「正気かね⁉ 神奈川県の県民の約半数を疎開させるなんて、とんでもないことだっ!」
閣議の円卓で、副総理は机をたたいて激怒しながらそう叫んだ。
「ですがやらねば、作戦は遂行できません。県民の犠牲は絶対になりません」
小澤運輸大臣は怯まず、そう言い返した。
「だったら作戦内容を変更したまえ。またあの……ワダツミなんとかという作戦みたく、海でやりたまえ。それなら避難民の数は大いに減らせるはずだ」
「ですから陸上で駆逐しなければ意味がないのです。また海上で殺しても、奴は再び復活します。それはもういたちごっこというもの、副総理はもう少し考えてから意見をしてください」
「何を
「いい加減にしなさい、副総理」
一同の目が総理に向けられた。味方するとすれば副総理側と思っていた半数の閣僚たちは、驚いた顔をしていた。当の副総理も
「総理? いま、なんと」
「ゴジラ対策委員会は総理府直轄、つまり私直属の組織だ。私が許可したことをあなたは非難するのか」
「し、しかしながら……」
「それ以上の意見は、私が許さない。神奈川県知事とは、私も直接話して説得する。明石君、県民の疎開先の調整をよろしく頼む」
自治庁長官の明石は「心得ました」と頷いた。
「いいかね、今は国難の時なんだ。小澤大臣も言っていたが、戦時中と同じだよ。我々は今、ゴジラという敵と戦争をしている。そのことを肝に銘じていただきたい。理解できない者は、この内閣を去ってもらっても構わない。……私もそうだが、この国の利点の一つは、すぐに代わりが見つかるということだ。違うかね?」
誰というわけでもなく、菅原総理はそう語りかけた。誰も返答はせず、小澤大臣だけが熱い視線を送っていた。
「では閣議は以上だ。各自、生き残るために最善を尽くそう。散会とする」
「……よかった、少し痣が小さくなったわ」
オソニチン薬を典子に投与したジェニスは、痣が縮小するのを確認して、ホッとしながらそう言った。痣は
「……ジェニーさん、私も何か手伝えないでしょうか。私には、ゴジラと交信できる力があります。これはきっと、役に立つはずです」
典子はジェニスの目を見ながら訴えた。ジェニスは、典子の肩に手を置いた。
「私も最初はそう考えた。でも、やはり危険だと思ってあの会合では言わなかった。実は迷ってたのよ、あなたの力を利用するかどうか。ただ、あの日章丸を救った後、あなたの痣は再び成長した。しかも薬を投与する前よりも大きくなって……あなたの身の安全を考えたら、それは出来ないと判断した。気持ちは嬉しいけど……」
「でも、たくさんの人たちがゴジラに立ち向かおうとしてるのに、何も役に立てないのは歯痒いんです。それに私は、あいつが憎い。どこまでも人間をバカにして……」
「いいことノリコ、オペレーション・デストロイが達成する確率は、現状かなり高いわ。あなたが無理をする必要はない。それにもし、その痣が悪化してしまったら……その」
「大戸島の人のようなことになる、ですか?」
ジェニスは、黙って頷いた。それをいちばんジェニスは危惧していたのだ。
「あなたをモンスターにするわけにはいかないわ。もちろんわからない、あなたの痣に、サキチと同じ要素があるのかは。でも、念のため心配した方がいいと思ってる。あいつは、我々の想像を超えた生物よ、何をするか分かったもんじゃない」
「でも、でも……」
典子は、どうしても作戦に自分の力を役立てたくて、諦めきれなかった。ジェニスは少し考えてから、典子に言った。
「……では、こうしましょう。作戦が発動されて、もし例の頭痛が起きたら、あなたはゴジラが海に戻らないよう協力して。でも無理は絶対にしたらダメよ、なるべく控えてちょうだい。ゴジラとの交信は、あなたにとって特別な力でもある一方、体にとってとても危険でもある。そのことを忘れないで。これは約束、私との。それでいい?」
ジェニスの提案に、典子は黙って頷いた。ジェニスは典子をハグした。
「大丈夫よ、必ず倒せるわ。そうすれば、もう悪夢なんて見ることもないわ。その日が楽しみねノリコ」
ジェニスの励ましに、典子は何度も頷いて答えた。そうなる日が、本当に待ち遠しかった。
典子の代わりに食材の買い出しに出かけていた敷島は、野菜や肉を詰め込んだ
「すいません、敷島さん」
不意に声をかけられて顔を向けると、山高帽をかぶった背広姿の男性が一礼した。その人物にはどこかで見覚えがあった。
「お久しぶりです、東京大学の牧です。いま、お宅に向かおうと思ってたんです」
敷島はやっと思い出した。あの初会合でも見かけた人物だったが、実はそれ以前に敷島も個人的に会っていたことを思い出した。牧の息子は、かつて大戸島守備隊の整備兵だった。その遺品である写真を渡しに、橘と一緒に家に行ったことがあった。
「牧さん……その節は、どうも」
「いえ、こちらこそ。初会合の折にもお見かけはしていたんですが、なにぶん忙しかったもので直接話せる時間が取れなくて……あなたには直接、お礼を言えていなかったものですから」
敷島は思い出した。当時の牧は、
「その節は、
「いえ……お役に立てたなら、何よりです」
二人は頭を下げ合い、牧は
「
「いえ、そんな……あっ、牧さん、ひとつお聞きしてもいいでしょうか」
「はい、何でしょう?」
「あの、オソニチンという物質ですが、兵器にも使われると聞きました。戦闘機の爆弾にも使われるんですか?」
「ええ、そのように聞いています。すでに日米の工廠で開発が進んでいて、ジェット戦闘機とプロペラ式の戦闘機にも搭載できるものを造ってるそうです。それが、何か?」
「あ、いえ……あの、これありがとうございます。娘も大喜びすると思います」
敷島ははにかみながら、牧から頂戴したメロンを見て言った。
「娘さんがいらっしゃるんですね。どうぞ大切にお育てください。お会いできてよかった、では」
牧は深々と頭を下げて、その場を去って行った。敷島はその背中を見送りながら、頭の中で牧の言葉を
プロペラ式の戦闘機にも搭載できる爆弾を造っている、ということを。
「野田助教授ー、来客です」
植物学研究室で佐々と話していた野田は、若い研究員にそう告げられた。
「誰です? 報道の人なら断ってください。こっちはそれどころじゃないから」
「いえ、何か〝学者〟を出せって言ってる色黒の人ですー」
あ、あの人だ。
野田はすぐに理解して、佐々に断ってから研究室を出た。
秋津は学舎の入り口で、仁王立ちして待っていた。
「おう学者ぁ。どうだ、作戦は順調にやれそうか」
「ええまぁ。オソニチンの量産もだいぶ出来てきて、今はオニカブトの種子が見つかったという発見を佐々さんから聞いてたところです」
「そっか、そいつはすげぇな」
絶対そう思ってないだろ、という本音は呑み込んで、野田は秋津に用件を聞いた。
「なぁ、ゴジラを水中拡声器で誘い出す役目、俺にやらせろ」
「はぁっ? な、何を言ってるんですか? 危険ですよ」
「危険もキリンもあるかこの野郎。いいか? どうせ海保の船とか使うつもりなんだろうが、俺の第二新生丸の方がずっと
「ちょっと、正気ですか? だいたい第二新生丸って中古の漁船ですよね? エンジンだって旧式だろうし、無茶ですよ」
「ところがどっこいつい先日、新型のエンジンに取っ換えたのよ。速力で言やぁ、巡視船なんか屁でもねぇ。誘導には速さが必要だろ」
「……作戦のために、そこまでしてくれたんですか」
「俺たちが生き残るためだ。でなきゃ貯金はたいてバカ
秋津は姿勢を正して、頭を下げた。野田は初めて秋津にそんなことをされたので、面食らった。
「ちょ、ちょっと
「お前がうんと言うまでやめねぇぞ。何なら大学に住みついてやる。頼むっ」
野田は後頭部を掻き、溜息をついてから秋津に言った。
「わかりました、上に掛け合います。でも長さん、無茶しないでくださいよ」
「あたぼうよこの野郎! さっすがお前は理解があるな」
秋津は力強く野田の肩を小突いた。野田は「痛いぃっ…」と呻きながらよろけた。
何だか、昔を思い出す触れ合いだった。あの機雷掃海艇新生丸に乗ってた頃を思い出す感じ…。
「変わりませんねぇあなたは」
「俺は死ぬまでこんな人間だよ。だからこそ、小僧だけに良い恰好はさせたくねぇのよ」
「大人げないなぁ。まぁ、長さんらしいっちゃらしいですけどね」
二人は顔を見合わせて笑った。
皇太子は侍従や女官たちと一緒に、庭の手入れに勤しんでいた。
「ああ、それは外来種だね。摘み取ってください。……それは残しておいて、もっと群生させたいからね」
親譲りの博学さを発揮する皇太子は、植物には素人の侍従や女官たちにそう指導をしながら、地面に根を下ろす草花たちを手入れした。
「殿下、小澤大臣が参りました」
侍従が来客が来たことを告げると、侍従や女官たちを人払いさせた。やがて、カーキ色の服に軍用半長靴という出で立ちの女性閣僚が姿を見せた。
「どうです、前よりも綺麗になったと思うのですが」
皇太子は手入れをしている庭の感想を小澤大臣に訊いた。小澤は微笑しながら「とても行き届いていますね」と
「よく、そのへんに生えている草を雑草と言うでしょう。私はあれが好きではないんです。父がそう教えてくれましたから。この世界には、雑草という名前の草花はないと」
「人に名前が必ずあるように、ですね。とても素敵なお考えだと思います」
「ええ。ああ、これなんかもよく雑草と言われてますね。カタバミです。ちょうど花が咲いてるんですよ」
小澤は皇太子と一緒になってしゃがみながら、地面に生えるクローバーに似た小さな草に目を落とした。黄色い五弁の花がいくつも咲いていた。
「カタバミは、私の好きな植物です。父の
「たしか、
「よくご存知で。ええ、屋号は花屋です。
「……戦争とは、
「はい。残念ながら、今は平和と言える状況ではありません。ゴジラや、ゴジラに類似した生物の脅威が常にあります。どこかの国と戦うよりも、とても厄介な状況です」
「神奈川県が、主戦場になると聞きました。避難する人々の心は、複雑なものでしょう……ですが、もうこれ以上の犠牲は出したくありません。大臣、私は……テレビやラジオを通して、国民に語りかけたいと思っています。どうか作戦に協力してほしいと。そして、万が一ですが……東京にゴジラが再び上陸した時、私は東京を絶対に離れないと。たとえ、熱線が皇居を襲ったとしてもです」
二人は立ち上がり、顔を見合わせた。皇太子の目には強い信念が宿っており、それを小澤は低頭して汲み取った。
「極力政府に迷惑をかけないよう心がけます。それぐらいしか、私には作戦に協力ができない」
「充分です、殿下。ありがとうございます」
小鳥のさえずりが聞こえ、ゴジラのいない平穏な世界でもその鳴き声を聞きたいものだと、皇太子は思った。
*
日章丸での出来事以来、ゴジラは姿を現さなかった。
だが人々の中で、ゴジラへの恐怖は増すばかりであり、それは政府が発表した対ゴジラ作戦の内容を知って、より深まった。神奈川が主戦場となる、それはかつて従軍した人々にとって、アメリカと想定した本土決戦を彷彿とさせるものだった。反対デモも盛んに起きたが、多くの世論は作戦を支持した。首相みずからが神奈川県知事と対話して、協議の結果県知事も作戦への協力を了承した。そして湘南地域、三浦半島、横浜市の一部地域の住民に対し、法的強制力のある疎開を決定した。疎開先は自治庁長官の明石が先頭に立って、各都道府県知事と話し合い、全ての自治体が疎開する神奈川県民の受け入れを表明した。
ゴジラに破壊された伊豆諸島と小笠原諸島近海のガイガーブイも、再設置がかなり進んでいた。また瀬戸内海や対馬海峡への増設も順次行われ、万一ゴジラが京阪地区や福岡などへ向かうのを事前に探知する体制を整えた。名古屋のようなことを、二度と繰り返したくないという意思の表れだった。
だがそれでも、人々はゴジラへの畏怖の念を深め続け、海外へ移住しようとする動きもあった。挙句には、ゴジラを神と崇め、殺すべきではないと主張する新興宗教さえ立ち上がった。
人々の心は、ゴジラに
その
手には推敲に推敲を重ねた原稿を持ち、その姿を、同席を認められた何名かの記者がフィルムカメラに収めていた。テレビカメラも持ち込みが許可され、日本放送協会がその中継を行うことになった。
天皇以来の玉音放送……記者たちは誰もがその見出しを頭に浮かべ、明日の朝刊はかなり売れるだろうとやましい心を持ちつつ、マイクの前に立つ気品に満ちた皇太子の姿に、崇敬の念を抱く者も少なくなかった。
皇太子は、時を待った。放送時間はあと2分後、その間に呼吸を整え、噛むことのないよう丁寧に読むよう努めようと決心していた。
脳裏にあるのは、今までゴジラの犠牲になった人々の姿、土地……そして父の姿だった。9年前の8月、父もこうしてマイクの前に立ち、あの終戦を告げる放送をしたのだと。あの放送を皇太子は、疎開していた栃木県益子町のホテルで聞いた。戦争がようやく終わった、これで父や母と再会できる。それがまず放送を聞いて直後に思った、率直な思いだった。しかし一方で、放送を聞いて多くの国民が涙し、憤り、無力感を抱いたことも事実だった。4年にわたる戦争努力は、無駄だったのかと。
だからこの放送では、一人でもいい。たった一人でもいいから、将来への希望を抱いてくれたらそれでいいと、皇太子は思っていた。
放送三十秒前になり、皇太子はあらためて姿勢を正した。
係の者が手を挙げた。放送開始の合図だった。皇太子は、原稿に目を落としながら、その文章を読み上げ始めた。
『昨今、日本を含む世界の情勢は、大きな脅威に
野田は牧の研究室で、実験機材を使ってオソニチンの合成をしていた。牧の連日に渡る研究の結果、増産する手段が解明されていき、精製されたオソニチンは薬学部で薬ともなり、工廠に運ばれて兵器の材料ともなった。だがまだまだ量は必要で、二人は共同して精製に
研究室にはラジオが置かれており、摂政宮皇太子による臨時放送が流れていた。それに聞き耳を立てながらも、野田はゴジラを殺す毒物の精製にすべての神経を集中させていた。
『ゴジラが我々人類に対し被害を及ぼすのは、街を破壊するだけではありません。沼津に現れた
「お願いですよー、俺も連れて行ってください」
港から船を出そうとしている秋津に、三郎は何度もそう頼み込んでいた。周りには秋津の出港を見送る同業者連中が集まっていた。常連になって仲良くなった居酒屋の未亡人女将や、三郎の隣にはその母親の姿もあった。皆が、ゴジラ掃討作戦に参加する秋津を見送ろうと集まっていた。
「ダメだ。いいか小僧、下手すりゃ死ぬかもしれねぇんだよ。いくらこの第二新生丸のエンジンが、他の船より高性能で速くても、奴が本気を出せばあっという間に追い着いちまう。そうなったら……わかんだろうが!」
「そんなの、特攻と同じじゃないすか。そうなったら、俺どうしたらいいんすか」
「そんなのお前が決めろ。いいか、前にも言ったはずだ。自分で自分の生き方を決められるのは、幸せなことなんだ。これは俺の生き方だ、邪魔すんな」
秋津はそう言って、船体と港を結ぶロープを外そうとした。
刹那、三郎は思いの丈を叫んだ。
「俺だってこの国守りたいんですよっ!」
その言葉に秋津の手が止まった。それはかつて、海神作戦開始前、参加を断念させた水島が叫んだ言葉だった。
だが結局、水島は多数の漁船やタグボートを引き連れて作戦に途中参加し、大きな貢献を果たした。
秋津は、三郎の顔を見た。唇を噛みしめ、目には涙が溜まっていた。
「……乗れ」
「え?」
「乗れっつってんだ! 嫌なら置いてくぞ小僧!」
その言葉を聞いた三郎は涙をこぼしながら笑顔で頷き、母親と抱擁してから第二新生丸に乗り込んだ。
「タエさんよぉ、俺はダメでもこいつは必ず生きて返すからな。安心して待っててくれ」
三郎の母は涙ながらに、秋津の言葉に黙って頷いた。
「大丈夫っすよ。何だかんだ船長、悪運強いし」
「バーカ。運任せでやってられっか。死ぬ気でやるんだ死ぬ気で」
秋津は三郎の頭を小突き、ロープを外した。
「
同じ漁船乗りの仲間が叫ぶと、秋津と三郎に対するエールが群衆から連呼された。
「死ぬ気で行くが、死ぬつもりはねぇよ! じゃあまたな」
エンジンを入れてスロットルを回す前に、秋津は和装の女性に目を遣った。居酒屋の女将は、目を潤ませながらじっと秋津のことを見つめていた。秋津が頷いて見せると、女将も同じようにした。
「じゃあ行くぞ小僧、もう後には引けねぇからな」
「はいっ」
秋津はスロットルを回し、第二新生丸は沼津港を出港していった。その遠ざかる船体を、港の人たちは見えなくなるまで見送り続けた。
『今、ゴジラに立ち向かおうと、多くの人々が力を合わせています。科学者、技術者、政治家、自衛官、米軍もまた、協力してくれます。かつて我が国は、アメリカと戦争を行いました。かつての敵が、今は友として手を携え、共にゴジラを駆逐しようとしているのです。彼らの中には、死を覚悟している者もいるでしょう。みなさん、どうか彼らを応援しましょう。我々が、
「うわぁ……やっぱ、戦艦ってでっかいですね」
アメリカ海軍アイオワ級戦艦一番艦「アイオワ」の甲板に降り立った水島は、感嘆の声を漏らした。艦橋、煙突、主砲、すべてがとにかく巨大だった。海に浮かぶ鉄の城とは、まさにこのような姿を言うのだろうと水島は思い知った。
「うむ……私も
隣に立つ堀田が、巨砲を見つめながら懐かしそうに語った。
「艦長は、あの陸奥の乗組だったんですか?」
「ああ、一時期だけな。あの誇らしい姿は、今でもはっきり覚えている。この主砲も、よく似ているよ」
日本で戦艦といえば、
「おお、あっちにもありますよ艦長。あれは……ニュージャージーですかね。それともウィスコンシンかな」
横須賀港には、アイオワ級戦艦がミズーリを除いてすべて集結していた。軍の最高司令官たる大統領の命令により、オペレーション・デストロイに参加するためであった。
「何にしてもでけぇ……でかすぎる。これだけの戦艦があれば、特殊弾頭の威力も相当発揮できますね」
「そうだな。実に心強いことだ」
二人は数名の幹部たちと共に、オペレーション・デストロイ米海軍艦隊旗艦アイオワに招待され、乗艦していた。堀田は日本側の海上部隊指揮官を拝命しており、作戦の打ち合わせを、アメリカが誇る超弩級戦艦の艦内で行う予定だった。
「アメリカ側は、ホノルルの恨みを晴らそうとしているのだろう。それにパールハーバーで撃沈された、ミズーリの弔いもな」
「ですね。でなきゃ、こんなに戦艦が集結することなんて、ないですよね」
戦艦の力強い姿に水島が圧倒されている時、艦内から一人の士官が出て来て、海上自衛隊一行に足を向けた。
「Captain Hotta? The captain is waiting.(堀田艦長ですね? 艦長がお待ちです)」
英語を多少理解できる堀田は頷き、「行こう」と水島たちに告げて士官の後に続いた。水島は英語を習得しており、本作戦では堀田の副官という立場となっていた。
『父の言葉を借りるなら、今は、耐え
敷島は自宅で、ラジオから流れる皇太子の言葉に耳を傾けていた。敷島は終戦時に離島の大戸島にいたため、天皇による終戦の放送を聞いたことはなかったが、この放送はそれに並ぶ重大放送なのだと実感した。これは国民に対する皇太子の決意表明であり、作戦実行に伴って疎開する神奈川県民へのお願いでもあった。
今の皇室は、政治的権限も軍事力行使の力もないが、国民に語りかけることができる。大日本帝国が滅びても皇室は残り、世界最古の王家たる風格は、いまなお多くの国民の崇敬を集めている。この放送が与える影響はこれから出てくるだろうが、作戦への協力を多くの人々が支持するだろうと、敷島は感じた。
「みんな一丸となって、頑張ってますね」
敷島と一緒に放送を聞いていた典子が呟いた。二人は肩を触れ合わせながら、居間で放送を聞いている。
「ああ、そうだな……」
「……浩さん」
典子はそっと、敷島の腕に抱きついた。
「私もきっと、役に立ちます。その時は……私の、側にいて」
敷島は、典子の髪に顔を埋めた。
「絶対そうする、絶対にだ」
放送は、終わっていた。
原稿をすべて噛まずに読み上げた皇太子は、スイッチの切られたマイクの前で深く息をついた。疲れた。でも、無事にやり遂げた。その安心感が心を包んでいた。
記者の中には、涙を流しながら皇太子の姿を見ている者もいた。皇室の力が削がれ、〝象徴〟という曖昧な立場に置かれても、皇太子の
皇太子は報道陣に一礼をしてから、侍従に促されて部屋を出た。
「……歩いて帰ります」
宮内庁の正面玄関では、すでに車が用意されていたが、皇太子は歩いて御所に帰ることを望み、侍従たちはそれに従った。疲れてはいたが、今は自然の中に居たかった。建物の中は息が詰まる。7年前、ゴジラが東京を襲った際に防空壕へ逃げ、暗い地下空間に閉じ込められてから、閉所恐怖症に似た症状が皇太子には出ていた。その防空壕では酸素不足で女官が一人亡くなり、その臨終を両陛下と皇太子が看取った。あの日のことは夢にも見てしまう。
だから、皇太子は庭づくりに熱心だった。もうあんな部屋に閉じ込められたくない。両親が住んでいるような、自然にあふれた場所で過ごしたい。その一念で、皇太子は皇居の環境整備に精を出していた。
途中、桜の並木道を歩いた。そこも植樹した若い木が目立ち、どんなに育っているものでも、皇太子の背丈とさほど変わらなかった。
「……いつかここで、みんなと花見がしたいな」
皇太子はそう呟いて、住まいである御所に向かって歩いて行った。
立川に在る株式会社KK航空は、大忙しだった。
神奈川県民の疎開に、会社が保有する旅客機が使用されることになり、ダグラスDC―3「ふじ号」は毎日滑走路を飛んでは戻ってくるのを繰り返していた。「ふじ号」の乗客定員は30名で、主に山梨、群馬、栃木が目的地だった。特に神奈川県と県境を面する山梨への疎開が一番人気となっていたが、政府が用意した疎開先住居の倍率が高いため、主に飛ぶのは群馬と栃木の飛行場だった。
機体が離陸する前と、帰着した後、
「いいかっ! ネジ一本でも見落としたら人が死ぬと思え!」
それは橘が海軍時代から受け継いだ、整備の心構えだった。飛行機というのは鉄の塊だ。しかも機器が複雑に配置されており、ひとつのミスが大きな事故につながりかねない。生き残るために疎開する人々を、航空機事故で死なせては絶対にならない。橘は使命感に燃えながら、仕事に熱中していた。
夕方、今日最後の便が離陸したのを見届けた後、橘は格納庫の隅にある粗末な休憩所で煙草を吸った。ニコチンが体に染みわたり、ストレスが少し軽くなった。
ふと、先日のことを思い出した。敷島から電話が来たのだ。あの会社が秘蔵している、零式練習用戦闘機について、訊ねてきた。爆弾の搭載は可能なのかと。
「ああ、装置は使えるが……何でだ」
敷島はすぐに返答せず、「いえ、ちょっと気になっただけです」とのみ答えた。
何かを隠している。橘はそう直感したが、深掘りはしなかった。
とにかく今は、自分の出来ることをする。橘はそれに徹していた。
それがあの大戸島を生き延び、戦後日本を生きる自分の役目なのだと思って。