箱に閉ざされた静寂の中、キーを打つ音が僧都のように続いている。
薄暗い液晶に欠伸交じりの溜息を吐く。肺を喚起しきれずもどかしく思う。太ももに杭を穿ったように座り続けて、いつしか腰が固まっていた。
三つの時間、四つの城から戻ってからしばらく経ち、彼は特異点に関するレポートを書いていた。あらゆる夢が朝霧が如くあるようにあらゆる経験もまた、大抵は地平の彼方へ飛んでいく。故に記憶が鮮やかなうちに記さねばならなかった。
それでも、思いの外没頭してしまったと頭を振る。目の神経が萎むような感覚が不快感に舌打ちする。彼は眉間を揉み、もう一度深い深い呼吸をしてから席を立った。堰き止められていた流れが息を吹き返す。脚の血の巡りが回復していく。同時に寝惚けていた筋肉のせいで、僅かに足元が震えている。椅子の背に手を置いて身体を伸ばし、もう一度座ろうとした時だ。
「マスター。入っていいか」
高くも親しみを覚える声が掛かった。最近カルデアに召喚されたアーチャー、杉谷善住坊だ。入室を許すと、早速軽い足音が聞こえてきた。
いつもならばそろそろ周回に向かっている時間なのに来ないことが気になったという。彼女は先の特異点でも食事や寝床の用意をしてくれた面倒見の良い人物で、共にいると居心地が良かった。大股で歩み寄ってきた善住坊はパソコンを一瞥する。
「ああ、例のレポートとやらか。寺の学侶どもを思い出すなあ。奴らもよく集まって論じあい、法を究めていたものだ。だが、お前の身体は固まっているようだぞ。一旦休んだらどうだ」
菓子と茶を持ってこようかとも提案されたが、生憎、今は甘味の気分ではない。一区切りついたら周回し、その後いただくことにしよう。そう正直に答えると、善住坊はそうかと頷いた。心なしか栗色の目が輝いている気がする。
「この後周回か、じゃあ先に充填させてもらうぞ」
善住坊はそう言うなり手甲で覆われた手を、彼の頭上へと伸ばしてきた。マスターもまた半ば反射的に膝を折る。女性にしては頼もしく、男性にしては優しい手が頭を撫ででてきた。
「よしよし……よしよし……」と、わざわざ口に出している。本人曰く、これをやると妙に気合が入るという。初めてされた時は驚いたし、今も犬猫になったようでこそばゆい。それでも手は母のように暖かく、いつも目を閉じて享受する。父性か母性か、あるいは他の心か、いずれにせよ好ましい。ただ、疲れのせいだろうか。眼前の豊かな双丘から目が離せない。心が男と分かっていても、視覚的な刺激はその鋭さを保っている。
「杉谷さん」
「なんだ」
「その、胸を借りても」
勇気を出して言ってみる。彼女は急な望みに目を見開く。ただそれも刹那のもので、すぐに減るものではないと言って手を退けた。そして共に傍にある寝台に腰を掛け、首の数珠を外して脇に置く。恥じらいを見せないのは、元が男故だろうか。斯様な思考も面倒になり、遠慮なく巨大な二つの餅に顔を埋める。一つ息を吐くと、俄かに餅が揺れた。絹のように滑らかな肌に柔和な熱、規則的な鼓動に得も言われぬ成熟した女の匂い。
「……っ、はー……」
また気の抜けた息が出る。善住坊もくすぐったさに声を漏らすが、咎めもせず髪を梳く。心が沖融とし、この後の予定も忘れ、瞼が錘を下げ始める。
「おい、眠いのかマスター」
少しずれ落ちた彼を支えて、善住坊が問う。意識が遠のき返事ができない。安定した寝息だけが谷の間を抜けていく。全身の力が融けるように抜けていく。微睡の中で、くすっと咲う声を聞く。
「おやすみ」
完全に暗転する前に、その一言を拾い上げた。そして静かに夜の水底へと沈みゆく石のように、彼は眠りに落ちていった。