「……はぁ」
二限目と三限目の間。その短い休み時間、教室で深くため息をつく。
教室内において、俺の席は窓際にあたる。つまり少し横を向けば窓越しに外界が広がっているわけで。その雲ひとつ無い青空を目の当たりにして、俺はまた大きく息を吐き出してから力無く机に突っ伏した。
「何かあったのでしょうか……」
「うーん……今朝からずっとあんな感じだよねぇ」
すると、聞きなれた、こちらを心配するような声が聞えてきた。
そんな会話が耳に届いて、ちょっと大袈裟過ぎるかな、なんて少し反省する。そう考えてはいるのだがこの体勢をやめようだとか、変に強がろうなんて気にはならなかった。
なんというかこう、女の子に心配されるというのも悪い気はしなかったから。
無論それを意識してのことではないし、特段過剰に装って見せる気も無いけれども。
「ん~? 海未ちゃんもことりちゃんもどうかしたの……って、どうしたの航太君? 具合でも悪いの?」
先程のふたりとは別の少女の声が頭の上から聞えて、俺は身体はそのままに顔だけをそちらへと向ける。
「んー。まぁ、別に……」
真っ先に目に入ったのは、すぐそこにあった穂乃果の顔。そして少し離れたその奥には、海未とことりの姿が映る。
穂乃果はただ単純に心配した表情だったが、海未とことりはそれが半分と別の感情が半分含まれているように見えた。苦いというか呆れたというか、そんな複雑なものだった。
きっと彼女らも心配をしてくれていたのだろうけど、直接聞いていいものかどうか、それを探っているような状態だったのだろう。そんな所に穂乃果が現れて、何の躊躇いもなくそれを口にした。
それ故のふたりの表情なのではないか。何となく、そう察しがついた。
「でも、確かに朝から少しおかしいですよ?」
海未はことりと共にこちらへと歩み寄りながらそう言った。
「いや、ホントに大したことじゃないんだ。なんつーか寝不足みたいなもんで」
「夜更かしですか? 身体に良くありませんよ」
もはや心配という枠を飛び越えて、幼い子供を諭すように語り掛ける海未に、苦笑いを浮かべさせながら俺は答える。
「別に、遅くまで起きてるってわけじゃないけどなぁ……むしろ最近は早いくらいだし」
「本当に? 航太にしては早い、ってだけではなくてですか?」
信じられない。そんなジトッとした視線を向けながら海未は問うてくる。
いったい彼女の中ではどれだけ信用が無いというのだろうか……。
「いやいや、マジだって。というか、むしろ……」
「むしろ?」
「寝るのが遅いからじゃなくて、朝早く起きちゃうんだよね」
「……良い事じゃありませんか」
けろりとした表情で海未は言ってのける。
確かに彼女の言う通り早起き自体は悪いことじゃない。早起きは三文の徳、なんて言うくらいだ、むしろ良いことなのだろう。
そしてこの中の誰よりもそれを実践して、規則正しい生活を送っているのが彼女。したがって海未のその言葉には説得力というものがあった。
「それはそうだけどさぁ。意図してそうしてるなら兎も角、起きてしまうんだよねぇ」
それこそ海未のように早い時間に床に付いているならいざ知らず、夜更かしはしていないといっても短針が天辺に近付くくらいまでは起きていることが多い。その上で自分の意思とは別に早くに目が覚めてしまっては、睡眠不足に陥るのは必然だ。
「でも、前まではそんなこと無かったんでしょ? だったら何か変わったことがあったとか?」
俺と海未の会話を聞いていた穂乃果が、そんな至極当然な質問を投げかける。
「……うん、まあ。ちょっと言いにくいんだけど……最近、夢見が悪くて」
「夢見が」
「悪い?」
穂乃果と海未は俺の言葉を反復しながら、お互い顔を見合わせる。
「というと、何か良くない夢を見て目が覚める、ということですか?」
「うん。ここんとこずっと。同じ夢ってわけじゃないんだけどね」
海未の言葉に首を縦に振った。
何か過去のトラウマが映像化しているなんて感じではなくて、ただただあまり気分のよくない夢を見るのだ。
些細なものからそうでないものまで。具体的には歯が全て抜け落ちるようなものから、何か恐ろしいものに追われていたり、高い所から落下するものまで多種多様に。
ただいずれにしても目が覚めた時には気分は沈み、ましてや想定よりも早く起きてしまい二度寝もままならないので、睡眠不足は加速するといったわけだ。
「う~ん……」
「流石にその辺は私も門外漢ですし……」
そんな俺の話を受けて、穂乃果も海未も首を捻ってしまう。
それもまあ、当然のことで。一介の女子学生が出せる対策なんて、安眠のちょっとした知恵ぐらいなものだろうし。ましてやそういったものは大抵、寝つきの悪い時どうするかといったもので、今の話からは若干ピントがずれてしまう。
突き詰めてしまえば精神科の病院なんかの範疇になってしまうのだろうか。
目下のところそこまで大げさなものではないのだけど。
「いやいや、ホントに大したことじゃないからさ。そんなに真剣に考えなくても……」
むむむっ、と頭を抱えて考え込む姿を見て、逆に申し訳ないような気持ちになり、慌ててふたりを止める。やっぱり言うべきじゃなかったかと内心考えていると、先程まで一言も発していなかったことりが割って入るように口を開いた。
「あっ! それなら良いおまじないがあるのっ!」
「へっ!?」
そんな学校でのやり取りを経て、ことりは俺の部屋へと来ていた。
日課の放課後の練習を終え、普段だったら女性陣のお喋りタイムに突入するところ、それも早々に引き上げて彼女はこうしてここにいる。
なにやら準備があるからといって、ことりは一度家へ寄ってきたのだが、装いは制服のままだった。
「それで、おまじないって具体的に何するの?」
「えっとね、う~ん……えへへ、ナイショっ」
少しの間考え込んだのち、ことりはそう言いながら可愛らしくウインクなんかしてみせる。
「……べつにいいけどさ。じゃあどうすりゃいいのよ?」
「うんとね。ちょっとの間だけ目を瞑って、後ろを向いてて欲しいかな」
「え?」
「お願いっ」
ことりは申し訳無さそうに顔の前で手を合わせながら、小首をかしげるような仕草を見せる。それがまた非常に愛らしくって、俺としては首を立てに振る以外にはなかった。
「ぜったい見ちゃダメだからねっ!」
改めて念を押してから、ことりは何やら作業に掛かる。
といっても彼女の要求通りに目は瞑り、後ろを向いている状態だ。当然、その詳細を認識することは出来ない。
残された判断材料は音のみで。しかもそれもほんの些細な布の擦れる音が耳に届くばかり。そんな状態でいくら神経を耳一点に集中してみたところで、彼女の動きの全容の一割も把握することが出来なかった。
「……これでよしっと! コウちゃん、もうオッケーだよ」
そんなことりの声に反応してカッと目を見開き、素早く身体を反転させる。
「……」
そしてジッと辺りを観察してみるが、見たところこれといって変化は感じられない。
ことりが座っているのはベッドのすぐ近く、枕元の辺り。
それに加えて俺が後ろを向いていたのは、一分にも満たないほんの数十秒のこと。そのことを考えれば大掛かりなことは出来やしないだろうし、足音も感じられなかったことから、何かしたにしても今ことりのいるすぐ近くでのことだろう。
しかしそれが分かっていても、やはり違和感を見つけられない。ということは、表面ではなくどこか目に見えない裏側に何かを施したということだろうか。
「……」
「えへへ~」
考えを巡らせたところで答えが出るわけでもなく。かといってそこいら一帯を手当たりしだい確認するというのも、なんだか躊躇われた。
だから、何をしたんだ、そんな意図をこめてことりに視線を送ってみたが、こちらのそれを酌んでの事なのかどうなのか、ただニッコリと笑っているだけだった。
最終的に痺れを切らして直接聞いてはみたけれど、結局彼女は答えを教えてくれることは無かった。
そしてその夜、俺は夢を見た。
●
夢には二種類あって、一つはただ漠然と夢の中にいて、目が覚めてようやくそれが夢であったことに気が付くというもの。そしてもう一つは、夢をみている最中であるにもかかわらず、それが夢であるということに気付いてしまうもの。
今見ているものは紛れもなく後者であった。
普段だったら、ただ映像を見せられているという感じに近いのだが、今は違う。ある程度自由に動くことが出来ていて、更になんとなく、ああこれは夢なんだなという感覚があった。
そして何よりも、現実の自分と今の自分とが明らかにかけ離れていた。
まず、普段の視界とは違って見えた。
今いるのは自宅の近くにある、小さな公園。夕暮れに染まるそこは何度も目にしているはずなのに、見えている景色がちがう。正確に言えば、いつもよりもだいぶ視線が低く、全てのものが大きく見えている。
加えて、走っているつもりでもなかなか前に進んでいない。つまりは歩幅も狭くなっている。
そういった状況から、これは幼い頃の夢なんだと、容易に認識することが出来た。
冷静にそう分析できてはいたが、正確な時期を断定するところまでは至らなかった。自分と一緒に公園で遊ぶ子供を見るかぎり、小学生の低学年……いや、それよりも少し前ぐらいだろうか。
そんなことを考えているうちに、いつの間に一緒になって走り回っていた子供たちは忽然と姿を消していた。
「えっ、あれ?」
辺りを見回してみても、やはりその影を捕らえることはできない。
夢をある程度は自由に出来るとはいっても、全てを思い通りにすることはできないらしく、彼らを探そうという気はあるのだが、実際に身体を動かすことは出来なかった。
「コウちゃん……」
そんな時、背後から不意に名前を呼ばれる。
振り返ってみるとそこには一人の少女の姿があった。今とはだいぶ違うはずのその少女の名前を、自然と俺は口にしていた。
「ことり?」
「……うん」
俺の声に、その小さな少女は静かに頷いた。小さいとはいっても今の、この状況に置いては俺よりも少し身長は高かった。
……現実ではそれも既に逆転してしまったけれど、そういえば確かにこの頃はまだ彼女の方が背は高かったんだっけか。
そんな事を思い出して、懐かしい気持ちになる。
「あのね……コウちゃんにお願いがあるの」
「お願い?」
ことりは小さな身体をモジモジとさらに小さくしながら、言い辛そうに続ける。
「うん、その……こ、ことりと結婚して欲しいのっ!」
「えっ!? けっ、結婚?」
「うん……ダメ、かな?」
相当量の勇気がいったのだろう。そわそわと落ち着かない様子で、こちらを直視することも出来ずに、幼い頃のことりはその答えを待っていた。
「べ、別に、いいけど……」
「ホントにっ!?」
ぶっきらぼうなその返答に、ことりは飛び上がるようにして喜びを表現する。勿論、その答えを口にしたのは今の俺の意思ではなくて、当時の俺のしたことだ。
そんなかつての自分自身の行動と、こんな状況を妙に冷静な気持ちで見てることが何だか可笑しかった。
「ねぇ、コウちゃん」
「ん?」
「ちょっとだけ、じっとしててね?」
「えっ!?」
ことりのその言葉と行動に、自然と驚きの声が出てしまう。
それは当時の俺が発したものなのか、今の俺自身の驚きのせいなのかハッキリと区別をつけることが出来なった。
なぜなら、今までのことは少なからず俺の記憶に残っていて、見たことのある光景だった。しかし、ここからは違う。この先のことは思い出すことなんて出来なかったから。
しかし、その先のことを思い出せはしなくとも、容易に想像は付いた。ただ、それに対してなにか行動を起こすことは出来なかった。
混乱している俺を他所に、ことりは俺との距離を詰めてくる。まるでスローモーションのようにゆっくりと。
そしてその途中でことりは目を閉じる。しかしその距離を詰めるという行為自体は変わらぬまま。
30センチ、10センチ、5センチ……。ゆっくり、ゆっくりと近付いてくることりの顔に身動きを折ることが出来ない。
そしていざ触れ合う、そんな瞬間。俺は目を覚ました。
仰向けになりながらバチッと目が見開く。まどろむ時間などなく、一瞬のうちに覚醒は終わっていた。
確かめるまでもなくそこは自分のベッドの上だった。その事実が、今までのことが夢であったことを再認識させる
そしてふと、枕もとの時計を見ると、そろそろ支度を始めなければ遅刻をしてしまう、そんな時刻を指し示していた。
●
「で、航太君。今朝はどうだったの?」
「どう、って何が?」
「何がって……」
授業の合間の休み時間、いつものように穂乃果たち三人が俺の机へと集まってくる。
穂乃果の言葉にすっとぼけたような返答をする俺に、海未はあきれたような表情を浮かべる。
「夢のことですよ。昨日ことりに何かおまじないをしてもらったのでしょう?」
俺だって忘れていたわけじゃない。ただ、あんな夢を見た後だけに少々口に出し辛かったってだけのこと。
「ああ、そのことね。おかげさまで? 今日は途中で起きたりしなかったな」
「おおー。よかったね、航太君」
我が事のように喜ぶ穂乃果とホッとした風な海未に、改めて良い奴らだなぁ、なんて感想を抱きながら、チラリとことりの様子を盗み見た。
しかし、これといっていつもと違う様子は見られない。普段通りニコニコと微笑んでいるだけだった。
「じゃあ、ことりちゃんのおまじないが利いたってことだね! で、どんなおまじないだったの?」
「いやそれが、俺にも教えてくれなくてさ……」
俺がそう言うと、穂乃果は海未と二人、ことりの方へと視線を向ける。
「ナイショ、ですっ」
「え~、教えてよーことりちゃん」
ことりは穂乃果のお願いに対しても、やはり俺の時と同じように答えを教えてくれることはなかった。
そんなふたりを眺めながらも、自然と俺の視線はことりの唇へと吸い寄せられていた。
●
それだけだったらそのうち忘れ去ってしまうようなのだけど、それが三日続けて同じ夢を見たとなってはまた話が変わってくる。
今までのような嫌な夢ってわけでもないので実害はないのだが、続けて同じ夢ってのはやはり引っかかる。
ましてや内容が内容だ。
確かにあれは実際にあった出来事だ。しかし、忘れていたわけではないが、当の昔に思い出に変化しているはずのものだ。
だというのに、今になって何度も見せられてしまうと、余計な考えまで頭を過ぎる。
それこそ今でもことりがあの約束を覚えていて、そしてふたりの関係が進むのを待ち続けている。
そんなありえないような想像を。
思い出は思い出。過去のものであって今じゃない。
そんな言葉を、半ば言い聞かせるように頭の中で反芻しながら身体をベッドに投げた。
「ん?」
そして寝支度を整えようと、枕を手に取ったところで小さな違和感が生まれる。がさりと布と中の羽毛だけでは発することのないような音を耳が感じ取っていた。
それを確かめるべくそのカバーを外してみると、中からひらりと一枚の厚めの紙のようなものが落ちてくる。
「なんだこりゃ」
拾い上げてみるとそれは一枚の写真。そしてそこに写されていたのは、ここ数日何度も見た少女と幼い頃の自分の姿。少女は満面の笑みで、男の子の方は少しふてくされたような表情だった。
写真自体には見覚えがあった。確かことりのお母さんに撮ってもらった物で、焼き増ししたものがうちのアルバムにもあったはずだ。
撮ってもらったとはいっても、当時は女の子とふたりで写真に写るということが恥ずかしくてあまり良い気分ではなかったように記憶している。いや、記憶しているというかこの写真の表情が如実にそれを表していた。
「しかしまあ、なんでこんなものを」
誰がやったかなんてことは考えなくても分かる。流石にそこまで鈍くはないつもりだ。
とはいえその理由が分からない。いや、おまじないだと言われてしまえばそれまでなのだが、それで済ますのは何かこう気持ちが悪い。
だからと、枕元で充電していたスマホを手に取って『枕 写真』なんて簡単な単語で検索を掛ける。
出てきた結果に目を通す。
要するに枕の下に写真を入れて寝るとその人が夢に出てくる、なんていう迷信らしい。大抵は好きな相手だったりするらしいのだが、そこはまあ、見なかったことにする。
しかし科学的根拠が強いわけではなく、あえていうなら寝る前に目にしたものが夢に出てき易いからだとか、それだけ頭で強く考えていれば夢にも出てくるだろうだとかその程度のこと。
「……ふーん」
そしてここで一つの選択を迫られる。
このおまじないの効力だとか、実際に三日連続同じ夢を見たこととの関連性だとか、そういったことはひとまず置いておいて。
今、この手にある写真をどうするかということ。
「……まあ、いいか」
しばらく考えて出した答えは、保留、だった。別段抜き取る理由もないし、それにその内ことりが回収に来るだろうから。
それまでは気が付かなかったことにしておこう。そう考えて、俺はそれを元のところに戻そうと枕を手に取った。
しかし、そのすんででふとある考えが過ぎって、動きを止める。そしてベッドから起き上がって、机の中を探り出す。
お目当てのものはすぐに見つかった。
それは同じく写真。ただ、昔のものではなくて、つい最近ことりと彼女の働くメイド喫茶で、ふたりで撮った一枚。
そしてそれを元あったように枕とそのカバーの間に挟んでから、いつも通り頭の下に敷いて眠りに入っていった。
●
夢を見ている。
その導入はここ数日と同じものであるように思われた。しかしそれが勘違いであることはすぐに気が付いた。
昨日までのそれとは、視界がまるで違っていた。目線が高いところにある、それだけで目に映るものが全然違って見えた。
つまりはそう、昨日までのように幼い頃の身体ではなくて、現実の俺と同じ位の大きさであるということになる。
ただ、それ以外のことは特に変わりはなかった。駆け回っている少年たちは当時の姿のままだし、夢の話の流れ自体もそう。
しかし、だということは当然終わりも同じということになるのだろう。
そう考えていると、やはり一人の少女が俺の前に姿を現した。
「コウちゃん……」
その声にまた、いつものように振り返るとその光景に目を奪われる。
同じ登場人物、同じ話の流れ。
確かに振り向いた先に居たのは南ことりで、そんな彼女との会話のやり取りも昨日までと変わらない。
しかし、そこには明確な違いというものが存在していた。
立っていたのはことりではあるのだが、姿が今の、現実の世界と同じ年齢の彼女のものだった。
「ことり?」
「……うん」
当然、俺はそのことに驚かされる。
しかしそん事など関係ないと言わんばかりに、話は進行していく。俺の意思など受け入れることもなく。
「ちょっとだけ、じっとしててね?」
この台詞もまた今までと一言一句変わらない。
しかしすぐ目の前にいるのは成長した姿のことり。そんな彼女を目前にして、夢の中だというのに俺の心臓はバクバクとうるさいほどに高鳴っていく。
そんな間にもことりの顔は近付いてくる。
昨日まではほとんど同じ目線だったけれど、今は現実のサイズということもあってふたりの間には少しの身長差がある。
それゆえ、ことりは爪先立ちになってその差を埋めるようにしながら顔を近づける。
それが何とも生々しくて、夢だとは分かりつつも妙な現実味を生んでいた。
普通だったら一瞬で届きそうなこの距離を、例のごとくゆっくりゆっくりと埋めてくる。
そしてやはり、唇と唇が触れ合うかどうかその刹那、パッと現実に引き戻される。
「はぁ……」
目が覚めてすぐ、大きなため息がこぼれる。
「あっ、ようやく起きた」
目覚めたその体勢のまま天井を眺めていると、横から急に一つの顔が飛び出してきた。突然のことで、その上それがすぐ直前まで夢に出てきていた少女のものだったことも相まって、ビクリと驚きで身体が跳ねる。
「えっ!? あっ、えぇ? こ、ことり?」
「おはよう、コウちゃん」
混乱する俺を尻目に、ことりはいつものようにニッコリと微笑む。
「あー、なんだ、その。どうしてここにいるんだ?」
「え? あっ、えっとね。続きをしに来たの」
「つ、続きぃ!?」
ことりの発した、続き、という言葉にまたも脳内をかき回される。
彼女的には深い意味なんてないだろう。いや、ないはずだ。
しかし、目が覚める直前まであんな夢を見ていたこちらとしては、その先というものを想像してしまう。更に俺の視線はやはり、彼女のその柔らかそうな唇に釘付けになっていた。
そしてそうやって視線を奪われているうちに、新たな考えが頭の中に芽生えていく。
本当にさっきまでのは夢なのだろうか。もしかしたらそれは勘違いで、現実だったんじゃないだろうか。いや、むしろ逆に今もまだ夢の中に居るのではないか。
そんなありえもしない仮定に、頭の中は一種の錯乱状態に陥っていた。
「……つ、続きって、その……な、何の続きなんだっけ?」
「え? あー、ひどーい。忘れちゃったんだぁ」
意味の分からない妄想を振り払うように、どうにか言葉を搾り出してことりに問いかけるう。
するとことりは、ぷりぷりと起こったような仕草を見せながらそう返してきた。本当に怒っているわけではないのは丸分かりだったので、怖さは全く感じられなかったけれど。
「昨日の続き。今日も新しい衣装のデザイン考えるの手伝ってくれるって約束したのにぃ」
「あー、そうだった。ごめんごめん」
そんなことりの言葉にようやく頭に冷静さが戻る。それと同時に非常に強い脱力感が体を襲った。
「……まだ寝ぼけてるみたいだから、ちょっと顔洗ってくるわ」
「うん。いってらっしゃい」
ことりの屈託のないその笑顔に見送られて、俺は自分の部屋を後にする。
そして後ろ手でそのドアを閉めてから、再び大きくため息をついた。
それは安堵からなのか、それともその瞬間を逃した落胆からなのか。その辺のところは自分でも判断を付けることが出来なかった。
幼馴染設定の定番みたいなネタでひとつ
誰でこの話を書くか迷ったんですが
メルヘンっぽい(?)約束をしそう、って考えてたら何となくことりちゃんになっていました
ぶっちゃけ別の子でも書けるんじゃないかっていう
そんな疑惑はありありですが……