ゴジラ+2.0   作:沼の人

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1954年8月(1)

 1954年8月

 

「デートって、ここですか?」

 一張羅(いっちょうら)の背広姿で、野田は「東京大学医学部第三分院」の門前で棒のように立ち尽くしていた。

「そうよ。もっとロマンティックな場所を想像してた?」

 唖然とする野田をよそに、ジェニスは悠々と敷地に入っていき、野田も慌てて追いかけた。

 受付を済ますと、ほどなく白衣を着た院長の中島が姿を見せた。

「こんにちはドクター・ナカジマ。今日は例のゲストを連れて来たわ」

「ああ、あなたが野田さんですか。よく存じ上げてます」

「ど、どうも。東京大学理学部助教の野田です」

 二人は握手を交わすのを見届けると、ジェニスが間髪を入れず口を開いた。

「雄叫びは相変わらず?」

「いえ、最近は落ち着いています。まぁ多少暴れたりとかはありますが」

「そう。まぁとにかく行きましょう」

 中島は頷いて、二人を特殊病棟に案内した。

「あの、何なんですか? 雄叫びとか」

「今に分かるわ。さぁマスクを着けて」

 判然としないまま、野田は中島から渡されたマスクを装着し、開錠された扉の先へ足を運んだ。

 そこに収容されていた患者たちを見て、野田は言葉を失った。ジェニスが最初に来た時の反応と同じだった。そこはゴジラ災害の後遺症の保存庫のようなものだった。一室では男性医師と看護婦が患者の診察を行っている最中で、その様子を食い入るように野田は見ていた。

「……実はもう一人、増えることになりました」

 中島はジェニスに、大戸島から新たな患者が搬送されることを打ち明けた。

「あの島から? どういう経緯なの?」

「先月、島の近海で漁船が沈没したのですが、生還して昏睡状態になっている船員の背中に、あの痣が出ているそうで。診察した医師から数点の写真が送られてきたのですが、おそらくここの症状と同じだと判断しました」

「あとでその写真を拝見できる?」

「もちろんです。またお茶でも淹れましょう」

 ジェニスは短く微笑み、真顔に戻った。明るいニュースとは言えない。漁船の沈没、新たな痣の出現……頭に浮かぶのは、あの背鰭が生えた怪獣の姿だ。

「ちょっと、彼女と話せる?」

 ジェニスは診察の終わった患者女性を指して言った。彼女が問いかけに応じる数少ない患者であることは中島から聞いていた。

「ええ、構いませんよ」

 院長の許可を得て、ジェニスは病室に入った。ベッドの上には目に包帯を巻かれた女性が横になっていた。ジェニスはベッド脇に立ち、女性に声をかけた。

「こんにちは」

「……」

「私の名前はジェニス。ジェニス・クロフォードよ。アメリカから来たの」

「……アメリカ」

 初めて患者が口を開いた。野田も静かに病室に入り、その様子を見ていた。

「そう、アメリカ合衆国。かつて日本と戦争をしていた国ね。今はベストフレンドだけど」

「……」

「何か、感じる? それとも、何か見える?」

「……海」

「海? 海が見えるの」

「……深い、底……とても冷たい……とても暗い」

「深海ね。あなたは深海にいるの?」

「……わからない……でも、多分そう」

「そこには、何かいる?」

「……」

「何もいないの?」

「……っ」

「ん? 何?」

 患者が何か言いかけたのを認めて、ジェニスは顔を近づけた。すると患者は飛び起き、両手をジェニスの首めがけて伸ばした。

「いかん! 抑えろ!」

 中島が叫び、医師と看護婦、そして野田が加わりジェニスから患者を引き離した。患者は呻きながらじたばたと動き、その揉み合いのせいで目を覆っていた包帯が外れた。患者の目は、ケロイドのように固まった黒い痣に覆われていた。それを見た野田は戦慄した。しかも小柄な女性にしては力が強く、抑えつけるのに苦労した。なんとか患者をベッドの上に戻し、対応を医師と看護婦に任せ、床に座り込んでいたジェニスに向かった。

「大丈夫ですか?」

「ええ……見た? 彼女、目が見えないのに、まるで見えてるようだった。私の首を狙って、絞めようとした……」

 

 二人は院長室に招かれ、休んでいた。野田は特殊病棟の患者たちの光景にまだショックを受け、ジェニスは煙草をふかして気持ちを落ち着かせていた。

「どうぞ」

 中島は二人に緑茶を淹れた。野田は礼を言ってひとくち飲んだが、ジェニスは手をつけなかった。

「……深海、彼女はそう言ったわね」

「ええ。あと一人、話せる患者がいますが、彼からも似たような発言を聞いています。暗くて冷たい場所にいると」

「彼らから、ゴジラというワードが出たことは?」

「ありません」

「……あのう、いいでしょうか」

 野田が二人の会話への参加権を主張するように小さく挙手をした。

「もちろんよミスター・ノダ。何?」

「僕は生物の専門家ではありません。それに医学者でもない。だから全て憶測でしか言えませんが……」

「まどろっこしいのは嫌いよ。いいから意見をちょうだい」

 ジェニスは野田の顔目がけて紫煙を吹きかけた。野田はむせびながら煙を手で払った。

「ごほっ……あくまで、憶測というか推測というか、彼らはゴジラの記憶を共有しているのではないでしょうか」

 ジェニスも中島も黙って野田の意見を聞いていた。

「ゴジラは水陸両用の生物、しかも深海まで潜れます。おそらく主な生息域が深海なのでしょう。だから今まで、人間の前に姿を現すことが少なかった。一番記憶に残っていることといえば、棲み慣れた環境の光景。それを、あの黒い痣が見せている……どうですか? 僕の説」

 ジェニスは吸い終えた煙草を灰皿に捨てた。

「そうね、異論はないわ。おそらくあの痣は、ただの腫瘍(しゅよう)とは違う。神経まで汚染してしまう作用があるのだと思うわ」

「実際、死んだ患者の解剖を行ったのですが、あの痣は植物の根のように体の神経という神経に絡みついていました」

 中島は数点の写真を見せた。それは死亡患者の解剖の様子を写していた。そのうちの一点には、患者の肉体の断面図を写したものもあった。表皮には例の痣があり、そこから先の説明のように、肉、骨、血管、神経にと根っこのように黒い物体が広がっていた。

「あなたの説が正しければ、あの黒い痣は記憶媒体のようなものなのかしらね。ゴジラの記憶を共有し、肉体や神経を蝕み、恐怖の洗脳を繰り返す」

「だとしたら……」

 野田の脳裏に、敷島典子の顔が浮かんだ。彼女の首筋に、あの黒い痣があることは野田も知っている。秋津も水島もだが、彼らは知っていて触れないように努めていた。彼女を傷つけさせないために。

「何?」

 ジェニスが顔を覗き込んできて、野田は「ああ、いえ……」と言葉を濁した。

「そうだ、例の大戸島の患者の写真もお見せしましょう」

「それと、ミスター・ノダにあのベイビーを見せてあげてくださらない?」

 中島は承諾し、まずテーブルに写真を置き、金庫からホルマリン漬け容器を取りだして野田に渡した。食い入るように写真を見るジェニスの横で、野田は口をあんぐりと開けて容器の中身を凝視していた。

「な、何なんですか、これ……」

「ゴジラとヒューマンのハーフ。世界に一点の代物よ、落とさないでね。……やっぱりこの痣は、ここの患者のと同じようね」

「ええ、私もそう判断して、こちらに移送するよう指示をしました。早ければ数日中にも来るはずです」

「彼から放射能は?」

「いえ、診察した医師は民間でしたから、ガイガーカウンターは持っていませんでした」

 だがおそらく、この痣はゴジラに遭遇した証だ。だとすれば、新たな二匹目、もしくは完全に死にきれていなかった個体が、どこかに生息していることになる。

「……彼は7年前、東京にいたの?」

「いえ、そこの確認は取れていません。ですが、おそらく違うかと。なにせあの島の住民は、ほぼ一生を島で送る者が大半だそうですから」

 一縷(いちる)の望みは、彼が7年前の大災害の被災者であるかどうかだ。もしそうなら、ゴジラ生存という線は薄れ、新たに黒い痣の持ち主を見つけたということで終わる。そうだといいのだが。

 そのとき電話が鳴り、中島が受話器を手に取って対応した。

 野田は相変わらず容器の中身に夢中だった。目の前のモノが信じられないという顔をずっとしている。

「そんなにその子のことが好き?」

「……こんなものが、生まれてしまうなんて……」

 野田はそっと容器をテーブルに置いた。一見すれば人間の胎児だが、体が漆黒で、背鰭と尾が生えている点は、明らかに人間でないことを表していた。もしこれが成長したらと思うだけでも、背筋が凍った。

「何ですって⁉」

 電話口に驚きの声を上げた中島に二人は顔を向けた。その後も通話を続けた後、受話器を置いた中島院長の顔には不安が満ちていた。

「どうしたの?」

 ジェニスが問いかけると、中島は目を泳がせながら言った。

「……大戸島で、虐殺が起きたようです」

「虐殺⁉」

 野田は思わず立ち上がった。

「……例の、島の患者を迎えに行った医師からでした……電話は……島に到着すると、もう島内が滅茶苦茶に荒らされていて、あちこちに死体が散乱していた、とのことです……」

 二人は絶句して、目を見開きながら中島を見つめた。中島は全身の力が抜けてしまったようにソファに座り込んだ。

「ど、どういうことですか……」

 野田の呟きに答える者はいなかった。

 沈黙を破ったのはジェニスだった。

「……患者は、例の患者は?」

「……まだ現地でも混乱しているようで、詳細は」

「電話を借りるわ」

 中島の許可を取るまでもなく、ジェニスは受話器を取り、この国の支援機関に電話をかけ、母国語で話した。

「ああどうも、クロフォードです。はいマリア、いつもどおり参事をお願い。……どうも参事、実は緊急の要件でお願いがあるの。横田基地に水陸両用機はある? ええそうよ、普通の飛行機じゃなく海上に着水できるやつ。なぜって? いいからあるのか確認して! ……そうなのね、よかった。すぐにチャーターしたいの、目的地は大戸島。そこでジェノサイドが発生したの。私の調査対象もその島にいる、原因を調査しないといけないの。分かってるわよね、私が国務省のお客様ということは。……感謝するわデラード、今度ビールを奢らせて。では一時間以内に野田家へハイヤーをお願い、それじゃ」

 矢継ぎ早に話した末に受話器を置き、一呼吸おいた。

「ミスター・ノダ、島に行くわよ」

「ええ⁉ な、なんで?」

「決まってるでしょ、調査よ。学者にとってフィールドワークは欠かせないことを忘れた?」

「で、でも危険じゃ……」

「……いいわ、じゃあ私だけで行く。ドクター、情報提供に感謝するわ」

 ジェニスは足早に院長室を出て行った。野田は躊躇しつつ、中島に一礼してからジェニスを追いかけた。

 

 *

 

「そうですか、悪夢はまだ続いていますか」

 病院の診察室で、典子は相変わらず続く悪夢の症状を兒島医師に訴えた。

「見る頻度は減ったんですけど、その分、見た時の恐怖感がすごくて……震えが止まらなくて、日中もふとした拍子に思い出すこともあって……どうしたらいいのか……」

 拳をぎゅっと握り、典子はうつむきながら兒島医師に言った。

「……お辛いでしょうね。娘さんもいらっしゃるから、頼りない母親とご自分を責めてしまうことはありませんか?」

 典子は黙ってうなずき、鼻をすすった。

 ゆっくりと手を首筋に向けて、痣を触った。

「やっぱり、この痣のせいなんでしょうか。手術とかして、取り除けないんでしょうか」

「専門で調べている病院にそのことも問い合わせてみたのですが、たとえ表皮の痣を除去しても、神経にまで到達しているそうで、また数日後には復活してしまうようなんです」

「じゃあ、やっぱりどうしようもないんですね……」

 典子は今にも泣きだしそうだった。いつまでこんな日々を過ごさなければならないのか、考えるだけで生きているのが嫌になってしまう。だが夫と娘もいる今、そんなことを考えるのがいかに罪悪であるかも分かっている。典子はずっと堂々巡りで彷徨(さまよ)っていた。

 爪が食い込む拳に、兒島がそっと手を添えた。

「大丈夫ですよ。私が力になりますから」

 兒島の優しい言葉に、典子は我慢していたものをすべて吐き出すように我を忘れて泣いた。

 いつの間にか、典子は兒島と抱き締め合っていたことに気が付き、体を離した。

「ごめんなさい私ったら。先生に失礼なことを」

「いいんですよ、思いっきり泣くことも大事です。……少し、痣の具合を診させてもらってもいいですか?」

 泣き終えて少し気の晴れた典子は了承し、ブラウスのボタンを外し、首元をよく見えるように広げた。

「失礼」

 兒島は立ち上がり、片手を典子の肩に置きながら黒い痣を見つめた。

 診察室には、典子と兒島の二人だけ。

 次第に、指で痣をなぞるように触りだした。その手は肩に移り、より下の方へ向かおうとしていた。

「……先生?」

「あ、もう結構ですよ」

 兒島は典子の体から手を離した。

「いつも通り、お薬の処方箋出しておきますね」

 席に戻った兒島は、いつもの気さくな笑みを浮かべながらカルテにサインをしていた。

 典子は黙ってうなずき、ブラウスのボタンをはめた。

 あのまま、手が下に行っていたら……いや、そんなことはない。この先生に限ってそんな不埒なこと。

 典子は頭に浮かんだ疑念を払い除け、兒島医師に感謝の言葉を述べて診察室を出た。

 兒島は閉められたドアを、思い深げにじっと見つめていた。

 

 *

 

 空の長旅を経て、アメリカ海軍グラマンJRF―5水陸両用機は、大戸島の港に着水した。

 正確には、港だった場所だった。人気(ひとけ)はなく、破壊された漁船が数隻あり、残骸が海面を漂い、船の墓場のようだった。

「……ムードのある場所とは言い難いわね」

 空には月が昇り、かつて有人島だった島に光を落としていた。

 月明かりに照らされて影を生むのは、住居の瓦礫ばかりだった。

 島には先に現着した警察と、たまたま付近を航海していた海上保安庁巡視船の海上保安官たちによって、遺体の回収作業が行われていた。港施設には整然と屍が並べられており、野田は合掌した。

「おい、あんた達」

 現場を仕切ってる様子の中年警察官に、野田とジェニスは呼び止められた。

「あんたら(なん)ね? 報道の人間には見えないが」

 野田が口を開くのより先にジェニスが前に出た。長身の白人女性を前に、中年警察官は一瞬たじろいだ。

「私はアメリカ合衆国の特別調査官です。日本政府と合衆国の特命により、本件の調査に加わる権限を得ています」

 ジェニスは中年警察官の眼前に「アメリカ陸軍技術士官待遇軍属」と英語で明記された身分証明書を見せつけた。いきなりのことで中年警察官も内容を把握できず、そもそも彼は英語が読めなかった。

「お疑いなら、上の方に確認をしていただいても構いません。ですがその場合、外交問題に発展する恐れがありますが、もちろんその責任はあなたがお取りになってください。……どうされますか?」

 穏やかな脅し文句に、中年警察官は怯んだ。

「……そ、そちらは?」

 中年警察官は野田を指して言った。

「彼はミスター・ノダ。あのゴジラを殺したオペレーションワダツミの立案者よ。私よりもあなたたちの方がよく知ってるんじゃなくて?」

 すると若い警官が「あっ、知っております!」と声を上げ、上司に説明した。

「……分かりましたよ、ただ捜査の邪魔はなさらんでください。ただでさえ、手のつけようのない有様なもんで」

「それは重々承知してます。こちらも合衆国代表として協力させていただきますので」

 ジェニスは強引に中年警察官と握手をし、強引に現場調査への同行許可を得たことに満足した。

 

「本当にあなたという人は、平気で嘘をつきますね……」

 二人だけになった時、野田は小さな声でジェニスに言った。

「だって事実でしょ? ここにいるアメリカ人は私だけ、合衆国代表と名乗ってもイエスは笑って支持してくれるはずよ」

 野田は溜息をついたが、周囲の惨状を見て、こんな言い合いをしてる場合でないことを悟った。

「一体、何が起きたんでしょうか……」

「何者かに襲われた、今はそれしか言えないわね。でもゴジラじゃない。ゴジラなら、一軒ずつ押し入って襲撃なんて出来ないでしょ? 踏みつぶして終わり」

「確かに……でも、熊のような生物の仕業とも思えませんし。かといって人間の仕業とも思えない」

「それを調べるために来たんでしょ? とにかく調査開始よ」

 二人は警官隊に随行する形で、一軒ずつ被害状況を確認した。どこもかしこも、何かが侵入し破壊の限りを尽くしたことを瓦礫を証拠に残していた。野田は家から持ち出していたライカM2のシャッターを切り、まだ原因不明の災害現場を記録した。

「おーい、通るぞー」

 担架を担ぐ警官たちが、瓦礫を避けながら進んでいく。担架には布がかけられていて、そこから血の付いた腕がだらりと垂れ下がっていたのを二人は見逃さなかった。

「あの山の(ふもと)の家、特に酷いようです。村長以下十数名も、全員やられてました」

「どこにも生存者はいないのか……」

 警官たちの話どおりなら、この島はまさに玉砕同然のような状態に陥っているということだった。

「野田博士」

 声をかけたのは、先ほど野田のことを知っていると証言した若い警官だった。

「島の集会所に、通報者の医者がいるのですが、事情を聴かれますか?」

 この警官はとても協力的と見え、野田よりも先にジェニスが反応した。

「ぜひお願い!」

 二人の若い警官の先導に従い、集会所に向かった。そこは比較的被害が少なかったのと、港に近いという立地条件から、臨時の調査本部が置かれていた。そこにはランプの明かりで満ちていて、島で唯一明るい場所だった。

 そこには椅子に座り、ずっと虚空を見つめる白衣を着た男性の姿があった。診察に同行していた看護婦は、横になって休んでいた。来島して目撃した光景のショックがよほど大きかったのだろう、彼女は肩を震わせて泣いていた。

「あなたが例の写真を送ったドクター?」

 流暢な日本語を話す米国人女性の声に、医師は黙ってうなずいた。

「この島に来た時から、この状況だったの?」

 医師はまた黙ってうなずき、何度も唾を飲み込みながらゆっくり話した。

「わ、私は……月に一度、この島に診察に来ていたのです……月末に……ただ、島民の中に、昏睡状態の青年がいて……し、診察をしました……背中に、黒い痣があって……すぐに東京へ報告を……入院手続きについて話すため、またこの島に来ました……ところが、港も村も滅茶苦茶で、あちこちに死体が……」

「襲われた原因について、何か心当たりは?」

「……わかりません……彼も、いなかった」

「彼? ……その痣のある青年のこと?」

「ええ……今のところ、彼の死体も見つかってないそうですし……あれだけ深い昏睡状態だったのに、診察からわずか数日で目覚めるとも……思えませんし」

「彼の名前は? 家はどこ!」

 ジェニスは医師の両肩をつかんで問いかけた。

「な、名前は山本佐吉(やまもと さきち)……家は、少し坂を上がったところ……」

 ジェニスはすぐ外に飛び出し、その後を野田と若い警官が追った。すぐ若い警官が追いついて、山本家への先導を担った。

 山本という表札のかかった家も、やはり生者の気配を感じさせない静けさに満ちていた。三人は土足のまま家に上がり、家の様子を見回った。物損被害は仏壇のある部屋だけで、他の部屋は無事だった。

「ここには何人住んでたの?」

「えー、家長は山本文造(やまもと ぶんぞう)。婿養子で入ってきた者です。妻は山本加代(やまもと かよ)。そして加代の弟の佐吉、計三名です」

 若い警官は島民情報の記載された資料を見ながら答えた。

「夫婦の遺体は見つかってるの?」

「いえ、まだそのような情報は……」

「夫婦もそうだけど、とにかくその佐吉という青年を見つける必要があるわ。絶対に」

 その時、家のどこかがきしむ音がした。三人は立ち止まっていたし、この家は大きな損傷もない。

 ……誰かいる?

 すぐに捜索が始まり、野田が納戸(なんど)を開けて素っ頓狂な声を上げた。

「い、いましたぁ! 生存者ですっ!」

 納戸には衰弱した寝間着(ねまき)姿の女性がいた。息はあるが、おそらくずっと戸を開けることなくここで隠れていたのだろう。唇が青紫色になっていた。

「ポリス! すぐに彼女を集会所に運んで! あの医者に診せなさい! 早く!」

「わ、わかりましたっ!」

 女性はすぐ運び出され、若い警官に抱きかかえられながら外へ出た。

 生存者発見の報はすぐ警官隊にも伝わり、全滅ではなかったことに安堵した。だが医師の診断の結果、女性の状態は極めて危険と判断され、海上保安庁の巡視船に乗せられて一足先に地獄から離れた。

「……回復したら、話を聞くことにしましょう」

 二人は傷だらけの港に立ち、島から離れてゆく巡視船を見送った。

「そうですね。でも、よかった。一人でも生き残ってて……」

「あとは佐吉ね。彼が今どこにいるのか……」

 刹那、警官の叫びにも近い報告が響いた。

「お、おぅい! 来てくれぇ! 大変なもんがある!」

 すかさず二人も叫ぶ警官の方へ走り、やがて異様な場所にたどり着いた。そこは戦時中の基地の跡地で、今は人気のない廃墟だった。

 飛行場だったと思しき広場の中心で、数人の警官が懐中電灯で何かを照らしていた。二人もそこへ足を運んだ。

 そこには二つの死体があった。ひとつは、体の前面が酷く損傷した男性の死体。そしてもうひとつは……何と形容すべきなのか、警官たちには分からなかった。が、野田とジェニスは分かっていた。脳裏にはあのホルマリン漬け容器に収められた異形の胎児が思い起こされた。

 ソレは頭部を失い、仰向けになって地面に倒れていた。全身が黒く、表皮はケロイド状、手と足の爪は獣のように鋭く伸び、尾が生えていた。

「……まさか」

 ジェニスは手袋をはめて、ソレをゆっくり横に動かした。

 警官たちは後ずさった。野田はそれを凝視した。ジェニスは、やはりかと納得した。

 ソレの背中には、背鰭があった。

 元々は寝間着を着ていたのだろう。背鰭にはその破片が残っていて、裏地に「サキチ」と書かれていた。

 ジェニスは立ち上がり、警官たちに命じた。

「……搬送(はんそう)の準備を」

 

 *

 

 夜。

 典子はちゃぶ台に頬杖をつきながら、今日の診察のことを思い出していた。

 些細なこと、考えすぎ、何度も自分に言い聞かせたが、夫以外の異性に肌に触れられた感触が忘れられずにいた。それは火照るというものではなく、何か薄ら寒いものを感じさせる違和感だった。

「お母さん、どうしたの?」

 娘の声で我に返り「何でもないよ」と笑顔を作った。明子は先ほどから、手紙を書いていた。相手は水島だ。

「喜んでくれるかなぁ」

 娘の声は弾んでいた。先日の夕食会で自衛隊の制服姿を見てから、明子は水島に夢中だった。あの時に野田がカメラで、二人を写真に収めていた。その写真が家に届くや、水島さんに送ってあげるんだと言って聞かず、便箋を買い与えた。

「きっと喜んでくれますよ。水島さんは国を守るために毎日働いてらっしゃるんだから、きっと喜ぶに違いないわ」

 明子は満面の笑みで「うん」とうなずき、手紙の続きを書いた。

 夫の敷島は臨時の教員会議のせいで帰りが遅くなっている。何でも、学生たちの間で結成された共産主義的な集団が、今月十五日の終戦記念日に合わせて何か集会のようなものをするらしかった。大人たちが主催する団体と共にパレードをするという話もある。何にせよ、学校としてそのような社会活動を認めてしまうのは危険性が高いと考え、夏休み中でも教員たちは気の抜けない様子だった。

 正直、今日のことを誰かに相談したい。相談といかなくても、せめて話をしたいと典子は思っていた。隣家に住む気心の知れた澄子は、数日前から東北に住む縁者のところへ旅行に行っている。近所にも仲良くしている人はいるが、澄子ほど親しく付き合いのある人はいない。夫は帰ってきても、風呂に入ってすぐ寝てしまうだろう。

 頼れる人がいない。典子は孤独感を覚えた。

「お母さん……」

 明子がさっきと打って変わって、悲しそうな眼をしてこちら見てきた。

「水島さんの、住んでるところ聞くの忘れちゃった……」

「ああ……あ、大丈夫ですよ。水島さんは横須賀の基地にお勤めだって言ってたから、そこに送れば大丈夫。明日、一緒に郵便局に行って確認しましょうね」

 明子はホッとした様子で、また笑顔を取り戻した。

 ……もう考え込むのはやめよう。そもそも自分が気にしすぎているのがいけないのだから。

 それに、もしかしたらあれは勘違いだったのかもしれない。先生の手はずっと肩にあった。そうよ、きっとそう。悪夢を見るようになってから、神経が過敏になっていたのも事実だし、うん……。

「ただいまー」

 玄関の戸が開く音がして、敷島は長い会議から解放されてやっと帰宅した。

「お帰り―」

「おお明子、手紙か? 誰に書いてるんだー?」

 明子は「んふふー♪」と笑ってはぐらかした。

「お帰りなさい浩さん。会議長引きましたねぇ」

「ええ、生徒の思想は自由だとする意見もあれば、社会運動をするのはまだ早すぎるという意見もあったり、学校の名誉が云々とか、まさに喧々諤々(けんけんがくがく)、俺はただ傍聴してたようなもんだったよ、はは……どうした、何かあったか?」

 妻の顔を見た敷島は、彼女の中に暗い影を機敏に感じ取った。

「……何もないですよ? 今日も先生とお話して、お薬もらっただけです」

「そっか。いやぁしっかし疲れた」

 そう言って敷島はネクタイを外し、居間の隣にある夫婦の部屋に入っていった。

 典子は、今日のことは黙っておこうと思い、夫のために風呂の準備を始めた。

 

 *

 

 山本加代は病院のベッドで目を覚ました。

「お目覚めね、ミセス・カヨ」

 声の主に加代は視線を送った。ベッドの傍らに、長身で軍服のような服装の白人女性が立っていた。その横には天然パーマの日本人男性も立っていた。

「私はジェニス、こちらはミスター・ノダ。彼があなたを救助したのよ」

「……あなたが?」

「いや、たまたまですよ、たまたま」

 加代はゆっくりと上半身を起こそうとしたが、ジェニスが止めた。

「まだ横になってた方がいいわ。かなり衰弱してたんだし、何日も寝てたんだから」

「寝てた……島……じゃあ島の出来事は、夢? 夢ですよねぇ!」

 ジェニスの服の袖をつかみながら加代はすがるように叫んだが、ジェニスの暗い表情を見て察した。あれは現実だったんだと。加代は力なく手を離した。

 代わりに、ジェニスが加代の手を握った。

「……辛いことなのはよくわかる。だけど、どうか教えて。あの日、何が起きたのか」

 しばらくの沈黙の後、加代は記憶を思い出しながら口を開いた。

「……佐吉は、ずっと寝てたんです。船が沈んで、島のみんなで探しに行ったら、海の上で浮かんでたのを見つけてもらって……でもずっと目を開けてくれなかった、息はしてるのに……しかも背中には、今までなかった黒い痣まで出来てしまって、もう可哀想で可哀想で……それで、月に一度来てくれるお医者さんに、診てもらって……また来るって言われたけど、何かもうすごく不安でした……あの夜、寝ようとしてたら、佐吉の部屋から声が聞こえて……それで、障子を開けたら……」

 ここで加代は過呼吸を起こし、すぐに医師が割って入った。加代はうわごとのように、こう言い続けた。

「背鰭、背鰭が! あの子の背中から!」

 狂ったように叫び続け、医師が鎮静剤を打つまでそれは続いた。

「……もうこれ以上の尋問は」

 医師が取りやめるよう忠告するよりも先に、ジェニスが断った。

「もう十分よ。もう分かったから、彼女の言いたいことは」

 島で唯一の生還者である加代は、苦悶の表情で再び眠りについた。

 

「これでハッキリしたわね。あの島を壊滅させたのは山本佐吉。彼は、怪物になった」

「ええ、信じたくはありませんが……」

 病院の近所にある旅館の一室で、ジェニスと野田は意見を通わせた。山本加代と、山本佐吉だったモノの死体を移送してから、この旅館を拠点に二人は活動していた。

「しかし謎は盛りだくさんよ。他に痣がある人間は既にいるのに、どうして彼だけがあのような姿になったのか。あの痣の由来は何か。何をきっかけに彼から背鰭が生え出したのか」

「……やはり、漁船の沈没はゴジラの仕業だと考えた方がいいかもしれませんね。でないとまず、彼に出来た痣の説明ができません」

「私も同意見よ。では痣の由来についてはその仮説を取りましょう。では次、なぜ彼に背鰭が生える現象が起きたのか」

「うーん……彼はずっと昏睡状態で、寝たきりだった。その間に痣があらゆる神経にまで繁殖して、内側から彼を変えた、とか」

「細胞レベルでということね。確かにそれくらい、あの痣……あれがゴジラの細胞だと仮定して、それは宿主の体を乗っ取ったということになるわね。まるで寄生虫ね」

「あの痣を持っている人は、深海に潜んでいる時のゴジラの記憶を共有しています。……奴は人知を超えた生物です。もしあなたの言うようなことがあったとしても、もはや驚きませんよ僕は」

「私もよ。あいつはただの生物じゃない。有害な放射能をまき散らしながら生きてる生物なんて、他にいないわ。しかもビームだって吐くし」

 ジェニスは煙草に火を点け、座卓の上に置かれた写真に目を落とした。それは先日、地元の病院で解剖された佐吉だったモノを撮影したものだ。表皮があまりにも硬く、普通のメスでは折れてしまうので、解剖には包丁や(なた)などが用いられた。臓器の配置は人間だった頃のものと変わらなかったが、どの臓器にも黒い変色が見られ、酷い臭いがしていた。

 この固有名のない死骸については、まだ世間への公表が控えられている。現場の目撃者たちにも一様に緘口令が布かれ、いずれ東京に搬送され、より多くの研究者や専門家によって検証がなされる予定だった。それでも世間に公にするかは、まだわからない。情報統制は戦後になっても日本のお家芸として残っている。

「……ゴジラがまた現れたとして、それは新たな個体だと思う? それとも、オペレーションワダツミで倒したはずの個体だと思う?」

「いや、分かりません。最初のゴジラの時は、こんなことはありませんでしたから……」

「私は……あくまで勘ではあるけど、ワダツミから生き残った個体だと思う」

「ですが、体は完全に朽ち果てて、海に沈んで……」

「ゴジラには驚異的な再生能力があるんでしょ? あなたはそれを間近で見たはず」

 野田は、初めてゴジラと邂逅し、危うく死にかけた時のことを思い出した。回収した機雷を海に投下して、運よく口に入ったところを敷島が機銃で撃ち爆発させた。顔の半分が吹き飛んだにも関わらず、損傷部位が不気味に蠢き、ゴジラは再生した。あのとき重巡高雄(たかお)が間に合わなければ、きっと今こうして生きてはいまい。

「……生き物にとって欠かせない臓器は、まぁいくらでもあるけど、一番必要なのがあるとすれば、何だと思う?」

「……心臓、ですか」

「正解。どんな生物でも心臓がなければ生きていけない。確かにオペレーションワダツミでは、ゴジラの頭部を原型を留めないほど破壊できた。でも心臓は?」

 野田は答えなかった。作戦後、日本政府がゴジラの遺骸回収を試みたものの、場所は1500メートル以上の深海、もちろん無理だった。

「……行動不能には出来たが、殺すことはできなかった、かもしれないと?」

「あくまで仮説よ、仮説。あなたが死ぬ気で作戦決行した勇気を無駄だと言ってるわけじゃない」

「……いや、でもそうかもしれない。でなければ、やはり納得がいかない気がするんです。海神作戦が終わってからも、何か胸騒ぎを感じていたのは事実ですから」

「では、オペレーションワダツミで葬ったはずのゴジラの心臓が、まだ死んでいなかったと仮定しましょう。その心臓はその後、どうなると思う?」

「……奴のことです、時間をかけてでも体が少しずつ再生したでしょう。ただどう考えても、奴は生物です。元となる体がバラバラなのに、またの巨大な体を手に入れるとは考えづらい」

「それはひとつ、説明できると思う。アメリカは何度も核実験を行ってるでしょう?」

「……まさか、また被曝を」

「しかも年々実験で使われる爆弾の威力は強力になっている。ヒロシマやナガサキなんて目じゃないくらいのものをね。私が関与した1952年のアイビー作戦では、小さな島だったけど爆発後に消滅した。そんなのをボンボンやってる近海にもし、ゴジラがいたら?」

「……間違いなく、成長するでしょうね。しかも、より強力に」

「私が懸念しているのはまさにそこよ。私は長く原爆に携わってきたけど、正直嫌気がさしてたの。作ってるこっちだって微量にせよ被曝は避けられないし、またどこかの国に落とされるのも嫌だし、何よりも、ゴジラを生んだことへの罪悪感は半端じゃないわ」

「……あ、あなたが悪いわけでは」

「それにそのせいでパパも死んだ。大好きだったパパが、跡形もなく消滅した……私が、殺したようなものよね」

「そんなことはないっ!」

 野田は断言した。ジェニスの目は、潤んでいた。

「……私も、戦時中に多数の兵器開発に携わりました。原爆を作るという計画に参加していた。そして最後は、毒ガス兵器の製造を任され、その過程で多くの若者が中毒に苦しむのを見てきました。公表されてないだけで、死者が出ていたかもしれない。兵器を作る者は、苦しみを背負う、それは仕方ないことなんですよジェニーさん! 苦しんでるのはあなただけじゃない。私もそうだ。生みの苦しみを覚えない兵器開発者なんて、それこそ人間じゃない。後悔して当たり前なんです、自分の作品が顔も名前も知らない人々を殺す道具にされるんですから」

 野田の言葉のあと、ジェニスは鼻をすすりながら口を開いた。

「……前に、私は後悔なんてしない主義だなんて言ったの覚えてる? あれは嘘よ。ずっと後悔してる。ヒロシマとナガサキの時は、戦争に勝つためだからと割り切ってたけど、原爆によって生まれたゴジラが、愛する肉親を殺した……私は、とんでもない娘ね」

 野田は、黙ってジェニスを背中から抱き締めた。異性にこんなことをするのは、生まれて初めてで緊張もしたが、体が勝手に動いた感じだった。

「あなたは悪くない。あなたは、もう二度とあのような悲劇が起きないように、今こうして行動してる。それをあなたのお父様は、誇りに思ってるはずです」

 そう(ささや)くと、ジェニスは堪らずに泣き始めた。この人はずっと我慢していたのだろう、こうして悲しみを誰かに吐露するのを。野田はそう思い、泣き止むまでジェニスの側に寄り添い続けた。

 

 *

 

「水島三尉―! お手紙ですー!」

 よく晴れた空の下、艦橋で仕事中だった水島は、桟橋から自分を呼ぶ声に気づいた。下を見遣ると地方隊本部で働く内勤職員がこちらに手を振っていた。

「おーう、誰からー?」

「えっと、敷島明子さんという方からですー!」

「えっ? 明ちゃんから?」

 水島はすぐ下に降りて、桟橋で封筒を受け取った。表には丁寧な字体で「海上自衛隊横須賀地方隊 水島四郎殿」とあり、裏には子供らしい書き方の字で「敷島明子」とあった。きっと宛名は典子が書き、差出人欄を明子本人が書いたのだろう。水島はその光景を想って微笑みながら封を切った。

 花柄の可愛らしい便箋には、まず水島の息災を案じる文言、次に明子の近況や最近好きなものについて、そして結びに「大好きです」という言葉まで添えられていた。

「いやまいったなおい」

 水島はにやけながら明子からの手紙に目を通し、さらに封筒の中に一枚の写真が入っていたことに気づいた。それは敷島家での進級祝いの席で、明子と一緒に写ったものだ。それを見てさらに水島の顔には優しさが満ちた。

 その空気を引き裂くように、軍港にサイレンが響き渡った。

「緊急命令、緊急命令。はるかぜ、ゆきかぜ、速やかに出港準備。乗組員は艦長の指示に従うように」

 水島は便箋と写真を封筒に戻し、ズボンのポケットにしまって急ぎ艦に戻った。

 艦橋操舵室に入ると、はるかぜ艦長の堀田(ほった)が全艦放送で呼びかけた。

「艦長より達する。本艦はこれより出港し、大戸島周辺海域の警戒行動を取る。なお、常に実戦同様の配備を展開する。総員気を引き締めて任務に当たるように、以上!」

 堀田の命令を聞いた乗組員たちは、次々と持ち場に戻り出港準備に取り掛かった。

「水島さん、やはり大戸島はゴジラが?……」

 若い部下が訊ねてきた。彼は東海地方出身者で、ゴジラを直視したことはない。しかし重巡高雄を沈め、東京を空襲以来の焦土に変えた怪物のことは、もちろん知っていた。

「わからん。だが、こうして命令が出たということは、可能性はゼロじゃないってことだ。いいから計器確認しろ!」

 水島の一喝で、若い部下はすぐに作業に戻った。

「水島三尉」

 声をかけたのは、艦長の堀田だった。彼は海神作戦の指揮官だった男で、警備隊発足の際には国から招聘を受けて入隊し、現在は海上自衛隊に身を置いている。駆逐艦雪風以来の艦長拝命は、戦後日本国が初めて建造した護衛艦「はるかぜ」だった。本来の就役はもう少し後の予定だったが、国防力の強化と、自衛隊発足に伴いアメリカからの供与艦ではなく国産の艦艇配備を急がせた結果、今年の春に就役した最新艦だった。

「まだ政府も判断しかねない状況のようだが、おそらく奴が現れたと考えている」

 大戸島の虐殺は、すでに本土にも広く知れ渡った悲劇であり、また謎の多い事件であった。しかし呉爾羅伝説が古くから伝わり、さらに実際、終戦直前に呉爾羅が出現した島でもある。常識を超えた事態が起こったとしても、不思議ではない。

「ですが、奴は我々で倒したはずです」

「うむ……だが、奴は普通の生物じゃない。それは君もよく知ってるだろう?」

 水島は、初めてゴジラと遭遇した時のことを思い出した。機雷で頭が半分吹き飛んでも、すぐに再生した尋常じゃない生命力。海神作戦では完全に頭部を破壊できたが、それでも奴は生きているというのか? 信じたくはなかったが、絶対にないとは言い切れなかった。

「とにかく、我々は海域の捜索を行い、必要とあれば武力行使も辞さない。心しておくように」

 水島は敬礼で答え、堀田も旧軍時代から染みついた所作で敬礼した。

 最新護衛艦「はるかぜ」と、旧海軍駆逐艦を改装した幸運艦「ゆきかぜ」は、横須賀港を出た。

 双眼鏡で航海支障物の有無を確認しながら、水島は呟いた。

「待ってろよゴジラぁ、ぶっ殺してやっからよ……」

 

 *

 

 大戸島の虐殺は国内外に波紋を呼んだ。何せあのゴジラと縁の深い島での出来事だけに、人々の興味関心を集めた。また唯一の生き残りである山本加代に対しても、報道は異常なほど直接取材に執着し、病院には常に警察官が配置されていたが、敷地に入り込む者、医療関係者になりすまして院内に忍び込もうとする者、挙句の果てには電柱に登って望遠カメラでその姿を撮ろうとする者までいて、その都度警察が効力を行使して対処に当たった。

 

 沼津の漁師となっている秋津も、大戸島の悲劇をニュースで知り、やはりゴジラのことを思い浮かべた。だが他人にそのことを問われても「バーカ、ゴジラは死んだんだよ。俺が殺したんだからな!」と強がりながら吹聴した。

 だが内心は、あの怪物が復活したのではないかという不安感が募っていた。もう二度とあんな怪物と対峙するのは、まっぴらごめんだった。

「船長ー、あれ」

 沖に船を走らせていたとき、洋上をゆく二隻の軍艦を若い乗組員が指差した。おそらく横須賀から出港したであろう日本の護衛艦だった。

 水島は確か、船乗りになったと聞く。しかも横須賀の。

 おそらくあの二隻は大戸島に向かっているのだろう。秋津はエンジンを止め、船首の方へ向かった。

「……小僧、死ぬんじゃねぇぞ」

「えっ、俺死にませんよ?」

 秋津の呟きを聞いていた若い乗組員が驚いた顔をした。

「バーカ、お前じゃねぇよ。俺の……一番弟子のことだよ」

 

 敷島もラジオや新聞による報道で、あの大戸島での悲劇を知り、浮かない顔をしていた。これがゴジラによるものなのか、それともまた違う生物による襲撃だったのか、現時点ではわからなかったが、破壊の限りを尽くされた島の写真を見る限り、人の手による事件とは到底思えなかった。

「……浩さん」

 夫の顔を察して、典子が声をかけた。彼女もまた島での悲劇を気にかけていた。

「……何かが、また起きてるんだと思います。恐ろしいことが」

「……お向かいの佐藤さん、しばらく北海道に疎開されるんですって」

 再びゴジラが来るのではないか。だとしたら、再び東京を襲うのではないか。市井にはそのような流言飛語が飛び交い、地方へ一時的に逃げようとする人々も少なくなかった。その相談は教員の敷島にも来ていて、特に彼は海神作戦の参加者にして「最大の功労者」として人々に認知されていただけに、何か参考意見を求めようと急な来客や電話が来ることもあった。

「……どこに逃げたって、あいつを倒さない限りは何も解決しない……みんな分かってくれないから困りますよ」

「……私たちも、どこかへ移りませんか? 私、恐い……」

 不安がる典子に、敷島は優しい眼差しを送りながら言った。

「大丈夫、まだ奴が復活したと判明したわけじゃない。それに日本だって、自衛隊という新たな軍隊を持ったんだ。大丈夫だよ典子」

 すると天佑のようにラジオ放送が番組を中断して臨時ニュースを伝えた。

「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。日本政府は先ほど、大戸島近海に護衛艦二隻を派遣し、海上警備行動を発令しました。付近を航海する船舶には規制が布かれますので、貨物旅客の運送航路に変更が生じるものと……」

「ほら、言った通りだろ? 政府だって馬鹿じゃない、ちゃんと対策をしてるんですよ」

 明るく語りかけた敷島に、典子は努めて微笑んだ。

 だが心の内では、不安はまだ残り火のようにくすぶっていた。

 

「日本中が大戸島パニックね」

 夕焼けに染まる飛行場で煙草を吹かしながら、ジェニスは連日の報道で不安に満ちたこの国をそう表現した。

「仕方ありませんよ。謎の生物によって島の人間がほとんど殺され、しかもそれがゴジラに因縁のある島。騒ぎにならない方がかえって不気味です」

「そうね……さぁ、サキチと一緒に東京へ帰りましょう。ミセス・カヨ、心の準備はいい?」

 ジェニスと野田は、やっと歩けるまで回復した山本加代に顔を向けた。

「……あの、どうしても一緒に行かなきゃいけませんか?」

「その件についてはさっきも話したはずよ。本当に嫌ならいいの、どうぞお帰りになって。でも、あの島に帰っても、あなたはどうするの?」

 そう言われて加代は口をつぐんだ。確かにもう、加代には帰る場所がない。島に帰っても廃墟があるばかりで、自分以外に人もいない。それにこの二人の側にいないと、報道がしつこくつきまとい、延々とあの恐怖の夜のことを根掘り葉掘り訊かれることになる。それは加代にとって拷問に近かった。

「……わかりました、一緒に行きます」

「偉いわカヨ、女性は強くなくちゃね」

 ジェニスは煙草を地面に捨ててブーツで揉み消した。

「さぁ行きましょう。楽しいフライトの時間よ」

 デラード参事に手配してもらった米軍輸送機に三人は乗り込んだ。そこには木箱に収められた、佐吉だったモノも積荷として乗せられていた。東京に運んだらすぐ、東京大学で改めて調査することも調整済みだった。加代は着席する前に、その木箱の蓋を優しく撫でた。

「……言っておくけど、ミスター・ノダ。あの夜のことは誰にも話さないでね」

「あの夜? ……ああ、あなたが泣いちゃったことですか」

 すると隣席のジェニスは鋭い目つきで睨んできた。野田はすぐ「……ごめんなさい」と釈明した。

「私は他人に涙を見せたくないの。冷血な女として生きてるんだから」

「でも本当のあなたは、とても優しいですよ」

 ジェニスは鼻で笑い、シートベルトを締めた。やがて輸送機は離陸し、機首を東京に向けて飛行を始めた。

 

 *

 

 まただ、またここに来てしまった。暗くて冷たいこの場所に。

 目の前を見たこともない魚が通り過ぎる。大きな目をした魚が。

 ……何か、見える。あれは何?

 ぼんやりとしていて、まるで調子の悪い映写機の映像を見てるみたい。

 だんだん映像は、ブレが少なくなった。

 まず最初に見えたのは、こちらを見て悲鳴を上げる寝間着姿の女性。

 場面はすぐに移動した。目の前で高齢の男が逃げようと背中を向けた。その背中に、黒い腕が食い込んだ。男性は倒れた。部屋の隅で尻もちをついていた妻らしき高齢女性が、涙目でこっちを見ている。その人にも近づいて、殺した。

 また場面が変わった。外、かしら。屋根の上を、歩いている。鐘が鳴っている。

 地上に降りて、武装した集団に出くわした。刀や銃、鎌や包丁を持った男たち。

〈そんなものでは死なん〉

 心の声のとおり、男たちの行動は何も意味がなかった。一人残らず、赤子の首をひねるぐらい簡単に殺していった。

 また場面が変わり、周囲には港がある。船で逃げようとする者たちを、一人残らず……

「死ねぇ!」

 怒声と共に銃声が聞こえ、すれすれのところで弾丸を避けた。

〈これが最後だ〉

 心の声の後、場面は薄暗い場所に変わった。爆弾の痕が残る広場がある、寂しい場所。そこで男と対峙し、左手が男の腹に食い込む。男は腹と口から血を流した。ああ、この人も死んじゃうんだ。そう思ったら、男は手榴弾を口に入れてきた。吐き出そうとしても、男が覆いかぶさって許さない。目の前はまっくら。乾いた爆発音。

 終わった。

〈どうだ、どう思う〉

 どうって……ただただ悲しいだけ。

〈つまらん女だ。なら、もっと面白いものをそのうち見せてやる〉

 何? 何を? ねぇ!

 返答はなかった。

 

 典子は、目を覚ました。

 全身が汗で濡れていた。まるで水から引き揚げられた魚のように。

 また例の悪夢だった。だが今回のは、今までのとは異質だった。

「あれは……あの死んだ人たちは……大戸島の人?」

 悪夢で見た家の景色は、新聞に載っていた大戸島の現場写真とよく似ていたのを思い出した。

 まさか、そんなこと……でもそれ以外に考えられない。

「……面白いものって、何?」

 敷島は教員会議、明子は友達の家に遊びに行っている。家には典子が一人だけ。壁掛けの時計の音と、彼女の息遣いしか聞こえない。

「……何なの?」

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