日本語以外で喋るセリフは『』で表しています。
夏合宿シーズンが終了し、彼女が旅立つ日がやってきた。迫る前哨戦『ニエル賞』から本命であり夢の舞台『凱旋門賞』を走り切るまで約1ヶ月の遠征期間を前に、彼女は浮き足立たせて空港に訪れていた。
「空港って初めて来ましたけど、すっごく大きいですね~! 迷子になっちゃいそう!」
「じゃあ遠くへ行くんじゃねえぞ。こんなところで迷子になられたら捜しようがない」
トレーナーはそう言うと、慣れた様子で出発ロビーへ向かっていく。彼女は慣れない景色にきょろきょろしながら、その後ろをついて行く。
「あ、トレーナー! あれ美味しそう! 食べたいです!」
「その前に飛行機のチェックインを済ませるぞ。重い荷物は預けてからのほうが身軽に動けるしな」
通りがけのレストランに目移りする彼女を、トレーナーは軽くいなして今回搭乗する航空会社のチェックインカウンターに向かい、慣れたようにチェックインと預け荷物の手続きを進める。
「ところでお前、随分と大荷物みたいだが何を入れているんだ?」
「え、飛行機の中で食べるおやつですけど?」
「……どのくらい入っているんだ」
「この鞄の中は全部そうです」
そう言って彼女が指した鞄は、もはや球体と形容しても過言ではないほどに内圧で膨れ上がったリュックサックだった。トレーナーは「ちょっと量ってもらえ」と言ってそのリュックサックを量りに置き、示した重量を見たトレーナーとスタッフは一瞬の沈黙の後に、彼女に残酷な真実を告げる。
「「重量オーバーだな(です)」」
「ええ!? じゃあ全部持っていけないってことですか!?」
「申し訳ありませんが……」
「仕方ないだろ。ほら、傷まないものから預け荷物に入れろ。向こうに着けば食べられるからいいじゃねえか」
「でも、到着まで16時間もあるじゃないですか! お腹空いちゃいますよぉ!」
「いや、16時間食い続けるつもりかよ……。絶対道中眠くなるから大丈夫だろ。多分」
「機内食もご用意しておりますので……」
――と、一悶着あったものの、2人は無事、予定の飛行機に搭乗して故郷を旅立ち、遥か西の都へ向かう。彼女は離陸時の上から重力に押しつぶされるような感覚に耳を伏せながら持ち込んだポテトチップスを食べ、車窓越しに故郷へ一月の別れを送っていた。
―――
トレーナーと彼女が乗った飛行機はトラブル等も特になく、無事パリの国際空港へ到着した。
「着陸の時に見ましたけど、パリの空港も大きいですね! 日本以上じゃないですか?」
「元気な奴だな……普通は初めて長時間フライトした後はグッタリするもんなんだが」
「だって初めての外国なんですよ! しかもパリ! 凱旋門賞の地! あとフランス料理!」
「わかったわかった。今日はもう夕方だから下宿先に向かうぞ」
彼女らが到着した時間帯は夕方、日もかなり西側へ傾いた頃合いである。夕飯を食べるにも機内で持込みのおやつや機内食を食べ尽くしていた彼女には当分食事は必要ない――
「その前にとりあえず夕食たべたいです!」
「少しは胃腸を休ませてやれ」
などということはなかった。本当に睡眠時間以外はずっと胃腸に負荷をかけているのではないかと、呆れを通り越して心配になるくらいである。なお、離陸前はちきれんばかりにおやつが詰められたリュックサックは既に空になっていた。
『やあ、トレーナーさん。お待ちしていましたよ』
そんないつも通りのやり取りをしていると、横からフランス語で声を掛けられる。
そこにいたのはトレーナーと同年代程度と思われる壮年の男性。対しトレーナーは驚く様子もなく、同じくフランス語で応える。
『これはこれは、ネオン先生。この度は我々の下宿を受け入れて頂き、ありがとうございます』
彼女も最低限のフランス語は学んできている。リスニングにはあまり自身がないが、その壮年が下宿先――フランストレセン学園のトレーナーか学園教師であることは把握できた。彼女らはパリ郊外に位置するフランストレセン学園の学生寮、およびスタッフ寮の一室を借りて下宿することとなっていた。
『――はい、はい。ありがとうございます』「まずは学園に行くぞ。飯は荷物を整理してからだ」
「はーい」
―――
壮年――フランストレセン学園に所属するネオントレーナーの運転する車に乗って空港を離れ、フランストレセン学園へ到着した。
『ようこそ、フランストレセンへ。貴女の世話役を務める「キロピゴッツィ」よ。よろしく』
『よろしく』
フランストレセンの学生寮で迎え出た栗毛のウマ娘が手を差し伸べる。彼女もその手を取り、挨拶を済ませる。
『キロピゴッツィだって? 確か君はニエル賞に出走登録をしていたよな?』
『あら、ご存じ頂けているなんて光栄でございますね。その通り、次のレースではよろしくお願い致しますね』
『ああ、そういえば……あなたも凱旋門賞を見越して?』
キロピゴッツィはニエル賞に出走登録を行っており、彼女がニエル賞に出走するにあたって大きな壁だとされているウマ娘の一人であった。
『凱旋門賞への登録はまだしてないわ。行かないつもりでいるわけじゃないけど、見極めってところかしらね』
『なるほど。でもまずはニエル賞、よろしく』
『ええ。
さて、玄関口で長話をするのも何ですし、まずは貴女の部屋を案内するわ。どうぞ上がって』
『ありがとう』「トレーナー、あとの予定はどうしますか?」
「んー……。まあ長旅だったし、今日のところはこれで終わるか。明日のことは後で連絡する」
「わかりました。あ、そういえば夕食――」
そう言って彼女がお腹に手を当てる様子を横から見ていたキロピゴッツィが口を挟む。
『あら、お腹が空いているの? 寮の食堂は開いているから、お部屋に荷物を置いたらそこに案内しようか』
『いいの? ありがとう!』
「問題なさそうだな。じゃあ、おれはこれで」
「はい。また明日」
―――
『ここが貴女の部屋よ。二人部屋で今は1人だけど、日本からはまた何人か来るって聞いているから、その人たちと共用してもらう予定よ』
『わかったわ』
寮の一室の前に到着した彼女は、キロピゴッツィに従い寮の一室に入る。荷物を置き、凝り固まった身体を伸ばしてほぐす。
『ご飯はいつにする? もう少ししてからでもいいけど』
『ううん、お腹ペコペコでしょうがないから、今からでもいいなら食べに行きたいわ』
『わかった。じゃあ案内するから行きましょうか』
―――
『そういえば、既に日本のウマ娘の方が1人来ていることは知っている?』
『え? あー、そういえば聞いたような気がするわ』
今年の凱旋門賞に出走を決めている日本所属のウマ娘は彼女だけではない。今年の宝塚記念に出走したシニア級のウマ娘が3人、凱旋門賞に出走を決めたことはニュースで聞いていたが、その日程に関してはあまり耳にしていなかった。
『ええ、この前、「ドーヴィル大賞典」を走っていたかしら。彼女もこの寮に下宿しているから、そのうち会うと思うわよ』
そんな話をしつつ食堂に到着する。カウンターに並べられている料理から好きなものを自分の皿に載せていくビュッフェ形式での提供となっている。一度に大量に取るのはマナー違反であるため、彼女も郷に入っては郷に従い、量を調節して皿に載せていく。再度取りに行く行為は問題ないので、足りなければ後で取りに行こうと彼女は考えていた。
「――ん、おいお前、日本のウマ娘か」
料理をテーブルに持っていく道中、日本語で声を掛けられる。声の主は鹿毛の目元が鋭いウマ娘。日本語を話したということは、例の先着していたウマ娘なのだろうか。
「初めまして。今度のニエル賞に出走するので、今日到着したばっかりなんです」
「……ああ、もしかして今年のダービーウマ娘か? クラシック級で凱旋門賞に挑戦するなんざぁ、なかなかのチャレンジャーだな」
おれの席に来い、と言って歩き出す鹿毛のウマ娘に従い、彼女が座っていたテーブルに皿を置き、席に座る。キロピゴッツィも誘い、同じく席に着くのを待ち、鹿毛のウマ娘がナイフとフォークを取って話し出す。
『おれは「グリードフルート」。シニア級を走って数年経つが、日本ではシルバーコレクターだのブロンズコレクターだの言われていたウマ娘だ』
グリードフルートに続き、彼女やキロピゴッツィもナイフ、フォークを取って食べ始める。
『今年サウジアラビアとドバイで重賞に勝って、欧州の適正を見込んでここに来た、ってところだな。ドーヴィル大賞は負けちまったが、こっちのバ場でも走れることが分かっただけ僥倖だ。あとは凱旋門賞に向けて調整を積むだけだな』
話しながら食事を進めるグリードフルートの話を聞く彼女とキロピゴッツィ。
『この時期に来たってことはニエル賞でも走るんだろ? 同じレースと一言で言っても、開催地域が変わればルールも違うし、ましてや日本と欧州じゃ別物と言っても過言じゃねえ。あれこれ話を聞く前にまず一回走ってから聞くといいぜ』
キロピゴッツィもグリートフルートの話を集中して聞いている。将来的に海外遠征を視野に入れているのかもしれない。
グリートフルートは『頑張れよ』と一言残して自室へ戻っていく。
初めての国外レースは既に目の前に迫っている。ニエル賞を夢への足掛かりとして使えるように、まずはしっかり食事をとることにしよう。彼女は空になった皿を横に置き、新しく料理を取りに行った。
『食べ過ぎじゃない?』
フランス一度は行ってみたい。