ゴジラ+2.0   作:沼の人

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1954年10月(6)

 後ろに典子を乗せながら、敷島はバイクを走らせていた。

 道を行き交うのは一様に避難する人々の群れだった。誰もが持てるだけの荷物を持ち、必死に遠くへ逃れようとしている。最寄り駅前は入りきれないほどの人で埋まり、無法地帯の様相を呈していた。バスも満員どころか、上によじ登って無理やり乗り込もうとする者さえいた。まさに混乱の極みだった。

 はたして今から立川に向かって、どれだけのことが出来るだろうか。この混乱する人たちを。どれだけ救えるのだろうか。敷島にも典子にも分からなかった。だがいまさらUターンして、明子と逃げたとしても、ゴジラは来るのだ、ここ東京に。

 今のゴジラは、7年前よりも巨大であり強力だ。またあの熱線を吐けば、もう東京は人の住めない土地になってしまうかもしれない。それだけではない、多くの命が犠牲になる。

 もう、たくさんだ。人が死ぬのは。

 敷島はアクセルを回し、さらにスピードを上げた。典子はしっかりと夫にしがみつき、逃げ惑う人々を見ながら、愛する娘のことを想った。機転が利く澄子が一緒にいてくれているのが、せめてもの救いだった。

 

「……そうか、東京に来るのか」

 侍従長から報告を受けた皇太子は、それからしばらく黙った。公務室には宮内庁長官と皇宮警察本部長も同席していた。全員、沈鬱な表情をしていた。

「殿下、どうか避難を。非常に危険です」

 侍従長は進言した。皇室の保全を司る者として、当然の言葉だった。だが皇太子は、うんとは言わなかった。

「長官、お召列車をすぐ都民の避難に使うよう、国鉄に連絡してください」

「えっ。いや、しかしながら」

「いいからすぐにしてください! これは摂政としての要請です、すぐに取り掛かるように」

 一喝された宮内庁長官は恐縮して頭を下げ、公務室を辞した。

「本部長、宮内庁職員とその家族の避難誘導をお願いします」

「心得ました……」

 皇宮警察本部長もまた、長官のように公務室を辞した。

 部屋には皇太子と侍従長だけが残った。

「あなたも避難の用意を」

 侍従長は、首を横に振った。

「どこまでも、お供(つかまつ)ります」

 皇太子は、それ以上のことは言わなかった。

 

「あっ、太田さーん! あなたもここに避難するー?」

 女の子を連れて駆けてきた澄子を、缶詰会社の社長夫人が見かけて声をかけた。夫人は近隣の人に、会社が所有する地下倉庫を避難所として開放し呼びかけをしていたところだった。

「いやぁもうね、電車もバスもダメだわ。あんなの乗れたもんじゃない」

 息を切らしながら澄子は言った。一応駅まで行ってみたものの、予想どおりの大混雑ぶりを見て引き返してきたのだ。

「だろうねぇ、みんな我先にとさ。さぁさ、入って入って。ここは東京の空襲だって耐えた丈夫なところだからね」

 夫人に礼を言って、澄子と明子は階段を下り、広大な地下倉庫に入った。そこにはすでに何十人もの人が避難していた。倉庫内は照明が灯され明るかったが、地下とあって少し温度が低かった。

「あそこで休もっか、明ちゃん」

 二人は空いていた隅のスペースに座り込んだ。二人とも息が切れていた。

「あら澄子さん、親戚の子?」

 同じ職場の奥さんが声をかけ、澄子は違う違うと手を振った。

「お隣さんの子よ。預かってきたのさ」

「預かったって、ご両親は?」

 それには答えたくなかった。ゴジラに立ち向かいに行ってます、などと。適当にはぐらかして、澄子はやっと落ち着く場所が得られたことに心底安堵した。

「……おばちゃん」

「ん? どした?」

「……お父さんとお母さん、帰って来なかったら、どうしよう」

 その目には、涙が溜まり始めていた。澄子はすぐ明子を抱きしめて、優しく語りかけた。

「大丈夫だよぅ、絶対に帰って来るから。明ちゃん覚えてる? 7年前、お父ちゃんが明ちゃんをおばちゃんに預けたこと」

「うん、覚えてる……」

「そのあと、どうなった?」

「……帰って来た。お母さんも」

「でしょ? 今度だってそうだよぅ。心配しなくても大丈夫、帰って来るよあの二人は」

 明子は澄子の胸に顔を(うず)めて、二人はしばらく抱き合ったまま何も言わなかった。

 

「機雷は反応しなかった? どういうことですか」

 浦賀水道に配備していた部隊からの報告を聞いた小澤大臣は、海自幹部に聞き返した。

「ゴジラはまだ、浦賀水道を通っていないということですか?」

「いえ……機雷に接近したのは確かですが、そのあとゴジラは潜航し、機雷が海上に浮かび、そのまま湾内へ向かったとのことです……」

「バカな……鎖を断ち切ったというのですか? 潜水士のように潜りながら? まさかそんな」

「あのゴジラなら有り得るわ」

 艦橋ウィングに立つジェニスが言った。

「いいですか大臣、もはやあのゴジラは、7年前のとは違うんです。図体が大きくなっただけではなく、知能も身につけています。とても悪知恵を働かせるように進化したんです。でなければ、自分の分身まで作って私たちを足止めしません」

「そんな……このままだと、いつ東京に上陸しますか」

 野田がすぐに海図を見ながら、ゴジラの予想現在地点と照らし合わせて頭の中で計算した。

「およそ3、40分以内には、都内に上陸するものと思います」

「それでどれだけ、沿岸部に住む都民が避難できるか……」

 すでにゴジラ現出に伴う避難勧告は政府から発令されており、避難は進んでいるはずだ。だがそれでも、逃げきれなかった人も出てくるだろう。極力民間人の犠牲は抑えなければならない。だがゴジラを倒すなら、陸上でなければならない。せめてその上陸地の人々が、一人でも多く避難していることを願うしかなかった。

「念のため、国鉄や私鉄にガス気球を積んだ貨車の提供を要請しています。ただ、貨物列車も避難用に使われているとのことなので、上陸までに間に合うかどうか……」

 陸自幹部は自信なさげにそう呟いた。

「……とにかく、我々もゴジラを追うしかありません。たとえ民間に犠牲が出ても……その時は、止むを得ません。私が全責任を取ります。皆さん、よろしくお願いします」

 小澤大臣が頭を下げると、自衛官たちは敬礼して答えた。

 ジェニス、野田、秋津はその光景をただ見つめていた。

 護衛艦「はるかぜ」は、三浦半島の先端である城ヶ島を通り過ぎた。

 ゴジラはすでに、東京湾内にいる。

 

 警報が聞こえる。空襲警報かしら。

 戦争? まさか。こんな国とまた戦争なんてして、何の意味があるの。

 違う。医者と看護婦が言ってる、ゴジラが来るって。私から光を奪ったあの怪物か。まだ生きてたとは知らなかった。死んだと聞いてたのに。

恵美子(えみこ)さん、お部屋に戻りますね」

 看護婦が車椅子を押した。日光浴はもう終わりみたい。まぁ何も感じないけど。

 廊下はうるさい。医者たちがゴジラのことばかり話してる。ゴジラゴジラゴジラ、はぁうるさい。みんな私みたいになってしまえばいいのに。

 看護婦に介助されて、ベッドに横になれた。ここが一番好き。体が楽だから。

「ゴジラが来るの?」

 私は看護婦に訊ねた。看護婦がどんな顔をしているかは想像するしかない。でもそこにいる気配は感じ取れる。服のにおい、髪のにおい、口臭、音、それでそこにいるのは分かってる。盲目でも周囲に何かがあるのかぐらいは、察知できる。

「大丈夫ですよ、ここは安全ですから」

 私は何も言わなかった。ふーん、そうなんだ。それにしては声が若干震えていたけど。

 いっそこの病院ごと踏み潰してくれないだろうか。そうすれば、みんなに会えるのに。お父さんやお母さんにも。お父さんが生きてたら、きっとゴジラに興味を持っていただろうな。あの人は古代生物が大好きだったから。お母さんは……私が生まれてすぐに死んだ。私のせいで死んだんだろうな。私が生まれたせいで。だから早く謝りたい。

 看護婦は何も言わず、ドアを閉めて出て行った。あの女からはたまに精液のにおいがする。医者とどこかでしてる気がする。あんなのに介護されてるのは、屈辱的だ。私はもう誰とも結ばれない体なのだから。

 私が生きてる意味なんてない。せいぜい医者や学者たちが研究材料にしてるぐらいだろう。痣がどうのこうのとか。いいから早く安楽死させてちょうだいよ。私は、アンタたちのモルモットじゃないんだから。これでも人間なんだから。一応。

 

 二年前に米軍から土地を返還され、空を通して世界と日本を結ぶ東京国際空港では、政府が発令した避難勧告を受けて大勢の客が搭乗を待っていた。だがすでに客席はすべて埋まっており、搭乗券を持つ客から券を奪おうとする者までいて、ロビーは騒然としていた。警備員や常駐の警察官だけでは収拾がつかず、空港長はロビーにたむろする人々に拡声器で「本日の便はすでに満席です、すぐに自力で避難をお願いします」と必死に呼びかけた。しかし群衆は聞く耳を持たず、ゲートを無理やり突破しようともした。挙句には警察官が天井に向かって一発の威嚇射撃を行い、一度は喧騒が静まったものの、官憲は俺たちを脅すのか、そんなことしてないでゴジラと戦えと再び攻勢を強めた。

 この時の東京国際空港は、在日米軍の輸送部隊が滑走路を共用しており、そこにも多くの日本人が駆けつけた。だがゲートは固く閉じられ、誰も中には入れなかった。

 さらに言えば、空港は新たなターミナルビルの建設真っ只中であり、そこに無理やり侵入して飛行機に無断搭乗しようとする輩もいた。まさに混乱と混沌を極めていた。

 彼らはまだ知らない。海に囲まれた滑走路付近の洋上に、黒く巨大な背鰭が迫っていたことを。

 

「おい、嫁さんまで来るなんて聞いてなかったぞ」

 立川のKK航空で待っていた橘は、バイクで到着した敷島に言った。

「すいません、急いでたもので伝えそびれてました」

「……まぁいいが。で、どうするんだ。アイツに乗って、ゴジラを誘導するのか」

 アイツ…零式練習用戦闘機をすぐに出せるようにしてほしいと、敷島は家を出る前に電話で橘に伝えていた。橘はちょうど避難する人々を乗せて離陸した「ふじ号」を見送った直後で、電話でその用件を聞いた時には面食らった。理由を問い質しても「とにかく必要なんです」の一点張りで(らち)が明かず、しまいには「これからそっちに向かいますから、お願いします」と勝手に通話を切られた始末だった。納得はいかなかったが、とりあえず橘は零式練習用戦闘機に燃料を入れておいた。

「そうです。妻と一緒に乗って、奴を誘導します」

「はぁっ⁉ お、お前いま何て言った⁉ なんで嫁さんまで乗っける必要があるんだ、バカか!」

「……信じてもらえないでしょうけど、妻にはゴジラと交信する能力があります。その力を使えば、まだ逃げ遅れている人たちを助けることが出来ます」

 こいつは何を言ってるんだと言わんばかりの顔をしながら敷島を睨んだ後、橘は夫の側にたたずむ典子に目を遣った。その目は真剣そのもの、覚悟の据わった目……7年前、覚悟を決めて「震電(しんでん)」に乗った敷島のと、よく似ていた。

「お願いしますっ、橘さん!」

「私からも、お願いします!」

 敷島夫妻は、橘に頭を下げた。

 橘は、腰に両手を置きながら溜息をついた。

「……わかった。だが必ず無事に戻って来い。あのゼロは会社の持ち物なんだからな」

「ありがとうございます!」

「ただ……奥さん、その服じゃ戦闘機には乗れないな」

 橘は典子の服装を見咎めた。白いブラウスに水色のスカート、足には白靴下にローファーという姿。高速で空を飛ぶ戦闘機に乗るには、あまりにも適さない恰好だった。

「おい、月山(つきやま)!」

 整備士たちと共に三人の姿を見守っていた月山が、呼びかけられてすぐに駆け寄った。

「パイロット用の服、在庫あったよな?」

「はい、あります。お二人分すぐに用意します!」

 橘の意を汲んだ月山は、すぐに建物の中に消えた。

「まずは着替えろ。その間に準備しとく。おい、ゼロを出すぞ!」

 整備士たちに告げ、橘もゼロが格納されている倉庫に向かおうとした。その橘の腕を敷島が掴んだ。

「橘さん、あとひとつお願いが」

「なんだまだあんのか? 図々しい奴だなお前は」

「ゴジラ対策委員会の野田さんという人に連絡を取ってくれませんか。敷島だと言えば、すぐに分かるはずですから」

「……ああ、わかったよ! ったく、お前はちっとも変わらねぇな。7年前も俺を呼び出すために、大戸島玉砕は俺のせいだって言いふらしたもんな」

 それはゴジラを倒すため、どうしても必要で卑劣な手段だった。幻の戦闘機である「震電」を蘇らせるためには、どうしても橘の力が必要だった。作戦後、敷島は手紙を送った橘の元同僚たちに釈明の文書をしたため、橘は名誉を回復した。

「その節は、すいませんでした……」

「いいから行けよ。ゴジラは待ってくれねぇ。それは俺もお前も、よく知ってることだ」

 橘は作業帽をかぶり直し、ゼロが眠る倉庫へと左足を引きずりながら向かった。

 敷島は(きびす)を返し、典子と一緒に会社建物へ足を向けた。

 

「こちら日本航空千歳(ちとせ)号、離陸許可を求めます」

 機長が無線で呼びかけると、管制塔から「離陸を許可します」と返答が来た。

「了解。千歳号、離陸します」

 アメリカ製のDC―4旅客機は、東京国際空港の滑走路を走行し、機長がレバーを引いて離陸しようとした。事前に席を買っていた客と、避難勧告を受けて急遽搭乗した客を定員いっぱいまで乗せて。

 機首が上がり、機体が陸から離れた直後だった。滑走路付近の海上から、黒く大きな塊が突如出現し、千歳号の進路を妨害した。それだけに留まらず、その塊に生えていた腕が容赦なく機首を破壊し、機首をなくした機体は海に墜落した。乗客たちは、いったい何が起きたのか分からないまま、全員が助かることなく絶命した。

 次の離陸準備を整えていた旅客機の機長と乗客は、機内からその惨劇を目撃し狼狽した。早く飛ばせと叫ぶ者もいれば、降ろせという客もいる。その間にも、ゴジラは滑走路に上陸を果たし、コンクリートに巨大な足跡を残しながら、ゆっくりと歩みを進めた。機長は離陸を断念し、乗客に速やかな機内からの退避を命じた。

 管制塔の者たちも、千歳号の悲劇の目撃者だった。彼らは職務を放棄し、急いで避難を始めた。

 外の轟音で騒ぐのをやめたロビーの群衆は、外の様子を見て悲鳴をあげた。生きる災害が、ゆっくりと近づいて来ている。群衆は一目散に出口へと走り出した。

 

「ゴジラ、東京国際空港に上陸!」

 護衛艦「はるかぜ」の通信係は、地上部隊からの報告を告げた。

「となれば、進む先は蒲田……避難状況はどうなってますか」

 小澤大臣の問いに「情報が錯綜していて、現状不明です」と陸自幹部は力なく答えた。

「とにかく沿岸地域一帯の避難は確実に進めさせてください。自衛隊の砲弾で国民を殺すようなことは、絶対になりません」

 小澤大臣はそう厳命した。護衛艦「はるかぜ」は浦賀水道を通り、横浜の沖合にいた。

 

「総理、ゴジラが上陸しました。東京国際空港から蒲田方面へ進行中です」

 防衛庁長官から報告を受けた菅原総理は、一言(ひとこと)「そうか」と返し、主要閣僚が列席する対策本部の面々を見据えた。そこに副総理の姿はなかった。道が混雑して遅れると最初は言っていたが、やがて他県に逃れたという情報がもたらされ、菅原は即刻副総理を罷免した。

「総理、速やかに政府機能を赤羽の即応施設に移すべきと思います」

 柳原(やなぎはら)建設大臣がそう進言した。彼はゴジラ対策委員会の副委員長であり、本日をもって副総理の兼職を菅原から言い渡されていた。赤羽には、万が一官邸などの政府施設が壊滅的被害を受けた際、その代替えとなる施設がすでに用意されていた。

「わかった。……私以外の者は全員、官邸を脱出せよ」

 その発言に全員が沈黙した。

「総理、それはなりません。あなたは日本国の為政者です、いていただかないと困ります」

「柳原君、だからこそだよ。私はこの国の首相だからこそ、ここを離れない。全権を君に委譲する。先ほどの前線本部からの報告どおり、沿岸地域の避難を速やかに完了させたまえ。それが私の最後の指示だ」

「総理……」

「元副総理の爺さんは逃げたが、私は逃げない。小澤大臣だって命を張ってるんだ、私もこの命を日本に捧げる。これは命令だ、諸君」

 抗う者は、誰もいなかった。万一の時は、官邸と運命を共にする。そう宣言した総理は席を立ち、柳原大臣の肩をポンと叩き「全ての責任は私が負う」と告げた後、対策本部室を出て、総理執務室へと向かった。

 

「昔みたいだな、敷島少尉殿」

 こげ茶色のKK航空パイロット用の服を着た敷島を見て、橘は笑みを浮かべた。その姿はかつて、特攻から逃げ、大戸島の飛行場に降り立った終戦間近の頃の敷島にそっくりだった。

「俺も着てて、昔を思い出しました……」

「おう、奥さんも来たぞ」

 橘が顎を動かし、敷島は後ろを見遣った。同じ服を着て、黒い半長靴を響かせながら典子が駆け寄って来た。

「思ったより似合うな奥さん」

「ど、どうも……浩さん、一緒ね」

 典子は夫と目を合わせながらはにかんだ。敷島も、何だか照れくさそうに笑った。

「さぁ、惚気(のろけ)はそこまでだ。ご注文のゼロ、用意したぞ」

 見つめ合う敷島夫妻をよそに、橘は滑走路に出した零式練習用戦闘機を指した。二人は、身を引き締めた。

「あと、こいつを背負っていけ。少し座りにくくなるが、生憎あのゼロには震電みたいな脱出装置はない。持っていけ」

 橘はそう言って、二人に紐の付いた背嚢(はいのう)を手渡した。

「その紐を引くだけでいい。わかるな?」

「……はい。ありがとうございます、橘さん」

「機内の無線は、その野田っていう奴の所につながるよう合わせてある。さっき電話して確認したが、お前の名前はずいぶん有名だな、すぐに教えてくれたよ」

 橘は苦笑して、二人に道を開けた。敷島夫妻は橘にお辞儀をして、ゼロに向かった。乗り込むその背中に向かって、橘は言った。

「いいか、絶対に死ぬな! 俺は自分が整備した機体で人が死ぬのはもう御免なんだ。間違っても特攻なんかするなよ」

 それは橘の本心からの言葉だった。戦時中だってそう思っていたはずだ。死にに行く兵士のために戦闘機を直す、それがどんな気分か……だからこそ、あの終戦間近だった大戸島に敷島が来ても、特攻忌避した彼を責めることなく受け入れたのだ。そして今は戦争もなくなり、民間機の整備に精を出している。それもまた断じて、航空整備の不備によって不慮の事故を起こさせないためだ。飛行機は空を飛ぶ鉄の塊、だからこそ整備も念入りにしなければ、人が死ぬ可能性は高くなる。そのことを充分理解している橘だからこそ、敷島は安心して命を預けられた。

「死にませんよ、俺は」

 敷島はそう言ってゼロに乗り込んだ。KK航空が保有する零式練習用戦闘機は、座席部分のみ風防がなく、前面と後方のみ設置されている。元々この機体をKK航空の社長が見つけた時点でそのような状態だったのだ。だがそれでも充分、飛べる。しかも整備修復をしたのは、橘だ。

「行くよ、典子。くれぐれもレバーとかには触らないで、ただ座ってるだけでいいから」

 後部席に座る妻に敷島は言った。〝練習用〟とあるように、この機体は航空兵の訓練のために造られたものだ。だから後部席には教官用の操縦桿なども配置されている。典子は夫の言うことに従った。

 エンジンをかけ、機体がブルンと唸った。そしてプロペラが回りだす。懐かしさが、心地よく感じられた。敷島は、呼吸を整えた。ゴーグルを装着し、準備は整った。

 ゼロの周りには、橘や月山などのKK航空の人たちが整列し、敬礼した。もう戦争は終わっているのに……いや、違う。今はゴジラとの戦争の只中だ。敷島も敬礼で返答した。典子は小さく頷いて見せた。

 敷島夫妻を乗せたゼロは、滑走路を走り、見事に離陸した。

「生きて帰れよ、敷島……」

 飛び去って行くゼロを見つめながら、橘はそう呟いた。

 

【挿絵表示】

 

「職員とその家族の避難、完了とのことです」

 侍従長が報告すると、皇太子は黙って頷いた。二人は庭園にいた。

 ゴジラは現在、蒲田から北上しているという。昔と同じように、この国の中心部を破壊しに来ている。

「残っているのは、あなたと私だけですか」

「あと、数名の皇宮護衛官が門を守っております。彼らの忠義を、どうかお汲み取りください」

「……わかりました」

 人気(ひとけ)がずいぶん少なくなった王城の一角で、皇太子は様々な思いを巡らした。両親のこと、兄弟のこと、国民のこと……あの作戦には、小澤大臣も陣頭に立っている。それに、あの〝ジミー〟の愛称で呼んでくれたアメリカ人女性も。

 今日が命日とならないことを、祈るばかりだった。

 

 ゴジラは再び、東京に住む人々の営みを容赦なく破壊し始めた。

 東京国際空港を機能不全に陥れた後、蒲田の街を蹴散らし、本能のおもむくままに北上した。ニンゲンにとって幸いだったのは、上陸する前より避難勧告が出されていて、土地に残っていた者は少なかったことだ。それでも犠牲者が出ていないわけではなかった。ゴジラの一歩は、ニンゲンが大急ぎで走るのより早い。無我夢中で疾走しても、気づくとあたりが暗くなり、ふと見上げると巨大な足裏が迫り……死ぬ。

 蒲田にある電器店では、この混乱を逆手に取って強盗をはたらく不届き者がいた。最新のラジオを風呂敷に包んで背中に背負い、さらに店でいちばん高価な代物である白黒テレビも盗もうとした。だがあまりにも重くて、持ち上げるのは容易ではなかった。その間にも、地面が何度も揺れた。あの怪物が近づいている。とにかくこれを相棒であるオート三輪の荷台に載せなくては。彼は火事場の馬鹿力を発揮して、やっとそれを持ち上げた。そして腰をふんばりながら、やっと荷台に載せることができた。彼の幸せはそこまでだった。もう10メートル以内に、ゴジラは迫っていた。急いで車に乗り込んでエンジンをかけようとするが、エンストという最悪の不幸が彼に訪れた。バックミラーに映った巨大な足が見えたのが、彼の最後の記憶だった。オート三輪は、(やわ)なブリキ玩具のように、呆気(あっけ)なく踏み潰された。

 

「ゴジラは蒲田から大森方面へ移動、北上を続けています」

 地上部隊からの報告を受けた小澤大臣は、堀田たちと地図を見ながら思案した。このままゴジラが沿岸地域を進んでくれるなら、砲撃の機会はまだある。沿岸地域にはそれほど高層の建物もない。

「大臣、気球を積んだ貨物列車の手配が出来ました。国鉄が東海道線を使って移動できることとのことです」

 陸自幹部が勇んで報告した。大臣は頷き、地図と向き合った。

「……品川、品川駅で迎え撃ちましょう。ここなら砲撃も可能ですよね?」

 小澤大臣は堀田に意見を聞き、彼は頷いた。沿岸には埋立地も多いが、近海に留まれば砲撃は可能だった。「はるかぜ」の主砲の射程距離は15キロ以上、充分に狙える。それにこちらには、アメリカの超弩級戦艦が二隻もいる。あとは攻撃目標を品川駅に向かわせる手段だった。

「大臣、ヘリコプターで誘導するのはどうでしょう。奴は動くモノに反応します。艦隊に随行しているミッドウェイには艦載ヘリがあります。戦闘機より誘導はしやすいと思います」

 ジェニスがそう提言した。横須賀を過ぎてから、日米艦隊には空母ミッドウェイが合流していたのだ。

「わかりました、ではそれでいきましょう」

 小澤大臣は了承し、新たな作戦発動に向けて人々は動き出した。

 その時、通信係が野田を呼んだ。

「野田博士、敷島さんという方から入電です」

「はいっ? し、敷さん?」

 野田はキョトンとしながら、無線受話器を手に取った。向こうからは聞き馴染みのある声が聞こえた。そして、何か風を切るような音も聞こえた。

「野田さん、俺です。敷島です」

「敷さん、どうしてここの無線を……」

「橘さんが教えてくれました。俺は今、典子と一緒にゼロ戦に乗ってます」

「はぁっ? ゼロ戦に乗ってる? の、典子さんも⁉」

 野田は愕然としながら返した。様子を見ていた秋津、水島、ジェニスも驚きを隠せない顔をした。

「通信をスピーカーに」

 小澤大臣が言って、通信係が無線通話をスピーカーに変更した。

「な、何をしてるんですか! あなただけじゃなくて典子さんまで」

「聞いてください。俺が奴の注意を引きます。典子の力もあります、必ず作戦に役立ってみせます」

「い、いやでもぉ……それは無茶だ敷さん、危険すぎる」

「艦隊に空母はありますか?」

「あるわ。300メートル近いでっかいのが」

 ジェニスが野田を押しのけて会話に入った。

「わかりました。一度そこに着艦して、爆弾と気球を積ませてください」

「気球? どうするの」

「俺なりの作戦があります。ゼロのケツに取り付けて、奴に喰らわしてやります。できれば浮力のない状態にしてください、その方が引っ張りやすい」

「なるほどね……分かったわシキシマ、何とかする。こちらは今、川崎の沖合を航行中よ」

「了解です。ではすぐに向かいます」

「おい敷島ぁ! 典ちゃんまで連れ出しやがって、傷つけたらタダじゃおかねぇぞ!」

 秋津も通信に割り込んできた。まるで典子の父親のような言い方だった。それも無理もない、二人の結婚を祝い、仲人まで引き受けた秋津にとって、典子は身内も同然の女性だった。

「わかってます。安心してください、俺たちは死にませんから」

「敷島、こっちはいま品川駅で奴を迎え撃とうとしてる。お前の出撃は、その後になると思う」

 水島が言った。

「そうですね……敷さん、あなたの出撃はあくまで予備作戦ということにします。それでいいですね?」

 野田が無線を通して語りかけると、敷島は一幅おいてから「わかりました」と告げた。

「敷さん、お願いですから無茶だけはしないでください。こっちの心臓が持ちませんよ」

「わかってます。では、後ほど」

 そして無線は一方的に途切れた。操舵室内には、何とも言えない複雑な空気が流れた。

「……とにかく、品川で迎え撃つ作戦を進行させます。各自よろしくお願いします」

 小澤大臣が沈黙を破り、それぞれの部署の者たちは頷いた。

「ちょっと失礼」

 ジェニスは通信係を押しのけて通信機器をいじり、母国語で空母ミッドウェイと交信した。

「こちらに〝ハスキー〟を一機お願い、そちらでやることがあるの。艦尾につけてちょうだい」

 そう言って通信を終え、ジェニスは一同に告げた。

「私はこれからミッドウェイに移って、シキシマがリクエストした品物を準備するわ。ノリコとも話したいし。それじゃ、ここはよろしく」

 操舵室を去ろうとするジェニスを、野田は「ジェニーさん」と引き留めた。

「あの、敷さんに伝えてください。今の奴は、昔とは違う。くれぐれも用心してくださいと」

「OK、ちゃんと伝えておくわ。じゃあね」

 ジェニスはニッと笑って、階段を下りて艦尾へと向かった。

「まったく、海神作戦の時と同じだな。あいつは無茶苦茶な野郎だ」

 秋津がぼやくのを、野田は黙って聞いた。品川での作戦が、上手く運ぶことを彼は願った。

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