「えええーーーーーっ」
昼食を終え、午後の授業が始まるまでの限られた時間。その勉強という縛りから開放された僅かな時間を、俺は幼馴染の数人とゆったり過ごしていた。
しかし、そこに一人の少女の悲鳴が木霊する。
「3。……騒がしいわねぇ、もう」
「4。全くね。アイドルとしての嗜みがなってないわ」
「つーか、アイドルとかいう以前に、年頃の女の子としてどうなんだって話だけどな……5」
「あ、あはは……ろ、6」
決して広いとは言えないアイドル研究部の部室。そこに響く、耳を突くほどに大きな声。
しかし、その発生源からは少し離れた所に集まった俺たちは、そんな叫声とは無関係のように気の抜けた会話を交わしながら、トランプなんぞに興じ続けていた。
「もぉー!! みんなして他人事みたいにぃ」
叫び声を上げた少女は、そんな俺たちに向けて非難の声を上げる。
「いや、ほとんど他人事みたいなもんだし……8」
「自業自得だしな。……あと、にこちゃん。それダウト」
「げぇっ!」
恨み節をこぼすその少女、高坂穂乃果には最近ある変化が生まれていた。
それは身体的な変化、まあ、端的に言ってしまえば体重の増加なのだが。その事を彼女の友人であり、同じμ'sの仲間でもある海未は見逃さなかった。
不要な肉の付いてしまった彼女を見て、アイドルとしてコレはイカンと、食事制限と脂肪燃焼の為の運動を課す。
そして彼女と、彼女と同じような経緯で参加することになった花陽は共にそれを消化していった。いや、そのはずだった。
もしそうだったとしたら、何も問題はなかったはずだ。
運動をすれば腹が減る。それは当然の流れ。自然の摂理。
そこに加えて食事制限までしていたものだから、恐らく誘惑に耐えられなくなったのだろう。
ダイエットメューの一部であるロードワークの途中で、彼女らはとあるチェーン店のお食事処で腹を満たしていたらしい。
結果、それがバレて海未は激怒。挙句、更なる食事制限と運動を言い渡されたわけだが。
そんなこんなで突きつけられた現実に、穂乃果は悲鳴を上げる。
花陽にいたっては、声を出すことすら出来なかった。まさに絶句。彼女にとって白米を減らされるということは、それぐらいショックだったのだろう。
まあしかし、とどのつまりは完全なる自業自得なわけで。
それに加えて、ダイエットみたいなのとは無縁なほど細身のにこちゃん。
基本スレンダーだが、ある程度出るところも出ている真姫。
全てが非常にバランスよく整っていることり。
そして、標準体形の俺。いや、そもそも大抵の男子高校生は体重なんて気にしないけれど。
だから、そんな俺たちからしたら、実際他人事みたいなものなのだ。だから穂乃果と花陽のふたりと俺たちとの間に温度差が生まれるのは当然だった。
「うぅっ……。それはそうだけどぉ……」
穂乃果は力無く机に突っ伏して、若干涙目になった瞳をこちらに向けてくる。
懐柔されたってわけではないけれど、そんな穂乃果の姿が少々痛々しくて、ついつい助け舟みたいなことを口にしてしまう。
「……まあ、確かにあれだけど、あんまり厳しくしすぎなくてもいいんじゃないのか」
それを聞いた穂乃果は今までの姿が嘘のように、パッと表情を回復させてウンウンと力強く何度も頷いた。
「限度ってもんはあるけどさ。男って大抵、ある程度肉付きの良い方が好きなもんだぜ」
女の子はとにかく体重を落として、細くなりたいなんて思っている子が多いけれど、男が皆そんな女性を好むかっていうと意外とそうじゃない。
女性の考える女性の理想像と、男の持つ女性の理想像は結構な差異があるのだ。
逆に男から見たらそれはないだろうって子が、自分のことをポッチャリ系だなんて言っちゃってるケースもあるぐらいだし。
「ただ痩せてさえいりゃ、細くさえいれば良いってもんでもないしな」
「……あんた、今何処見ながら言ったのよ。殴るわよ!?」
「はぁ……」
そんな一連の会話を聞いていた海未は、にこちゃんの怒りの声を掻き消すほどに大きく、そして深くため息をついた。
「……昔からそうですが、航太は穂乃果に対して甘すぎます」
そう言うあなたも大概だけどね。そんな風に思いもしたけれど、口にする雰囲気でも無さそうだったので、とりあえずは心の中に仕舞っておいた。
「大体、穂乃果も穂乃果です。あなたはそれで良いんですか?」
「わ、私っ!? だ、だって、航太君はこのままでも良いって言ってくれたもん」
「……」
「も、もちろん、ダンスに支障ないくらいには絞るつもりだけど……」
恐る恐るというか、海未の機嫌を探り探りに話す穂乃果。そんな彼女に痺れを切らしたのか、それとも別の理由なのか、海未は再び大きくため息をついた。
「他人の言葉を真正直に受け取りすぎです。……それが穂乃果の良い所でもあるのも確かなのですが」
「どういうこと?」
「いいですか? 航太の言葉をよく思い返してください」
「うん……」
海未の言葉に穂乃果は頷き答える。
「確かに、航太はそのままでも良い、そのような趣旨の言葉を口にしました」
「うん」
「でも、穂乃果が太っていないとは一言も言ってはいないのですよ?」
「うぐぅっ!」
海未の言葉に穂乃果は大きなダメージを受ける。その隣に居た花陽も、直接言われたわけではないにしろ、同様に心を抉られたらしく、ふたり同時にうめき声を上げた。
海未の言う通り、何でもかんでも馬鹿正直に人の言うことを受けとるのはどうかと思う。
しかし、あまり察しが良すぎるというか、簡単に他人の言葉の行間を読んでしまうのも、それはそれで少し可愛げに欠けるんじゃないかなぁ、なんて海未を見ながら思った。
「ちなみにさっき言った、肉付きの良い方が好き、というのは航太自身の考えですか?」
「あー……うん。まぁ、あれは一般論だな、あくまで」
「はうっ」
海未の質問に答えた俺の言葉は、結果的に更なる追い討ちを掛ける形になってしまったらしく、穂乃果は花陽とふたり、再び目の前の机に突っ伏してしまう。
いや、一応俺自身も考え方としてはそちら側に近いし、第一、別に彼女らがそんなに太っているなんて思ってもいないけれど。
「いいですね、ふたりとも?」
「……」
海未はふたりに念を押す。が、脱力しきった彼女らから返ってくる言葉はなかった。
「ねぇねぇ。かよちん、かよちんっ」
「へっ? 何、凛ちゃん?」
そんなふたりに一人の少女が近寄って行く。
そして花陽のすぐ傍まで行くと、その耳元で彼女だけに聞えるような小さな声で何やら呟いた。
「……だよ」
「うん……うん」
花陽は頷いて相槌を打ちながら、静かに凛の話に耳を傾けていた。
そんな合間、チラリとこちらに向けられた花陽の視線と、彼女と凛のやり取りを見守っていた俺のそれが交差する。
しかしそれもほんの一瞬のことで。花陽は慌てる様に視線を反らしてしまった。
別に彼女とて悪意があるわけじゃないだろうけれど、露骨に避けられるとやはりちょっぴり傷付いてしまう。
女の子が思っている以上に、意外と思春期男子は繊細なものなのです。
「……ようしっ!」
ひとり些細なことにへこんでいる俺とは対照的に、花陽は何やら決意をしたような表情でグッと握り拳を固め、そして勢いよく立ち上がる。
「やります……。はいっ。花陽はやりますっ! がんばります!」
そんな彼女の堂々とした宣言に、周りに居た一同は、おおぉお、という感嘆の声を上げる。
「……わかりました。一緒に頑張りましょう、花陽」
「はいっ!」
それを聞いた海未は満足そうに頷いて、ニッコリと笑みを浮かべる。
海未はその表情を一切崩さないままに、穂乃果の方へと向き直った。それは同じ笑みなのに、不思議と全く別の意味合いを含んでいるように見えた。
「……で、穂乃果はどうしますか?」
そして海未は再び穂乃果に問いかける。やはり笑みは崩さないままに。
まるで蛇に睨まれた蛙。
そんな彼女を前に、穂乃果はただただ、引きつった笑みを浮かべ続けるのだった。
●
翌朝。俺は近くの公園でひとり、友人が現れるのを待っていた。
秋も終わり、街の至る所で冬の始まりを予感させる。
幼い頃から慣れ親しんだこの公園も木々は彩を減らし、冬支度といった様相を呈していた。
そんな景観と並行するように、最近では早朝の気温もどんどん冷え込んできている。
普段だったらあまり歓迎できないそれも、ひと運動終えて火照ったこの身体には、クールダウンするのにちょうどいい具合だった。
「ふぅ……」
公園の入り口に設置された逆U字型の車止めに腰掛けて、乱れた呼吸を整える。
結局あの後、食事制限などは元のままに、朝の練習の前にランニングを増やすという条件で穂乃果は手を打ってもらっていた。何故か俺が同行するという条件付で。
しかし一緒に走るとはいっても、俺と彼女とではペースが大分違うだろうということは事前に想像がついた。だからこうして、端から先行してゴール地点で相方の到着を待っている。
「はぁ、はぁ……もぅ、げんかーいっ」
見るからにバテバテといった様子で現れたその少女は、纏ったジャージが汚れるなどということは意に介さずに、すぐさまその場にへたり込んでしまう。
「おつかれ」
「おつかれ……じゃないよ、もうっ。酷いよー、航太君。自分だけ先に行って」
ジトッと恨めしげな視線を向けながら穂乃果は言うが、個人的に他人に合わせるよりも自分のペースで走った方が楽なのだ。それが自分よりも速くても、遅くても。
勿論、穂乃果に合わせて速度を落とすことだって出来なくはないが、それだと必要以上に落としすぎて、かえって彼女の為にならないのではないかなんて思ったから。
「付き合ってやってるだけでもありがたいと思えって」
「……ちゃんと感謝してるもん」
言葉とは裏腹に、穂乃果はぶうっと不満そうに頬を膨らませる。
「ったく……ぅおっと」
風が吹く。少し強めの風が。
随分と落ち着いてきた体温にそれはちょっとばかり冷たすぎて、思わずブルッと体が震えた。
「……ねぇ、航太君」
今着たばかりの彼女には、むしろそれはちょうど良いぐらいだったのだろう。身を縮めている俺とは違い、何ともないような顔をして穂乃果は口を開く。
「ホントはどっちの方が好きなの?」
「ん? どっちってなにが?」
突然の彼女の質問に要領を得ない。どちら、ときかれてもその比較物が両方とも分かりはしなかった。
「太ってる子と痩せてる子」
「……言わなかったけ?」
「ううん。言ってないよ」
あの時、部室で言った気がしたけれど……。
いや、そうか。あれは結局、一般論だってことにしたんだっけか。
そのことを思い出して、改めて考えを巡らせる。
しかし正直、どちらが好みかと聞かれても返答に困るのだ。
少なくとも特殊な性癖はないし、悪球打ちでもないので太りすぎだったり、逆に痩せすぎてさえいなければいい。
あえてその範囲内で、と考えてみても、やはりはっきりとした結論は出ない。
「うーん……」
考えを働かせながら、ふと何気なく、穂乃果の顔をぼんやりと眺めてみた。
そして再度考える。
じゃあ、以前の穂乃果と目の前にいる彼女ではどちらが好みなのかと。
以前の穂乃果、つまりは俺の頭の中に記憶として残っており、そこから思い描く彼女と比べてみると、確かに今の彼女は僅かばかりふっくらとしているように感じられた。
でもそれはしっかりと、まじまじと見なければ分からないほどだし、今の穂乃果を単体で見た時に太っていると感じるかといったら、そんなことはない。
つまりはそこに大きな差はないはずなのだ。
ならやはり答えが出ないのかと思いきや、意外とそんなことはなくて。自然と、不思議と脳内にいる方の彼女に軍配を上げている俺が居た。
それが何故なのか、自分でもよく分からない。でも、単に太っているからとか、痩せているからという理由ではないということだけは分かっていた。
「え~。そんなに考え込むこと?」
口を閉ざしてしまった俺に、穂乃果は不思議そうに言った。
彼女としては、単純に好みの体形を答えるだけなのに、どこに考える要素があるのだろう。
そんな風に思っているのだろうけれど、当の本人である俺の頭の中からは、体形がどうのなんて話は既にどこかへと消えていた。
「……」
しかし、優劣が付くということは、俺の中の穂乃果と実際の彼女とで少なからず何か違いが生まれているということになる。
それがいったいどこにあるのか。外見、容姿でないということは、つまり内面的な何かというわけで。
そう考えるうちに、一つの思い当たる節に辿り着く。
俺の中の高坂穂乃果という幼馴染は、何か自分の手に負えないことがあるとすぐに、航太くーん、なんて泣きついて来るような少女だった。
猪突猛進型で突っ走るタイプのくせに、意外と一度躓くとダメダメで。でも、そんな彼女に頼られるのも悪くないと思っている自分も居て。
けれど、最近の穂乃果はそんな様子を見せることも少なくなっていた。
今回の事だってそうだ。
遠回りこそしたし、不満だって口にするけれど、目標地点へと向かってしっかりと足を運んでいる。そして、恐らく最後までやり遂げるだろう。
アイドル活動の為なのか、単純に彼女が人として成長したからなのか。それともまた別に理由があるのか。それは分からない。
分かりはしないけれど、そこに確かにあるのは、今、目の前にいる穂乃果と、俺の頭の中に思い描く彼女が明確に違っているという事実。
きっと俺の頭の中に存在する高坂穂乃果という少女は、どこか以前のイメージのまま止まっているのだろう。
そして、そんな昔のまま、俺のイメージ通りのままであって欲しいと思う自分と、それとは違った、今いる彼女を見ていることに楽しみを感じている自分が同時に存在していた。
「……言っても分かんないだろうなぁ」
「むっ。なんかバカにされた気分」
「別に馬鹿にはしてないけどさ」
馬鹿にするだなんて、そんなつもりは毛頭ない。
多分、言っても理解してもらえないだろうから。本当にそれだけの理由。
というかそれ以前に、最初の太っているだとか痩せてるだのという話からは大きく脱線しているからって理由もあるけれど。
「ふーん……。あーぁ。でも、もうちょっと楽に痩せられる方法があればなー……ねえねえ、何かないの、航太君?」
「あるわけないだろ……」
仮にそんな方法があったとしたら、既に本でも出して一儲けしているだろう。
「えー、航太君だったら何とかしてくれると思ったのに」
「何とかしてくれるって、俺なんかに多くを求めすぎだろ。無理なものは無理だっての」
男の俺にとって、ダイエット法なんていうのは守備範囲外で。秘密道具満載の未来ロボットじゃあるまいし、そう何でもかんでも都合よくポンポン出てくるかって話。
「うーん……でも、私の中では、航太君に言えば大抵のことは解決してくれるって印象なんだけどなぁ」
「まさか。スーパーマンか何かじゃあるまいし」
そう、所詮は普通の男子高校生で。何か特別優れたところがあるってわけじゃない。
他人よりずば抜けて勉強が出来るわけでも、運動が得意な訳でもない。なら、発想力やユーモアに富んでいるかと、生憎そんな物も持ち合わせちゃいない。
だから、彼女が言うような、過度な期待を受け止められるような人間ではない。
きっとそれは、穂乃果の中の勝手なイメージ図。恐らく、今までの付き合いの中で彼女の相談に乗ったりだとか、そういった小さなものが積み重なってできた偶像。それが他の人より長い分だけ、無駄な尾ひれが付いてしまったのだろう。
「……あぁ」
小さく言葉をこぼし、一人納得する。
ああそうか、穂乃果も同じなんだと。いや、穂乃果だけじゃない、きっと誰しもが同じことなのだろう。
仮にどんなに親しくて、長いこと同じ時間を共にした相手であったとしても、その人そのものと自分の頭の中にイメージするその人とでは齟齬が発生する。
いや、長いからこそ、近しいからこそイメージが凝り固まってしまうのかもしれない。
そしてその先入観というか、変なバイアスの掛かったものと比較して、勝手に美化したり、期待したり、失望してしまうのだと。
「……まあ、何だ。地道にやるしかないってこったな」
「ちぇっ」
穂乃果は不満そうに唇を尖らせる。
「ほれ、ぶーたれてないでもう一走りするぞ。もうすぐ朝練も始まるんだし」
「はーい……」
「何故だか知らんが、花陽はやる気満々みたいだし、穂乃果ひとり取り残されても知らんからな」
不満たらたらな穂乃果とは違って、花陽は大いにやる気を見せていた。何がそんなに彼女を突き動かしたのかは、俺にはうかがい知れない所ではあるが。
「……私は何となくわかる気がするなぁ」
「花陽がなんか言ってたのか?」
「ううん。そうじゃないけど、多分私と同じような気持ちだと思うから」
穂乃果は複雑な表情で首を振る。恥らったような、そしてどこか申し訳なさそうな表情で。
「ふぅん。……で、ちなみにどんな理由なんだ?」
「うーん……ふふんっ。教えてあげないよーだ」
そう言って穂乃果は可愛らしくベーっと舌を出しながら、勢いよく立ち上がった。
「えぇ……」
「だって航太君もさっき、穂乃果の質問に答えてくれなかったもん」
「いや、それは……って、おいっ!」
そして穂乃果は、俺の話を待たずに再び走り出した。
「航太くーんっ。早くしないと置いてっちゃうよー」
一度振り返って手を振り、穂乃果はそのままひとり駆けて行く。彼女に置いていかれまいと、慌てて俺もその後を追う。
しかし穂乃果の走るスピードは、思っていた以上に、俺の想像していたよりもずっと速いものだった。
それ故、そんな彼女に追いつき、横に並ぶまでに予想外の時間を要するのだった。
他人をイメージで語っちゃいけないよねってお話。
映画を見てきたのですが、その感想が面白いとかあの子が可愛いとかじゃなくて、悲しいでした。
もちろん面白かったですし、みんな可愛かったのですが、何というか、あぁみんな遠くに行ってしまったんだなぁ、なんてことを考えてしまい、寂しいような悲しいような気持ちになってしまいました。
そんな気持ちの悪い人間がこの小説を書いております。
関係ないですがトランプのダウトってゲーム、どのくらい認知度あるのでしょうかね?
普通に文中で使ってしまいましたが。