弥生賞から一週間、彼女はトレセン学園近辺の川沿いにあるランニングロードで軽く走りこんでいた。弥生賞の後、右脚に切傷が見つかったためだ。
とは言っても特に大したものではない。が、次走はクラシックGⅠ初戦となる大舞台『皐月賞』であるし、下手に負荷をかけて悪化しては目も当てられない。というトレーナーの判断で、ひとまずトレーニングはなし、とすることになった、はずだった。
「あったかくなってからご飯もおいしくなってきましたね!」
「食いすぎだお前ぇ!」
練習量が少なくなっても食事量は変化しない。何もさせないでいるとどんどん体重が増えてしまうため、流す程度のトレーニングは行うことになった。明日にはプールトレーニングも再開する予定である。
弥生賞は惜敗に終わってしまったが、悲観している暇はない。1ヶ月後にはクラシック級GⅠ初戦『皐月賞』が控えている。元々弥生賞は皐月賞のために出走したものであるし、レースの内容は悪くなかったというのがトレーナーの見解である。
「仕掛けが早ければ勝てていた可能性はあった。終わったレースにたらればを言ってもしょうがないが、展開を見てコース選びと仕掛け時をうまく見切れば、皐月賞は勝てるレースだ」
末脚勝負に賭ける彼女にとって中山のコースは有利とは言い難いものの、残り200mからクビ差2着まで持っていく能力がある彼女には、あまり大きな問題ではないだろう。あとは出走メンバーと枠順、展開次第である。その点にも柔軟に対応できるように、高負荷のトレーニングができない今、展開予想や対応策を考えるトレーニングを重点的に行うことになった。
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4月初旬、皐月賞まで残り1週間を切った頃、皐月賞の出走表が公開された。
出走人数は18人、彼女のゲートは6枠12番。比較的外側のゲート番号を引いた。
「アビスアックスは1枠2番……。今回も逃げ寄りの先行策で行くだろうから、いい枠を引いている……のかな?」
「それはこっちも同様だ。今回は弥生賞より外側の枠を引いている上に、より外側に配置されたウマ娘の多くは先行型。あの時のように周囲を囲まれる心配は薄いはずだ」
そして世代を代表するウマ娘のほとんどが出走するレースであるため、以前共同通信杯に出走していたウマ娘もいる。そこで力を見せて勝利した『ルーカス』や、惜しくも敗れ2着となった『リネアインヘニオ』もその一角である。そして、その日の帰り道に見かけたウマ娘。
「『ソルスティス』も来たか……」
「ん、キタサンブラックが目をかけているってウマ娘か。
前走2戦を確かめたが、確かにあのウマ娘はほかとは何か違う。それが何であるかはまだわからないが……」
キタサンブラックが期待するウマ娘、というだけではない。前走それぞれのレースが先行抜け出しと後方差し切りという違う勝ち方をしていることや、体質が弱いことによるレース間隔が、ソルスティスというウマ娘を計ることを難しくさせている。だが、デビュー2戦目でジュニア級GⅡレースを勝利していることからも、無視できない能力を持っていることだけは明確だった。
大舞台が幕を開けるまで数日。一抹の不安を残しながら、時は過ぎ去っていく。
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4月中旬の日曜日、皐月賞当日。彼女とトレーナーは2度目の中山レース場へ訪れていた。
「同じ『GⅠ』なのに、朝日杯FSの時よりも観客が多いですね」
「格の違いだな。皐月賞はグレード制が導入される前から『八大競走』の一角として重賞の中でも最高格の存在だった。おまけにクラシック級の第一線が集結するレース。誰もが生で見たいと思うのも必然だろう」
彼女にとっては2回目のGⅠ出走だが、朝日杯FSと比較して非常に多くの観客がひしめく観客席に面食らう。同時に、それだけの注目をされる場面であることを強く実感させられた。
「筋肉のつき方は問題ない。体重も予定通り、上手いこと絞れている。弥生賞で掴んだ中山の走り方をこのレースで活かせ!」
「はい! 前回はダメでしたが、今回は必ず勝ってきます!」
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「来たな、鬼の末脚。今回も勝つのは私だ。
ゴール板を抜ける私の姿を、後ろから指を咥えて見ていろ!」
「前回の私と同じと思わないで。強くなった私を見て悔しがれ!」
朝日杯FS以来の勝負服に身を包み、上からジャージを羽織ってレース場内の通路を歩く。これから向かう先はパドック。レースの前に観客に自身の調子を見せ、その日のコンディションやトレーニングの成果を披露する場である。
また、パドックは観客が競走ウマ娘に最も近づける場面でもあり、ファンと競走ウマ娘の交流の場としても機能する。レース運営を行う上で欠かせない場所だ。
パドックのお披露目は1人ずつ、ゲート番号の順番に行われる。途中、先にお披露目を終わらせたゲート番号「2」番のアビスアックスとすれ違い、声を掛け合う。
程なくして彼女の番が訪れ、パドックと通路を仕切るカーテンを分け、観客の目前に姿を現す。
羽織っていたジャージを脱ぎ捨て、ポーズを取って鍛え上げた自身の身体を見せる。観客から歓声が沸きあがる。パドックの背後にそびえる電光掲示板、彼女の名前の隣には「1番人気」と記されていた。
最後に一礼し、再びカーテンの奥の通路へ進む。通路を歩いている途中、パドックを控えるウマ娘たちと顔を合わせる。
1番人気を相手に震える者、『お前を倒す』と言わんばかりの目を向ける者など、その様子は様々だった。最後の1人と目を合わせたとき、その身体に震えが走った。
「……!?」
驚き、足を止める。そこにいたのは、以前より注視していたウマ娘の1人、ソルスティス。しかし、以前見たときとは明らかに違う覇気を感じた。別人であるかと一瞬錯覚するほどに。
皐月賞、思ったよりも苦戦するかもしれない。先行きを見通せない不安に苛まれながら、再び足を動かしコースへ向かった。
―――
『曇り空が天を包み、新緑が芽吹きつつある本日の中山で行われますレースはGⅠ「皐月賞」!
最も「はやい」ウマ娘の称号を賭けて、18人のウマ娘がこの地に集まりました!』
本バ場入場、返しウマを行い、スタート地点付近に到着した。そこで立ち止まり、レース場全体を見返す。
無論、勾配やターフビジョンなどがある以上その全てが見渡せるわけではない。しかし、なんとなくのイメージはできる。
続いて観客席。その全体がファンで埋め尽くされている。その騒めきも今までの比ではない。
「(改めてすごいなあ、レースって)」
さて、ゲート入りの時間だ。今回は偶数番号のため、奇数番号のウマ娘がゲートに入ってからの順番となる。
「久しぶりだね。私のこと、覚えてる?」
声を掛けられ、振り返る。同じく偶数番号にして、朝日杯FSにて彼女と勝負をしたリネアインヘニオがそこにいた。
「ええ、東京新聞杯、見ていたわ。朝日杯は勝ったけど、今回は強敵になると思っているわよ」
「へえ、見ていたんだ。じゃあ話は早い。今回こそは貴方に勝つ。クラシック一冠目は私のものだ。
貴方にも、同室のあの子にも、絶対に譲らない!」
そう言いながら、コースの外側に目を向ける。その視線の先にいるのは一人ターフの上に静かに立ち、瞑想をするソルスティス。
リネアインヘニオも東京新聞杯の様子と比較するとレベルが高く仕上がったと感じる。そしてソルスティスも恐ろしい存在だ。GⅠレースのレベル、それに対するウマ娘一人ひとりの想いは尋常のそれではない。これから始まるレースが熾烈を極めることを予測し、改めて身体に気合いを入れる。自分だって、負けるために来ているわけではない。勝つために来ているのだ。どれだけ想いを込めていようと、勝ちを譲る道理はない。
自身のゲート入りの順番がやってきた。「12」と書かれたゲートの下に潜り込む。相変わらずゲートに入ると気持ちが昂る。鼓動が早くなり、心臓が全身に酸素を満たそうとフル稼働することを感じる。しかし頭には必要以上の血が向かわないように、そして全身に送る酸素を補うように深呼吸。大外18番ソルスティスのゲート入りが完了する。
『すべてのウマ娘の憧れ、クラシック第一関門! 皐月賞、今――スタートしました!!』
皐月賞を待っていた方には申し訳ありませんが、来週までお待ちください。
チャンミ勝ててうれしかったです(小並感)