幼馴染がアイドルを始めたらしい   作:yskk

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危機感

 そこは静寂に包まれていた。

 早朝であることや、この建物の構造や立地条件。そういったいくつかの要因によって、そこには静粛性が保たれていた。

 そんな音という存在が希薄な空間の中で、聞えてくるのは息遣い、布の擦れる音、そして風を切る竹刀の音。そのいずれも、自分自身が発したものだった。自分が作る音以外はほぼ存在していない。まるで、今この世界に自分だけしかいないかのような感覚だった。

 

「……ふっ、ふっ」

 

 一定のリズムを刻みながら、竹刀を振り下ろす。ただそれだけを繰り返していた。

 足を前方へと運びながら竹刀を大きく、まっすぐ振りかぶる。そしてそのまま、まっすぐに振り下ろして、胸の前でそれを止める。そうしたら元の位置へと足を戻していく。その繰り返し。

 言葉にしてしまえば簡単なことだ。当然、それぞれに注意すべき点は存在するのだけど、物凄く簡単に言ってしまえば、たったそれだけのこと。それをただ、ひたすら繰り返していく。

 

「……ハァ、……ハァ」

 

 回数が増えるにつれて、必然的に息も上がっていく。最初からぶっ続けでやっているわけではない。数十回ごとに短い休憩を挟んだ上でのことだ。それでも、身体は悲鳴を上げる。それもそのはずで、こうして竹刀を持つこと自体、数年ぶりなのだから。

 しかし、疲労の蓄積と比例して、徐々にではあるが昔の感覚を取り戻していく。力の入れ具合、手首の使い方、足の捌き方。幼い頃に習ったそんな多くのことが、一振りごとに呼び戻されているような気がした。それが疲労を感じる以上に嬉しくなって、幾度も竹刀を振った。

 

「……よし、それまで!」

 

 近くで見守っていた男性がそう合図を送る。

 もう少しやらせて欲しい。俺はそう言おうとして口を開きかけるが、すぐにそれを止めた。この人が止めたということは、つまりはそういうことなのだろう。確かに自分でも限界だというのは分かっていた。それに、素振りは量ではなく質だ、そう教えてくれたのもこの人だった。

 

「ありがとうございました」

「……だいぶ竹刀の軌道がブレていたな」

「……」

「足捌きも安定していなかった」

 

 俺は礼の言葉と共に深々と頭を下げた。その頭上から厳しい言葉が降ってくる。

 しかしそれは、どれも否定のしようもないものだった。だから、素直にその全てを受け入れる。ましてや、経緯を考えたら感謝こそすれども、その言葉を拒絶する理由なんて何一つとして有りはしなかった。

 

「ありがとうございます」

「……また来なさい」

 

 一度顔を上げてから、再び同じように頭を下げた。そんな俺に、男性はそう言い残してこの場を後にする。

 

「はぁあ~」

「お疲れ様です」

 

 疲労からその場にへたりこんだ。すると、いつの間にか側に来ていた少女が労いの言葉をかけてくれた。

 

「どうぞ」

「ん。ありがとう、海未」

 

 そしてそれと共に、海未はニッコリと微笑みながら白いタオルを手渡してくれる。それを手にすると自然と緊張が和らいでいった。

 

 タオルに限らず、タオル地の物に触っていると不思議と落ち着くあの感覚は何なのだろうか。

 ブランケット症候群だとかライナス症候群なんて耳にしたことはあるけれど、そこまでではないにしろ、それこそ幼い頃はタオル地の毛布に包まるのが大好きだった。流石に成長するにつれて薄らいではきたけれど、今でもその感覚自体は変わっていない。

 

「ふぅ……」

 

 ただ、その感覚もすぐに別のものに変わって行った。

 手に取ったタオルで無造作に顔を覆う。そして運動によって噴出した汗を拭っていく。そんな過程において、自然とそのタオルの香りが鼻をくすぐる。ふわりと香るそれにはどこか覚えがあった。そんな風に、汗を拭きながら考えていると、その答えは案外近くで見つかった。

 つまりは海未の匂いだった。いつも彼女の傍に寄ったときに感じていたそれと同じものだ、そう気付く。それもまぁ、当然で。要するに彼女の家の洗濯物の匂いなのだ。だから、正確に言えば海未の香りというよりは、彼女の家の洗剤の匂いなのだ。

 

 そう頭では分かっていても、やはりドキリと心臓が高鳴ってしまうのは、抑えることが出来なかった。そうでなくとも、今はこの広い道場にふたりきり。変に意識してしまうのは、どうしようもないことだった。

 

「どうでしたか、久しぶりにやってみて?」

「やっぱりブランクあるとダメだな。全然思うように振れない」

 

 数年前までは、ここでこうして練習することが当たり前だった。元々は親に連れられて始めたことだけど、何だかんだで自分も楽しんで続けていた。しかし、いつの頃からか自然と足は遠のいていた。

 その数年間は当然ながら、長いこと掛けて得た感覚を奪っていた。

 

「それは仕方がありませんよ。でも、間隔が開いているにしては上出来だと思いますが」

 

 ……うん。なんだろう、この違和感は。今朝最初に会った時から思っていたが、今日の彼女はどこかいつもと違う気がする。

 正直なところ、もっとボロクソに言われるんだとばかり思っていた。いやまあ、海未自体そんな事を言うキャラではないのだが。

 しかし、ただの素振りだけとはいえ、はっきり言って褒められたところなんて何一つなかった。そんなことは自分自身がよく分かっている。だからてっきり、手厳しい言葉を頂くとばかり思っていたのだ。だというのにこれだ。それに加えて、いつになくニコニコとしている気がする。

 それらは俺に違和感を抱かせるには十分すぎるほどだった。

 

「……」

「ど、どうかしましたか?」

 

 きっとそんな内心が顔に出ていたのだろう。海未は不思議そうに問う。

 

「いや、てっきりお叱りの言葉を受けるんだとばっかり思ってたから」

「むっ。それでは、いつも私が怒っているみたいではありませんか」

 

 海未には悪いが、実際その印象が強い。無論、それは彼女のせいではなく、周りの人間が原因であることがほとんどなのだが。

 

「それはともかく。後ろで見ていて、本当にそう思いましたよ」

「そうかねぇ」

「ええ。確かに父の言う通り、太刀筋も足使いも乱れてはいました」

「……」

「でも、そこに雑念は感じませんでした。一太刀、一太刀を大切にしていたのが伝わってきましたから」

 

 褒められたからというよりは、見透かされたような感覚がとても恥ずかしかった。別に何かやましいことをしていたというわけでもないのに。

 確かに海未の言う通り、その一振り、一振りに集中力を注いで竹刀を振るっていた。それが師の教えだ。感覚は忘れても、そのことだけは鮮明に覚えていたから。

 

「実際、父も上機嫌でしたし」

「え!? どう考えても叱られてたんだけど」

「それは技術的な話でしょう? ただそれを注意したにすぎません」

 

 俺には仏頂面で、怒っているようにしか見えなかった。でも、海未が言うのであれば間違いないのだろうけど。

 

「昨夜もこの話をしたら、とても嬉しそうにしてましたから」

「先生が?」

「ええ。見ていて可笑しくなるくらいに」

 

 海未はそう言って、その時のことを思い出すようにクスクスと笑う。

 しかし、俄には信じられない話だった。何しろ先生、つまり海未の父は非常に厳格な男性だ。ましてや自分の中では、未だに教えを受けていた小学生の頃のイメージが強い。どうしても怖い人という印象が抜けきれていない。

 だからその人が、海未が思わず笑ってしまう程ぐらい喜びを表現するというのは、あまり想像のつかない話だった。

 

「だって、最近では朝の鍛練にはほとんど顔を見せませんでしたから。それなのに、今日はこうして顔を出していましたし」

「へぇ」

「それに、以前父は航太が顔を見せないようになってから、すごく寂しがっていたんですよ」

「え!?」

「航太君は元気かとか、どうしてるんだ、なんてよく聞かれましたから」

 

 その話を聞いてショックを受けた。そして申し訳なく思った。そこまで気にかけていてくれたことに。そしてそれを気付けなかったことに。

 

「恐らく、自分の息子のような感覚だったんではないでしょうか」

「俺が?」

「ええ。母から聞いた話ですが、父は男の子も欲しかったみたいです。そんな中での、自分の娘と同い年の男の子ですから。ましてや、他に私たちと同年代の男性もいませんでしたし」

 

 なるほど。そういう話なら少し分かる気がした。普通の家庭だって、息子を欲しがる父は珍しいことじゃない。それに加えて、海未の父親の場合は言ってみれば自営業で、しかも他人にものを教えるという仕事だ。自分の子供にそれを継いでもらうのも、それ以前に教えることもできないというのは寂しいことなのだろう。

 一応、女性とはいえ海未という子供はいる。ただ、あくまで彼女は日舞の、母親の跡継ぎなのだ。そう考えると尚更である。

 

「そっか……あれから三年ぐらいだっけ?」

「いいえ。四年と半年です」

「……よく覚えてるな」

「隣で一緒に学んだ仲ですから」

 

 海未は当然のことのように、さらりと正確な数字を口にする。そして、その当時のことを懐かしむような、そんな遠い目をして微笑んだ。

 

「でも、だからこそ昨日から疑問に思っているのです」

「何が?」

「どうして今になってまた、急にこんなことを言い出したのですか?」

「え!?」

 

 それは当然といえば当然の質問だった。むしろ、昨日海未に相談したときに聞かれなかったのがおかしなくらいに。

 

 一言で言えば刺激を受けたからだ。幼馴染でスクールアイドルの活動をしている彼女らに。

 それは危機感や劣等感と言った方が正しいのかもしれない。μ'sのライブや、その練習を一番間近で見ているうちに、そんな感情が芽生えていた。

 もし彼女らが見知らぬ他人だったり、出会って間もなかったならば、こんな気持ちにはなっていなかったのかもしれない。それが幼馴染だから。昔から知っている彼女らだからこそ、どんどん前へ進んでいく皆に、自分だけ取り残されてしまうような、そんな感覚。

 

「?」

 

 海未はなかなか返ってこない俺の返答に小首をかしげながら、黙ってその言葉を待っていた。しかし、それに答えることは躊躇われた。

 

 剣道は技術はもちろん、精神を鍛えるスポーツである。四戒に代表されるように精神の向上を重んじてる。それは幾度も先生から教えられたことだった。

 そんな昔のことがなんとなしに頭を過ぎって、ふと、またこの場に立ってみようという気になった。ただ何もせずに迷って、悩んでいるよりはいいだろう、そう思ったから。

 

 しかしよく考えてみれば、それはものすごく安易で浅いものであるように思えてしまったのだ。自分から止めておきながら、思い出したように現れて、都合よく心の迷いをどうにかしたかっただなんて、とてもじゃないが口には出来なかった。

 海未やその父親はそんなことを気にしたりなんかする人ではない。相談したなら、むしろ喜んで協力してくれるだろう。仮にそう分かっていたとしてもだ。

 

「……そうだなぁ。あえて言うなら、一歩前に進むための準備かな」

「準備、ですか?」

「うん、そう。婿入りの」

「む、婿入り!?」

「だって、ほら。海未と結婚するなら、当然お父さんの方を継ぐことも考えないと」

「な、けっ、なぁ!?」

 

 だからこうして誤魔化した。海未の意識が完全に逸れるようなことを言って、煙に巻いた。

 そうすると、彼女は予想通りの反応を見せる。顔をどんどん紅潮させていきながら、言葉にならない何かを断片的に吐き出していた。

 

「……ぷっ」

「もぅ! 時々からかう様なことを言うんですから!」

 

 思わず吹き出してしまった俺に、海未は頬を膨らませながら抗議の意思を示す。

 

「……そのうち、本気にしますからね」

「えっ!?」

「ふふっ。冗談です」

 

 驚きのあまり目を見開いて彼女の方を見る。そんな俺に海未は、仕返しですよ、そう言いながらクスリと笑った。

 やはり今日の海未は少しいつもとは違う。未だかつて、こんな風に冗談で返されたことなどなかった。それくらい今日の彼女はどこかテンション高めで、すこぶるご機嫌だった。

 

「……まあ、冗談はそれぐらいにして、掃除をしてしまいましょう」

「あ、いいよ。俺が全部やるから」

「ダメです。これも日課ですし、鍛錬のうちですから」

 

 無理言って使わせてもらったのはこちらの方である。だから、せめて後片付けぐらいはさせて欲しいと思っていたのだが。

 

「……でしたら、いっそ勝負しましょう」

「おっ! いいねぇ、懐かしい。ルールは昔と一緒か?」

「はい。両端から同時にスタートして、先に半分終わらせた方が勝ちということで」

 

 俺がまだここに通ってた頃に、海未とよくやったことだ。要はどちらが早く雑巾掛けを出来るか、という勝負。子供心には何の楽しさもなかった最後の掃除も、こうすることで楽しいものになっていた。

 

「で、何賭ける?」

「そうですねぇ……定番ですが、勝者の言うことを何でも一つ聞く。って言うのはどうですか」

「乗った。でもいいのかそんな約束して。手加減しないぜ?」

 

 何でも。じつに甘美な響きである。ただ、気心の知れた相手とはいえ、女の子が安易にそう口走るのはいかがなものだろうか。

 

「ええ。誰かさんに置いて行かれてから、私一人で毎日していましたから」

 

 チクリと皮肉を混ぜながらも、海未は余裕たっぷりの笑みを浮かべる。そんな彼女に苦笑をさせられつつも、どこか胸のつっかえが和らいでいることに気が付いた。

 海未も冗談交じりで、置いて行かれたなんて言った。そんな言葉に気が付かされる。今こうして隣に座って、同じ目線で会話をしていることを。それも今までと何も変わらない、自然な感覚で。

 

 ようやく理解する。自分は周りが見えていなかったということを。そして変に焦りすぎる必要も無いんだと。

 

「それじゃあ、行きますよ!」

 

 俺と海未は広い道場の端と端に別れて、スタートの準備を整える。そうしてから海未はこちらに合図を送り、走り出した。

 

 焦る必要は無いのだろう。でも、本当に置いていかれないように少し踏ん張ることも必要なのかもしれない。そんなほんの少しの危機感を胸に、俺も罰ゲーム回避に向けて駆け出していった。

 




園田家に婿入りするお話(大嘘)

海未ちゃんと朝のお稽古(意味深)したいです
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