放課後。
壁に背を預けて、ぼうっと一人たたずんでいた。
この状況になってから、どれ位の時間が経っただろうか。ふと、気になって携帯の時計に目をやる。
こうし始めた正確な時間を把握しているわけではないけれど、それでもやはり、それなりの時間は経過していた。
しかしまあ、どうしようもないほどに退屈だ。実際の時間以上に長く感じてしまうほどに。それくらい手持ち無沙汰で仕方がない。
「……」
暇潰しに携帯電話を弄るといっても限度があるし、話す相手もいないので必然的に無言になる。息の詰まりそうな時間。
ならいっそ帰ってしまえばいいのに。そんな風に言われてしまいそうだが、そういうわけにも行かなかった。
他人を待つ。
その行為自体は決して嫌いじゃない。
人を待つというのは、基本的にその先に何かがあるからだ。全てがそうという訳じゃないけれど、例えば一緒に出かけたりだとか、何かをしたりなんていうことが控えている場合が多い。
そして、その待っている相手が親しい間柄だったりすれば、苦痛は軽減される。それが恋人ともなれば、大抵は許容できるようになる。
勿論、二時間も三時間も待たされるとなると話は別だが。
ただ、待つのは一向に構わないけれど、待っているときの他人の視線がどうにも苦手だ。
今は放課後で、校舎に残っている人間というのは部活や、何かしらの委員会に所属している生徒、あるいは教師ぐらいのものだ。ましてやこの辺は元々人の通りは多くない。
それでもその数はゼロではない。そしてここを通っていく人間は例外なく、一人佇んでいる俺に一瞥をくれていく。
それが居心地の悪さを加速させていた。自分が逆の立場だったとしたら、気にも留めないことだというのに。
「ありがとうね、希ちゃんっ」
すぐ隣にある扉、つまりは俺が寄りかかっている部屋の扉が勢いよく開かれて、一人の少女が中から姿を現した。
その少女は傍にいた俺に気が付くことはなく、部屋の中にいる相手に向かって手を振ってから、足早に去っていく。
待たされる原因にもなったその少女に少しばかりの憤りを感じたものの、彼女の明るい口調と軽い足取りを見てそれもすぐに消える。
きっと悩みとか、胸のつっかえみたいなものが取れたのだろう。だとしたら、俺の心の中とはいえ、ぐちぐちと恨み言を並べるのも無粋な話だ。そもそもが、別に彼女が悪いわけではないし、悪意があってのことじゃない。ましてやもう済んだことだ。
「お待たせっ、コウちゃん」
そんな彼女の背中を見送っていると、開けっ放しにされたままのドアの影から、にゅっと別の少女がその可愛らしい顔を覗かせる。
「それじゃ、帰ろっか」
彼女の提案に、俺は黙って首を縦に振った。
視界を遮るようにして現れたその少女を目の前にして、俺の心臓は高鳴りを上げていた。
予想していないタイミングで希ちゃんが現れたからだ、そう自分に言い聞かせるようにしながら、心を落ち着かせる。
しかし、己を偽ってみたところで、現実は自分の中ではっきりと主張していた。
恋人同士になってからそれなりの期間は経過しているのに、今みたいに彼女の顔を見ただけでこうして心臓が騒ぐことがあるのも。未だに彼女と手を握るのすら躊躇してしまうのも。
結局は彼女との関係が、付き合っている長さほどには進展していないことの表れで。
そしてその原因が一歩を踏み出せない、臆病な自分にあるということも。
そんな事実に少しばかりの焦りを感じながら、彼女とふたり夕暮れの廊下を歩いていった。
●
「今日は本当にゴメンな、コウちゃん」
「いいよ、別に」
「でも、ウチから一緒に帰ろうって誘ったわけやし」
「気にしてないって。大して待ったわけでもないしね」
学校を後にして、商店街を抜け住宅街へと差し掛かる。繁華街とは打って変わって、人通りはまばらになってきていた。
あれほど多くの人で溢れかえっていたと思ったら、そこから少し離れただけで嘘のようにその数は減り、喧騒も治まっている。
そんな二面性を持つこの街を、地元ながら不思議な街だ、そう思う。
そしてそんな街の、いわば裏の顔を見ることの出来る所に来て、希ちゃんは改めて先程の事を口にする。俺の顔を覗き込みながら、その眉尻を下げて、本当に申し訳無さそうな顔をしながら。
「やっぱり今日もアレ? 占い関係の話?」
そんな女性の困り顔が、昔から苦手だ。フェミニストぶるつもりもないけれど、女性のそういった表情を見るのはやはり好きじゃない。ましてや恋人のものなら特に。
だから少々強引にでも別の話題を振って、希ちゃんとの会話の方向を修正していく。
「えっ、ああ、うん。前からちょっと相談に乗って欲しいって言われててん」
希ちゃんはそれに少し驚いたような表情を見せながらも、素直に頷いた。
こう見えて、と言ったら失礼だし、やたらと上から目線ではあるけれど、希ちゃんは非常に聡い娘だ。
普段は飄々としていて、見方によっては軽い印象を受ける彼女も、その実しっかり者だったりする。そのギャップがまた、彼女の魅力であったりもするのだけれど。
だから、彼女はそれだけで察してくれる。俺は本当に気にしていないし、怒ってもいない。だからこれ以上謝罪は必要ないんだよという、そんなこちらの意図を。
ただ話の腰を折られらからではなく、そこまで酌んだ上で彼女は頷いて、そしてニッコリと笑う。
「……でもさぁ、女の子ってホントに好きだよね、占い」
「そうやねぇ、大抵の女の子は嫌いやないやんな」
そう、占い好きの女の子は多い。その割合は男のそれよりも遥かに高い。
恐らく脳の構造だとか、思考の傾向見た異なものが、そもそもからして男女異なっているからなのだろう。
「コウちゃんは占いって嫌い?」
「うーん……。嫌いってわけじゃないけど、そんなに気にはしないかな」
占いそのものよりも、他人に自分の方向性を決められるというのがあまり気に入らない。自分に限らず、割とそういう男性は多いのではないだろうか。
そりゃあ、俺だって神頼みぐらいはするし、験を担ぐなんてこともする。でも、やはり自分のとる行動ぐらいは自分自身で決めたいし、参考程度に聞いたところで逆にその行動は避けてしまいそうな気がする。
だからといって、占いそのものを否定するつもりはない。
誰かに背中を押してもらいたいという気持ちも、分からないでもないから。ただ、あまりに傾倒しすぎるのは考え物だけれど。
「逆に希ちゃんは、ベッタリだよね?」
何しろ普段からタロットなどの占いグッズを持ち歩いている。
加えて、その占いもよく当たるらしいと評判で、占って欲しいだとか、相談に乗って欲しいなんて女子もちらほらいるらしい。
それこそ今日なんかがいい例だ。
「うーん、そうやねぇ。ウチにとっては単に好きってだけやなくて、切っても切り離せないもの、って感じやね」
希ちゃんは目を細めながら、小さく頷く。
「元々、ウチはすっごい引っ込み思案やってん」
それは重々知っている。
初めて出会った頃の彼女は、今では信じられないぐらいに大人しい女の子だった。
そのきっかけも、経緯もほとんど忘れてしまった。年齢も一つ違ったし、何が俺の琴線に触れたのかも今となっては分からない。けれど、そんな彼女を半ば無理矢理に連れまわしていた事だけは覚えている。
そして、ある日転校していなくなってしまったことも。その時の悲しさも。
「だから、もしウチに占いがなかったら、今でもあの頃のままだったのかもしれん。いや、それどころか今ごろここに居なかったかも分からんね」
冗談めかしていながらも、どこか自嘲気味に希ちゃんは笑った。
いつか希ちゃんは言っていた。
彼女の親はいわゆる転勤族で。そのこともあってこの地を離れてからも、何度か転校を繰り返していた。
必然、その度に新しいクラスに、知り合いの誰もいない環境に放り込まれていた。
それを乗り切る為の処世術が占いだったと。
大抵の女の子は占いが大好きだ。
そして、そんな女性たちの輪に入って行くにはこの上ない術だった。ましてや、よく当たる希ちゃんの占いならば更に有効だったと。
「そんなこと……そんなことないよ、希ちゃん」
無意識のうちに俺は彼女の言葉を否定していた。
それを聞いた希ちゃんは、目を丸く見開いて驚く。そんなきょとんとした彼女を見て、自分が語気を荒げていることに気が付いた。
「……それに、そんな仮定の話なんかに意味なんかないんじゃないか」
何をそんなにムキになっているのだろうか。ただ冗談じゃないか。そう分かっていながらも、止めることは出来なかった。
例えそれが彼女自身の口から出た言葉だとしても。深い意味を持たない、ただの軽口だったとしても。否定をせずに入られなかった。
単なる仮定の話であっても、彼女が近くに居ないなんていう状況を、今の俺には認めることは出来なかったから。
「……確かに仮定の話なんて意味なんかないのかもしれへんなぁ」
「……」
「でも、全部が全部、無意味ってわけやないって、ウチは思うん」
そんな俺を見て希ちゃんは、やはり柔和に微笑みながら、嗜めるような口調で言った。
「……コウちゃんは妄想とかせーへんの?」
「は!? ……いや、しないけど」
「ええー!? ホンマにぃ? もし自分がプロのスポーツ選手だったらとか、漫画の中に入れたらーとか、そんな想像して遊んだりしないん?」
ああ、その程度の事だったら確かに身に覚えはある。
夜ベッドに入って目を瞑り、頭の中でありもしない想像を繰り広げることぐらいならば。
でも、せめて空想と言って欲しい。妄想と聞くと、どうにも如何わしいような、そんなニュアンスを受けてしまう。
そういった想像を、全くしないってわけではないけれど。
「ウチな、想像するって本当に面白いことやって思うん。それがどんなに現実離れしていることだったとしても」
「……」
「もしもあんなことが起こったら、もしも自分がこんな人間だったら、なんて考えるだけで楽しくなるやもん」
「まあ、 考えるだけならタダだしね」
「うん。それに、そんなもしもの話ってそこら中に、辺り一杯にいくらでも転がってるから」
そういいながら、希ちゃんは大きく手を広げる。彼女の言うもしもの話、そんな目に見えないものが、今ここに沢山あるんだ。そう言わんばかりに大きく大きく手を広げた。
「幾千幾万と、その人が考えうる限り、想像することが出来る分だけそれは存在する。もしそれをありえないことだからって全部否定してしまうのは、それはやっぱりちょっと寂しいことやって思うんや」
「……それは、そうかもしれないけど」
「もちろん、マイナス方向の仮定の話が面白くないっていう、そんなコウちゃんの気持ちもよくわかるんやけどね」
「……」
「それに」
希ちゃんは少し声のトーンを変える。ここから本題だというように、ほんの少し強くなった口ぶりで、話を続ける。
「それに、案外現実になったりすることもあるんよ?」
「まさか」
「……ふふっ。そのまさかって事が起こったりするんよ」
希ちゃんはクスクスと笑いながら、到底信じられないことを口にする。
「ウチ、転校して新しい場所に行って、新しいクラスに入る度に、ああ、このままずっとここにいられたらって、 そんな想像をしてた」
「……」
「それで、特に大好きだったこの街に帰ってきた時、思い切って親に言うたん。もう、転校したくない。ずっとここにいたいって」
目を細めながら、ただ淡々とした口調で希ちゃんは語る。
「そしたら、あっさりと受け入れてもらえたんよ。どうしようもないワガママやったのに」
「……でもそれって、希ちゃんが口に出して行動したからじゃ」
そう。それが叶ったのは、彼女自身が行動を起こしたからで。別に彼女の言う妄想が、そのまま現実のものになったってわけじゃない。
「それに、コウちゃんがウチに告白してくれた」
「えっ?」
「ウチな、ちっちゃい頃からずっと、コウちゃんとこんな関係になる想像してたん。転校して、離れてからもずっと。そしたら現実になったんよ。ウチは何の努力もしてへんのに」
希ちゃんは最大級のしたり顔を見せて笑う。所謂、ドヤ顔ってヤツで。
それを見せられた、こちらは何も言い返すことが出来ない。ただ黙らざるを得なかった。
「せやから、もしもの話をするってのも案外悪いもんやないんよ?」
「まあ、そこまで言うなら、否定するつもりもないけどさ。でも、話だけ聞いてると、希ちゃんが常日頃からそんなことばっかり考えてる風に聞えちゃうんだけど……」
「う~ん。あながち間違いでもないやんな」
「……えっ!?」
否定されるとばかり思っていたので、素直に肯定の言葉を口にする希ちゃんに驚きの声が漏れてしまった。
「ちょくちょくしてるしなぁ」
「例えばどんな?」
「そうやねぇ……もしも、コウちゃんがもうちょっと積極的だったら、とか」
そういいながら希ちゃんは笑う。先程までとは違って、今度はちょっとイジワルそうに、からかうような表情でニタニタと笑った。
「……もしもの話っていうより、ほとんど願望みたいなものじゃないのそれ」
「そうやね。でも、想像、妄想、空想。それって言うてみたら願望の塊やん。自分に関係することなら特に」
希ちゃんは俺に反論の余地を与えずに話を続けた。
「で、願いは強く望めば叶うんや。ウチがこの街に居ることが出来るようになったように。コウちゃんがウチを恋人にしてくれたように」
「……」
「だから、こうなって欲しいって思ったことは想像して、強く願うことにしてるんや。……例えば今だったら、コウちゃんの方から手ぇ握って来てほしいなあ、なんて」
願うどころかもはや口に出しているじゃないか。そんなツッコミを心の中で入れる。
しかし、自分の恋人に、ましてや女性の方にここまで言わせてしまうというのも、何とも情けない話だった。
だからといって、彼女の思惑通りに行動するというのも癪なものがあるのだけれど。
「……ふふっ」
だけど、そんな考えも何処かへ追いやって、素直に希ちゃんの手を握る。一瞬ピクリと驚きの仕草を見せるものの、すぐにその手を握り返してくる。
そしてまた、希ちゃんは笑う。
とても満足そうに、本当に願い事が叶った、そんな幸せそうな表情で。
改めてお誕生日おめでとう希ちゃん。
シックスナ……ロックの日やね!
妄想は活力だよねってお話でした。
個人的には希ちゃんはお付き合いしてもべたべたし過ぎずに、
適度な距離を保ち続ける娘さんだと勝手に想像しています。
しっかしまあ、毎度毎度ギリギリになる癖は何とかせにゃいけませんね。
そして同時にプロットを作る大切さを再認識しました。