とある土曜日の午前中。俺の携帯電話から聞きなれた着信音が響いた。
最初はメールかとも思ったけれど、しばらくしても途切れないところをみるとそれも違うらしい。読書中だった俺には興をそがれるような気がして、正直歓迎できるものではなかった。
相手によっては不在を装うことも考えたが、俺はその人ごとに着信音を変えるなんて七面倒なことはしていない。だからもしそうするにしても当然、携帯のディスプレイを見なければ相手がわからないわけで。
つまりは結局ページを捲る手を止めて、そいつのところまで行かなければならないらしい。
遠まわしな思考を展開しているうちに切れてくれやしないか、そんな期待してみたけれど、そうもいかないらしい。その音は鳴り続けたままだ。
しょうがない。白旗を掲げて立ち上がり携帯の置いてある所まで向かう。そしてそれを手に取って画面を確認した。
星空凛。
ディスプレイにはそう表示されている。仲の良い友人からだったことに少し安心しながらも、彼女が電話を掛けてくる理由は皆目検討もつかなかった。
「はい。もしもし」
「あっ、コウちゃん?」
通話のボタンを押すや否や、その元気な声が耳に届く。
「もしかして寝てた?」
「いや、起きてたけど。ちょうどトイレ行ってただけ」
「なんだ~。それならよかったにゃ」
凛はホッと安堵の声をあげる。事実は別にあるのだが、あえて言う必要もあるまい。
「で、どうかした?」
「あっ、そうそう! 凛ね、星を見に行きたいんだ」
「……はあ」
星空凛が星空を見たいと言った。いや、そんなくだらないことはどうでもいいとして。
これまた唐突だな、そう思った。まあしかし、そんな彼女の言動にももはや慣れたもので、最近では驚きすら薄くなってきた。しかし、彼女の猪突猛進さは容易に俺の想像の上を行く。
「まあ、行くのはいいけど。いつ?」
「今日!」
「はぁ!?」
何の脈略もなく、星を見に行きたいなんて言うこと自体も大概だけど、よりにもよって当日に言い出すのはさすがに如何なものだろうか。
「別に今日じゃなくても……ちゃんと予定を立ててからでも遅くはないだろ」
「凛は今日がいいっ! だって今日は土曜日でしょ。明日は日曜日だから、帰りが遅くなったり、泊りがけになったって平気だもん」
「いや、だったら来週の日曜日でもいいじゃん」
「えぇ~。そこまで待てないにゃー」
駄々をこねる子供の相手をする親ってこんな感じなんだろうか。ちょっとその気持ちが分かった気がする。
星空凛という少女は、どちらかというと本能で生きているような感じの子だ。思い立ったら即行動。それが彼女のよいところでもあり、同時に欠点でもある。
当然周りの人間が振り回されることも少なくはないのだけれど、それでも何だかんだで本人含めて最終的に楽しんで終わるあたりは、彼女の持った才能なのかもしれない。
「そうは言ってもなぁ……」
「だめかにゃぁ?」
そうは言ってもだ。現実的に厳しいものは厳しいのである。
そんな俺のあまり乗り気ではない話を聞いて、凛は電話越しでも分かるぐらいに、明らかにがっかりした声のトーンになってしまう。そんな声を聞いてしまうと、こちらの勢いまで削がれてしまうのだった。
「それに、星を見るったってどうするんだ? 外で見るとかプラネタリウム行くとか」
「んとねー。この間は希ちゃんと学校の屋上で寝っ転がって見たし。プラネタリウムには真姫ちゃんと行ったから……今度は望遠鏡で見てみたいっ!」
「だったら尚更無理だよ。誰か持ってる当てでもあるのか?」
単純に屋外で肉眼で見たいってだけならまだしも、望遠鏡を使ってとなると当然その物がなければ出来ないわけで。少なくとも凛がそんな物を持っているという話は、俺は聞いたことが無かった。
「えっ!? だってコウちゃん持ってたよね?」
「俺が? いや、持ってないけど」
「でも昔、かよちんと一緒に見せてもらったことがあるにゃ」
そこまで凛に言われて、ようやく思い当たった。
確か、物置小屋を漁っていた時に偶々見つけたものだ。それを三人で使って空を眺めた覚えがある。
ああ、そうだ。今ハッキリと思い出した。物置でそれ見つけて後で両親に聞いたら、散々のろけ話を聞かされたんだっけか。若い頃に、よくふたりで夜の公園で天体観測したのよ、だとかそんな感じのことを。内容までは深く覚えていないけど、延々そんなことを聞く破目になってウンザリしたのだけはよく覚えている。
だから無意識のうちに記憶から消してたのかもしれない。
「そういえば、そんな事もあったな」
「でしょ! だから、ね。行こっ!」
「うーん……」
別に特段予定があるってわけじゃない。それに星を見るのが嫌いってわけでも、興味がないわけでもない。何かきっかけでもない限り、改まって天体観測をするなんていう機会も少ないだろう。
だたやはり急なのだ。性格の違いなのかもしれないが、凛がすぐに行動に移すタイプなら、自分は真逆なタイプで。事前にしっかりと段取りを組んで、下調べをしないと落ち着かない。そんな形から入りたいような人間からしたら、すぐに頷くというのはなかなか難しかった。
「……だめかにゃ?」
「いや、駄目ってことはないけど……うん。じゃあ、まあ行くか」
散々御託を並べながらも、結局は了承してしまうのだった。
こんな風だから真姫なんかにはよく、航太は凛に甘すぎるわよ、なんて言われてしまうのだ。彼女の言うことも分かるのだが、落ち込んだ様子を見せられてしまうと、どうにも強く出られない。ましてや凛のように喜怒哀楽の強い相手なら尚更のこと。
「ホントに!? じゃあ、凛支度するねっ」
「えっ!? いや、待て。時間は……」
俺の声は最後まで届くことはなく、電話は切られてしまった。こっちからかけ直さなきゃならないのか。そう思い、大きくため息をついた。
しかし、何だかんだでホッとしている自分もいた。感情表現が豊かな分、凛に悲しそうな表情を見せられると本当に辛くなる。ただその分、嬉しそうな姿を見たときのこちらの喜びもまた一入だった。
●
『……は晴れ。気温は……』
自転車を傍に止め、望遠鏡を担いだまま、凛の到着を待っていた。
辺りは既に暗くなっており、気温もだいぶ下がってきた。そんな中、腰に下げたラジオからは天気予報が流れていた。
幸いなことに、明日にかけて雨が降ることはなさそうだ。
「おっまたせー」
そんな時、軽快な声と共に自転車に乗った凛が現れた。
「ん? どうしてラジオぶら下げてるの?」
「ああ。昔流行った曲にそういうフレーズがあってさ」
「ふーん」
凛はまるで興味が無いといった風に俺の話を聞き流す。
いや、別にリアクションを期待していたってわけじゃない。そうではないけれど、もう少し何かあってもいいんじゃないだろうか。
「それじゃあ、早速行くにゃー」
しかし、俺のことなどお構い無しに、凛は再び自転車に跨って走り出す。
これだから女ってヤツは。趣を解さないというか何というか。
「どうしたのー? 置いてっちゃうよー」
愚痴っている俺などやはり構わずに、凛はどんどんと一人先に走っていく。そんな彼女に置いていかれないように、俺もまた自転車を漕ぎ出したのだった。
●
走り始めてから一時間弱ぐらいだろうか、凛とふたり目的地へとたどり着いた。都心部からほんの少しだけ離れたこの場所は、埋立地の上に作られた公園で周りに大きな建物もほとんど無く、都内の近場にしてはなかなかの観測スポットだった。
入り口付近の駐輪場に自転車を止めて、公園の中心へと歩いていく。中央に近づくにつれて街灯の数も減っていき、そして最終的には数えるぐらいしか人工の光は見えなくなった。
加えて夜も十分に深けてきており、歩くほどに辺りは暗闇に包まれていく。辺りの様子がよく見えなくなっていくのに反比例するように、頭上の星の輝きが肉眼でもしっかりと捉えられるようになってくる。
「うわぁ……わー!」
そんな状況に凛はいても立ってもいられなくなったのか、ついには走り出していってしまった。
「暗いんだから、気をつけないと転ぶぞー」
そんな俺の忠告など気にも掛けず、凛は速度を上げていく。途中、案の定躓きそうになりながらもそれを緩めることなく駆けて行く。さながらはしゃぎ回る子犬のように。
そして公園の中央広場まで辿り着くと、星まで届けといわんばかりに大きく手を広げながら天を仰いでいた。
「見て見てっ! すごいよコウちゃん!」
「……ああ、そうだな」
実際、凛がはしゃいでしまうのがわかるくらいに綺麗な星空が広がっていた。郊外なんかで見るのには敵わないのかもしれないが、それでも十分すぎる程のものがそこにはあった。
「……」
「……」
担いでいた望遠鏡を近くに置いて、凛とふたりで服が汚れるのも気にせずにその場に座り込んだ。そして空を眺めている内に自然と無口になっていた。
それくらいに圧倒されていた。都内で、ましてや自分の住んでいる所から一時間程とは思えないくらい、辺りは暗闇に包まれている。それ故、星空は明るく大きく、そしてとても近くに感じられた。
「んーっ!」
凛はついには背負ってきたリュックを枕にして、ゴロンと横たわってしまう。そして右手を高く空へと向けて放り出した。
「……何してるんだ?」
「えっ? あ、その……もしかしてホントに手が届かないかなぁ~、なんて。えへへ」
凛は再び身体を起き上がらせてそう言った。そしてはにかんだように笑う。
あり得ないことだ。それぐらい小学生でも分かること。もちろん、そんなことは凛だって当然分かっている。
それでもそんな行動を取ってしまいたくなるくらい、彼女はきっとこの雰囲気に酔ってしまったのだろう。何となくそんな気がした。
何故なら、俺自身が今そんな感じだったから。
「にゃ!?」
ポンと凛の頭に手を置くと、彼女は驚きの声を上げる。
「ほら、星空に手が届いた」
「……一等星じゃないけどね」
「そんなこと無いだろ。十分に、眩しいほど輝いてるよ」
我ながら鳥肌が立ちそうなぐらい寒い台詞だ。それでも臆面も無く言えてしまうあたり、やはり俺も雰囲気に呑まれているらしい。
「……ぷっ。流石にそれはクサすぎる台詞じゃないかにゃ」
「そんなこと自分が一番わかってるつーの!」
凛は堪え切れずに吹き出して、そして大きな声で笑いはじめてしまう。
そんな彼女を黙らせようと、頭の上に置いたままだった手で、わしゃわしゃと少し強めに、髪形が乱れるくらいに撫で回す。すると凛はこそばゆそうに身悶えた。
その行動自体は照れ隠しみたいなものだけど、さっき言ったことはあながち嘘やお世辞ってわけではなかった。
凛自身はμ'sに入る前、自分は女の子らしくないからとか、似合わないだとか言ってたけれど。いざステージに立って、歌って踊る彼女はとても輝いて見えたから。
しばらくそのまま、凛と肩を並べながらボーっと天を仰ぎ続けていた。
そうしてどれ位の時間が経っただろうか。上を見続けたせいか首もだいぶ痛くなってきて、それから開放されようとストレッチをするように首を回した。それと同時に横目で凛の様子を伺うが、辺りが暗くてその全てをしっかりと視認することは出来なかった。
それでも確かに彼女はそこに居た。いつもの元気ハツラツな明るい笑顔ではなくて、ちょっぴりセンチメンタルな表情を浮かべて隣に座っていた。
「綺麗だにゃー」
「……そうだなぁ」
こんな彼女の顔を、ファンはおろか友人ですら知らないのかもしれない。そう考えると、なんだか本当に空の星の一つに手が届いたような気がした。そしてそれを今、独り占めしている。
「あっ、そうだ!」
「えっ!?」
凛は急に声を上げて、こちらへ向き直る。そんな彼女と目が合うと、内心が悟られたような気がして心臓が大きく脈打った。
「望遠鏡」
「え?」
「望遠鏡持ってきたんでしょ? せっかくだから使ってみるにゃー」
「あ、ああ」
そういえばそんな物も持ってきてたんだっけか。凛に言われて思い出し、鞄から取り出した。
三脚を組み立てる俺の横で、凛は待ちきれない様子で早く早くとせかしてくる。ただ、懐中電灯で手元を照らしてくれてはいるが、それ以上手伝う気は無いらしい。
文句の一つでも言ってやろうかと凛の方に顔を向けると、彼女の手の中にある光源のおかげでその顔がハッキリと見えた。それを見て、喉元まで出かかった言葉が引っ込んでしまった。
凛は先程までのしっとりとした表情ではなく、いつものように楽しげに笑っていた。そんな彼女は、やはりとても輝いているように俺の目に映った。
それこそ夜空の中の星のように。
スクフェスの凛イベやって書きたくなったお話(どんだけ時間かかってるんだよって話ですが)
しかし年末は忙しくて嫌になりますね。
それこそ猫の手でも借りたいくらい。
猫型ロボットはべつにいりませんが、妖怪にゃんこには是非来て欲しいです。