「そうか、お前が凱旋門賞に……」
日本ダービーに勝利し、身体にも異状なく凱旋門賞に挑戦することが正式に決定した彼女は、その夢のきっかけとなった父に会っていた。
「夢を見ている気分だ。日本のウマ娘が凱旋門賞を制覇することはおれの悲願だったが、よもや自分の娘がそれに挑戦することになるとはな」
「私が明確にレースを走る目的を見つけたのがあの日だった。日本ダービーを勝って世代の頂点を名乗るに相応しいウマ娘になった今、それを堂々と宣言するに値する存在になれたわ」
クラシック期が始まって間もない頃、トレーナーと父の会話を耳にして以来、凱旋門賞が自身の競走ウマ娘としての大きな目標になっていた。弥生賞、皐月賞と惜敗するレースが続いたが、日本ダービーにてソルスティスとともに同期の中で、いや、レコード勝ちという快挙にして他の世代にも引けを取らない実力を見せた彼女。クラシック期にして凱旋門賞への挑戦を表明した際には世間も動揺したものの、彼女を応援する声が高まっている。
「おれとしちゃあ、娘がダービーを制した時点で感動で涙を流し尽くしたってのに、まだ夢を見せてくれるか。親として、嬉しいなんて言葉じゃ収まらねえよ」
「そんなんで終わらないわよ。国内のGⅠだってまだまだ勝ち足りない。私の実力はこんなもんで終わらないって全国に、いや、世界に示すわ。」
「そうか……。だが、怪我にだけは気をつけてくれよ。ダービーを勝つことも凱旋門賞を勝つこともおれの夢だが、お前の身体を犠牲にしてまで叶えてほしいと思わない。『無事之名ウマ娘』って言葉もあることだし、競走ウマ娘としての人生が終わってもお前の人生はもっと長く続いていく。何を置いてもそれだけは忘れないでほしい」
父はそう言って、彼女の目をじっと見つめた。いつになく真剣な眼差しを送る父に彼女は驚くが、先日同じレースを走り、怪我や不調が発生した同期の面々を思い出して、込められた親心を受け取り、深く頷いた。
―――
彼女にはもう1人、凱旋門賞の前に会っておきたい人がいた。
「お久しぶりです、スペシャルウィークさん」
「久しぶり! ダービーすごかったよ! おめでとう!」
ダービーの前に並走トレーニングに付き合ってくれた、またレース本番に応援に来てくれた先輩ウマ娘、スペシャルウィークである。スペシャルウィークはサマードリームトロフィーリーグがあるため夏合宿には参加しないため、合宿前に会うことにしていた。
「凱旋門賞に行くって聞いたよ! すごいね……クラシック級で世界に挑戦なんて」
「私の競走ウマ娘としての夢であり目標にしていたレースだったので。
今年の挑戦はダービーの結果次第でしたが、先輩のおかげでこの通り、結果を出すことができました」
彼女がそう言って頭を下げると、スペシャルウィークは恥ずかしそうに、そしてバツが悪そうに頬をかく。
「私は大したことできてないよ」
「いえ、並走トレーニングでは先輩からスパートの走り方を学びましたし、本番だって先輩の応援が私に力をくれたんです。トレーナーと先輩のあの応援が無ければ、私はきっと、ソルスティスに差し切られていました! ――」
謙遜するスペシャルウィークに畳み掛けるように感謝の想いをぶつける彼女。なおも言葉をぶつける彼女にスペシャルウィークはタジタジになっていた。
「――でも凱旋門賞かぁ……。私は結局行くことはなかったし、君には頑張ってほしいと思ってるよ」
スペシャルウィークは、なんとか言葉を出して話題を逸らそうとする。そこまでマシンガンのように話していた彼女も、その言葉に疑問を返す。
「先輩も凱旋門賞に行く予定があったんですか?」
「うん、シニア期1年目に、同期のエルちゃん――エルコンドルパサーちゃんと一緒に行く計画があったんだけど、直前の宝塚記念でグラスワンダーちゃんに負けちゃって。トレーナーさんと相談して取りやめたんだ。まだまだ日本で戦う相手がいるからってことで」
「そうだったんですね……」
「その後、ジャパンカップでエルちゃんに勝ったモンジューさんにも勝てたし、有マ記念ではグラスちゃんと最高のレースができた。それらのレースに後悔はないけど、凱旋門賞に行っていたらどうなっていたか、って思ったことがないわけじゃなかった」
過去の経緯とレースの思い出を語るスペシャルウィーク。その顔を見た彼女はもう1つ、凱旋門賞を走る目的を持っていくことを決める。
「……先輩。私、先輩の想いも一緒にフランスへ持って行きます。先輩の分も、凱旋門賞で走って、勝ってきますから、また応援しててください!」
ダービー勝利の一押しをしてくれた、そして同じダービーウマ娘の先輩であるスペシャルウィークのためにも、負けられない。凱旋門賞に懸ける想いをさらに重ねて、ますます勝ちたい想いを増す。
スペシャルウィークは一瞬驚いた表情を見せ、そしてすぐに笑顔を見せて、彼女に応える。
「もちろん! 日本の悲願、楽しみにしているよ!」
―――
クラシック期以降のウマ娘の多くは、7月から8月にかけてトレセン学園から離れた海辺の合宿場にて夏合宿を行うことが通例となっている。この時期はGⅠレースが開催されないこともあり、有力ウマ娘が実力を大きく伸ばす機会として重宝されている。無論GⅠレースがないというだけであり、レース自体は開催されているので、出走者はレース前後のみ合宿を中断してレースに備えることになる。
そして彼女も凱旋門賞に備えてこの2ヶ月間を目一杯使う予定であったが、それに待ったがかかる。
「凱旋門賞の前に『ニエル賞』を走ろう」
「ニエル賞?」
ニエル賞とは、凱旋門賞と同じくパリロンシャンレース場で行われる2,400mのレースである。凱旋門賞と同じ条件で行われる、前哨戦として位置付けられている。
「欧州の芝は日本のものと大きく異なり、よりパワーが求められるバ場になっている。函館と札幌の芝は比較的それに近いが同じでもない。本番の前に一度走って感覚を掴んでおいたほうがいいと思ってな」
「なるほど。でもそれだと夏合宿は途中で切り上げですか……」
ニエル賞は9月上旬に行われるレース。国内で開催されるなら8月いっぱい使えるが、海外遠征ということもありもう少し前から準備を始めないといけない。遅くても8月下旬から準備を始める見込みとなり、その分夏合宿の参加期間を削らなければいけなくなる。
「そのあたりは必要経費と割り切ろう。向こうに着いてからもトレーニングはできる。9月に入ったらすぐに出発するから、今のうちからいろいろ準備をしておけ」
「わかりました」
遠征の目処もつき、いよいよ凱旋門賞挑戦に際して動き始める彼女。
その傍ら、夏合宿開始直前に行われる年度上半期を締めくくるグランプリレース『宝塚記念』にて、世間は大きな盛り上がりを見せていた。
『ケープチャンプ、宝塚記念レコード勝ち。次走は凱旋門賞』――〇〇新聞
―――
7月に入り、夏合宿期間が開始した。合宿場にて集中トレーニングを行える成長の機会であると同時に、暑さに弱いウマ娘が夏バテや熱中症等で体調を崩しやすく、食欲が落ちるという難儀な時季でもある。いい意味でも悪い意味でも体重の変動が大きいこの時季は、トレーナー陣にも慎重な調整が求められる、腕の見せ所だ。
「まあ、お前に関しちゃ関係ない話か」
「?」
そんな時季でも彼女の食欲は全く落ちる様子を見せず、相変わらず手元に食べ物を用意している彼女にトレーナーはただただ舌を巻くばかりだ。おまけにすぐ目の前に海があるので、いつでも水泳トレーニングができて体重の調整もしやすいという絶好の環境。つくづく期間いっぱい使えないことが惜しまれるトレーニング環境である。
「夏合宿に使える時間は短い。短期集中で凱旋門賞に向けて仕上げるぞ!」
「はい!」
特に力を入れて行うのは砂浜走行トレーニングである。足が沈みやすく、バランスが取りにくい砂浜での走行は体幹の矯正や地を蹴るパワーを強化するに最適であり、それは芝の性質とと季節柄、バ場が緩みやすい凱旋門賞に向けたトレーニングにそのまま繋がる。体幹の矯正は、ウマ娘同士の衝突が多発する欧州でのレース文化に対抗する武器ともなる。
この砂浜走行を1日に何度も繰り返す。超高速の日本ダービーを耐え抜いた強靭な肉体が、高負荷のトレーニングにも耐えて新たな筋肉を作り上げる。
夏合宿期間、様々なトレーニングを併せて行い、凱旋門賞に向けて調整を進めていく。
そして夏合宿期間が終了し、彼女がフランスへ旅立つ日が訪れた。
東京公演は抽選に漏れたので配信勢になります。