「我々も、避難すべきではないでしょうか……官房長」
「それビショップを取ったぞ。さぁどうするランドール」
駐日アメリカ大使館の大使公務室で、ゲイリー・クロフォードとランドール大使はチェスをしていた。ゲイリーが白、ランドールが黒だった。形勢はゲイリーに有利だった。
「こんなことをしてる場合では……今なら間に合います、米軍の輸送機がヨコタで待ってます」
「そんなに怖いなら君だけ逃げればいいじゃないかランドール。私は引き留めない、どうぞ行きたまえ」
ゲイリーはドアの方に手を向けた。さぁどうぞと言わんばかりに。
ランドールは、恐縮した面持ちのまま椅子に座り続けていた。
「大統領特使を置き去りにして逃亡など、出来ません……」
「だろうな。そんなことをしたら君のキャリアはまさに水の泡、国務省の暗く狭い窓際で一生を終えるだろう。それでもいいなら逃げろと言ってるんだ、私は」
「……申し訳ございません、忘れてください」
「結構。我が合衆国は何者にも屈しない。たとえ相手が未知の怪物であろうと、異星から来た侵略者だろうと。ほら、君の番だぞ」
「私は、この国を信じてる。妹も信じてる、必ず成し遂げるさ。君は何を信じてるランドール?」
「……か、神でしょうか」
「ハハハ、君が
「……どうか、例の件はお目こぼしを」
「裏金のことか? こんな時に自分の保身とは恐れ入ったよ。今後私に協力するなら黙っていよう。私が将来大統領選に出た時、社長令嬢の君のワイフにも大いに手伝ってもらいたい。念願叶った暁には、君には好きなポストを用意しよう。ただしスキャンダルを起こしたら即刻クビだ。どうだい」
次の日本大使が約束されている男に、ランドールは返す言葉がなく、黙って駒をひとつ動かした。すかさず対戦相手はその駒をクイーンで蹴散らし、ほくそ笑んだ。
「チェックメイト」
品川駅周辺は、すでに近隣住民の避難が完了していた。辻堂同様に無住の地となり、どれだけ砲撃に晒されようと構うことのない土地となっていた。
国鉄EF15型電気機関車は、ガス気球10個を載せた貨車を牽引し、品川駅の貨物ターミナル線に停車した。国鉄職員の運転士と機関士はすぐに降車し、陸自が用意した車両に乗り込んで避難した。それと入れ替わる形で、ガスマスクを装着した陸自隊員たちがレバー操作台に立ち、無線で配置に着いたことを報告した。ターミナルの敷地内には、M4戦車も5台が配備された。架線の電源は落とされ、気球が放出して電線に当たっても、電流によって破裂しないようにされた。
準備は出来た。あとは、ゴジラを待つだけだった。
間もなくアメリカ海軍空母ミッドウェイには、珍客が来る。それを一目見ようと多くの海兵たちが甲板に集結していた。
やがてその姿が見えると、オーやフーといったアメリカ人特有の驚嘆の声をあげ、海兵たちはその旧式の戦闘機を出迎えた。深緑色の機体に、翼には赤い日の丸。
「アレが、ゼロ……」
まだ十九歳の若い整備兵は、初めて見た日本帝国海軍の忘れ形見に魅了された。とても美しいスタイルの飛行機だと思った。
全長281.6メートルの飛行甲板に、ゼロは艦尾側から着艦した。航行する航空母艦への着艦はかなり久々だったが、腕は衰えていなかったことに敷島は安堵した。
零式練習用戦闘機の周りに、整備兵たちが駆け寄って来た。翼に登って風防をコンコンと叩いたのは、長身のアメリカ人女性だった。
「ハーイ、さすがゼロファイターねシキシマ」
「ジェニーさん!」
「説明は後よ。とにかく二人ともいったん降りて」
敷島は頷いて、典子もベルトを外して機体から降りた。
「どうノリコ、頭痛は起きてる?」
「いえ、今のところは……」
「そう……ひとつ可能性を考えたの。ゴジラがあなたの脳に語りかけることが出来るなら、あなたからも出来るんじゃないかって」
「私から、ですか?」
整備兵たちがゼロを移動させるからどくように言って来たので、三人は艦橋の方へ向かった。
「あくまで可能性よ。ゴジラのことを強く思い浮かべて、念じてみて。きっとゴジラだってそうしてあなたと交信してると思うの。試しに、やってみて」
ジェニスそう言われた典子は、目をつぶって思い浮かべた。あの怪物の姿を。あの岩肌のような表皮を持ち、尖った背鰭を持ち、熱線さえ吐くあの怪物の姿を。今まで見てきた、いや見せられてきたおぞましい光景も浮かんできた。大戸島、ホノルル、名古屋、日章丸……よくもあんなものを見せてくれたわね。呪詛にも近い念を抱きながら、ひたすら瞑想した。
やがて、脳内で何かが強く反応したのを感じた。それは痛みとも違う、疼きのような感覚。やがて視界に、何かが見えてきた。それは、眼下に広がる東京の街並み。家屋もビルも次々と蹴散らし、進んでいく。目の前を何かが飛んでいる。上部に回転する翼がある乗り物。それを追っているのね。そう思った直後だった。
〈そうだ〉
典子はハッとして目を開けた。無意識に息が上がっていた。
「出来たのね」
ジェニスの問いに、呼吸を整えた典子は無言で頷いた。
「ちょっと見せて」
ジェニスは典子の首にある痣を確認した。形状には変化は認められなかった。
「……おそらく、あなたがゴジラを操ろうとすれば、痣には変化が起きると思う。日章丸の時のようにね。だから、気をつけるのよ典子。奴に集中しつつも、奴に心を冒されてはダメ。それは奴の思う壺よ」
「わかりました」
「ジェニーさん、辻堂の作戦でもゴジラを倒したんですよね?」
敷島が訊ねると、ジェニスは「ええ」と頷きつつ、その顔には暗いものがあった。
「アレは、偽物よ。一度も熱線を吐かなかったし、吐く素振りも見せなかった。ただのゴジラの複製品、ミスター・ノダがそう見抜いたの。あのサメやクジラと同じよ。それに相模湾には、背鰭の生えた巨大な亀やイカも現れた。艦隊を足止めさせるためよ。そのせいで戦艦ウィスコンシンの艦首が折れそうになって、戦線離脱したの。「はるかぜ」も危うく沈みかけたわ。まったく、どこまでも厄介な敵ねゴジラは」
自分たちが知らなかった辻堂での戦闘を聞かされた敷島と典子は、信じられないといった様子だった。だがジェニスが嘘をつかない人であることは、二人ともよく知っていた。
「……まさか、いま上陸してるアイツも偽物の可能性があるんですか?」
「それはないと思うわ。奴はホノルルの時と同じ身長、70メートルだもの。地上部隊が確認してる。でも……決め手はやっぱり熱線ね。それを吐く動作をしたら、正真正銘のゴジラという証拠になるわ。まぁもちろん、吐かないことに越したことはないけどね」
三人がそう話している間にも、ミッドウェイに着艦したゼロは艦尾側へ移動させられ、燃料の補給と爆弾搭載作業に入っていた。
「いいことシキシマ、あなたが飛ぶのは品川での作戦次第よ。それは理解してちょうだい。今はハスキーが奴を作戦予定地まで誘導してる」
「ハスキー?」
敷島は理解していなかったが、ジェニスは詳しく説明しないまま、整備兵たちが群がるゼロの方へ足を向けた。
〝ハスキー〟ことアメリカ海軍H―43ヘリコプターは、ゴジラの前を飛行していた。案の定、ゴジラは空中を浮遊する飛行物体に興味を持ち、それを追いかけていた。
「さぁついてこいモンスター、楽園に案内してやる」
ヘリのパイロットは後方をチラチラと確認しながら、ゴジラを品川駅方面へ誘導した。
その間に「はるかぜ」以下日米艦隊は、幕末に築かれた砲台跡地である第一台場付近に差し掛かっていた。洋上からも、ゴジラの姿は視認していた。
「この
堀田は小澤大臣に告げて、小澤はそれを了承した。
「全艦停船! 主砲を品川駅方面、ゴジラに向けよ!」
品川沖で停船した艦隊は、それぞれ砲塔を旋回させた。砲身には無論、オソニチンの特殊弾頭が装填されている。
ゴジラは、駅のすぐ目の前まで来ていた。かつて明治帝が
気球を搭載している貨車で待機する陸自隊員たちは、近づいてくる山のような怪物を前に、恐怖心を隠せなかった。だがこちらには、必殺の武器がある。それが彼らの希望だった。貨物ターミナルには、陸上自衛隊以外にも在日米軍の戦車も到着し、ゴジラを取り囲むようにしてそれらは砲門を敵の口に向けていた。あとは攻撃目標が、貨車の手前まで行くだけだ。ハスキーは、貨車の上空に到達した。いよいよその時が来ると、誰もが期待していた。
ところがゴジラは、貨車よりもだいぶ手前のところで突然、足を止めた。
「何だ? どうしたんだ」
気球を積んだ貨車にいた陸自隊員は、怪訝な顔をしてゴジラを見上げた。戦車兵も、ハスキーのパイロットもそうだった。
「……もう少し挑発してみるか」
パイロットはレバーを操作して機体を旋回させ、ゴジラの方へ向かおうとした。その時ゴジラは、屈むような姿勢になっていた。
そして、尾に生える背鰭が青白く光り、体からせり上がった。
生物とは思えないその行動の意味を、もはや知らぬ者はいない。
発光は、次々と連鎖して起こった。
「おい、嘘だろ……」
パイロットは機体を空中停止させたまま、呆然とその光景に見入っていた。
「戦車部隊に連絡! 速やかに砲撃を!」
双眼鏡で事態を悟った小澤大臣が叫び、陸自幹部はすぐに無線で命令を送った。
ゴジラは大きく息を吸い込み、肺を膨らました。
戦車部隊には洋上からの命令がやっと伝わり、砲手が砲弾発射レバーに手をかけた。
それよりも早く、ガシャンという音の後、ゴジラの口から熱線が放たれた。
それは貨車めがけて発射され、待機していた陸自隊員たちは、一片の欠片も残さずに地上から消滅した。〝物質の水蒸気爆発〟とでも言うべきその現象は、戦車部隊もハスキーも品川駅も丸ごと巻き込み、一瞬にして消し去った。凄まじい爆風が粉塵と共に広がり、艦に迫って来るそれを見た堀田は叫んだ。
「伏せろぉっ!」
操舵室の人々は反射的に身を屈めた。地上から粉塵と共に、まるで火山弾のように瓦礫が飛んできた。艦も爆風に揉まれて艦体を大きく揺らし、窓ガラスがほとんど割れた。そして艦のあちこちで衝撃音が響いた。瓦礫が艦体に激突したのだ。しかもひとつふたつどころではない。
敷島たちが乗る空母ミッドウェイもまた、その爆風に巻き込まれて艦体が大きく斜めり、艦橋構造物を背にした敷島は妻を守るように抱きしめた。ガツンという大きな衝撃音が何度も鳴り響き、甲板に地上からの瓦礫が爆弾のように命中した。さらに甲板上に載せていた戦闘機も傾斜に耐えきれず、そのほとんどが海に落下した。零式練習用戦闘機も、タイヤを
「まずい、落ちるっ!」
敷島が叫んだが、もはやどうすることもできない。万事休すか……そう思ったが、爆縮の逆風によって運良く空母の傾斜はゆるやかになり、やがて平行を取り戻した。もう少し傾斜が続いていたら、ゼロはあと甲板から7メートル先の海に落ちるところだった。それを見て安堵したのも束の間、典子が気づいた。
「ジェニーさん、ジェニーさんは?」
甲板に、ジェニスの姿はなかった。敷島夫妻は必死に目を凝らしてジェニスの姿を捜したが、どこにもいない。先ほどの爆風で吹き飛ばされた乗組員も大勢いた。まさかそんな……。
「ヘーイ、ヘーイ!」
その声に二人は聞き覚えがあった。それは甲板の端から聞こえ、すぐに駆け寄った。ジェニスは、甲板の端をかろうじて掴み、ぶら下がっていた。二人はすぐに力を合わせてジェニスを引き揚げた。
「ああサンキュー……ふぅ、危なかったわ」
救出されたジェニスは胡坐をかきながら二人に礼を言った。敷島夫妻は、ジェニスが無事だったことに心からホッとした。
だがジェニスは、胸のポケットに挟んでいた父の形見が無くなっていたことに気づき、先ほど落ちかけた海面を見下ろした。そこには落下した戦闘機の残骸や、助けを求める海兵、息絶えた海兵、瓦礫といったものばかりが海に浮かんでいた。
「……ごめんね、パパ」
泣きそうになったのをぐっと堪え、ジェニスは立ち上がって振り向いた。
「ゼロも無事ね。なら、まだ私たちには勝機がある。でしょ? ミスター・シキシマ」
敷島は、頷いた。
「損害を報告せよ。機関室は無事か?」
「はい、エンジンは無事です。ただ、二番三番主砲に瓦礫が衝突し、二番は砲身紛失、三番は回転不能になりました……船体にも多数の損傷を受けております」
水島からの報告を、堀田は悲痛な表情で聞いた。割れた窓ガラスの破片が当たって右腕から出血していたが、幸い傷は浅かった。
「ということは、艦首の主砲しか使えない、ということですね」
同じく報告を聞いていた小澤大臣も、悲しい表情をしていた。彼女は爆風で艦が揺れた際の衝撃で額に傷を負い、そこから血が線を引くように流れ落ちていた。何度も手当を受けるように周囲から言われたが、自分以上に傷ついた人たちがいるはずだからと断った。実際、そうだった。「はるかぜ」は死者こそ出なかったものの、艦体に激突した瓦礫のせいで多くの乗組員が傷を負った。
「戦艦ニュージャージーより報告、当艦は艦橋および操舵室の損傷激しく、これ以上の航行は不可能である、とのことです」
通信係からの報告はさらに続いた。
「僚艦「ゆきかぜ」も、同じく操舵室に瓦礫が命中……艦長以下十数名が重傷とのこと。機関部も損傷を受け、航行できずとのことです」
「……わかった。引き続き、被害状況を確認せよ」
堀田は力なく命じ、海図台に手をついて深く息をついた。大損害を受けている事実に、彼は完膚なきまでに打ちのめされていた。
「まさか、こんなことになるなんて……」
野田もまた力なくそう言って、艦橋ウィングでうなだれていた。彼もまた割れたガラスで顔を切り、眼鏡は右のレンズが割れていた。
「……あいつにゃ、何でもお見通しってか。ほいほい罠にかかるほどバカじゃねぇってか……くそっ」
左肩から出血していた秋津もまた、無念さを口にした。操舵室には、暗い空気が漂っていた。
その空気を切り裂く報告が、空母ミッドウェイから届いた。
「間もなく、零式練習用戦闘機が発艦するとのことです!」
それはもう、最後の希望にほかならなかった。野田たちはウィングからミッドウェイを見つめた。その甲板上には、一機の戦闘機が艦尾側に据えられていた。ミッドウェイもまた、艦体に穴が
「……こうなったらもう、敷さんと典子さんに、託すしかありませんね」
野田は呟いた。出来れば避けて欲しかったが、こうなった以上、他に対抗手段はないと悟っていた。
「じゃあ説明するわ。まず搭載した爆弾は2000ポンド爆弾を改良したもの。中身は高濃度のオソニチンガスよ、満タンにしてある。それからあなたの提案で、ゼロのヒップに気球も取り付けたわ。中身は空気と液状オソニチンが半々ずつ。以上がこのゼロの武装よ、何か質問は?」
微笑しながら問いかけるジェニスに、敷島は「いいえ、これで充分です」と答えた。
するとジェニスは敷島をハグした。そして耳元でささやいた。
「必ず殺すのよ、いいわね。そして死なないで」
「もちろんです」
敷島から離れると、今度は典子にもハグをした。
「あなたなら大丈夫、あなたはとっても強い女性よ」
「ありがとう、ジェニーさん」
抱擁を終えると、ジェニスは二人から距離を取り、そしてウィンクをした。さぁ、行って来なさいと言わんばかりに。敷島夫妻は黙って頷き、二人は機体に乗り込んだ。座席に座ってベルトを締めた直後、ミッドウェイの若い整備兵が近寄って来て声をかけた。
「Good luck(幸運を)」
そして彼は敬礼をした。まだあどけなさの残る顔をした整備兵に、敷島は敬礼を返した。
彼だけではない、ミッドウェイの乗組員たち全員が姿勢を正して、ゼロを見守っていた。
敷島は彼らを
「Salute!(敬礼!)」
一同全員が敬礼した。その中には、ジェニスの姿もあった。敷島は、万感の思いだった。かつて敵国だった人たちが、最大の敬意をもって見送ってくれている。再び敷島は敬礼し、機体を前身させた。速度はぐんぐん上がり、飛行甲板が途切れそうな所になって発艦を果たした。
その光景を「はるかぜ」から見届けていた野田たちも、言いようのない感動を覚えていた。
野田は、堀田に進言した。
「堀田さん、我々も行きましょう。たとえ主砲一門でも、「はるかぜ」はまだ戦えます。それにアイオワは無事です。今度こそ、今度こそ奴に一発喰らわしましょう!」
野田の熱意に、堀田は自分の使命を思い出し、活力をみなぎらせて部下たちに告げた。
「艦を出す! 本艦は満身創痍だが、まだやれることはある。最後まで諦めず、全力でやろう」
堀田の一声で、鬱々としていた空気は晴れた。各部署の者たちは動き出し、「はるかぜ」は再びスクリューを回して、ゴジラ追走を再開した。