ゴジラ+2.0   作:沼の人

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1954年9月(6)

 病室がノックされ、敷島は力なく「どうぞ」とドアに向けて声をかけた。

「敷さんっ!」

 野田が息を切らして入ると、病室は異様な静けさを漂わせていた。唯一明子(あきこ)が「野田のおじさん」と声をかけてきただけで、他に物音を立てる人はいなかった。病室には敷島、明子、澄子、そしてベッドで横になっている典子の四人がいた。敷島は無言で野田に一礼した。その目の下にはクマが出ていた。

「典子さんは……」

「寝てるよ、ずっと。よっぽどショックが大きかったんだろうね」

 答えたのは敷島家の隣人である澄子だった。現場に最初に駆けつけた澄子は、あの妙な男と典子の姿を見て、何が行われていたのかすぐに察した。典子を抱き寄せて声をかけ続けている間に、あの妙な男はふらふらと立ち上がって、下半身に衣類を身に着け、自分の持ち物を持って姿を消した。澄子は追おうとしたが、目覚めない典子をそのままにしておくわけにもいかず、罵声を浴びせるほかに出来ることはなかった。それに男が凶器を持っていたらと思うと、恐ろしかった。男が姿を消してからすぐ、警察を呼んだ。

 次の授業の準備をしていた敷島は、尋常ではない様子の教頭に呼び出され、すぐ自宅に帰るよう言われた。最初は事情が呑み込めなかったが、すぐに豪雨のなか傘を差して足早に帰宅した。ちょうどその時、典子が救急車に運ばれる最中で、敷島は傘と鞄を捨てて駆け寄った。何度呼びかけても典子は目覚めず、そのまま一緒に病院へ行った。

 警察からの事情聴取を受けて、澄子の証言により、敷島家の庭で倒れていた男は、典子の主治医だった兒島春樹(こじま はるき)であると敷島は悟った。敷島家には注射器が残されており、兒島が勤務する病院のものと同一品であったことが分かった。中身は高濃度の睡眠薬だった。兒島はすでに病院を退職しており、自宅はもぬけの殻。現在は実家がある名古屋に捜査範囲を広げ、愛知県警、名古屋市警察、国家地方愛知警察本部にも応援を呼び掛けているが、身柄はまだ捕まっていない。

「……何てことを、医者の風上(かざかみ)にもおけないっ」

「まったくだよ。とっとと御用になっちまえばいいのさ。極刑もんだよ、こんな犯罪……」

 野田と澄子がうなだれる中、また新たにドアがノックされた。ドアは野田が開けっぱなしにしたままで、長身の白人女性がそのドアにもたれるようにして立っていた。

「えっと、入ってもいいかしら?」

 野田以外は初見のために、その外国人女性に奇異な目を向けた。軍人のような服装をしていて、しかも日本語がとても上手だった。

「私はジェニス・クロフォード。ミスター・ノダの共同研究者で、アメリカ陸軍の軍属よ。……あなたが、ミスター・シキシマね」

 ジェニスは、やっと会えたとばかりに手を差し伸べてきた。敷島は椅子から立ち上がり、握手に応じた。

「あなたが、野田さんが言ってたアメリカさんですか……」

「そうよ。まさか、その……こんな状況で会えるとは思ってなかったけど」

 ジェニスは、ベッドに横たわる典子に目を遣った。息はしているが、意識はまだ戻らない。

「あの、あの方は?」

 敷島の視線の先には、病室の入り口にたたずむ、ジェニスと似た服装の日本人女性がいた。彼女は敷島に一礼した。

「彼女はカヨ。あなたもよく知ってる大戸島の生存者よ。今は私とノダの三人で暮らしてる。ベリーナイスレディよ」

「はぁ……あの大戸島の、ですか」

「あなたには色々聞きたいことがあったけど、さすがにこの状況で質問責めは気が引けるからやめておくわ。ミスター・ノダから聞いてると思うけど、私はゴジラを倒す手段と、あの黒い痣の治療法を模索してるの」

「ええ、聞いてます。薬は、今どのくらい出来てるんですか?」

「あともう一息ってところなの。ここ座っても構わない?」

 ジェニスは明子の隣の椅子を指し、敷島は「どうぞ」と頷いた。

「ありがとう。カヨ、あなたも隣に来て」

 二人は並んで木製の椅子に座った。明子は、自分より倍はありそうな高身長の異国人女性に興味津々の様子だった。

「ハーイ、あなたのお名前は?」

「……明子。明るい子って書いて、明子」

「シャイニングガールってわけね、素敵な名前だわ。そんなあなたにはコレをあげちゃう」

 ジェニスは愛用のショルダーバッグから、棒のついたキャンディーを取り出した。典子が倒れてから笑顔を失っていた明子に、少しだけ明るさが戻った。

「ありがとう」

「どういたしまして。あなたはとってもキュートだわ」

 ジェニスは優しく明子の頭を撫でた。明子はワクワクしながら包み紙を取り、飴を舐めた。今まで味わったことのない甘さに驚いた。

「アメリカの女性ってのは、みんなアンタみたいな感じなのかい?」

 澄子が目を細めながら訊ねてきた。

「どうかしら。私は特に変人の部類に入ると思ってるけど。マダム、あなたの名前は?」

「えっ。えっと、スミコ・オオタ……でいいんだっけ?」

 澄子は野田に正しいかどうか判断を伺った。野田は黙ってうんと頷いた。

「OK、マダム・スミコね。しっかり覚えたわ」

「ハハ、マダムだってさ」

 澄子は照れ隠しに野田を叩いた。野田はまた黙って頷いた。

「あのう、クロフォードさん」

 敷島はジェニスの前に立った。その顔には、何か強い決意がみなぎっていた。

「ゴジラを倒すって、どうやるつもりですか」

「それについては、自衛隊と折衝(せっしょう)してるノダに聞いた方がいいかも。あとひとつ、私のことはジェニーって呼んで」

 敷島は頷いて、野田に向き直った。

「……まだ詳細は何も決まってない。堀田さんが自衛隊の上層部に掛け合って試行錯誤してる最中なんだ」

「そうですか……」

「敷さん? もし、ゴジラ掃討作戦が始まったら、参加する気ですか?」

「バカ言うんじゃないよっ! アンタはもう戦闘機乗りじゃないでしょ!」

 怒号を浴びせたのは澄子だった。

「もうこれ以上、典子さんと明ちゃんを悲しませるんじゃないよ! アタシが許さないよっ!」

 その怒声に明子が泣きじゃくった。ジェニスは頭を撫でて抱き寄せた。

「カヨ、ちょっとお願いできる?」

 加代は頷いて、明子と一緒に病室を出た。悲しい泣き声はしばらく廊下から響き続けた。

「……許せないんです、俺は。典子の頭をずっと(おか)し続けるあいつが! でも俺には、何も出来ないのがもどかしくて……」

 敷島は自身の本音を吐露し、膝が折れてうなだれた。野田が側に寄った。

「……だとしても、またあの化け物退治に行くなんて、ダメだよ浩一さん。そんなのは、自衛隊に任せときゃいいじゃない」

 澄子は目を潤ませながら言った。澄子は敷島にとって姉のような人であり、澄子もまた敷島を弟のように思っていた。敗戦直後に再会した時は、特攻から生きて帰ってきた姿を見て恥知らずと罵ったこともあったが、今と昔は違う。家族にも似た強い絆が二人にはあった。それゆえの言葉だった。

「……頭の中を侵すって言ったわね。どういうこと?」

 ジェニスは(ひざまず)いて、敷島に訊ねた。

「……典子の、悪夢のことです。奴は、ゴジラは典子の夢に現れては、悪夢を見せるんです。人が死ぬ場面とかを……典子はそれを、ノートに書き留めていました。治療に役立つんじゃないかと言って」

「そのノートは?」

「俺の、(かばん)にありますが……」

「拝見するわ」

 ジェニスはすぐ立ち上がり、敷島の鞄を開けて中をまさぐった。その中に、表題のない無地のノートを見つけた。敷島にそれを示すと、彼は無言で頷いた。ジェニスは表紙をめくり、中身に目を通し始めた。

「……すいません、ああいう人なんですよ」

 野田に支えられながら、敷島は立ち上がった。何て自分は無力なのだろうという顔をしながら、眠り続ける妻の姿を見て、涙が(こぼ)れた。

「これは……まるで、ゴジラとシンクロしてるみたい」

 ジェニスはノートの内容に驚愕していた。

「どういうことですか?」

 野田が気にかけて近づいた。

「読んでみて。まるでゴジラの目線をそのまま見ている。ううん、それだけじゃない、彼女はゴジラと会話さえしている。まさかあの痣に、そんな作用があったなんて……」

「そういえば、典子さんの痣、前よりも大きくなったわね……」

 マダム・スミコの呟きをジェニスは聞き逃さなかった。

「何ですって?」

 澄子が指で示す典子の痣を、ジェニスは凝視した。右の首筋にあるそれは、突然変異の不細工なヒトデのように触手が伸びた姿をしていた。全体の大きさは拳大ほど。以前の痣は、この半分くらいで、少し化粧をすれば隠せるぐらい小さかったという。

「いつから? いつから大きくなったの?」

「た、たぶん、典子さんがあの男に襲われた日からだと思う。気絶した典子さんを抱いてる時に、こんな大きかったっけって思ったのは覚えてるから……」

 何が痣をここまで成長させたのか。ジェニスは分からなかったが、おそらくレイプしてきた男を突き飛ばしたことは、何か関係がありそうだった。典子は一般の女性と大して体格は変わらず、筋力も男には敵わないはずだ。にも関わらず、大の男を庭に突き飛ばした。澄子が見た限り、男は相当な深手を負ってる様子だったという。

「……ジェニーさん、確かにあなたの言うように、これはゴジラと典子さんが心を通わせてるようにしか思えない」

 野田は典子の夢日記を読み終えて、目を丸くしながらそう言った。ジェニスは「そうでしょ」と言いたげに黙って頷いた。

「……あいつのせいだ。あいつのせいで典子は……」

 拳を握り締めながら、敷島はうつむいた。誰もかける言葉がなかった。

 すると、病人に変化が表れた。大きく息を吸い、吐く動作をしたのだ。

「典子……典子っ!」

 敷島は枕元に駆け寄り、必死に妻の名を呼んだ。その声を聞いて明子と加代も戻ってきた。

「お母さん? お母さんっ、お母さん!」

 明子も敷島の側に寄って、母の名前を呼んだ。典子は荒い息遣いをするばかりで、瞳は閉じたままだった。

「アタシ、お医者さん呼んでくるわっ」

 澄子はそう言って病室を飛び出した。野田、ジェニス、加代は黙って典子の様子を見つめていた。彼女の中で何が起きているのか、想像もできない。

 だが典子の夢日記を読んだ野田とジェニスは、おそらく、最悪の夢を見ているのではないかと考えた。それに対して自分たちが出来ることは、なかった。

 

 まっくらな中、あの男の声が聞こえる。

 ……名前は典子、あなたと同じ名前の典子……

 ……これは運命なんだ……

 やめて。

 ……私と一つになろう。子供を産んで、一緒に暮らそう……

 嫌、嫌よ。絶対に嫌っ。

 ……典子、お前を幸せにするのは、私だ……

〈憎いか、あの男が〉

 ええ、憎いわ。とても。

〈殺したいぐらいか〉

 ……。

 ……私はあなたを愛してる……

 うるさい! 黙って! 消えて!

〈お前の望みを叶えてやろう〉

 

 伊勢湾の入り口付近にあたる遠州灘(えんしゅうなだ)で、ガイガーブイ設置作業をしていた松本(まつもと)は、早く仕事を終わらせたかった。

 今日か明日、彼には子供が産まれる。医者によればとにかくもうすぐ産まれそうだとのことだった。以前から「出産には必ず立ち会いたいから、その時は休みたい」ことは会社にも伝えて、最初は了承してくれていた。待望の第一子誕生を、絶対に見届けたかった。

 ところが会社から、急遽仕事の発注が来て出勤を命じられた。何でも政府肝いりで、とにかく主要港付近に機雷のごとくガイガーブイを設置することになり、本来それは海上保安庁が担当していた作業だったが船が足りず、松本が十年奉職している株式会社名古屋曳船に発注が来たのだ。

 松本は、事前に会社とは約束をしていたと出勤を拒否したが、どうしても人手が足りないからと社長に泣きつかれ、仕方なく会社の名前が刺繍された上着を着て、ふんぞり返りながらガイガーブイを係留しているタグボートに乗り込んだ。

 元をただせば、ゴジラさえいなければこんなことにはならなかったのだ。でなければ、わざわざこんなブイを設置することもない。松本はゴジラを直視したことはないが、東京、そして最近ではハワイまで破壊したという怪物に猛烈な怒りを覚えた。それはとても個人的な感情であり、遠い都市の悲劇よりも、身重の妻の方が彼には大事だった。

「えっと、ここのスイッチを入れたらええんだな」

 海保から提供されたブイの取扱説明書を見ながら、松本は設置したガイガーブイの操作盤をいじり、電源の起動ボタンを押した。

 刹那、ブイの回転灯が点滅した。いきなりのことに松本は腰を抜かした。

「どうした松本さん、何でランプ回っとるんだ!」

 タグボートの船長が異変に気づき、操舵室から飛び出してきた。

「知らんよ。スイッチ入れたら勝手に……」

 すると、タグボート近くの海面から、何かが浮上した。

 胃袋が露出した奇妙な魚たち……これは、まさか。

「お、おい! あれっ」

 船長が指差す先には、タグボートの後方100メートル付近の海上に、巨大な背鰭が出現していた。二人は腰を抜かして、ゆっくりと進んでくるその背鰭を凝視した。下手に動けば、こちらに注目して襲ってくるかもしれない。二人は息を殺して、早く背鰭が遠ざかることを願った。

「あれが、ゴジラ……」

 生まれて初めて見た怪物の姿に、松本は今まで他人事と思っていた東京やハワイの惨劇が、やっと身近なことに感じられた。昨今、ゴジラに類似した生物の報告が続いていたが、松本の眼前に出現したそれは、明らかに本物だった。なぜなら、一瞬ではあったが、海面に頭部が現れ、鋭い瞳と目が合ったからだ。

 背鰭はそのままタグボートの横をすり抜け、少しずつ離れていく。よかった、助かった……という安堵感の次に思ったのは、名古屋市内の病院で出産を控えていた妻の姿だった。あのまま上陸させたら、どんなことになるか……松子(まつこ)

「お、おい! すぐ港に連絡しろ! (しら)せな大変なことにな……」

 船長にそう叫んだ最中、海中から巨大な尾が姿を現し、タグボートとガイガーブイ目がけて振り下ろされた。タグボートは一瞬にして水没し、松本と船長は息絶えた。ガイガーブイも破壊された上、海中にごぼごぼと空気を放出しながら沈んでいった。

 

 名古屋鉄道新名古屋駅では、地下ホームに電車を待つ人があふれていた。夕方のピーク時間帯、会社帰りの男や学校終わりの女学生の姿もあった。駅員の大泉(おおいずみ)は、ホーム上での安全確保に務めながら、岐阜方面行きの本線列車の到着を待っていた。

 一瞬、揺れた気がした。気のせいだろうか。ホーム上の数人も周りをキョロキョロしていた。だが揺れは続かなかったのでさほど気にならず、それよりもトンネルの奥から光りが見え、流線形の顔が特徴の緑色の電車が入線してきたことに注目していた。

「いもむし電車だ」

 ホームで待っていた子供が嬉しそうな声で言った。側には母親がいて、一緒に「いもむし」と親しまれている3400系電車の入線を見ていた。その様子を大泉は微笑ましく思いながら、自分の職務に徹した。

 

 国鉄名古屋駅のホームでは、東京行きの特急「はと号」が牽引機関車の交換を終えて出発しようとしていた。

「つばめ号」の姉妹特急である「はと号」には、はとガールと呼ばれる女性乗務員が配置されており、乗客に人気を博していた。十九歳の山路秀美(やまじ ひでみ)もまた「はとガール」の一人として、水色の制服を着用して業務に勤しんでいた。

「ねぇねぇ、さっき一等車に行ったらさぁ、いかにも成金(なりきん)って感じのおっさんにお尻触られちゃった。もう最悪っ」

 乗務室でそう愚痴をこぼす先輩に、秀美も「走行中に落としちゃいましょうよ」などと意地の悪いことを言って、二人は笑った。やがて発車ベルが鳴り響き、客車を牽引するEF58型電気機関車が警笛を鳴らした。

「さっ、東京に帰れるわね。仕事終わったら美味しいものでも食べに行こ」

 先輩の提案に秀美は笑顔で(うなず)いた。「はと号」が無事にホームを離れた直後、自治体からの警報通達により全列車が運転中止になったことを、彼女たちは知らない。

 

「大変っ! ゴジラが、名古屋に上陸したって!」

 医者と看護婦を連れて病室に戻ってきた澄子は、すぐ病室備え付けのラジオの電源を入れた。ノイズの後、無機質な口調でアナウンサーの声が聞こえ出した。

「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。先ほど名古屋港にゴジラ、ゴジラが上陸いたしました。ゴジラは現在名古屋市街地を進行し、名古屋城方面に向かいつつあるとのことです。周辺住民の皆様は速やかに避難、避難を開始してください」

 敷島たちはラジオからの悲痛なニュースに耳を傾けた。その間、医師と看護婦が典子を診察したが、典子は目を閉じたまま荒い息遣いを繰り返していた。

 

 新名古屋駅を出発した「いもむし」こと3400系電車は、地下ホームを抜けて地上の線路を走っていた。すぐ横には国鉄の東海道本線が並走しており、その線路の上を疾走するのは、ブドウ色のEF58型電気機関車が牽引する特急列車だった。「いもむし」に乗っている少年は窓外の機関車に胸を弾ませ、たまたま乗務員室にいた水色の服を着た女性と目が合い、手を振った。すると相手もにこやかに笑って振り返してくれた。

「お母さん! 見て、お姉さんが手ぇふってくれ……」

 その時、列車は緊急停止した。立っていた乗客はバランスを崩し転倒し、座っていた乗客の中にも床に転がった者もいた。少年は、母親が咄嗟にかばったおかげで、無事だった。

「おいおい何だよ、ったく危ねぇなぁ」

 中年男性が怒りを込めながら呟いた。彼らはまだ知らない。列車の進行方向の先に、巨大な黒い山のような生物が、こちらに近づいて来ていることに。

 

「何で停まったのかしら」

 並走していた緑色の名鉄電車が緊急停車したのを目撃した秀美は、疑問を感じていた。何かトラブルでも起きたのだろうか。あの手を振ってくれた少年は、怪我をしなかっただろうか。心配だった。

 すると秀美が乗る「はと号」にも異変が起きた。ガクンと列車全体が大きく揺れ、速度が大幅に減速した。機関車が急ブレーキをかけたのだ。衝撃で床に座り込んだ秀美は頭をぶつけ、軽く出血した。

「大丈夫っ?」

 先輩が駆け寄って、ハンカチをあてがってくれた。

「ありがとうございます……何で、停まったんですか?」

「わからない……何か起きたみたい」

 不安を隠せない二人は、この異常事態にただただ困惑していた。

 だがすぐに、答えが響き渡った。

 おぞましい獣のような咆哮が聞こえたのだ。その声はニュース映画で聞いたことがある。7年前に東京を空襲以来の焦土に変えた、怪物の鳴き声。

 二人は急いで窓を開けて外を見た。列車の進行方向のその先に、黒く巨大な塊が、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。

「そんな、まさか……」

 すると車内はまたガクンと揺れ、今度は進行方向とは逆、つまり名古屋駅方面にゆっくり動き出した。機関士が後進一杯にして機関車を動かし始めていたのだ。

「早く早く、お願い早く!」

 秀美が叫ぶが、まだパワーの足りない機関車は、客車十一両を全速力で後進させるのに手間取っていた。その間にもゴジラは、ゆっくりとではあるが、確実に近づいて来ている。

 やっと速力を上げた「はと号」は、ホーム入線時くらいの速度で走り出した。列車の進行方向先には名鉄の山王駅があったが、巨大な爪の生えた足によって呆気なく踏み潰された。それを見た秀美は泣きそうになった。

「お願いだから、早く名古屋駅に戻って……」

 

 緊急停止していた名鉄の3400系電車もまた、車内の乗客をかき分けながら運転士が急いで最後尾車両の運転席に移り、車両を新名古屋駅に向けて出発させた。乗客たちもすでに、緊急停止した原因に気づいていた。地震のような揺れが何度も車内を襲い、その〝震源〟がすぐそこまで迫っていた。外に出せと(わめ)く乗客もいたが、速力でいえば鉄道の方が優れていた。どんどんゴジラから離れていくにつれて、乗客たちはひとまず安心した。だが完全にではない。一体これから何が起こるのか……脳裏には東京とハワイのことが浮かぶ。とにかく地上ではなく、新名古屋駅の地下ホームの方が安全なはずだ。乗客たちのほとんどはそう思い、希望を運転士に委ねていた。運転士はレバーを最高速度に合わせ、「いもむし」を早く地下に入れようと懸命になっていた。

 その頃、新名古屋駅のホームでは、すでに次の車両が停車していた。ゴジラ出現に伴う緊急警報を受けて、運行は見合わせとなっていた。ホームには列車を待っていた人がそのまま待機していて、ホームに停車中の車両にも、人が残ったままだった。駅員の大泉は、とにかく駅構内の秩序を保つことに奔走していた。こういう混乱した事態のとき、よからぬ連中が駅員室に入り込んだりして金品を強奪することもある。戦時中は憲兵でもあった大泉は、鋭く睨みを効かせて不埒者が出ないように努めていた。

「……おい、列車が来るぞ!」

 ホーム上にいた男性が、地上につながるトンネルの先からライトが近づいてくるのに気づいた。それは先ほど発車した岐阜行きの3400系電車に違いないと大泉は直感し、すぐにホームの乗客に離れるよう大声で伝え、さらにホームに停まっていた車両の乗客にも降りるよう命じ、最後尾の運転室の窓を叩いた。

「まずい、先発列車が戻って来ている。すぐに出してくれ、衝突する!」

 乗務員は了解し、すぐに出発準備を始めた。乗客を降ろすことは出来たが、このまま衝突すれば先発列車の乗客に被害が出る。耳をつんざく悲鳴のような金属音が響いた。先発列車が急ブレーキをかけているのだ。だがすぐには止まらないようで、進行を続けている。

「早く行けっ!」

 大泉が叫んだ直後、やっとホームに停まっていた列車が動き出した。先発列車は間もなくホームに入って来る。大泉は、もうダメだと思った。

 両列車は、連結器すれすれの所で衝突を回避した。

 先発列車は一両分をホームに入線させて停車し、大泉は全身の力が抜けた。

 よかった、助かった……安心しきっていたその時、ズシン、ズシンという轟音が響き渡り、それが頭上に近づいて来ているのを感じた。地震でないことは、誰もが分かっていた。

 頭上から不気味な音が聞こえた。天井のあちこちにヒビが入り、土が漏れ出てきた。

 大泉が避難を呼びかける間もなく、地下ホームは地上を歩く巨大生物の重みに耐えきれず、崩落した。全員が生き埋めとなり、この日が命日になった。

 

 無事に名古屋駅に戻った特急「はと号」は、ホームに入線するなり逃げ惑う人であふれかえった。誰もが我先にと安全な所へ逃げようと無我夢中で、成金も資産家も中流家庭も関係なく、全員が恐怖に満ちた顔をしながら列車を降りた。「はとガール」の秀美は、乗客の誘導も出来ぬまま乗務員室から出れずにいた。人は波のごとく次から次へと出口に殺到していた。

「……来た」

 先輩の絶望的な言葉を聞いて、窓外に目を遣った。建物を蹴散らしながら、ゴジラはもうすぐそこまで迫っていた。ニュース映画や街頭のテレビ放送でその巨影を見たことがあったが、実物は想像の倍以上だった。まるで動く岩山だ。

「先輩っ、私たちも早く外に!」

 秀美が腕を引っ張って叫び、ようやく人の波が引いた通路へ出ようとした。

 ゴジラは名古屋駅を破壊しながら、眼下の鉄道車両に目を落とし、そのうちの一つに噛みついた。

「きゃぁっ!」

 経験のない揺れに秀美たちは驚き、その場に倒れた。すると不思議な感覚に襲われた。車両が、浮上した。すぐ隣の車両にゴジラが噛みついていたことに、二人はやっと気づいた。

「どこでもいいから掴まって!」

 先輩が叫び、秀美も車両の手すりにしがみついた。

 ゴジラによって噛みつかれ、そして線路から離れた「はと号」の客車は、強烈な力に耐えきれず連結器が外れ、噛みついた6号車と連結してぶら下がる5号車と7号車がぶら下がった。秀美たちは7号車にいた。

「怖い……」

 必死に手すりに掴まりながら、秀美は呻いた。腕が千切れそうなくらい痛い。

「放しちゃダメよ! 絶対に」

 先輩が声をかけ、秀美は泣きながら頷いた。

 ゴジラは6号車を噛みながら、名古屋駅を踏み潰し続け、それに飽いたのか体を反転させ、口に(くわ)えていた車両を吐き捨てた。三両の客車は高速で宙を飛び、堀川を飛び越えて名古屋市街地の米兵家族居住地であるキャッスル・ハイツに落下した。異国洋式の家屋をなぎ倒し、落下の衝撃で車両の屋根が吹き飛んだ。

「……先輩?」

 体を激しく打ちつけていた秀美は、返事のない先輩の姿を見て不安を隠せなかった。

「先輩、先輩っ!」

 秀美は先輩の肩を揺らして起こそうとしたが、頭からはかなり出血していた。

死んでる……と思った直後だった。

「……いったぁ、もう最悪っ!」

 目を覚ました先輩は、もうこりごりよという感じで後頭部を掻いた。

「先輩、今日そればっか言ってますね……」

 秀美は泣きながらも、彼女が生きていたことにホッとした。

 二人はお互いを支え合いながら、客車の残骸から脱出した。何軒もの洋風の家が客車の突撃で被害に遭っていたが、どうやら住人たちはすでに避難していたようで、誰もいなかった。

「とにかく逃げよう……遠くに」

 先輩の言葉に、秀美は「はい」と頷き、二人は歩き始めた。

 遠くでは人々の悲鳴や、何かが壊れ崩れる音も聞こえた。もう二度とあの怪物を見たくない、その一心で二人は歩いた。

 

「大変なことになりました、今まさに、東海地方随一の都市である名古屋にゴジラ、ゴジラが出現しております。ゴジラは名古屋港から上陸し、東海道本線を沿うように北上を続け、空襲で焼けながらも姿を留めた名古屋駅の駅舎を無残に蹴散らしました。我々は駅から空中を飛ぶ車両を目撃いたしました。あれはゴジラの仕業に違いありません。何と恐ろしいことでしょう、ゴジラは町を破壊するだけでなく、まるで人間の生活を、文化文明を弄ぶかのごとく蹂躙(じゅうりん)しております。我々は今、今年の6月に完成したばかりの日本初の集約電波塔たる、名古屋テレビ塔より実況中継をしております。我々の身の安全はまったく保障されておりません。しかし我々は引き下がるわけにはいきません。この惨状をお伝えすることは、我々報道に課せられた決死の使命であります」

 ラジオから流れる緊迫した声に、敷島たちは聞き入っていた。奴が狙ったのは東京ではなく、東海地方最大都市の名古屋だった。野田とジェニスも想定外の上陸地だった。

「敷島さん、敷島さんっ」

 医者が典子に何度も呼びかけ、その声を聞いて敷島と明子はベッドに向かった。典子は相変わらず閉眼したまま、苦しそうに息を吐いていた。

「典子っ!」

 敷島は妻の手を握って呼びかけた。明子も手を伸ばして、二人の手が典子の手に重なった。だが典子は、目覚めない。その様子をジェニスは注視しつつ、ラジオ放送に耳を傾け続けた。

 ふと、典子の口が、何かを発しようとしているように動いていることに敷島は気づいた。

「何だ、何だ典子。教えてくれ、何が見えてるんだっ」

「……めて」

「えっ?」

 ジェニスはその様子を見て、ベッドの脇に立って二人の様子を見守った。

「……やめて」

 典子は、そう言った。

「やめて?」

「……そんなこと、しないで」

「何を、何をだ? 典子!」

「……殺さ、ないで」

 その発言に敷島は驚いた。殺さないで? どういうことだ。

「……まさか」

 ジェニスは、状況を鑑みて、いま典子の中でとても恐ろしいことが起きていることを察した。それにはきっと、彼女をレイプした男の存在が絡んでいるだろうことも。ゴジラと典子はつながっている。まだ不確定要素が多すぎるが、あの夢日記を読めば、どれだけ信憑性が高いか分かる。だとすれば、典子があの男にどんなことをされていたのかも、おそらくゴジラは知っている。知っていて、ゴジラは、名古屋に……。

「ゴジラは桜通(さくらどおり)を進行中です。建物が次々となぎ倒されていきます。我々も非常に危険です。いつでも逃げる態勢を準備していますが、我々はまだ中継を続行いたします。繰り返しお伝えいたします、ゴジラは現在桜通を進行中です」

 ラジオはゴジラの現在地点を報告し、名古屋を蹂躙し続けていることを伝え続けた。

 

 木を隠すなら森の中、人を隠すなら人の中とは、古人は上手いことを言ったものだなと兒島春樹(こじま はるき)は思った。

 敷島典子を奪うのは失敗したが、彼女と愉楽のひとときを過ごせただけでも満足だった。

 もちろん無謀なことだと分かっていたが、勤務する病院で典子と偶然再会してから、ずっと感情が抑えられなかった。どうしても彼女と一緒になりたい、たとえ人妻だろうと。だって彼女は〝典子〟だから。

 敷島家から逃げ、駅のトイレで旅行鞄から出した衣服に着替えて、ずぶ濡れになった衣類はゴミ箱に捨てた。

 全身が、猛烈に痛かった。腹部はおそらく骨折し、庭に蹴り飛ばされた衝撃で右足も強打した。後で検査をしたら、骨折していた。だがこういう時、医者であったことが幸いした。痛み止めは鞄に入っていて、それを飲んで耐えた。東海道線に乗って名古屋に帰り、まずは実家に立ち寄った。父親は、自身の病院の特等病室で入院中だと使用人から聞かされるや、その隣の病室をすぐに確保して、自分の入院手続きを済まさせた。使用人や病院関係者には金を握らせて、警察が来ても口をつぐませた。仮に病院を捜査すると言い出しても、患者に迷惑がかかるの一点張りで通させた。特等病室にはトイレ・シャワー・テレビも完備されていて、実に快適だった。ただし兒島が受けた体の損傷は思ったよりも重く、骨折した右足には包帯が巻かれて固定され、体の自由はなかった。だがそれでもいい、このまま体を治癒して、ほとぼりが冷めた頃に国外に出よう。ハワイ復興隊に紛れるという手も考えていた。偽名で登録すれば、身元がバレることもないだろう。そのまま向こうに住むのも悪くない。

 鎮静剤を投与された影響で、兒島はしばし眠っていた。

 目が覚めると、どうも外が騒がしかった。空襲警報を思い出すサイレンが鳴り響いている。何だ? まさか、戦争か?

 ベッド脇の机に置かれているラジオのスイッチを入れると、緊迫した口調の実況放送が流れ出した。

「ゴジラは桜通を進行中です。建物が次々となぎ倒されていきます。我々も非常に危険です。いつでも逃げる態勢を準備していますが、我々はまだ中継を続行いたします。繰り返しお伝えいたします、ゴジラは現在桜通を進行中です」

 ゴジラ、桜通……ここじゃないかっ!

 兒島が居る病院は、東西に延びる桜通と南北に延びる大津通(おおつどおり)に面した土地に建っている。地上四階建て、その最上階に兒島は居た。

「おい、おーいっ! 誰かっ!」

 医師なり看護婦なりを呼んだが、誰も応じなかった。やがて部屋が振動しだした。それはどんどん強まり、病室内の雑貨類がどんどん床に落ちた。花瓶も、ペン立ても、7年前に結婚するはずだった〝典子〟の写真が入った額も。ラジオも落下して、壊れた。

 窓外に目を遣ると、名古屋駅方面から、巨大な黒い物体がゆっくりと近づいてくるのが見えた。兒島は、骨折した右足に固定された装具を取り外そうとしたが、部屋が激しく揺れるのと、自分自身がかなり動揺していたこともあり、上手くいかなかった。やがて黒く大きな影は、窓外一面を埋め尽くすほどにまで近づいた。

 兒島は、泣きながら笑った。もうダメだ、もう手遅れだ。ああ、これから自分は死んでしまうんだ。戦争中にも経験したことのない絶望感を、兒島は実感した。

 ……ゴジラは、通り過ぎた。窓外に空と名古屋の町並みが見え、振動も少しずつ遠ざかっていく。

 兒島は、安堵した。さっきまで絶望の只中にいたことなどとうに忘れたように、また笑い泣きした。助かった。よかった……。

 刹那、兒島病院の四階一室めがけて、巨大な尾が振って来た。

 尾は一瞬で四階を()ぎ払った。

 中にいたニンゲンは、死んだ。

〈お前の望みを叶えてやったぞ、女〉

「やめてっ!」

 典子は絶叫しながら体を起こした。病室にいた全員が意表を突かれた顔をした。

 典子は目を開け広げ、肩で息をしながら虚空を見つめた。

 心に入り続けていた声は、やっと聞こえなくなった。

「典子」

 その声に顔を向けると、愛する夫がこちらを見ていた。それに、娘も。

「……浩さんっ」

 夫婦は抱擁を交わし、明子も目を覚ました母親に泣きすがった。

「……ドクター、ここはもういいわ」

 呆然としていた医師の肩を叩いて、ジェニスは退室を促した。医師は、己の無力さに気落ちしながら、看護婦と共に病室を辞した。

「よかったよぉ……」

 澄子は倒れるように椅子に腰かけ、深く息をついた。

 病室に明るさが戻りつつある中でも、名古屋の情勢が変わることはなかった。

「ここで新たな情報が入ってきました。アメリカ合衆国は先ほど、日本国内に駐留する米兵家族の生命財産の保護を目的として、在日米軍に対し出動命令を下しました。繰り返しお伝えします、アメリカ合衆国はゴジラに対し、在日米軍に出動命令を……」

「まさか……」

 ラジオ放送を聞いたジェニスは血相を変えて、病室を飛び出して階下の事務室に押し入った。

「電話はどこ!」

 面食らった眼鏡をかけた女性事務員は、机の黒電話を示した。

「借りるわ」

 ダイヤルを回し、大使館の応答を待った。まさか原爆を使う気なのだろうか。そんなことはさせない、させたくない。どれだけ作戦を阻止出来るかはわからないが、こうなったら大使を脅してでも止めるしかない。大使閣下の裏金スキャンダルは、順調に出世コースを歩んできた抜け目ない兄からすでに情報を得ている。それで脅すしかない。

 

【挿絵表示】

 

 ゴジラは、まだ整備中の久屋大通(ひさやおおどおり)に侵入し、雄叫びをあげた。来年に完成予定だった緑の広場が、巨大な四本の爪が生えた足によって無残に踏み潰され、人々の苦労が水泡に帰した。

 空は夕闇に染まり、あと一時間もすれば完全に闇に染まろうとしている。黒みがかった茜色の空に、背鰭が特徴的な生物の黒い影が映え、名古屋テレビ塔に陣取る報道関係者たちの視線を奪った。その中の一人が、フィルムカメラでゴジラを撮影しようとした時だった。彼は無意識にフラッシュの電源ボタンを「入」にしていて、シャッターを押すとライトが光った。

 その光をゴジラは見逃さなかった。唸りながら、こちらを見ている。

 アナウンサーは、唾を飲み込んでから実況を再開した。

「な、何ということでしょうか。ゴジラは、我々報道陣を見据えております。このテレビ塔を見ているのかもしれませんが、我々は今、確実にゴジラと目が合っております」

 ゴジラは夕闇空を背景に、ゆっくりとテレビ塔に向かって歩き始めた。

「何ということでしょう、ゴジラはこちらに向かってきています。いよいよ、本当に危険な状況になってまいりました。この名古屋テレビ塔は昨年9月に着工され、今年の6月に完成いたしました。我が国最新にして初の集約電波塔であります。高さは178.7メートル、一方ゴジラは、およそ70メートルはあろうかという巨体です。我々は今、地上100メートルの展望バルコニーより中継をしております。つまり我々の方がゴジラより目線が高いわけですが、眼前のゴジラは、もはやそんなことを感じさせないくらい巨大です。何と……お、恐ろしいことでしょうか」

 ここでスタッフが「ヒナン」と書いたカンペを出し、アナウンサーは頷いた。もうゴジラはすぐそこまで来ている。これ以上の続行は、危険だった。

「忍び難いことですが、我々もいよいよ避難いたします。すでにゴジラは、手の届くほどまでに近づいて来ています。私、私には……愛する妻と子がおります。ここにいるスタッフも同様です。もし、もしもこれが最後の放送となるのなら、私はアナウンサーとしての職務を放棄させていただき、家族に遺言を残す所存です……夏子(なつこ)(たかし)、どうか強く生きてください」

 そこで放送は中断され、報道陣は一斉に逃げ出そうとした。

 だがゴジラは、それを許さなかった。勢いよく鉄骨に噛みつき、いとも簡単にそれを変形させた。報道陣たちは、とにかく掴まれる所に掴まって、振り落とされように努力するのが関の山だった。噛みついた鉄骨を引きちぎり、それだけに飽き足らず、ゴジラは体を反転させて、強靭な尾で鉄塔を攻撃した。一年の歳月をかけて建造された名古屋テレビ塔は、呆気なく倒壊した。報道陣は瓦礫と共に埋まり、一人残らず絶命した。

 大地が震えるような咆哮を上げた直後、ゴジラは複数の砲撃を受けた。

「……ダメだ、頭を狙うんだ。奴の表皮は尋常ではない硬さがある。たとえ傷を負わせても、すぐに再生する。見てみろ」

 名古屋城の天守石垣にたたずむ大佐は、副官に双眼鏡を渡した。レンズ越しに見えたのは、傷ついた皮膚が瞬く間に再生していく、信じがたい現象だった。

「全員よく聞け、奴のボディじゃなく頭を狙うんだ。出来るかぎり目と口をな。大戦を経験した君たちなら出来るはずだ、照準を再設定しろ」

 無線機で大佐が指示すると、城内に配備された全てのM47パットン戦車の砲門がゴジラの頭部に向けられた。ゴジラが市街地を進行している間、在日アメリカ陸軍の戦車部隊は名古屋城を陣地とし、全ての戦車が配置に着いたのを機に、攻撃を開始したのだ。

「大佐、コマキ・エアベースから報告。カボチャを積んだB―29が離陸、間もなく名古屋市上空に到達とのことです」

「よろしい。空と陸から奴の頭を吹き飛ばそう」

 傷の癒えたゴジラは、すでにどこから攻撃を受けたのか察していた。その証拠に、双眼鏡を覗く大佐と、怪物の目が交差した。

「……相当怒ってるようだ。第二次攻撃を開始しろ」

「第二次攻撃開始」

 副官が無線で命令を告げると、城内のあちこちから砲声が響いた。ほとんどの弾頭が正確にゴジラの頭部に着弾し、ゴジラは動きを止めた。その上空に、大型の爆撃機が姿を現した。

「大佐、連絡です」

 副官から無線機を受け取り、耳に当てた。

「こちら〝マリア〟、これよりカボチャを投下する。正確に目標を照準に収めたいので、砲撃を一旦中止していただきたい」

「了解した。神のご加護を」

 通信を終えると、大佐は(あた)りを見回した。自分がいま立っているのは、かつて巨大な木造の城があった場所だ。

「……まさか、自分が焼いた城の跡地で、戦闘指揮を執る日が来るとはな」

「名古屋の空襲ですか」

「ああ、私が最後に経験した日本への爆撃だ……やはり、戦車砲では無理か」

 双眼鏡を覗きこむ大佐は、戦車砲で不細工に破壊されたゴジラの頭部がみるみるうちに回復していくのを確認した。

「第三次攻撃は、カボチャを落としてから行う。諸君、覚悟はいいな」

 無線機で戦車に待機する兵士たちに告げた後、大佐は上着のポケットから葉巻を取り出した。ゴジラはすっかり顔の再生を終え、こちらを見据えていた。錯覚かもしれなかったが、その顔は憎悪に満ちていたように見えた。

 その頭上に、日本人に馴染み深い大型爆撃機が飛び、一発の爆弾を投下した。

「大佐、衝撃に備えてください」

 副官の忠告を、大佐は無視した。直立不動でその瞬間を目に焼き付けようという構えだった。

 機体名「マリア」から投下されたカボチャ……パンプキン爆弾は、ゴジラの頭めがけて落下し、大爆発を起こした。その衝撃波は名古屋城にも届き、城内に生える木の葉が吹き飛んできた。大佐は肩についた葉を手で払った。

 原爆の模擬爆弾として開発されたパンプキン爆弾は、1万ポンドの爆薬を炸裂させた。ハワイでの惨劇以後、在日米軍の切り札として本国から極秘に送られてきた代物だった。

 ゴジラの頭部は、爆炎に包まれてよく見えなかった。動きは、止まっていた。

「……第三次攻撃開始、奴に回復の隙を与えるな」

 副官が無線機で命じると、再び戦車隊は砲撃を行い、ゴジラの頭部周辺で砲弾が何度も爆発した。

 ゴジラは、膝が折れたようにその場に崩れた。

「やったか……」

 砲撃が続く中、大佐は双眼鏡でゴジラの様子を見た。動きは依然としてないが、倒れもしない。町には砲声が響き続ける。

 絶望は、突然やってきた。

 ゴジラの背鰭に、青白い発光現象があらわれた。

 砲撃は変わらず続いていたが、背鰭は次々と発光し、体からせり上がる独特な動きを見せた。

 やがて、ゴジラが体を起こした。爆炎に包まれていた頭部は、健在だった。

 大佐は葉巻を口に咥えて、ジッポーで火を点けた。

 ゴジラは顔を名古屋城に向け、息を大きく吸い込んだ。

 大佐は葉巻を吸い、最後の一服を味わった。

「……ダメだったか」

 瞬間、ガシャンという音を立てて発光した背鰭が体に食い込み、ゴジラは口から熱線を放射した。それは名古屋城、さらに正確に言えば、名古屋城天守台に向けて放たれた。

 人間が作り出す原爆を(はる)かに(しの)ぐ「物質の水蒸気爆発」とでも言うべき破壊現象は、爆心地から半径10キロを巻き込んで、圏内にある全てのモノを破砕した。

 爆発に伴う爆風と爆縮現象の後、空にはこんもりとしたキノコ型の雲が出現した。

 やがて、黒い雨が名古屋に降り注いだ。

 それは熱線による傷を負ったゴジラにも降りかかったが、意にも介さず、勝利宣言のごとく雄叫びを空に向けてあげた。

 空はすでに闇に包まれ、その光景を言葉で表すなら、地獄だった。




〈執筆後書〉
・作中に出てくるキャッスル・ハイツとは、現在の白川公園(名古屋市中区)のことです。
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