立ち会っていた。

 ここまでの道のりは、難関の連続だった。何せオニカブト自体が大戸島の固有種とあって、詳しい調査もろくに行われておらず、その性質についても不明なことがまず多かった。日本植物学の父と呼ばれた牧野富太郎(まきの とみたろう)博士著の日本植物図鑑の中でさえ、その図録と名称が記されているぐらいで、島の伝承として猛毒を持っているということしか書かれていなかった。試しに食べてみようとしたら、島の人間から激怒されたというエピソードも添えられていた。

 かつて薬学部で教鞭を執っていた中島は、方々(ほうぼう)に声をかけてオニカブトの調査を行い、毒素は葉や茎にも宿しているが、特に根が最も毒素を多く含んでいることを突き止めた。漢方の要領でこの植物を利用できないか、中島は最初そう考えて試行錯誤を重ねた。

 また時を同じくして、野田の要請を受けて毒性物質を解明した牧教授より、物質の名前がオソニチンという新物質であり、わずか0.01mgの接種で致死量に当たるという驚異的な研究結果を知らされた。

「……だとしたら、だいぶ希釈して投与しないといけない」

 中島はオソニチンの研究レポートを参考にして、人体に投与しても致死量に当たらず、なおかつ物質の効果を発揮するにはどれだけの成分量が必要なのか、連日連夜実験を重ねた。その実験には、サキチと呼称された、あの大戸島の虐殺の犯人である怪物の死骸を利用した。死骸の細胞を採取し、試薬をかけて反応を見た。不可思議なことに、サキチの黒い皮膚細胞はまだ活動を続けていたのだ。最初の試薬で実験した際、黒い皮膚細胞は浸食されるように消滅したのを確認したが、そのスピードはあまりにも早く、これを人体に投与した場合、確実に生命を奪うだろうことは想像に難くなかった。そのため、試薬をどんどん希釈して、皮膚細胞の消滅過程を細かく記録した。

 研究過程で、中島は或る可能性を見出した。希釈した試薬を、抗生物質と組み合わせてみるということだった。つまり抗生物質で試薬を包み込み、ゆっくりと浸透させていくのだ。そうすれば人体への影響は緩和され、そして試薬も体に染み込む。様々な抗生物質で試した結果、ペニシリンが最も安全かつ効果があることが分かった。

 ペニシリン配合のオソニチン薬を、とうとう患者に投与する日が来た。

 中島は、正直恐怖を覚えていた。今までは(しかばね)の細胞を利用しての実験ばかりだったが、生体への投与は、これが初となる。どんな結果を招くのかは、想像もできない。

 だが、やるしかない。患者たちに希望を与える、これが最後のチャンスだった。

 投与するのに選んだのは、すでに家族が全員鬼籍に入っている男性患者だった。彼は左腕がほぼすべて黒い痣に覆われており、常に目を閉じて寝ているため、意思疎通は困難だ。本人の了承は得られないが、責任は中島が取ると覚悟していた。

 ベッドの上に仰向けで寝る男性患者の左腕、痣と健常な皮膚の境目に、薬剤の入った注射器を中島は刺した。ゆっくりと薬剤を流し込み、針を抜いて看護婦がガーゼを巻いた。

「……頼む」

 神にも(わら)にもすがる思いで、中島ら医療関係者とジェニスと加代は、患者の患部に見入った。

 投与から二十秒ほど経過して、変化が起きた。左腕が少し震えだし、男は呻き声を上げた。両手は拘束してある。

「……見ろっ!」

 中島は、肩付近の痣が少しずつ消えていくのを目撃した。それは上腕の痣をほとんど消滅させて、前腕部のところで止まった。

 一同は皆、感嘆の声を漏らし、看護婦の中には涙を流す者もいた。やっと治療が出来る、そのことに彼らは白衣を着る者として、たまらない高揚感と達成感に満ちた。

「成功ねドクター、おめでとう」

 ジェニスが、まだ放心状態だった中島に手を差し伸べ、二人は握手を交わした。

「ありがとうございますっ。ですがまだ、これはほんの一歩に過ぎません。今後も研究を重ねて、完全な治療薬にします」

「あなたなら出来るわ。あなたは信念の人よ」

 中島は目を潤ませながら頷いた。何よりの誉め言葉だと感じた。

「……カヨ、これは佐吉のおかげでもあるわ。彼の体を使わなければ、この薬は作れなかったもの」

 サキチの体を切り刻んで実験体とするには、遺族である山本加代の同意が必要だった。

 加代は、一瞬だけ悩みつつも、ジェニスに説得されて同意書にサインした。

「そうですね。あの子もきっと、喜んでると思います。みなさんのお役に立てて」

 ジェニスは加代の体を抱き寄せた。顔がジェニスの胸の谷間に埋まり、加代は少し顔を赤らめながら、ジェニスの体の温もりに安心感を覚えた。

 

「拝啓 敷島先生へ

 先生、あれから体の調子はいかがでしょうか。僕は元気です。

 函館はとても住みやすく、食べ物も美味しいです。幸運なことに従兄弟が同級生なので、友達もたくさん出来ました。自慢ではありませんが、僕が一番勉強が出来るので、みんなに勉強を教えることもあります。そして友達と一緒に釣りをするのが何より楽しいです。

 先日、僕は海釣りをしていて、ゴジラの背びれのようなものを見ました。あれはきっとソ連で倒されたゴジラに似た鯨だったんだと思います。でも、もしあれが本物のゴジラで、函館に来てしまったらと思うと、恐ろしくて眠れない日もあります。僕の父方の祖父母は、7年前に東京でゴジラの災害に巻き込まれて死んでしまいました。僕はゴジラを生で見たことがありませんが、とても恐ろしいです。来月、ゴジラの映画が公開されるみたいですが、僕は観る勇気がありません。悪夢を見そうです。

 暗い内容ばかり書いてすいません。僕は毎日勉強をして、いつか大学に行くのが夢です。出来れば官吏(かんり)になりたいです。また少しでも家計を助けたくて、従兄弟たちと一緒に漁港の仕事を手伝っています。お金が貯まったら、函館の名産品を贈ります。どうか気長に待っていただけると幸いです。

 どうかお体をお大事になさってください。敬具」

 真彦からの手紙を、敷島は顔をほころばせながら読んでいた。だが同時に、あの背鰭を生えたクジラの目撃者でもあったことに驚いた。真彦の書くように、あれがもしゴジラだったら、そして函館を蹂躙していたらと思うと、末恐ろしい。とにかく、無事でよかった。

 文机の引き出しから便箋を取り出し、返事を書こうとした時、(ふすま)が開いた。明子を寝かしつけた典子が、寝間着姿で入ってきた。

「典子、大丈夫か?」

「え……どうしてですか?」

「いや、何かこのところ、元気がないなって」

 典子は襖を閉めて、逡巡した後、自分用の文机の引き出しを開けて、一冊のノートを取り出した。

「……これ、いつか浩さんにも見せようと思ってたんですけど」

 典子は、やっと夫に告白した。今までの悪夢を書き留めていたこと。そしてそのノートの存在を。敷島は驚きつつ、ノートの中身を食い入るように黙読した。

 読み終えた敷島は、内容が未だに信じられないといった様子で、呆然としていた。

「……これは、ただの夢じゃないな」

「ですよね。まるで、ゴジラが私の頭の中に入り込んでるとしか……たぶん、この痣のせいで」

 典子は首の痣を触りながら語った。

「……だろうな。あいつ、ふざけやがって! どこまで俺たちを苦しめる気だよ。出るなら俺の所に出ろってんだ。そしたらゼロ戦に乗って……」

 そこまで言って、敷島は口をつぐんだ。本音がつい出てしまった。やはり自分は、まだ飛びたがっている。認めざるを得ない本心だと、敷島は深く息をついた。

「浩さん、もういいの。ありがとう」

 典子は敷島を手を取って、優しく微笑んだ。敷島から怒りが失せた。

「……大丈夫、俺が守るから」

 夫婦は、言わずとも意思を同じくして、口づけを交わした。

 敷島は典子の寝間着をはだけさせ、乳房にそっと触れた。

 二人はそのまま帯を解いて裸になり、静かな声で愛撫を重ね、横になる典子の上に敷島が覆う形になって、結合した。典子は親指を噛みながら、喘ぎ声を抑えた。

 やがて二人は絶頂を迎えた。

 この7年間、典子は妊娠をしていない。

 ゴジラによって高濃度の放射能汚染を身に受けた敷島は、精巣機能が著しく衰えた。

 だがそれでも、二人には明子というかけがえのない娘がおり、新たに子供を望むという気持ちはなかった。

 典子は、先に寝付いた夫の横顔をなぞるように手で触れた。

 この人と一緒になって良かった。心からそう思った。




〈執筆後書〉
ロシアの駆逐艦「ラズヤリョーンヌイ」についてはウィキの情報を参考にしました
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