ゴジラ+2.0   作:沼の人

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1954年9月(4)

「これが、ゴジラに効く毒物なのか……」

 テーブルに置かれたガラス瓶には、赤色の結晶体が収められており、それを護衛艦「はるかぜ」艦長の堀田が食い入るように見入っていた。

「はい。名前はオソニチンといいます。大戸島固有種のオニカブトという植物にしか存在しない、新しい毒性物質です」

 艦長室の応接用ソファに向かい合って座る野田は、丁寧な口調でそう説明した。野田の隣には旧知の仲である水島も座っていた。毒性物質の解明に伴い、野田は水島に連絡を取り、ぜひ説明が聞きたいということになって、野田は横須賀基地を訪れていた。

「たった0.01mgの接種で、生物の命を奪う猛毒です」

「0. 01mgって……どんぐらい?」

 水島は頭をひねりながら訊ねた。距離測定は得意だったが、モノの質量に関しては素人だった。

「超微細な砂粒くらいだよ、鼻息で吹き飛ぶくらい小さな。わずかそれだけ飲み込んだだけで、一瞬で泡をふいて死ぬ」

「こ、怖っ……猛毒じゃんか!」

「だからそう言ってるんだよ。とにかくこれが、ゴジラを倒す最善の切り札です」

「うむ……これを主砲弾頭に搭載し、奴の口に撃ちこむことが出来たら……」

 堀田は頭の中で、ゴジラとの模擬戦をしているようだった。その顔は、人生のほとんどを軍務に捧げてきた生粋の軍人だった。

「堀田さん、どうか自衛隊でこのオソニチンを使った武器の開発をお願いできないでしょうか。ハワイ以来、奴はずっと姿を消していますが、昨今のゴジラに類似した生物の出現も気がかりです。我々人類に対する当てつけというか、挑発に近い現象だと思います」

「この海は自分のモノ、ということですか」

「……奴がそこまでの知性を働かせているのかは、正直わかりません。しかし体長も前回より巨大になっているのは事実ですし、奴は人知を超えた生命体です。どんな変化が起きていても、不思議ではありません。深海の圧力にさえ耐える肉体を持ってるくらいですから」

 三人は、7年前の海神作戦の光景を思い出した。フロンガスで海に急速落下させ、深海の高圧にも耐え抜いたゴジラ。ならばと予備作戦を発動し、バルーンの浮力によって生じる急速浮上による減圧。海上に舞い戻ったゴジラは、目や修復した傷跡が白濁(はくだく)して盛り上がり、見るも耐えない醜態となっていたが、それでも生きていた。あの時、敷島が駆る震電が駆けつけなければ、三人とも昭和22年が没年になっていただろう。

「……わかりました。技術研究所に早速打診します」

「ありがとうございます。今、大学ではオソニチンの量産を試みています。オニカブトの組織培養も上手くいきそうなので、兵器に使う量は何とか確保できると思います」

「……そういや、治療薬はどうなったんだ? あの黒い痣の」

 水島が訊ねた。ゴジラを倒すのはもちろんだが、ゴジラの影響によって生じる黒い痣の存在も忘れてはならなかった。

「その件についても朗報がある。まだ試薬段階だが、痣を除去する効果が認められたんだ」

「ってことは、典子さんの痣もか! おいすごいな!」

「まだ完全に除去できるレベルには達していないが、今後改良を進めれば、きっと……いや確実に治療法は確立する。多くの人が今、それに携わってる」

「いやすげぇなぁ。見直したよ野田さん!」

 水島は野田の背中をバシッと叩いた。「痛いよ」と野田は苦笑した。

「しかも見直したって、じゃあ今まで見下してたのかよ君は」

「え、だって海神作戦だって俺がタグボートとか呼んだから遂行できたんじゃん。ねぇ艦長」

 堀田は微笑むばかりで、どちらにも平等というスタンスを崩さなかった。

「とにかく、貴重な情報と資料提供に心から感謝します。私は今日にでも上京して、上層部に開発の許可を取ってきます」

「ありがとうございます」

 

 艦長室を辞した野田は、水島と一緒に艦を降りて基地正門に向かって歩いた。

「君が自衛隊にいて助かったよ。これで兵器開発も進むだろうし」

「酒の席では全然褒めてくれなかったくせにな」

 水島の嫌味に野田は「悪かったよ」と笑って返した。もちろん水島も冗談だった。

「あっ、ところでさ、いま一つ屋根の下に男一人と女二人なわけだろ? どうなんだよぉ」

「ど、どうって……何もないさ」

「本当かなぁ~? 入れ代わり立ち代わり相手してくれないのぉ~」

「君のそういうところ、まったく変わってないな」

「だって普通ならムラムラ来るだろう! 俺なら我慢しろって言う方が無理」

「僕は君とは違うんだよ。あっ、今の発言ぜーんぶ明ちゃんに教えちゃおうかなぁ」

「うわっ、この卑怯者!」

 二人はそんな言い合いをしながら、正門で別れた。

 

「ええ、そうよ。日本ではゴジラにとても効果がある兵器の開発に取り掛かろうとしている。それは原爆よりも安全で、被害も限定的といえる。まさに理想的でしょ? ……お願いよ兄さん、力を貸して。この国に三つ目の原爆を落とすなんて愚かなことをさせたくない、それは兄さんだって同じでしょ? もちろん他の国に対してもそうよ。第三のヒロシマやナガサキを生むなんて、史上最悪の犯罪行為よ。そのことをどうか大統領に伝えて。……ありがとう兄さん、愛してるわ。じゃあ……」

 母国語での通話を終えたジェニスは、深く溜息をつきながら受話器を置いた。

 ふと顔を上げると、加代が心配そうにこちらを見ていた。英語のわからない彼女はジェニスの通話をまったく理解できていなかったが、少なくとも明るい話をしていたのではないことは察していた。

「……合衆国は、ゴジラに対する原爆使用を可能にする法案を否決したの。でも大統領は、世論次第で投下を決断するかもって、兄さんが教えてくれたの。政治家が何より大切にしてるのは、支持率だからね」

「じゃあ、仮にまた東京にゴジラが来たら……」

「横田、立川、横須賀とかに駐留する米兵とその家族の保護を大義名分に、大統領令に署名して、原爆を載せた爆撃機を飛ばすでしょうね。そしてまた東京は死と破壊の町に逆戻り……あなたと夜景を見ながら食事した場所も、廃墟になるでしょうね。でもそんなこと、絶対にさせない。仮に大統領令が出ても、命令を遅らせることは出来る。兄は、キャリアを投げうってでもやってやると約束してくれた。感謝しかないわ」

 ジェニスは居間に胡坐(あぐら)をかいて、煙草に火を点けようとした。ところがまたジッポーは虚しく鳴るばかりで、オイル切れを報せた。するとシュッという乾いた音と共に、点火されたマッチが視界に入った。

「ありがとうカヨ、もう大好きよ」

 ジェニスは満面の笑みでマッチの火に煙草を近づけ、煙を吸った。加代はマッチを振って火を消し、灰皿に捨てた。

「あなたともだいぶ息が合ってきたわねカヨ。前世では私たち姉妹だったのかも」

「私も、似たようなことを考えたことがあります。……縁って不思議ですね」

 ジェニスが右腕を広げると、加代はそこに収まるように寄り添った。

「こうして出逢うのも、運命だったりしてね」

「運命……いい響きですね」

 ジェニスの顔を見上げながら、加代は微笑みながら「運命」という言葉に心がときめくのを実感した。ジェニスも加代に顔を向け、額に口づけをした。

「……できれば、ここにも」

 加代は指で、自分の唇を示した。

「Of course(もちろん)」

 二人は静かに唇を重ね、どちらが先というわけでもなく、舌が絡んだ。それだけでなく、二人はお互いの胸部に手を遣り……そこへ黒電話のけたましい受信音が鳴り、愉楽(ゆらく)のひとときは強制終了された。

「Oh,Shit(もう!)……続きはまた後でね」

 残念がる加代から体を離して、ジェニスは再び受話器を取った。

「もしもし。……ああドクター、こんにちは。進捗はいかがかしら? ……えっ」

 加代はジェニスの顔を見た。動揺の後、不安な表情に変わった。

「どういうこと?……ええ、ええ……分かったわ、連絡をどうも。でも諦めないでドクター、何事にも失敗はつきものだもの。また近いうちにそちらに行くわ。ではまた……」

 力なく受話器を置いたジェニスは、また深く息を吐いた。

「どうしたんですか?」

「……二回目の投与を同じ患者にしたら、死んだそうよ。痣が……わかりやすく言えば、無理やり瘡蓋(かさぶた)をはがしたような状態になって、悶え苦しみながら心停止してしまったって」

「そんな……可哀想に」

「……どんな薬の開発にも、こういう事例は少なからずあるものよ。失敗は起きる。でもそこから学んで、技術は上がっていく。別の患者への投与も始めたけど、一回目はやはり痣の減少が確認されてる。問題は二回目ということになるわね。……大丈夫よカヨ、必ず上手くいく。信じましょう、ドクターたちを」

 加代はジェニスの言葉を受け入れ、二人は抱擁を交わした。壁掛けの時計が時を報せる鐘の音だけが、部屋に響いた。

 

 電車を乗り継いで立川駅南口を出た敷島は、地図を頼りに目的地を目指した。

 多摩川沿いの道に出て、「株式会社KK航空」と看板の掲げられた二階建ての建物に入った。

 受付を済ませてベンチに座りしばらく待っていると、片方を引きずる特徴的な足音が聞こえてきて、敷島は立ち上がった。

「よお、来たか」

 橘はシミのついた作業着姿のまま姿を現し、微笑して敷島を迎えた。

「どうだ、体の調子は」

「おかげさまで、すっかり良くなりました」

 敷島は土産菓子を渡し、挨拶もそこそこにして、橘が先導して二人は建物の奥に向かった。建物は格納庫と直結しており、二人はそこに入った。

「これが、ウチの主力だ。ダグラスDC―3、ふじ号だ」

 格納庫に入ってまず目に入ったのは、左右の翼にプロペラエンジンが一基ずつ搭載された中型の旅客機だった。敷島はこの機体に見覚えがあった。アメリカ製の航空機ではあったが、日米開戦前にライセンス生産された陸軍の輸送機を基地で見たことがあった。「ふじ号」と名付けられたその機体には、名前にふさわしくシルバーの機体に白と青の線が引かれていた。

「そしてあれが、ボーイング・ステアマン、つばめ号だ」

 橘が指で示す先には、滑走路で待機中の複葉機があった。全体は白く、エンジン部分が黒く塗られていた。主に遊覧飛行で使われるのだと橘は捕捉した。練習機として使われる機体として知られており、定員は2名だ。

「しかし、どういう風の吹きまわしだ。飛行機を見せてくれなんて」

 橘の問いに敷島は答えず、ただ黙って「つばめ号」に目を遣っていた。橘はそれ以上問い詰めず、二人は黙りながら「つばめ号」に視線を向けた。

「……やはり、いいですね飛行機は」

 敷島の呟きに、橘は同意した。

「ああ。俺はパイロットじゃないが、人が空を飛ぶなんて、よくよく考えてみたら面白いことだ。飛んでる姿を見るだけでも、爽快な気分になる。……おーい!」

 橘は「つばめ号」の周りにいた連中に声をかけ、こちらに手招きした。パイロット、そして整備士たちが駆け寄ってきた。

「おい、こいつ知ってるか?」

 橘が親指を立てて敷島のことを指すと、全員が「あっ」という顔をした。

「敷島さん、敷島さんですよね! あの海神作戦の」

「は、はい」

 するとその場にいた全員が敬礼をしてきた。彼らも軍人上がり、敷島はすぐにそう見抜き、久しぶりに敬礼をした。

「ご活躍はかねがね存じております! 自分も筑波(つくば)海軍航空隊に後輩として在籍しておりました! 元海軍上等兵の月山(つきやま)と申します!」

 パイロットは高揚しながらそう名乗った。敷島と橘がかつて在籍していた部隊の名前だった。彼に覚えはなかったが、彼の中ではきっと敷島のことは知っていたのだろう。敷島は当時、模擬戦で常に好成績を残していたパイロットだった。

「つばめ、いま出せるか?」

 橘の問いに、月山と整備士は顔を見合わせてから出せる旨を告げた。

「よし、じゃあこちらのお客人を乗せて、いっちょ飛んでこい」

 突然の提案に面食らったのは、ほかならぬ敷島だった。敷島は橘の顔を覗き込んだが、橘は顔をくいっと動かして「乗りたいんだろ?」と告げた。

 正直、そうだった。

「光栄であります! さぁ、どうぞ!」

 月山がエスコートしながら、敷島は複葉機「つばめ号」に向かって歩いた。近づけば近づくほど、胸が高鳴るのを感じた。ああ、やはり自分は飛行機が好きなんだと認めざるを得なかった。

「足元、お気をつけて」

 敷島は後部席に座り、前席の操縦席には月山が乗り込んだ。整備士たちも最終確認を手早く終えて、完了のサインを月山に送った。月山はエンジンを入れ、ブルンと機体が響いた後、プロペラが回りだした。ああこの感じ、懐かしい……敷島はすでに感慨にふけっていた。

 整備士と橘が見守る中、「つばめ号」は滑走路を走り、離陸した。

「立川の基地がある関係で北側には行けませんが、このへんをぐるっとしますね!」

 月山はとても弾んだ声で敷島に告げた。敷島は、まわりの空、眼下の町並みを見ながら、ひたすら懐かしさに包まれた高揚感を覚えていた。初めて練習機に乗って空を飛んだ時のことを思い出す。軍に入ったのは自分の意思ではなかったが、ゼロ戦に乗れたことは、今では誇りになっている。「つばめ号」は右へ旋回しながら飛んだ。

「……敷島さん。実は自分も、特攻から逃げた人間です」

 操縦をしながら、月山は語りかけた。

「自分には当時、婚約者がいました。病気がちだった母もいて、あれを残して敵艦に突撃なんて、とてもじゃないですが無理でした。だから、機体不良を訴えて、基地に戻って……そのまま終戦を迎えました」

「……俺と、同じですね。戦後は大丈夫でしたか」

「母は、空襲で……ただ婚約者は生き残っていました。それだけが、唯一の救いでした。特攻忌避(きひ)のことで責められることもたくさんありましたが、それでも我武者羅(がむしゃら)になって生きてきました。そして今は、航空隊時代にお世話になった橘さんの推薦で、こうしてパイロットにも復帰できました」

「良かったですね。自分も敗戦後、この恥知らずと罵られました。もう死のうとも思いました……でも、様々な人と出会って、生きる希望を取り戻すことができました」

「敷島さん、あなたは英雄です。特攻と見せかけての決死のゴジラ突撃、あんな芸当は、一度死ぬ覚悟を抱いた人にしか出来ない」

「……俺はただ、守りたかっただけなんです。大切なものを」

 脳裏には、まだ幼児だった明子の姿が浮かんだ。あの子の未来を守るために、本気で死のうと思っていた。「震電」で出撃する前、橘に緊急脱出装置の存在を教えられた時は、一種の衝撃を覚えた。だが橘は「生きろ」と言った。その言葉に、敷島がどれだけ救われたか、言葉では言い表せない。

「……すいません、湿っぽい話をしてしまいました。せっかくです、高尾山(たかおさん)まで飛ばしますね!」

 つばめ号は機首を八王子方面に向けて、清々しい青空の中を飛んで行った。

 

「どうだった、久々のフライトは」

 無事に帰着した敷島に、橘は訊ねた。

「最高でした。やっぱ、空はいいですね」

 敷島の澄んだ瞳を見て、橘は口角を上げて頷いた。

「……せっかくだ、お前に見せたいものがある」

 そう言って歩き出す橘の背中を敷島は追った。そこは格納庫に付属した倉庫で、滑走路に面したシャッターは閉じている。ドアを開錠して、橘はまず敷島から中に入るよう促した。

 そこには、敷島にとって思い出深いモノがあった。

「ゼロ……」

 そこには戦時中、幾度も乗り回した艦上戦闘機が鎮座していた。

「……どうして、これがここに?」

「この会社の社長さんが、まぁ言っちまえば好事家(こうずか)でな、軍用品収集に目がないんだよ。軍人の服とか階級章とか。これもその一つってわけで、俺に管理を一任してる」

「……飛べるんですか?」

「俺を誰だと思ってるんだ。あの震電だって直したんだぞ」

 橘は自慢げに鼻を鳴らした。敷島は、芸術品を鑑賞するように零式艦上戦闘機に見入った。すると一点、あることに気づいた。操縦席が二つあった。

「これは、練習機ですね」

「さすがだな。お前も新米の頃に乗ったことがあるだろう。これはその生き残りだ。というか、戦争の忘れ形見というべきか。特攻で使われる予定だったのが、敗戦のごたごたで基地の隅に捨てられていて、社長が買い取った。俺が初めて見た時は、片方の翼が粗悪な部品で補修されててな、今は頭もケツも全部新品同様だ」

「これも、この会社の遊覧飛行用ですか?」

「いや、一度も飛んだことはない。武装はすべて撤去してあるが、戦闘機に変わりはない。民間の航空会社がそんなもの飛ばしたら、お役所から大目玉食らっちまうからな」

 橘は笑いながら説明を終えると、敷島に促した。

「乗れよ。俺はずっと、こいつの操縦席にはお前が似合うと思ってたんだ」

 敷島は、橘の言葉に甘え、9年ぶりにその機体に乗り込んだ。座席の座り心地、アクリルガラスの窓、操縦桿、全てが懐かしかった。目を閉じると、模擬戦で連勝していた頃を思い出す。あの頃は、この腕を活かして敵機をたくさん落とすんだと自信に満ち溢れていた。だが下された命令は、特攻。爆弾を積んで敵艦に突撃し死んでこい。あまりにも非情な命令だった。戦友たちは次々と部隊に送られ、先に靖国(やすくに)に逝った。自分も、いずれその時が来る。そう覚悟を決めかけていた時に、母から手紙が届いた。そこには文末に「生きて帰ってきて」と書かれていた。その言葉が敷島を変えた。生きて帰る、生きて帰ってきてほしい人がいる、そして自分自身も、生きたいと強く望んでいた。だから出撃の日が来ても、途中でUターンし、あの大戸島に着陸した。

「いつか、飛ばせてやるよ。すぐというわけにはいかないが、まぁなんだ、航空ショー的なものでお披露目したいとウチの社長が考えてるんだ。それで役所にも許可を取る」

「橘さん……」

 橘は優しさのこもった眼差しを送り、気の済むまで好きにしろと言い残し、倉庫を出た。

 操縦席に乗ったままの敷島は、しばらくその場で瞑想をして、様々な思いを巡らせた。

 これでまた空を飛んで行けたら……その空想に侵入してきたのは、あの黒い山のような怪物の姿。ハワイを滅ぼし、典子の夢まで侵すあの怪物。

「……死ね」

 敷島は機銃の引鉄(ひきがね)を引いた。もちろん弾丸は出ないし、そもそもこの機体に機銃は積み込まれていなかったが、頭の中ではゴジラの瞳を目標にして、機銃弾を撃ちこんでいた。体表への攻撃が効果なくても、眼球はもろいはずだ。銃弾が貫通し、破裂する眼球、苦しみの叫びをあげるゴジラ……敷島の目には、明らかな殺意が宿っていた。あいつを殺したいという、どす黒い怨念が……。

 

 日本の領海に設置されたガイガーブイは、海上保安庁が管理をしていた。

 最も設置数が多いのは、首都東京を管理区域に含む第三管区であり、その本部は横浜に置かれていた。

 ガイガーブイから発信される電波信号は、すぐにレーダーが受信して管制室のモニターに反映される。職員の森田(もりた)は、コーヒーを飲みながらそのモニターに向き合っていた。

 先日の沼津湾沖に設置されたブイの反応以来、モニターに反応は一度も起きていない。そもそもあの反応もゴジラではなく、ゴジラのような背鰭の生えた奇怪な鮫だった。ソ連が駆逐したあの鯨の場合は、まだ青森や北海道でのガイガーブイ設置が遅れていたこともあり、事前にその存在を探知することが出来なかった。もし設置していたなら、北海道を管轄する第一管区もしくは東北地方を管轄する第二管区から報告が上がり、自衛隊が出動していただろう。ソ連は「偉大なる連邦国家は破壊神を撃滅した」と喧伝していたが、アレはどこからどう見てもゴジラではない。終戦時は満州に居て、危うくソ連兵に捕まりかけた経験のある森田は、改めて日本の北方に存在する異様な国家に恐怖を覚えた。

 だがいま恐れるべきなのは、ゴジラだ。ハワイを襲ってから、ゴジラはずっと息を潜めている。おそらく太平洋のどこかにいるのだろうが、そうなると千葉、東京、神奈川、静岡を管轄とする第三管区の責務は大きかった。一つの見落としが、多くの惨劇につながりかねない。その使命感を背負いながら、森田は自分の職務に忠実だった。

 そして、恐れていた事態が起きた。コーヒーをひとくち飲んだ直後、モニターの一点が点滅し、管制室にはアラームが鳴り出した。

「どこだ!」

 管制室長が声を荒げた。森田はすぐに点滅するブイの地点を確認した。

「……小笠原諸島近海、北緯26度20分、東経141度9分!……んっ?」

 森田が報告をした直後の事だった。モニターからブイの反応がなくなり、アラームも自動で解除された。

「何だ、何が起こったんだ」

「……ブイ反応が、消えました。レーダーから消滅しています」

 森田の報告に室長は唖然とした。まさか、破壊したのか?

 十分後、再びアラームが鳴った。

「北緯28度21分、東経141度25分!……またです、またレーダーからブイ消失!」

 その後も断続的にアラームが鳴ってはブイがレーダーから消えるという現象が続き、一時間ほどでそれはようやく終息した。

 その結果、小笠原諸島と伊豆諸島近海に設置されたガイガーブイは、そのほとんどが消失状態となり、レーダーから消えてしまった。

「……すぐ長官に報告するっ」

 室長は部屋を飛び出した。森田は愕然として、ブイの点滅が減少したモニターを見つめた。相模湾沖や房総半島沖などのブイは無事だが、いずれも本土に近く、これだけでは十分な警戒と迎撃態勢が取れない。報告が各組織に上がり終える頃には、ゴジラは上陸してしまう。

「……とんでもないことになった」

 森田はそれ以外の言葉が見つけられず、活力の失せた眼差しでモニターを見つめた。

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