「私の生きる意味って、何なんでしょうか」
そう
だが目は開かない。
「……大丈夫です、今後も治療を続ければ、目は開きますから」
「そうじゃない。私に生きる意味があるのかどうかということです。このまま回復しても、私を待ってる家族はいません。恋人もいない。こんな私に、これからどう生きろっていうんですか?」
看護婦は、沈黙した。自分がもし、この患者の立場なら同じことを考えただろうと思った。どんな言葉をかけても、慰めにも希望にもならない。患者に心まで寄り添うのが看護婦の務めだと教わったはずなのに、自分には何もしてあげられない。その現実が看護婦を打ちのめしていた。
「……いいんです、忘れて。どうせ独り言ですから」
女性患者はそう言って、体を横向きにして看護婦に背を向けた。看護婦は、やるせないまま病室を出て行った。
「ゴジラ対策委員会、か。いかにもな感じの命名だね小澤君」
菅原総理は窓の外を見ながら、小澤運輸大臣の新組織発足の進言にそう返した。
「閣議にかける前に、総理のご意見を賜りたいと思いまして」
「私の意見など必要ないよ。速やかに発足したまえ。総理府直属とするが、管理は君に一任しよう。その方が良いと思う」
「では、閣議には」
「必要ない。閣議になんてかけたら、無駄に時間を食うだけだろう。それに、君のことを快く思わない連中があーだこーだと横槍を入れてくるだろうし。君だってそんなの、嫌だろう?」
菅原は黒革の椅子に腰かけて、小澤大臣を見ながらそう言った。小澤大臣は、頷いた。
「……正直、ここまで総理が協力的になってくださるとは思いませんでした」
「私も、ここまで君に協力的になるとは思わなかったよ」
首相はそう言い返して、箱から葉巻を取り出した。
「党内では、私への反発が強まっている。ほら、岸辺君を罷免しただろう? あれで彼の派閥が相当おかんむりでね。次の党首選は、私にはきっと無理だ。だから最後くらい、良い政治家になろうと思ってね」
菅原は自嘲するように笑いながら、葉巻に火を点けた。
「……総理、ありがとうございます」
小澤大臣は、首相に
「とことんやりたまえ。邪魔するような閣僚がいたら、私が阻止する。あとは頼んだよ、小澤大臣」
「あっ、巡視船が来ました!」
航海士が双眼鏡でとらえたのは、白い船体の船だった。
「領海に入った時点で来るって言ってたくせに、だいぶ遅かったですね」
「まぁ仕方ないだろう。本土は名古屋が壊滅したりで大変なんだ。来てくれるだけでもありがたいと思うしかない」
ぼやいた航海士に、船長の仁田はそう言った。
原油タンカー日章丸は、北緯30度57分、東経136度9分の海上を航行していた。地図で見れば、北にちょうど紀伊半島がある。今日中には東京港に着く予定だった。
「船長、海保より無線です」
通信係から無線機を受け取った仁田は対応した。
「こちら、出光興産所属日章丸です」
「海上保安庁第三管区所属巡視船「あつみ」です。到着が遅れて申し訳ない。東京まで護衛いたします」
「わかりました、よろしくお願いいたします」
通信を終えて仁田は、タンカーの前方から近づいてくる白い船を双眼鏡で覗いた。戦時中、海防艦として建造されたその船は、戦後に復員船として従事した後、海上保安庁の巡視船となった。
巡視船「あつみ」は日章丸の左舷をまず通り過ぎ、そこから舵を切って旋回し、日章丸の右舷側で速度を合わせた。
その様子を、大きな黒い影が海中から見つめていたことを、彼らはまだ知らない。
「あらまぁ、今日もシャイニングガールはいないの? 残念ねぇ」
敷島家を訪れたジェニスは、さも残念そうにそう呟いた。
「よかったら、あとで学校まで迎えに行きませんか。きっと喜びます」
敷島の提案にジェニスは指をパチンと鳴らした。
「それは良いアイデアね、乗ったわミスター。さぁノリコ、また薬を持ってきたわ」
居間にいた典子は笑顔でジェニスと加代を迎え入れた。
「本当にいつも、ありがとうございます」
「いいのよ。痣は……形も大きさも変わりないわね。もう少し小さくできるはずよ。運が良ければ、消滅するかも」
ジェニスは加代から手渡された木箱を開け、例の薬剤が入った小瓶と注射器をちゃぶ台に置いた。ああ、これでまた痣が消えてくれる……そう安堵した刹那、典子は頭痛に襲われた。
「どうしたの、ノリコ!」
「……あ、頭が」
すぐに敷島が側に寄り、妻の肩を抱いた。
「大丈夫か典子、しっかりしろ!」
「……え?」
「何? もしかして、何かが語りかけてる?」
ジェニスの問いに、典子は苦悶の顔をしながら頷いた。
「何て言った? 教えてノリコ」
「……ふ、船を沈めてやるのを、見せてやるって」
「船? ……どんな船?」
「わかりません……でも、見える……う、海が」
ジェニスは、これは一種のチャンスだと思った。典子の手を握り、丁寧に語りかけた。
「いいことノリコ、負けちゃダメよ。あなたは強い女性よ、その声に抗うの。とにかく抗うの。出来るわねノリコ」
典子は薄く目を開けて、黙って頷いた。そしてまた目を閉じ、強引に見せられる光景が眼前に広がった。それは暗い海から、陽が当たる海面へと移動する場面だった。
巡視船「あつみ」の船底には、放射能検知器が搭載されていた。ゴジラ索敵のための装備であり、名古屋襲撃を受けてから急遽増設されたものだった。訓練では一度その警報を鳴らしたことはあったが、実際の出動で鳴ったことは、まだ一度もなかった。
その警報が、突然鳴り出した。
操舵室は騒然とし、すぐに観測員がレーダーを確認した。検知器の反応距離は最大一キロ。レーダーの隅に、巨影が映ったのを観測員は確認した。
「後方1キロ先に反応あり!」
すぐに航海士たちが双眼鏡で後方を見た。レンズ越しに見えたそれは、巨大な背鰭だった。
「ゴジラ出現! 本船団に向かって来ています!」
報告を聞いた船長はすぐ、日章丸に無線連絡を入れた。
「巡視船「あつみ」より報告、後方1キロ先にゴジラ出現。直ちに回避行動を取れっ!」
巡視船からの恐れていた報告を受けた日章丸は、すぐに回避行動を取り始めた。船をジグザグに進めて、相手との接近を極力回避しようという、一切の武装がない日章丸にとって出来る唯一の防衛行動だった。
「距離950! 船長、どうしますか!」
「どうするもこうするも、このまま日章丸を見捨てるわけにはいかん! 本船で出来る限りのことをする。本船は日章丸の後方に移動、それと本部と自衛隊に連絡、早くしろ!」
横須賀港では、護衛艦「はるかぜ」と「ゆきかぜ」が哨戒活動のために出港している最中だった。
入電を受信した「はるかぜ」の通信係が叫んだ。
「緊急連絡、北緯32度6分、東経135度51分の海上にてゴジラ出現との報告! 現在タンカー一隻と巡視船一隻が回避行動を取っているとのことです!」
「よし、針路を向けてすぐに向かう。「ゆきかぜ」にもそう伝えよ!」
水島はすぐ、報告された地点の場所を海図で探した。そこは紀伊半島の
「今度こそ本物なのを期待するっきゃねぇか」
水島は呟いて、自分の職務に戻った。
目線は、海面がすでに頭上という所まで深い海から浮上していた。
そして高速で泳ぎ、遠くに見える点のようなもの目がけて直進している。あれがおそらく船なのだろう。
〈お前にも見えているだろう〉
「ええ、見えてる」
〈ニンゲンの恐怖に満ちた顔は、いつ見てもいいものだ〉
「……何て酷いことを」
〈酷い? ふざけるな。お前たちが言える立場か〉
「……」
典子は目をつむりながら、何者かと話していた。
その相手が何者なのか、ジェニスは理解していた。
ゴジラだ。
「距離、760! 変わらず船団に向かって来ています!」
航海士の報告は、悲痛な叫びでもあった。回避行動を取っても、背鰭は相変わらずついてくる。
「船長! 機雷の投下準備をさせてください!」
船員の一人が叫んだ。「あつみ」の後部甲板には、万が一の時に備えて機雷が搭載されていた。その〝万が一〟が今、まさにその時だった。
「わかった。準備ができ次第、投下せよ!」
機雷は全部で三つあり、すべてケーブルで船体とつながっており、ケーブルの中には電線が通され、船からスイッチを入れて爆破できる仕組みだった。7年前、ゴジラと初めて接敵した新生丸の戦闘から着想を得た、ゴジラへの数少ない対抗手段だった。たとえ倒せなくても、顔が吹き飛べば再生に少しだけ時間がかかる。その間に全速力で距離を取る戦法……というより、生存手段だった。
ケーブルは最大800メートルまで延ばせる。船員たちはすぐに、機雷の投下準備を始めた。
予算委員会での答弁を終えた小澤大臣は、日頃の激務に疲れを感じていた。
おまけに答弁ではくだらない質問が相次いだ。何だその服はけしからん、お前は軍国主義者か。それにはさすがに頭に血がのぼったが、冷静な表情を崩さずに小澤大臣は言い返した。
「ではあなたは、私の亡き夫を
委員会は静まり返り、答弁の相手をしていた男性代議士は、それ以降一切発言をしなかった。小澤大臣は父親譲りの鋭い睨みをその男に送り、答弁は終わった。
煙草を吸いに行こうと思っていた矢先、秘書官が青ざめた顔をして駆け寄ってきた。
「大臣、太平洋上の日本領海にゴジラ出現とのことです。出光興産の原油タンカーと海保の巡視船が追われています」
「すぐに長官と連絡が取れるようにして。それと太平洋を航行中の船舶にも通達を」
秘書官は了解し、また駆けだした。自分も動かなくては。小澤大臣は執務室へ向かった。
「よーし、いくぞー!」
クレーンで吊り上げられた機雷は、投下準備万端だった。背鰭との距離は、すでに600を切っていた。
「投下っ」
クレーンから落とされた機雷は海面に浮かび、船からどんどん離れていく。そして、背鰭との距離を縮めていく。ゴジラはまだ、顔を見せていない。まずはこの一投目で、様子を見るしかない。
「……サメかクジラならいいんだが」
船員の一人が言った。だがそれにしては、あの背鰭は大きすぎた。証明する
やがて、機雷が背鰭に到達し、引っかかる形で背鰭と背鰭の間に挟まった。
「今だ、点火っ!」
係員が赤いボタンを押し、機雷は轟音と共に爆発した。その音は「あつみ」の先を進む日章丸のブリッジにも
「やったのか」
船長の仁田は後方に双眼鏡を向けた。爆発による煙幕が広がっていた。
轟音の後、視界がさらに開けた。海上に出たのだ。
〈どこまでも
眼前には、白い船と船員たち、そしてその奥に大きな船も見えた。
「やめて、殺さないで」
〈見ろ、あの恐怖に引きつった顔を。我はあれが好きだ〉
「小賢しいのは、あなたよ」
〈何?〉
「こんな愚かなことをして楽しんでる。バカみたい」
返事は、なかった。
「典子、大丈夫か」
目を閉じたまま険しい顔をし続ける妻に、敷島は肩を揺らして呼びかけた。
「お願いシキシマ、そのままにして。彼女は今、戦ってる最中なのよ」
ジェニスは典子の手を握ったまま、敷島に言った。敷島は何も言わず、妻の肩を抱いて側にいるしかなかった。
「大丈夫よ、彼女は今、戦ってる……あとは勝つだけよ」
「本物だ……おい、第二弾いくぞ!」
海面に出現した巨大な顔を前に、腰を抜かす船員もいた。だがすぐに起き上がり、二投目の機雷投下準備に取り掛かった。
「距離、450!」
操舵室から航海士が叫んだ。クレーンは機雷を吊り上げ、船尾で固定された。
「投下っ!」
二つ目の機雷が投下された。波間に揺れるその球体は、ゴジラの顔めがけて離れてゆく。ゴジラの顔の下半分は海中に隠れていて、口を開く様子はない。だがそれでも、やるしかない。機雷がゴジラの顔面に当たったところで、係員がボタンを押した。再び爆発が起こり、大きな水柱が上がった。
「効いたか……」
煙幕からは……無傷のゴジラが咆哮しながら巡視船めがけて泳いでくる。
「だ、ダメだ……」
船員の一人が目を潤ませながら、絶望を悟った。
「いや、見ろっ! 口だ、口が開いてる。三つ目いくぞー!」
最後の機雷をクレーンに取り付け、チェーンを巻いて吊り上げられた。
これが、最後。
「投下ぁっ! いけぇ!」
三投目の機雷が海に放たれ、巡視船から離れていく。
「頼む、頼む……」
船員たちは神や仏に祈る気持ちで、機雷が無事に到達するのを待った。
やがて、機雷はゴジラの口に入った。
「距離、300!」
ブリッジの航海士が叫んだ直後、係員がボタンを押した。電流は電線を伝い、機雷の爆薬を引火させた。
爆音と共に、巡視船の船尾には海水が降り注ぎ、肉片のようなものも飛び散ってきた。
「やった、やったぞー!」
船員たちは歓声を上げ、誰もがお互いを褒め称えた。
「全速力を維持、とにかく遠ざかるんだっ」
船長はそう命じて、後方に双眼鏡を向けた。ゴジラの頭部は煙に包まれ、どのような被害を受けたのかは目視できない。だが、活動は停止しているようで、追ってくる気配はなかった。殺してはいないだろう。こうしてる間にも、破壊された部分が再生されている。だがその間、ゴジラは動かない。その間がチャンスだった。
「距離、550!」
航海士が、少し声を弾ませて報告した。このまま我々のことを諦めてくれたら……。
「ん?」
「どうした」
「……ゴジラが、潜り始めました」
航海士の報告を聞いた船長も、同じ方角を双眼鏡で覗いた。煙は風に飛ばされて晴れていき、ゴジラの尾が海中に沈んでいくのが見えた。
「……沈んだ、のではないか」
「いえ、自分は見ました。奴は体を震わせて、潜っていきました……もう、機雷はありません」
再び海の中。空気が海水に包まれて、気泡になって浮かんでいく。
いったん少し潜ったところで、体の向きが変わった。
もうあんな小船に用などない。そう言わんばかりに、視界の中央に収まったのは、より大きな船の底。
〈
「お願いやめて、もう充分でしょ」
〈いいや。あの船からは
「船長、背鰭が本船に向かってきます!」
航海士の叫びを聞いた仁田は、右舷に立って双眼鏡を覗いた。鋭く尖った背鰭が、近づいて来ている。このまま来れば、船体を引き裂く。
「
とにかく回避しなければ、沈む……。
〈さぁ、そろそろだ。よく見てろ女〉
「やめて……」
〈もう黙れ、黙って刮目しろ。ニンゲンがゴミのように沈んで死ぬのをな〉
そのとき、頭の中で、何かが覚醒した。
「黙るのはあなたよっ! いいかげん黙りなさいっ!」
仁田は、覚悟した。もう無理だ、衝突は、回避できないと。
こんなことなら、遺書を書いておくべきだったと、いまさら後悔をした。
……ところが、不思議なことが起こった。
海面から突き出していた背鰭は、衝突手前のところで急速に沈んだ。
ガツンという大きな衝撃が船内に響き渡った。船体は大きく揺れ、ブリッジの者たちも揺れに踊らされた。
「船底破損、船底破損! 浸水してます!」
船内放送で報告を受けた仁田は、すぐに指示を出した。
「
ただちに浸水箇所が閉鎖され、隔壁が閉じられた。
原油タンカー日章丸は、沈没を回避した。
奇跡、としか言いようがなかった。仁田は荒い息遣いをしながら、各部署に被害状況を報告させ、それを終えると船長専用の赤い椅子に、放心状態のまま座った。
「……た、助かった」
「典子……おい、典子!」
ずっと閉眼したまま、何者かと言葉を交わしていた典子は、気を失っていた。敷島は必死に声をかけ続けた。ジェニスと加代は、黙ってその様子を見守っていた。
一分ほど経ってから、やっと典子は目を開けた。眼前には、夫の顔があった。
「よかった、よかった……」
「浩さん……私、頑張りました」
敷島は何度も頷いて、妻をぎゅっと抱きしめた。
「勝ったのね、奴に」
ジェニスの問いに、典子は頷いた。自分でもよく分からなかったが、相手の頭に自分の言葉を響かせた実感があった。それで、船にぶつかるギリギリのところで、奴を海の深くにいざなった。そうジェニスに語った。
ジェニスは深く頷いて、典子に懸けた可能性が本物であることを実感した。彼女はゴジラとコンタクトが出来る、ということを。
「……ジェニーさん」
加代が、小声でジェニスにささやいた。加代と同じ方向へ目を向けると、それは典子の首筋の痣だった。ジェニスは目を丸くした。なだらかな三角形だったはずのそれは、
*
「続いてのニュースです。昨日中東より日本へ向かっていた、出光興産の原油タンカー日章丸が、太平洋を航行中にゴジラに襲撃されたことが明らかになりました。日章丸には海上保安庁巡視船「あつみ」が護衛に当たっていましたが、巡視船の船底に放射能検知器を備えていたことで、ゴジラを検知したとのことです。日章丸はゴジラ接近に伴い船底に亀裂が生じましたが、隔壁閉鎖を行って沈没を免れました。東京港で取材に応じた仁田船長は「まったくもって奇跡としか言いようがない。神仏のご加護があったのかもしれない」と無事に帰還した感想を述べました。また海上自衛隊は今回のゴジラ出現に伴い、太平洋上での警戒監視活動を実施しておりますが、現時点でゴジラの発見には至っていないとのことです。また政府は本日、総理府直轄のゴジラ対策委員会の設置を決定し、委員長には小澤運輸大臣が就任する運びになったと明らかにしました。小澤大臣は記者団に対し「全身全霊で取り組む。すでに何名か優れた科学者を招聘している。必ず成果を出す」と述べられました。委員会は来月にも初会合を行い、今後のゴジラ現出に対する対策案を考案していくとのころです。
では、続いてのニュースです……」