皐月賞から1ヶ月後の昼下がり、彼女は学園の食堂にて昼食に勤しんでいた。
卓上には様々な料理が所狭しと並べられているが、その卓を囲むのは彼女のみ。周囲を行き交う人々は皆その様子に唖然としているが、本人は気にした様子もなく箸を動かす。
ひたすらに笑顔で口を動かす彼女に話しかける者は普段いない。が、今日は珍しく声をかける者がいた。
「わぁ、すごい食べっぷりですね! 隣に座ってもいいですか?」
声の方へ振り返る。その最中も箸を止める様子はなかったが、声の主を目にすると箸が止まった。口は動かしたままだが。
「初めまして。私、『スペシャルウィーク』です!」
―――
スペシャルウィーク。黄金世代と呼ばれるほどの強豪揃いとなった世代において日本ダービーを制覇した名ウマ娘である。さらに天皇賞春秋連覇、同期エルコンドルパサーを凱旋門賞にて下したモンジューをジャパンカップで返り討ちにした、黄金世代の中でも五指に数えられる1人である。現在もドリームトロフィーリーグにて力強い走りを見せ、同じく黄金世代のライバルたちとレース業界を盛り上げている。
そんなウマ娘が、彼女の隣で食事を共にしている。最も2人とも、まずは自身の食事を、と言わんばかりに会話なく箸を動かしている状態だが。
みるみるうちにテーブル上の料理を平らげ、2人同時に箸を置き、手を合わせる。数瞬の後、先に言葉を発したのはスペシャルウィークだった。
「皐月賞、見ましたよ。惜しかったですね」
「……見てたんですか?」
「勿論! 将来有望な後輩のレースはしっかり確認していますよ」
愛嬌のある笑顔でそう話すスペシャルウィークに、彼女は言葉を返すことができなかった。
愛嬌があっても目の前のウマ娘は時代に名を遺す有名人。意識はしていないつもりだったが、予期せず目の前に現れた名ウマ娘との会話に緊張していたことに気づく。
「スペシャルウィークさんのときは、確か――」
「最後方から迫って3着。惜しいところまで行ったんですけどね。1着のセイちゃん――セイウンスカイさんには1.5バ身届きませんでした。」
中段まで最後方につけた後、最終コーナーから追い上げ、直線に入る頃には中段まで捲ったが、その後粘るセイウンスカイ、それを追うキングヘイローを差し切れず3着に終わった。
「あの時の私と似ているな、って思ったんです。そして今日食堂に来てみたら楽しそうに食事をしているあなたを見かけて、つい声をかけちゃいました」
「……スペシャルウィークさん」
スペシャルウィークの『似ている』の発言を受け、自ずと声が出る。
「私は、ダービーに勝てるでしょうか……?」
弥生賞、皐月賞と敗北を重ねた彼女の精神には少なからず負担が掛かっていた。自覚できなかったその重みは、類似点を持つ先達との会話を以て顕在化され、今、彼女の精神を苛むに至っていた。
「朝日杯までは順調に勝てて、世代の星みたいに呼ばれていたのに、いざクラシック期に走ってみれば2着、3着。それこそ皐月賞は仕掛け所を見誤っての敗北でした。こんな私で、ダービーに勝てるんでしょうか」
一度溢れた感情は止まらない。彼女は堰を切ったようにその感情を言葉にして流していく。独白のように話す彼女の言葉を、スペシャルウィークは口を開くことなく最後まで聞いた後、彼女へある提案をした。
「――走りましょう!」
「え?」
―――
練習コースにてトレーナーと合流し、準備運動に入る。
芝コースで2,400mを走る、次の目標、日本ダービーを意識してのトレーニングとなる。
「スペシャルウィークか。この併走トレーニングは彼女から申し出たんだったか」
「はい。急だったので、あちらの意向はよく分かんないんですけど」
準備運動の傍ら、トレーナーと併走について話す彼女。トレーナーは待ち遠しそうに準備運動を行うスペシャルウィークを一瞥する。
「スペシャルウィークの脚質は君に近いものがある。彼女の走りを間近に感じることで、ダービー勝利に繋がる何かを掴めるかもしれない。彼女の後ろについてよく観察しろ」
「わかりました、トレーナー」
準備運動が終了し、スタート位置に着く。スペシャルウィークも準備運動を終わらせ、同様にスタート位置へ着いた。立ち位置はスペシャルウィークが内ラチ側、彼女が外ラチ側である。ゲートの用意はないので、トレーナーが合図を送る。
「よろしくお願いします。スペシャルウィークさん」
「こちらこそ。いい走りを期待しています!」
揃って準備が整ったとスタートの準備に入る。一拍おいて、トレーナーが手に持った旗を上げ――
――勢いよく振り下ろす。
瞬間、地を蹴る音が響く。2人同時にスタートを切った。
流石に加速力は先達のスペシャルウィークのほうが高く、前へ出られる形となった。
しかしこれは想定内。もとより今回の併走は彼女の走りを見て学ぶことが主眼だ。好位置と捉え、そのままスペシャルウィークの後ろにつく。
位置取りが固まり、ペースを数える。まだ正確な秒数を数えられるに至ってはいないが
『ハロン棒の間が12秒ぐらい。つまりだいたい――』
1,000mを60秒と少しの速度で走っていることになる。レースの流れとしては遅い方だ。後方脚質の2人が揃っているので自然とそうなるものであるが。
後方脚質のウマ娘は、実際のレースだと高速展開のほうが前にいるウマ娘の脚を減らせて有利展開に持ち込めるのだが、今回は併走トレーニングのため、一旦頭の片隅に置いておく。
そこまで考えた後、スペシャルウィークの走りを観察する。しばらく観察すると、あることに気が付いた。
「フォームが少し似ている……?」
レース分析の際、自分が走ったレース映像を見ることも多い。その際フォームについて指摘されることもあるからだ。ほかのウマ娘のコース取りや仕掛け所などを参考にするためにレース映像を見ることもある。
スペシャルウィークの走りは、今までに見た誰よりも自分に近いように見えた。地を蹴る脚の動かし方が特に。
向正面を終え、第3コーナーに入る。ゴールまで800mを切った。
前を走るスペシャルウィークの表情、体勢が若干変わる。前傾を深め、脚は幅を大きく取った。前の脚は力を込め、地についた足をそのままの位置で身体だけを前に持っていく。
後ろに置く脚は前の芝を後ろへ思いっきり蹴り飛ばすように、大きく伸ばして加速する。
スペシャルウィークの位置がぐん、と遠くなる。終盤に向けて加速を始めた証拠だ。
彼女も続いて加速を始めようとし、改めてスペシャルウィークのフォームを確かめる。前方の脚に力を入れ、そのまま後ろの脚を伸ばして身体を前へ持っていく。腕は1cmでも前へ、脚のリズムに合わせて前後へ振る。腕を前へ伸ばそうとすると、上半身は前傾する。
身体が前へ倒れそうになるのを脚で支える。今までにない加速力に驚いたものの、より頭を前に倒して加速を落とさないように脚の回転を速める。景色の流れるスピードに快感を覚える。
「(もっと、もっと早く――)」
もはや併走トレーニングであることを忘れ、ひたすらスピードを求めて脚を動かしている。既に隣に並んでいるスペシャルウィークにすら構わず前へ行こうとする彼女にスペシャルウィークも当てられ、より脚の回転を上げてかかる。
2人とも最終コーナーを抜けた頃には既に鬼気迫る表情となっていた。その様子にトレーナーは一瞬狼狽え、ゴールの場所を過ぎたにも関わらずストップウォッチを押せなかった。
―――
「また誘ってくださいね!」
「はい! 本日は本当にありがとうございました!」
ゴールを過ぎた後も併走が止まらなかった2人をトレーナーが何とか止めた頃には、レース前の彼女のブルーも晴れ、すっかり元気を取り戻していた。
併走トレーニングはスペシャルウィークが先達としての意地を見せ、彼女に先着。タイムこそ計れなかったものの、彼女の走りは日本ダービーに通用するとのトレーナーの見解に、2人とも喜び、スペシャルウィークは礼を受け取り帰っていった。
「スペシャルウィークから教わった加速だが、あれを極めれば世代の誰にも負けない末脚になるだろう。これならダービーは絶対に勝てる。頑張ろう」
「……はい! それでトレーナー、ダービーに勝ったら――」
「――なるほど。ダービーの結果次第ではその道も考えていいだろう。ますます負けられないレースになるな」
「ええ。私、絶対に勝ってきますから」
ここの話をどうしようかずっと考えていたんですけどなかなか纏まらなくて遅くなってしまいました。