ゴジラ+2.0   作:沼の人

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1954年春

 1954年春

 

「先生、先生はゼロ戦に乗ってたんですか?」

 授業終わりの廊下で、敷島浩一(しきしま こういち)は男子生徒に声をかけられた。

 クラスを受け持つ生徒ではないが、「齋藤」という苗字でよく覚えていた子だ。学年は2年。

「ああ、乗ってたよ」

「人を……殺したんですか?」

 齋藤青年はおずおずと訊ねた。敷島は微笑を浮かべながら首を横に振った。

「いいや、先生は訓練しかしてないよ。実戦には出ていない」

「じゃあ、誰も殺してないんだね」

「そうだよ。殺したのは……」

 言いかけて、脳裏にあの怪物が久々に蘇った。7年前に殺したあいつが。

「ゴジラでしょ」齋藤青年が言葉をつなげた。「先生がやっつけたんだよね」

「ううん、先生だけじゃない。たくさんの人が協力して、やっと倒したんだ」

 ここで敷島は齋藤青年と目線を合わせるように屈んだ。

「どうして、そのことを訊こうと思ったんだい?」

「……」

 しばらく口ごもっていた齋藤青年は、敷島の目を見ながら言った。

「父が、人殺しの先生には勉強を教わるなって……」

 齋藤青年の父親は、地域では知られた共産党員で、ことごとく先の大戦批判や軍人批判を繰り返していた。日本共産党は終戦後に復活し、敗戦の鬱憤(うっぷん)、軍国主義への反省、新たなイデオロギーとしての魅力から支持者は増加している。あのゴジラ災害によるショックも影響しているらしい。

「そうか……でも、大丈夫だ。先生は断じて戦争で人を殺していない。殺したくもなかったし」

「……」

「それにな、先生は特攻兵だったんだが、逃げたんだよ。生きたくて」

「本当?」

「本当だよ。だからこうして、齋藤君やみんなと会えてるんだから」

 齋藤青年の坊主頭を撫で、その場を後にしようとした。

 刹那、頭痛が頭を襲った。胃部にも不快感を覚えた。

「先生、大丈夫?」

 駆け寄った齋藤青年に、脂汗のにじんだ顔で敷島は振り返った。

「ああ、大丈夫だよ……」

「ごめんなさい。僕が変なこと訊いたから……」

「ははは、違うよ。違うから……大丈夫だよ」

 心配をかけまいと笑みを作りながらも、敷島は我慢できず足早にその場を去り、校舎1階にある教員用トイレに駆け込んだ。洗面台の縁を両手で掴み、ひたすら嗚咽した。幸い吐血はなかったが、鏡に映った顔面は青白かった。

「……まったく、いつまで続くんだよ、これ……」

 脳裏にはまた、あの山のよう(そび)え立つ怪物の姿が浮かんだ。東京に上陸し、銀座を蹂躙した挙句、国会議事堂のある永田町一帯を地図から消したあの熱線。そして立ち昇るキノコのような雲。世界の嘆きのように降り出した黒い雨。

 蛇口を全開にして、敷島はがむしゃらに顔を洗った。

 しっかりしないといけない。もうあいつはいないのだから。あいつのいない人生を、この世界を、しっかり生きなければ。

 

 一日の勤務を終え、中学校の校門へ向かおうとしていた敷島の視界に、赤いスカートを穿いた女の子が入ってきた。

明子(あきこ)、今日も待ってたのかい」

 門柱に背を預けていた明子は「うん」と笑顔で頷き、手を差し出した。二人は手をつないで家路についた。近所の小学校に通う明子は、学校が終わってからランドセルを家に置き、時間を見計らって父の帰りを校門で待つことがよくあった。

「いいんだよ明子、友達と遊んでても」

「うん。でも……」

 明子は、敷島の顔を見上げながら言った。

「またお父さんがどこかに出て行っちゃうのは、もう嫌だから」

 敷島の顔がこわばった。明子はしっかり覚えているのだ。ゴジラを倒しに行ったあの日、死ぬのを覚悟したあの日、幼い明子を置き去りにして、隣家に住む太田澄子(おおた すみこ)に託したあの日を。

 敷島はぎゅっと、明子とつなぐ手に力を込めた。

「大丈夫だよ明子。もうお父さんはどこにも行かないから」

「お父さん」

「ん?」

「……痛い」

 はにかみながら抗議する明子に、敷島は苦笑して応えた。

 夕日が二人の影を長く伸ばしている。

「♪星影青き 想い出の夜……」

 上機嫌になった明子は、昨年の流行歌「想い出のワルツ」を口ずさんだ。ラジオで聴いたのをきっかけに好きになり、父親にせがんでレコードを買ってもらったほどだ。

「♪待ちましょう 待ちましょう……」

「おや、誰を待ってるんだい」

 声をかけたのは隣家に住む澄子だった。野菜の入った籠を見るに、買い物帰りなのだろう。

「あ、太田のおばちゃん。こんにち……ん、もうこんばんは?」

 夕方なのでどっちで挨拶をすればいいのか敷島に問うた。澄子はけらけらと笑った。

「どっちでもいいさね。……そうだ、これこれ」

 澄子は買い物籠をまさぐり、キャラメル箱を取り出した。

「いつもすいません」

「別に気にしなくていいよぉ、育ち盛りなんだからね。あんた、最近は体大丈夫かい?」

 その問いに敷島はどきりとした。齋藤青年と話した時の事を思い出した。

 澄子は昔から急所を攻めるように言葉を発する。敗戦直後、帰還した敷島が特攻忌避をしたこともすぐに見抜いた鋭さがある。

「……学校の先生は大変だろうけど、休みたい時は休みなよ? じゃないと、体がもたないよ」

「お気遣い、ありがとうございます」

「じゃ、典子さんにもよろしくね。明ちゃんまたね」

「またねー! キャラメルありがとー!」

 澄子は笑顔で手を振りながら、自宅に消えた。敗戦から9年、バラック小屋だった太田家も今では建て直し、一軒家を構えている。

 それは敷島家も同様で、新生丸の機雷掃海で金が貯まったのを期に当時は高価だった白木で建て替え、典子と明子と正式に家族となってから、小さな庭のある立派な家に建て直した。それが今の敷島家だった。

 

「明子も大きくなったな」

 夜、敷島は妻の典子(のりこ)にしみじみと呟いた。

「そうですね。体も健康で、何よりです」

 典子は微笑しながら敷島のお猪口に酒を注いだ。

 敗戦後に闇市で出会い、勝手に敷島家のバラックに住みつき、そのまま2年が過ぎても籍を入れず同居を続け、そして銀座で死んだと思っていた典子。

 海神作戦後、電報で生きていることを知った時は、信じられなかった。だが病院で、全身のあちこちに包帯が巻かれた姿を見て、心から安堵した。

 家に戻れるまで体が回復したのを見計らい、二人はようやく夫婦になった。

 そして明子も正式に敷島家の娘になった。

「そうそう、今日お昼に電話があったんです。映画会社さんから。公開は秋ぐらいになるそうなんですって」

 ゴジラを題材にした映画が、制作されている。

 海神作戦後、作戦に参加した人々は一躍時の人となり、そこに映画会社が目をつけたのだ。特に「元特攻兵」という肩書を持ち、ゴジラに止めを刺した敷島は連日報道の的となっており、さらに死んだと思われていた恋人が実は生きていたという美談も、映画作家を大いに喜ばせた。

 だが制作は容易に運ばなかった。GHQが圧力をかけ、その下請けのように日本政府も制作を認めなかった。ゴジラ掃討は民間主導によるもので行われた為、日本政府もGHQも役に立たなかったと喧伝(けんでん)されるような映画にされては困るからだ。

 だが映画会社は諦めず、時を待った。

 敗戦から7年が経った昭和27年、GHQが日本から撤退し、お目付がいなくなったのをこれ幸いに、映画会社は「ゴジラ」の映画化に取り組み始めた。

 まずはゴジラに直接対峙した、特設機雷掃海艇「新生丸」の乗組員たちへの取材から始まった。

 艇長だった秋津淸治(あきつ せいじ)は、作戦後漁師に転業した。どこまでも海から離れられない男のようで、取材ももっぱら彼の漁船「第二新生丸」の船上で行われた。取材担当者はひどい船酔いと闘いながら、秋津からの若干誇張された証言を懸命に記録した。

 〝学者〟とあだ名されていた元技術士官の野田健治(のだ けんじ)は、東京大学から招聘を受け、特別教員として雇用されていた。海神作戦立案者でもある彼の口は、ありのままの事実を語り、作戦の様子を実験機材を用いて丁寧に説明もしてくれた。ただ時折、一般人には難解な化学の専門用語を交えるので、取材担当者を困らせた。

 最年少乗組員だった水島四郎(みずしま しろう)は、最初は秋津に従って「第二新生丸」の乗組員になったが、保安庁に属する海上防衛組織「警備隊」が創設されるやすぐに入隊届を出し、隊員になった。そのためコンタクトを取るのが難しく、主に手紙のやり取りで証言を得た。彼は作戦に途中参加し、多数の小型船舶を集結させて作戦遂行に大きく貢献した。

 この三名が口をそろえて言ったのは、最大の功労者は敷島浩一だという事実だった。それは他の作戦参加者も認めるところで、幻の戦闘機といわれていた「震電(しんでん)」を駆り、特攻さながらの攻撃でもってゴジラを倒したのは周知の事実だった。

 その敷島は作戦後、体調不良に悩まされた。下痢や吐血、そして脱毛……典型的な原爆症の症状だった。敷島はゴジラの熱線によって生じた黒い雨を浴び、さらにゴジラへ「震電」を突っ込ませたあと、脱出装置で海に落下した。そこはゴジラの死骸による影響でひどく放射能汚染された海水だった。

 一時は生死の境目をさまよったが、彼は生き延びた。回復した典子が献身的に支え、毛も生えるようになった頃、彼は教員免許を取得して教諭として働くようになった。他にも職のツテはいくらでもあった。どこもかしこも「最大の功労者」を雇おうとオファーを送ったが、敷島が選んだ道は、戦後日本を担う子供への教育だった。もう二度とこの国が愚かな戦争をしないためには、まず教育が大事だ。敷島は軍国で育ち、強制的に営倉に送られ、本来ならば敵艦に突撃して死んでいた。そういう若者が数えきれないほどいた。そんなことを二度とさせないためにも、戦争とは何かを若人に教えなければならない。それが戦後日本を生きる自分の使命だと敷島は考えた。

「俺は、見たくないな……」

 お猪口(ちょこ)を一気に飲み干して、敷島は呟いた。映画の概要は知っている。大戦末期、日本の離島に謎の巨大生物が出現し、島の住民や駐在する軍隊を壊滅させる。その生き残りである八洲浩平(やしま こうへい)という飛行機乗りが仲間たちと協力して、アメリカの核実験でより巨大になった巨大生物――ゴジラを倒すというものだ。まさに事実通りだが、それがネックだった。

「私も、見たくはないです。何か、怖くて……」

 典子も同じ意見だったことに、敷島は何だか嬉しかった。実際、そういう声は多かった。ゴジラ災害で被災した人、大切な人を失った人々にとって、恐怖の記憶をもう一度見せられるような気がしてしまう。制作への反対や中止運動も起こり、さらにゴジラの名前の由来である呉爾羅伝説がある大戸島は、島への風評被害を懸念して知事に申し立てすら行った。そのため、すでに撮了し公開の準備は出来ているにもかかわらず、公開は延期を繰り返している。

「ただ、こうも思うんです。あれから7年になるでしょう? 人って、どうしても記憶が薄れたりするし、そもそもあの悲劇を知らない人たちだっている。そういう人たちに、昔こういうことがあったんだよっていう、教科書みたいなものにはなってくれるのかなって」

 典子の意見は敷島にも理解できた。そう、あの悲劇を知らない人は、この国に大勢いる。情報で知っていても、実際に何が起きたのか知らない人たち。それは東京人がヒロシマやナガサキを知らないのと同じだ。

もうあれから7年、その間にも新しい子供たちが生まれ、この国で生きている。

 この国で生きる……世界を巻き込んだ戦争に敗北し、さらに追い打ちをかけるように未知の巨大生物が多くの人を死に追いやったこの国で生きる。

その意味を問う作品になってくれるなら、それでいい。

「冷やかし程度には、見に行くかな」

「ですね」

 敷島夫妻は見つめ合いながら笑った。

 

 唸り声が聞こえる。

 どこ? どこから? この聞き覚えのある声……

 目の前はまっくらだ。ここはどこ? ひどく冷たい。

 ……水の中? まさか。魚じゃあるまいし。

 それにここは、どうしてこんなにまっくらなの。まるで深い海の中みたい。

 ……深海。

 何かが光ってる。見たこともない、変な形をした魚の目が光ってる。

 グルルルル

 また聞こえた、あの唸り声が。思い出したくもないあの声が。

 どこ、どこなの……どこにいるの!

 刹那、目の前に巨大な瞳がこちらを凝視してきた。

〈お前は誰だ〉

 そう言わんばかりに、こちらを見てきた。

 

「……りこ、典子!」

 体を激しく揺さぶられて、典子はハッと目を覚ました。息を荒げ、額には汗も浮かんでいた。

「大丈夫か、典子」

 敷島は典子を抱きしめ、妻の呼吸が落ち着くのを待った。

「……ごめんなさい、浩さん」

 その声はやっと絞り出したかのようにか細かった。

「謝ることなんかないよ。俺だって、同じだったんだから。あいつの夢を見たんだろ?」

 典子は無言で頷いた。敷島もかつて、ゴジラが夢に出てきた。大戸島の死んだ整備兵たちも。海神作戦後、そうした悪夢を見ることは滅多になくなった。特に整備兵たちは、不思議と一度も出て来なくなった。彼らはゴジラに無残にも殺された人たちだ。きっと、敵討ちをしてくれたことで、やっと許してくれたんだろう。敷島はそう実感している。

 それと入れ替わるように、今度は典子が悪夢にうなされるようになった。無理もない。典子は銀座で電車に乗っていた時、初めてゴジラを見た。そして襲われた。乗っていた電車にゴジラが噛みつき、電車は引きちぎられた。そのままゴジラは歩き出し、典子は電車の支柱に掴まって落下を免れた。眼下に外堀川が見えた時、決心して手を離した。からくも脱出できたが、ゴジラはまた襲ってきた。気力も体力も失せ、いっそ踏みつぶされて死んだ方がいいと地面にへたり込んだ。それを救ったのが、ほかならぬ敷島だった。

「浩さん……」

「ん?」

「……ゴジラは、もういませんよね? もう、いませんよね?」

 目には涙が溜まり、敷島の腕を掴む力がぐっと強くなった。

「いないよ。もういない、もういないよ」

 敷島は典子の頭をそっと撫でた。その黒髪に顔を埋めながら、もう一度言った。

「もういないよ、あいつは」

 典子は堪らず泣きじゃくり、敷島は黙って抱き締め続けた。

 典子の首筋にある、黒子とも違う黒い痣が視界に入った。銀座で被災した人には、この痣の症状が多くみられている。日が経てば消え失せるのではと思っていたが、それは甘い考えで、7年経った今でも典子の体に顕在していた。早く治療法が見つかるといいのだが……

「お父さん、お母さん」

 目が覚めてしまった明子が、心配そうに襖の向こうから見ていた。

「ごめんね、起こしちゃったかい。大丈夫だよ、大丈夫……」

 敷島は落ち着かせようとそう言ったが、震える母親の姿を見て、明子はそっと典子の側に寄った。

「明子……」

 典子は娘を抱き寄せ、敷島は二人を包み込むように腕を抱き寄せた。

 その夜は三人で川の字になり、就寝した。

 

 翌朝、典子は台所で朝食の準備をしていた。昨夜のことはまだ引きずっていたが、気遣う明子と夫にも気丈に振舞っていた。明子も率先して手伝いをしていた。包丁は十歳頃から自発的に扱いを典子や隣家の澄子から学び、野菜を切ったり米を研いだり煮炊きをするなどの簡単な調理は、きっと同年代の女子児童よりだいぶ上手かった。

 敷島は仏壇に手を合わせていた。敗戦直後、粗末な木片で作った両親の位牌は、ちゃんと職人に頼んで作った立派なものに変わっている。そこには典子の両親のものも加わっている。そして、一葉の写真が写真楯に収まり、そこにある。

 あの大戸島の齋藤という整備兵のものだ。軍服姿で、明子と同じくらいの年頃の娘と一緒に写っている。

 整備兵たちを束ねていた橘宗作(たちばな そうさく)から託された、たくさんの写真。

 あれは海神作戦後、橘と相談した上で、一枚一枚を遺族に帰すことにした。橘は遺族探しに快く応じてくれ、一緒に地方まで行って遺族と会い、死なせてしまった過失を詫びてくれた。敷島は、きっと罵詈雑言を浴びせられるものと覚悟していたが、遺族たちは一様に謝辞を述べ、写真を持ってきてくれたことに感謝された。

 だが、齋藤だけは無理だった。家族は広島で、8月6日に全員亡くなっていた。

「これは、俺が持っていることにします」

「そうか……わかった」

 対岸に、骨組みだけが残ったドームの印象的な廃墟の見える川縁で、橘とそう決めた。

 なので齋藤整備兵の遺影は、敷島家の仏壇にある。

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