これは慶誓が根来寺に入った4年目のことである。宮郷から根来寺へ至る路にて根来法師が奇襲を受けるという事件が相次いでいた。曰く其の者は若人にして小柄ながら巧みに鉄砲と鑓を操り、隠れるのも巧く、逃げ足は馬よりも早く曲者と追いかける間もなく消えてしまう。斯くて付いた仇名は『小雲雀』──真の名を的場源四郎という。善住がこの件を話したところ慶誓は黙り頭を抱えた。
「あれ、知り合いなのか?」
仄暗い三宝院の一室、向かいで茶を啜っていた善住が尋ねると彼はやおら顔を上げ二度頷く。彼曰く的場源四郎、諱を的場昌長は慶誓の故郷である中之島の土豪的場源内大夫の倅。彼にとっては幼馴染であった。幼子の時分からやんちゃ坊主として有名な一方、鑓の腕は同齢の少年たちの中でも特に優れ、鉄砲も慶誓と良い勝負をしていた。遊び仲間としてはこの上なく張り合いのある相手なのだが動くものを何でも撃ち抜きたがる悪癖があり、慶誓はいつも振り回されていた。
「まったく父親以上の暴れん坊な上、彼奴も彼奴で倅を止めんばっかりか背を叩いて煽るさけ手ぇ付けられん」
「んんぅ? そもそもなんで源四郎って奴はそんな物騒な真似してんだ? 土豪ってこたぁ金に困ることはないんじゃ」
善住の疑問に対し慶誓は首を横に振った。入山してから源四郎のことは多く聞いていないのだ。強いて言うなら2年ほど前から孫一に従い畿内を転戦しているという話くらい。再び深い溜め息を吐きかけた慶誓の口へ善住が団子を突っ込む。醤油の辛みと米の甘みが口の内を満たしていく。
「まあとりあえず食えよ。知り合いが騒動の種ってのは気分悪いだろうけど、お前は無関係なんだからさ」
「まぁ孫一もなんも言わんし、満足するか返り討ちにされるのを待つかやな。わいが出ても、うむ、絶対聞かんわ」
慶誓は団子を飲み込み頭を振る。自分が出たら源四郎は却って昂りかねない。かくて源四郎のことは放置する他ないと話を終えようとしたときだ。善住は「ならさ」と言葉を続けた。
「今度閼伽井坊の連中が徴収のために宮郷の道を使うんだ。そしてお供の中に俺の知り合いがいる。そいつに代わってもらおうかな。お前と同等の腕前の男と聞いたら気になって気になって仕方なくなったっ。よし善は急げだ。俺は行くぞ慶誓っ」
「待て待て待て待て待てっ!なんて事を言うんや、お前っ。勝手なことして杉坊の親方に迷惑かける気かいな」
「大丈夫だって、死人も出てるけどそれはそれ。お前だって源四郎が気になるんだろ? 調理中に怪我した俺を見つけたときと似たような目をしているから分かるよ。ついてこないなら聞いてきてやる」
善住は白い歯を見せて笑う。彼が笑うと太めの眉が下がって、無邪気な子供のような顔になる。慶誓は善住のこういうところが苦手であった。とはいえ院も谷も異なる以上止める理由もない。数日後善住は閼伽井坊に混じって宮郷の道へ向かっていった。また後日にはなんと泉識坊と杉坊が小雲雀に対して礼状を贈ったという噂が俄かに境内に広がったがこれには以下の出来事があった善住は語る。
閼伽井坊が馬に乗り、善住含む8人の根来法師らを伴い宮郷の麦畑の間を抜けていたときである。荒法師多き根来寺の頭領の一人として、閼伽井坊の眼は左の麦畑に潜む影を捕らえ厳かな声で問うた。
『其処にいるのは噂の小雲雀と見た。姿を見せいっ』
すると畑からばっと半裸の男が現れた。項まで伸びた柿渋色の髪。いかにも活発そうな眼、整った白い歯にしなやかな筋肉に覆われた手足と胴体。下履きに腰蓑だけという粗末な姿であったため善住は暫く彼が中之島の土豪であることを忘れていた。小雲雀と呼ばれた彼は獲物を見つけた鷹のような目を閼伽井坊に向けて叫んだ。
『やあやあそこの根来者っ、この的場源四郎、その首求むっ!』
興奮と冷静を兼ねた面持ちで源四郎が引き金を引こうとした時であった。なんと閼伽井坊は矢庭前へ出た。馬上で諸膚を晒し強く己の左胸を叩き、巨きな物怪に立ち向かわんばかりに。
『その猛き眼差し、断じて只人にあらず。さあ、打ちたくばこの胸撃ってみよっ!』
この言葉を向け源四郎の指が引き金から離れるのを、剛い眉が揺れるのを善住は見た。
『お、おまんん、阿呆かっ。むむっ! 動かんものを撃つのは恥っ! 素早うまかり通るがええっ!』
かくて閼伽井坊らは無傷で宮郷を抜けた一方、善住はこそっと列を抜け出し必死に小雲雀の背を追った。既に多くの根来法師より恐れられる源四郎は気配を消すのがとても上手い。一瞬でも目を離せば夜の鳥のように見失うだろうと思った矢先に視界から失せ、次の瞬間、善住は麦畑の中で引き倒された。弾ける音が連なり、首元に冷えた刃の感触を覚える。これは拙いかと善住は目を瞑る。しかし降ってきた声は伸びやかであった。
『源左の友か?』
『違うが』
『嘘やな。狸のふりした狐のつもりやろうが尾っぽが隠しきれてないど』
あっさり見透かされ善住は口を噤む。歯を見せ嗤う源四郎だが不思議と不愉快ではない。彼が笑うと眉と瞼の間が揺れ、愛らしさすら感じてしまうのだ。これは確かに人懐っこい野良犬のように好き勝手させたくなる魅力があるというべきか。自然と口の端が吊り上がってしまう己を自嘲した途端、畦道へ放り出された。転がった善住は僧衣の汚れを払いながら畦道に腰を下ろす。それからなぜ根来法師を襲い続けるのか尋ねたところ、曰く故事に従い33の生首を紀三井寺に供養するためという。
『わしは二年前の初陣で3。その後の戦で11、ほいて根来法師から七の生首を得た。あと12の首を得たら目標達成や。孫一さんもわしを大将の一人として取り立ててくれなさるやろうな』
『孫一。鈴木のか』
『そうや』
鈴木孫一──善住はその名を何度も慶誓の口から聞いた。彼のことを話す慶誓の顔はいつも楽しげで、声も高かったことがやけに印象に残っている。しかしこの源四郎はより孫一を好いていると見た。聞けば彼に付いていけば歯ごたえのある敵と戦えるからというのだから、どうしようもない戦好きという質である。首供養に関しても故事故というよりも、単に狙撃を好むだけと理解した。
『鷹も人も同じか。通りで根来法師ばかり狙うわけだ』
善住は頷いた。
『ここ最近は戦がなんださけなあ。この辺で歯ごたえのあるやつは根来法師くらいやさけ。まあ、おまはんはあまり強そうとちがうが』
それから他愛のない話をしばらく続け、善住は御山に戻るなり慶誓に「阿呆」と罵られた。それでも彼が締りの無い笑顔を向けるものだから、慶誓はそっぽを向き善住は肩を揺すり笑った。
「おまんの笑い方、やっぱり源四に似てるな」
「えっ」
「まあ、あいつよりは弁えてるさけ別にええんやけど」
彼の首狩りが終わったのは計画立案から36日後のことであった。33の生首を紀三井寺に供養し源四郎は宮郷の街道から姿を消した。