ゴジラ+2.0   作:沼の人

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1954年10月(8)

 どうだ恵美子(えみこ)、これがトリロバイトの化石だ。昔はこういう生き物がたっくさんいたんだぞ。これだけじゃない、大昔の海にはな、巨大な生物がうじゃうじゃいたんだ。首の長い竜みたいな奴や、鋭い歯がついたクジラみたいなのもいたんだ。今はもう絶滅してしまったが、こうして化石に残っているのを見ると、ああ確かにいたんだなぁとロマンを感じるものだよ。ハハハ……

 揺れた気がした。地震?

 何よもう、せっかく楽しい夢を見ていたのに。邪魔しないでよ。

 ……いや違う。さっきのは地震じゃない。わかる、私には。

 あれはそう、7年前のアレだ。あの強い衝撃……アレのせいで私は視力を失った。

 早く来てよ、こっちに。そして私を殺してちょうだい。

 生きてるのが楽しかった頃の記憶まで中断させられるくらいなら、アイツに殺された方がマシ。

 早く来てよ、ゴジラ。

 

 熱線による衝撃で日米艦隊が右往左往していた間に、ゴジラはさらに進行を続けていた。

 泉岳寺を踏み潰し、そこに眠る赤穂義士たちの墓石もことごとく破砕された。

 ゴジラは、内陸方面に進行方向を変えていた。

 どうも沿岸部には人気(ひとけ)がない。これでは、満足できない。

 殺意に飢えているゴジラは、熱線放射による体の傷を癒しつつ、ゆっくりとその歩みを、ニンゲンが多くいるであろう方面に向けたのだった。

 

 その頃湘南では、第二新生丸を海に出した国木田三郎が、双眼鏡を使ってゴジラの死骸を見つめていた。正しくは、ゴジラの模造品ともいうべき生物の亡骸(なきがら)だった。

 オソニチンが体の細胞を蝕み続けたソレは、骨がだいぶ露出して、溶けた細胞が地面に溜まっていた。気持ち悪い、それが三郎の素直な感想だった。こんな醜悪なものを三郎は十九年生きてきた中で一度も見たことがなかったし、見たくもなかった。だがそれでも、人間とは不可思議なもので、グロテスクなものほど興味をそそられてしまう生き物だった。

 死骸の周囲には、ガスマスクを着けた陸上自衛隊の隊員たちが立っていて、これを一体どうしたものかとばかりに立ち尽くしていた。腐臭も酷いもので、離れた洋上にいる三郎の鼻孔にもそれは届いていた。だから彼は手拭いをマスク代わりにして巻いていた。それでも臭いは入ってきたが。

 ふと、その死骸の上に(からす)が群がっているのを見つけた。(ついば)んでいる、怪物の死骸を。

 刹那、陸自隊員がその群れに向かって小銃を撃ちこんだ。数羽が死に、残る群れは一気に飛び去った。

 ゴジラの細胞で体が変異した生き物の存在は、三郎もよく知っている。何せあのゴジラザメを駆除した功労者でもある。それに江の島の港から、巨大な亀やイカも見た。あれらはすでに駆逐され、今は海中に沈んでいる。

 飛び去った烏の中には、死骸を食ったものもいたはずだ。

 だとしたら……そう思うと背筋がゾッとした。

 だが三郎にはどうすることも出来ない。ただ、傍観しているしかない。彼は一介の漁師に過ぎなかった。

 

 空母ミッドウェイから発艦した零式練習用戦闘機は、慶応義塾大学上空を飛びながらゴジラに向かっていた。ゴジラはすでに見えている。70メートルもの巨体は、見つけられない方がおかしいぐらいだ。ひたすら家屋を蹴散らしながら、内陸方面へ進行していた。

「浩さん、私やってみる」

 典子は夫に声をかけた。前席で機体を操縦する敷島は、右手の親指を立てて見せた。

 典子は目をつぶり、集中した。ゴジラのことを思い浮かべ、強く念じた。

「聞こえる? ねぇ」

 すぐに返事はなかった。機体はその間にも、街を蹂躙するゴジラに接近しつつあった。敷島は操縦桿を操作して、ゴジラの周りをぐるりと回った。確実に奴の視界には入ったはずだ。

 やがて、あの頭に響く声が典子には聞こえた。

〈やっと会えたな、女〉

 典子はパッと目を開いた。

「浩さん、通じたわ!」

「わかった! 奴をまた海辺に戻そう」

 敷島は機首を東京湾方面へ向けた。典子が後方を確認すると、ゴジラは歩みを止めてこちらを凝視し、やがて追って来た。成功だ。典子は、思わず笑みを浮かべた。

 あと少しゴジラが歩みを内陸方面に進めていたら、すぐそこにある有栖川宮記念公園でくすぶっていた群衆たちは、今日が命日となっていただろう。彼らは上空を飛ぶ、懐かしい戦闘機の姿を見つけていた。

「……ゼロ戦が、助けてくれた」

 元海軍士官だった男は、そう呟いた。ゴジラは離れていく。よかった、よかった……彼はその場にへたり込み、生きていることのありがたみを嫌というほど実感した。

 

「ここだ、芝公園。ここなら海にも近いし、高い建物がありません。狙うなら絶好の場所です」

 野田は地図を見ながら、ゴジラを掃討する新たな場所の選定を行った。芝公園は確かに東京湾に近く、近辺には竹芝埠頭(ふとう)がある。その沖合からなら、ゴジラも充分狙える。野田の提案に誰も異議はなかった。問題は、ここへゴジラを誘導出来るかどうかだった。

 そこへ通信係が入電を告げた。

「敷島さんからです。ゴジラの誘導に成功とのことです!」

 その吉報にすぐ野田が反応した。

「敷さん、芝公園に奴を(おび)き出してください。あそこで奴を迎え撃ちます」

「わかりました」

 交信は短く終わった。それで充分だ、後はこちらも動くだけ。

「アイオワに通達、本艦隊はこれより竹芝埠頭沖に向かい、奴を砲撃する!」

 すぐに通信係がアイオワと連絡を取り、「はるかぜ」は竹芝埠頭沖を目指して進んだ。

「これでダメなら……次はないですね」

 小澤大臣が呟いた。万が一芝公園での掃討も失敗し、ゴジラがさらに北上するとなれば、艦の進む先には勝鬨橋(かちどきばし)がある。橋を上げれば「はるかぜ」は何とか通れるが、巨体を誇る戦艦アイオワは無理だ。

「ええ、ですからもうこれが本当に最後の機会です。……大丈夫です大臣、我々なら出来ます」

 野田は力強く答えた。その根拠は、まさにいまゴジラを誘導している敷島夫妻の存在だった。自分の命を顧みず、あの二人はゴジラと立ち向かっている。なのに自分たちが腑抜(ふぬ)けていては、その勇気に対し失礼というものだった。小澤大臣は、微笑して頷いた。頭には手拭いが巻かれ、血が(にじ)んでいた。秋津が見かねて巻いてくれたのだ。

「作戦を続行しましょう。芝公園でゴジラを倒しますっ」

 

 敷島が駆る零式練習用戦闘機は、芝公園上空に差し掛かった。典子はチラチラと後方を見て、ゴジラが順調に追ってくるのを確認していた。

 刹那、典子は頭を抱え込み、呻いた。あの頭痛が襲ってきたのだ。

〈ニンゲンもずいぶん、小癪(こしゃく)なことを考えるものよ〉

 頭の中に入り込むその声は、人間で言えば嘲笑に近い言い方だった。

「……あなたこそ、ずいぶん小癪なことしてるじゃない。自分の分身まで作るなんて」

 目をつぶりながら何者かと話す妻を、敷島は案じながら気にしていた。しかし今の自分には、このゼロを飛ばすことしか出来ない。妻には、ただ耐えてもらうしかなかった。

〈あんな陽動で、易々と死ぬ(われ)と思うか〉

「あのサメやクジラも、あなたの仕業(しわざ)なんでしょ?」

〈そうだ。あれは我が手先、(しもべ)に過ぎん〉

「そんなことまでしないと、あなたは勝ち誇れないのね。滑稽よ」

戯言(ざれごと)を。お前たちに言われる筋合いなどない〉

 頭痛が強くなり、典子はさらに呻いた。ゼロはすでに芝公園上空を飛んでいる。

〈よく聞け女、生き延びたいなら我に従え。そうすれば、お前は永らえる〉

「……何を、言ってるの」

〈その男を殺せ〉

 典子は言葉を失った。〝声〟は続いた。

〈その男だけは、許しがたい。我を一度葬ったからな〉

「……あなた、覚えてたのね。だからなの? だから私に、ずっとつきまとって…」

〈いまごろ気づいたか、愚かな女よ。そうだ、お前を僕に選んだのは、お前が〝あの男〟の女だからだ〉

 典子は恐ろしさのあまり、声を出せなかった。それで全てがつながった。なぜ自分ばかりあんな悪夢を見せられたのか、なぜゴジラとつながれたのか。

 答えはただ一つ。

 敷島浩一という一人の人間を、確実に殺すためだった。

 しかも、残酷極まりない手法で。

 ゴジラは、芝公園の(ふち)に足を踏み下ろした。

 

 護衛艦はるかぜ、戦艦アイオワ、空母ミッドウェイの三隻は、竹芝埠頭沖に停船した。

「あとは、ゴジラがこちらに口を開けさえすれば……いえ、顔面がこちらを向いたらそれでいいです。それでもう砲撃可能としましょう、堀田さん」

 野田の進言を堀田は受け入れ、各部に通達を出した。

「敷島たちの攻撃も、上手くいけば確実だな」

 水島が言ったのを、野田は黙って頷いた。こちらとしては陽動だけでもありがたいが、機体に取り付けられた特殊弾頭と気球が上手く作用してくれれば、勝機は高まる。だが一方で、無茶をすればあの二人は、帰らぬ人ともなる。それだけは絶対に避けたかった。

「敷さん、典子さん……」

 野田は公園上空を飛ぶ戦闘機を見ながら、どうか死んでくれるなと強く念じた。

 

「典子、典子っ。大丈夫か?」

 敷島は操縦桿を握りつつも、後部席で苦しむ妻の姿を見かねて声をかけた。だがずっと返事はない。眉間に(しわ)をよせ、目は閉じたままで、息を荒げていた。

〈何をそんなに躊躇(ちゅうちょ)している。どのみちニンゲンは滅ぶのだ。いや、滅ぼすのだ、我がな〉

「そんなこと、させない……」

〈お前に何が出来る? お前に出来ることはただ一つ、その男を殺すのだ。さすれば、お前は我が(しもべ)となって生き永らえる〉

「嫌よ、そんなおぞましいことっ」

〈哀れな女よ。同族の男に犯され、さぞ苦しんだだろう。その男を殺してやったのは誰だ?〉

 脳裏に、あの兒島医師の姿が浮かんだ。白衣を着た姿と、自分の体を玩具(おもちゃ)にしたあのケダモノの姿が。

「……違う、違う違う違うっ! 私は、そんなこと望んでない!」

〈いいや、お前の心にはあったはずだ。あの男が、不幸な目に遭えばいいという怨念がな。我はそれを叶えてやったのだ〉

「違う違う違う……そんなこと、私は……」

〈どうだ、決心がついたか。さぁ、その男を殺すのだ。その男に、絶望と死を与えるのだ〉

「……嫌よっ!」

〈そうか。ならば共に死ね。もうお前に用はない〉

 

 公園内にある芝丸山古墳を踏み潰したゴジラは、その場で足を止めた。

 そして、体の中で或る反応を起こさせた。それを核反応ということを、ゴジラは知らない。ただ体内の熱を上げて敵を葬る(すべ)としか理解していない。

 何にせよそれは、地球上のありとあらゆるモノを消滅させる力のあるもの。敵と見定めたものを、完膚なきまでに破壊できる絶対的な力。

 背鰭が、青白く鮮やかに光り始めた。

 

「背鰭が、背鰭が光り始めましたっ!」

 双眼鏡で監視をしていた水島が叫ぶと、操舵室内は騒然となった。

「また吐く気か、アレを……まさか、ゼロ戦をかっ」

 堀田が呟くと、水島は堪らずに無線機で告げた。

「敷島っ、逃げろ! 奴は熱線を吐く気だ! 急げっ!」

 水島からの報告を聞いた敷島は、すぐに機体を芝公園から遠ざけた。出来る限り遠くへ……死んでたまるか。その一念だった。

 背鰭はその間にも背中まで光り、光る度に体からせり上がる。

 最後の背鰭が光った直後、全ての発光した背鰭が体に食い込み、喉元まで集中していた熱いものを一気に放出した。

 それはゼロ戦を……ではなく、東京湾に向けて放たれた。熱線は海を越え、品川第三台場に命中し、大爆発した。江戸幕府の忘れ形見は、その痕跡すら残さずに消滅し、さらにその衝撃によって海が盛り上がった。その光景をミッドウェイの甲板から見ていたジェニスは、2年前にエニウェトク環礁で行った人類初の水爆実験の光景を思い出した。爆心地からは、巨大なキノコのような雲が現出したからだ。

「甲板作業員は全て艦内に! 黒い雨が降るわ!」

 ジェニスはそう叫んで、急いで甲板にいた乗組員たちを艦内に避難させた。

 ゼロは、無事だった。熱線とは逆方向、元々は日本政治の中心地だった霞が関の上を飛んでいた。

「……艦長っ! 津波が、津波が来ますっ!」

 航海士が叫ぶのを聞いた堀田は、双眼鏡で爆心地方面を覗いた。強大な爆発のエネルギーは海にも影響し、海面を大きく盛り上げていきながら、ソレは急速に近づいていた。

「総員、衝撃に備えよっ!」

 堀田は艦内電話で全乗組員に告げた。もはや逃げられない、今から津波に向かって艦首を向けることも無理だ。艦尾側から襲ってくる津波に、対抗する手段はない。もはや天運に任すしか、ない。

 やがて、高さ10メートルはあろうかという巨大津波が「はるかぜ」とアイオワ、そしてミッドウェイに襲いかかり、艦は(もてあそ)ばれるように波に揺れ、そのまま陸地へと誘われた。津波が海岸の建物を破壊し、さらに「はるかぜ」の艦体がその上にのしかかった。鈍い金属音が艦内に響き渡った。おそらく船底(ふなぞこ)に亀裂が走ったのだろう。だが、転覆するよりはマシだ。艦内の全員が、どこかに掴まって衝撃に抗うしかなかった。

 やっと津波に揉まれて揺り動かされるのが終わり、「はるかぜ」は止まった。そこは、旧芝離宮恩賜庭園の池の中だった。艦首の下には池の中でいちばん大きな島である大島(おおしま)があり、そこに乗り上げる形で「はるかぜ」は池の中にいた。これを座礁と言うべきかどうなのかは、わからない。とにかく、身動きが取れなくなったのは事実だった。

 戦艦アイオワは、国鉄山手線や東海道線の線路上にいた。船底に瓦礫が挟まっており、左に40度傾斜していた。

 空母ミッドウェイはその後方で座礁し、傾斜こそなかったが、船底にはあちこち亀裂が入っていた。

「報告! 艦尾の船底に亀裂が生じ、浸水しております!」

 乗組員からの報告を堀田は冷静に返した。

「うろたえるな、ここは恩賜庭園の池の中だ。沈没することはない」

 それは護衛艦にはあるまじき事態ではあったが、あれだけ巨大な津波ともなれば、こうなるのも仕方ないと堀田は思った。

「艦長……」

 水島の弱々しい呼びかけに堀田は顔を向けた。そして同じ目線になって、ソレを見上げた。

 浜松町駅の向こう側から、ゴジラがこちらを凝視していたのだ。

 

 敷島は操縦桿を動かし、機首を再び芝公園に向けた。東京湾からは、キノコ雲が沸き上がっていた。7年前と同じだ……銀座で典子を失ったと思った直後に見た、あの(いびつ)な雲。

「うっ!」

 典子はまだ目を閉じ、呻いている。まるで何かが乗り移ってきているかのようだ。

「典子、しっかりしろ! 典子!」

 夫の声は聞こえているが、返事が出来ない。体が自由を利かない。

 何かが、見える。あれは……船だ。護衛艦だ。

〈次に吐く時は、こいつらだ〉

 声が語りかけてきた。それは、人質を取っているぞと言っているのと同義だった。

「やめて、お願いだから……」

〈ならばやれ。その男を殺せ。そうすれば、こいつらを殺しはしない〉

「そんなこと、私には出来ない……私を殺して。それでいいでしょ?」

 その言葉を聞いた敷島は驚愕した。一体ゴジラと何を話し合ってるのか、彼には分からない。

〈お前を殺しても意味はない。さぁ、抗うな、自由になれ。我の(しもべ)になれ〉

 すると典子は、体に明らかな異変が起きていることを感じた。それは、右の首筋にある黒い痣……(うず)いてる。というよりも、(うごめ)いている。まるで生き物のように。

「な、何をする気っ⁉」

〈楽になれ。そして殺せ、その男を。愛する者に殺されることほどの絶望など、ないだろう〉

 典子は激しい息遣いをしながら体を震わせた。それは発作の症状そのもので、体が自分の意思とは違うことを仕出かそうとする前触れだった。

「はぁ、はぁ……ああああああああああぁっ!」

 絶叫をあげた妻に敷島は振り返り、信じられないモノを見た。

 右の首筋から、黒く尖ったモノが生えていた。それは、ゴジラの背鰭によく似ていた。

 あまりにも衝撃的な光景に、敷島は絶句した。何だ、これは……。

 すると、妻の目が開いた。だがそれは、9年間ともに生活をしてきた最愛の女性のものではなく、獣の目……怪物の目だった。

 典子はベルトを外し、風防に守られた機器の上を這って移動し、そして敷島の背後に近づくと、左腕を彼の首にかけて力強く締めた。それは成人女性の力とは思えない強さだった。

「の、典子っ! ……やめろっ」

 夫の声は、妻には届いていない。それはもう妻ではない。大戸島の山本佐吉と同じ、人の姿をした怪物だった。呼吸を制限された敷島は、正常な操縦が出来ず、零式練習用戦闘機は不安定に揺れた。

 それを芝公園の一角から見ていたゴジラは……もしも、ゴジラにヒトのような表情筋があったならば、笑みを浮かべるように口角を上げていたはずだった。

 

「何だ、何が起きてるんだ?」

 艦橋ウィングからゼロを見上げていた野田は、明らかに変な動きをしているゼロを見て不安な顔をした。

「機体の故障かぁ? おい、危ねぇぞ」

 となりに立つ秋津も、心配そうに零式練習用戦闘機を見つめていた。

「いや、にしたってあんな動き……きっと二人に何かが起きてるんです」

「艦長、一番主砲ですが津波にやられた衝撃で内部機関に一部故障が出てます。いま急ピッチで修復中です」

 水島は堀田に悲痛な報告をした。この艦に残された最後の攻撃手段も、今はまだ使えずにいた。

「アイオワはどうなってる?」

「傾斜がひどく、主砲発射は困難とのことです……」

 二人の表情は一様に暗くなった。これでは砲台の役目も果たせない。ただ海から陸へ移動しただけだ。

「とにかく修理を急がせるんだ。たとえ一発でも奴の口にオソニチンを入れることが出来れば、勝機はあるっ」

「自分も修復を手伝いますっ!」

 話を聞いていた野田は、すぐに第一砲塔へと向かった。

「……修復が完了次第、すぐに砲撃しましょう。もうそれしかありません」

 小澤大臣の言葉に、堀田は頷いた。

 

 零式練習用戦闘機は乱高下を繰り返し、一度は地上に落下寸前にもなった。その都度、敷島が操縦桿を操作して回避したが、首は依然として強く締め付けられていた。

「……お願いだ、典子、やめてくれ……俺を、殺さないでくれ」

 返事は、なかった。

「あ……明子が、待ってるだろ……俺たちの大切な……娘っ」

 敷島は機体の高度を保ちつつ、妻の顔を見て言った。

 返事は、ない。

 だが、その片目が、一瞬閉じた。ウィンク。

 刹那、少し腕の力が弱まった。

 その目は、怪物ではない。妻の目だということに、敷島は気づいた。

 意を汲んだ敷島は、機首をゴジラに向けた。

 

「おい、アレ」

 秋津が指差す先には、安定を取り戻したゼロがいた。

 それは一直線に、ゴジラへと向かっている。

「……まさか、ないですよね艇長。特攻……」

「バカ野郎! 縁起でもねぇこと言うな。信じろあいつを」

 秋津は水島を一喝し、二人は空を飛ぶ零式練習用戦闘機を注視した。

 

〈何をしている〉

 不意に〝声〟が頭に響き、典子は再び目を閉じた。激しい頭痛が彼女を襲った。

〈早く殺せ、その男を〉

「……」

〈そんなに死にたいのか、お前も。愚かな女だ〉

「……愚かなのは、あなたよっ」

 典子は、夫の首にかけていた左腕を解き、その肩を掴んだ。そして右手で、首筋から生えた突起物を掴み、力を込めた。断末魔に近い叫びをあげながら、典子はソレを抜き取った。風防の内側に血が飛び散り、典子は黒い背鰭のようなソレを手から離した。ソレは空の彼方に消えた。出血した箇所を右手で抑え、息を荒げながら典子は夫に言った。

「このまま行って!」

 敷島は、速度を上げた。ゴジラとの距離は100メートルを切っている。

「典子! 絶対に手を放すなっ!」

 距離、50メートル。40メートル、30メートル……。

 ゴジラは、口を半開きにさせたまま、動かずにそこにいる。

 距離、10メートル。敷島は若干機首を上げて、操縦席左側面にある爆弾投下レバーを引いた。もうゴジラは眼前だった。衝突スレスレの所で更に機首を上げた。ゴジラは操縦席ごと噛みつこうとしたが失敗し、上顎(うわあご)が尾翼に当たった。その衝撃でゼロの尾翼が一部欠損した。

 2000ポンド特殊爆弾は、ゴジラの口に入った。それは食道を通り、胃袋で留まった。

 尾翼に付いていたバルーンは、尾翼損傷に伴いゼロから離れ、ゴジラの右首筋あたりに落下し、その衝撃で破裂した。液状オソニチンが、ゴジラの皮膚にかかった。

 やがて、胃袋に収まっていた2000ポンド特殊爆弾が、爆発した。そして高濃度のオソニチンガスが放出され、胃袋を(おか)し始めた。

 ゴジラは、怒り狂ったかのように咆哮した。

 

 尾翼のほとんどを失ったゼロは、もはや飛行機ではなく、空を漂う鉄の塊だった。このままではいずれ、墜落する。

「典子、脱出するぞ! 用意はいいか!」

 後ろを振り向いて声をかけたが、妻は目を閉じたまま応答がない。気を失っている。

「典子っ!」

 敷島はすぐに座席のベルトを外し、操縦を放棄して体を反転させて妻の体を掴んだ。そのまま敷島は座席を蹴り、二人は空中に飛び出した。敷島は妻を抱きしめ、背嚢(はいのう)の紐を引っ張った。収納されていた布が放出され、二人はパラシュート降下を始めた。

「典子、典子っ」

 何度呼びかけても、妻は答えてくれなかった。突如轟音が響いた。それはゼロが、六本木不動坂あたりに墜落した音だった。二人はそのまま降下を続け、増上寺の境内に降り立った。

「典子! おい、しっかりしろ!」

 背嚢を捨てた敷島はすぐ上着を脱ぎ、その袖を引きちぎって出血する典子の首筋にあてがった。少しでも出血を止めなくては。

「典子、典子……」

 思いが通じたのか、妻はゆっくりと目を開けた。

「浩さん……」

 感涙を流す暇もなく、巨大な地響きが二人を襲った。

 その主は、寺の建物を踏み潰し、二人のすぐ目の前にいた。

 ゴジラに表情はないが、確実にその顔には、怒りが満ちていた。

 

「砲塔の修理、間もなく完了します!」

 艦内電話からの報告を聞いた堀田は、「完了次第、砲門を奴に向けて撃て!」と命じた。

 

 ゴジラは、負傷していた。体の内部では、気体化しているオソニチンが、ありとあらゆる臓器を冒していた。だが一方で、ゴジラが持つ特異な再生力も働いており、破壊と再生が抗い続けていた。

 右首筋に命中した気球の液状オソニチンもまた、ゴジラの皮膚を溶かしていた。が、そこもまた再生と破壊を繰り返し、薄紫色に変色していた。

 ゴジラは、まだ生きている。

 そして二人のニンゲンを、睨みつけていた。

 怒り、憎しみ、それが体の中で熱を生み、エネルギーの集中活動が体内で始まった。

 敷島と典子は少し後ずさったが、もはや逃げきれないことは悟っていた。

 ゴジラの背中が、光り始めた。二人からは見えなかったが、背鰭が尾の方から順番に、次々と体からせり上がっていた。

 

「まずい、また吐く気だ……」

 水島が、絶望的な顔をしながら呟いた。この距離で熱線が発射されれば、全員、死ぬ。

 

 敷島は、ぎゅっと妻を抱きしめた。典子もまた、夫を強く抱擁した。

 二人の脳裏には、明子の姿が思い浮かんだ。

 

 最後の背鰭が光ってせり上がり、そしてガシャンッと音を立てて口から熱線が……発射されなかった。

 何事かと思い敷島夫妻は顔を上げると、信じがたい光景がそこにあった。

 ゴジラの右首筋から、熱線が放出されていたのだ。人類が生む原爆よりも強力なエネルギー光線は、オソニチンによって皮膚が薄くなった右首筋を焼き、そこから穴が()いたのだ。さらに、体内に入ったオソニチンがあらゆる臓器や器官を(もろ)くし、熱線の発射にどれも耐えうる力を失い、人類でいうところの原子炉に相当する器官もまた、オソニチンによって脆くなり、熱線の源流となる高エネルギーが器官から漏れた。それはあらゆる臓器を焼き尽くした。

 熱線の放出は、終わった。

 ゴジラは、最後の力を振り絞るかのように、空に向かって悲鳴のような雄叫びをあげた。

 体内では心臓にもオソニチンが襲いかかり、ゴジラはさらに苦しみの声をあげた。

 人類が一度も聞いたことのない、怪獣の断末魔の叫びだった。

 

「修理完了っ! 回します!」

 野田が砲塔が復活したことを告げ、堀田の命令どおりすぐさま主砲はゴジラの頭部に向けられた。

「撃てぇっ!」

 堀田の号令の後、オソニチン搭載の特殊弾頭が発射され、それはゴジラの下顎に命中した。

 液状のオソニチンが、さらにゴジラの体内や皮膚を冒し始めた。

 

 この感じ……遠い昔にも感じたことがある。もう大昔だ。

 あの島を頻繁に襲っていた頃、一人の女が海辺に現れた。

 その女は草を持っていた。赤い花の咲いた草。

 その女を食らおうとしたが、女はすんでで避けた。

 草が口に入り、呑み込んでしまった。それから体がおかしくなり、海に逃げた。

 以来、ニンゲンに近づくのは控えた。

 この体が蝕まれる感覚は、あの時と……お、なじ……。

 だから、女は……嫌い、なのだ……。

 愚かな、生き物め……。

 

 ゴジラはよろけながらその場をふらつき、もう意識というものはなかった。

 やがて心臓を冒していたオソニチンが、そこにいくつも穴を開けた。

 生物としての機能が完全に停止したゴジラは、崩れるようにその場に倒れた。

 その頭部は、先の大戦で焼失し、二年前に建てられた増上寺の仮本堂を直撃した。

 仮本堂は半壊し、そこに倒れたゴジラの瞳からは、すでに光が消えていた。

 その死骸を〝黒本尊〟の通称で知られた阿弥陀如来像が、静かに見守っていた。

 刹那、雲に切れ間が生じ、陽の光りがそこを照らした。

 

「やった……やったのねシキシマ、ノリコ」

 ミッドウェイの艦橋から戦況を見届けていたジェニスは、思わず瞳から涙をこぼした。

 パパ、あの怪物は、やっと死んだわ……。

 空を覆っていた雲からは、次々と切れ間が生じて太陽光が降り注いだ。それを見た海兵たちは大歓声をあげた。

 

「どうやら、倒したようです」

 水島は、力なく倒れたゴジラの姿を見て、誰ともなくそう言った。

「ああやった、やったんだよ小僧!」

 となりに立つ秋津が笑顔で言うと、水島は全身の力が抜けそうになった。そして、笑い泣きした。

 堀田も小澤大臣も、深く息をついて、やっと戦闘が終わったことに心から安堵した。

「お疲れ様でした、堀田一佐」

 小澤大臣が差し伸べた手を、堀田は握り返した。

「ありがとうございます……」

 彼もまた、万感の思いだった。

「敷さん……」

 砲塔ハッチから甲板に出た野田は、敷島たちを案じた。

 

「死んだ……死んだよ、典子。アイツは」

 妻の傷口を服の袖で抑えながら、敷島は言った。

「私は……アイツに、負けなかった……褒めて、浩さん……」

「ああ、よくやった。よくやったよ……」

 その言葉に典子は嬉しそうに微笑み、瞳を静かに閉じてしまった。

「典子? ……おい、典子、典子!」

 何度呼びかけ揺さぶっても、妻は返事をしなかった。

 敷島は、絶望に近い感情を胸に抱いた。

「敷さーん」

 呼ぶ声がする。それは、野田だった。「はるかぜ」の医官を引き連れて、こちらに走ってきている。

「野田さん……典子、典子がっ!」

 すぐに状況を察した野田は、医官に緊急処置をお願いした。

「典子、しっかりしろ! 死ぬんじゃない!」

 敷島は手を握りながら、医官の処置を受ける妻に呼びかけ続けた。

 やがてその一帯を、晴れ間から漏れ出た陽の光りが当たり、彼らに影を生んだ。

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