灰になっても 作:隠し帯
選ばれている側の人間だ、そう自覚はしていた。
生まれた時から器用であった。それでいて運にも恵まれていて、俺は有力貴族の息子として育ってきた。
施される高度な教育に対し、それらを満遍なく吸収できるだけの才覚に富んだ身体。無論、貴族という社会の上澄で生きてきたのだ。年齢が二桁になる前に自分より賢く、強く、優れた才能の持ち主などいくつも見てきた。
ただ俺が優秀だったのはそれら全てを上回る才能を持っていたからでも、誰にも負けぬ努力を行なってきたからでもない。
身の振り方を弁えたのだ。幼いながらに俺は適応した。そして周りの
それからは不正解を踏まない用道を選び続ける毎日だった。特別良き事も起きない、平坦とした日常であったが、なんの変哲もない日常こそが俺の進んだ道の正解を示していてくれた。
俺が他人と違うのは多分そう言った適応力、自分の立場を客観的に理解して死なないための生存術を身につけるものの見方であった。
今振り返っても可愛げの無い幼少期だ。だが、貴族なんていう面子と狡猾さで構成されてる社会では可愛さなんて容姿以上の価値を持たない。
心からの真心より、如何にも無害ですよって言う貼り付けた笑顔と、僅かの見栄。
それだけあれば十分であった。俺は順調に成果を重ね、いよいよ俺の活躍が噂にもなっていた頃であった。昨日、使用人からの連絡で、父様から親子水入らずで食事をしたいと伝えられた。
もちろん食事なんてただの方便で、親子水入らずなんて表現は人から聞かれてはならない話をすることを暗示しているだけだ。
それでも、と期待してしまう自分の心の浅ましさが嫌になった。
俺は指定された部屋の扉を前にしてノックで挨拶を告げる。
「誰だ。」
「父様、〇〇です。夕食の話を受けて参りました。」
扉越しにそう告げると少しの間を経て、それから父様の声が聞こえた。
「入れ。」
その声を確かに聞いてから、自分の心臓の音が明確に聞こえたような気がした。
緊張をしているのだろう。期待をして、それが裏切られることへの不安と恐怖だ。
一向に響いて止まない鼓動の音が鼓膜に張り付く。
ドクン、ドクン、ドクン。
自分の心臓の音が聞こえるまま、俺は手をその扉のドアノブに掛けた。
ドクン、ドクン、ドクン。
心臓のその音は、動きは絶えず続いて、そして__
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ドクン。確かに感じ取った、心臓が跳ねるその感覚で俺は自分の瞼がピシャリと開いたのを感じた。
瞼が開いて目に映った景色は木製の屋根、ダークブラウンの暗い木材が見えた。
屋根、つまり自分は今寝ているのだ。しかし背に感じる硬い感触、それに後頭部にも同様の感覚、枕が無い。俺は生まれてこの方枕の無いベッドで眠った経験などは数えるほどしか無い。
つまり、今はその数えるほどしかない状況の何かなのだろうか。しかし、何があったのか。俺は確かに父様から呼ばれて食事に赴いて、それで扉を開いて、それから……
駄目だ、うまく思考が纏まらない。経験はした事ないが、貧血の症状みたいだ。思考に深い靄が立ち込めているようで、それから先の出来事が一切思い出せない。
とにかく自分の今の状況を確かめるために俺は起きあがろうと思って、腰と両腕に力を込める。
しかし、ほんの少し浮いたかと思った俺の身体は途中でその動きを止めてしまう。直後、引っ張られるようにして再び元の姿勢に戻される。
おかしい、そう思って今度は足を動かそうとするが、その動きも途中で止められる。どうやら両手両足が動かない、それも恐らく枷のようなものをされている。
「嘘だろ……」
思わず声が漏れる。
つまり、今自分は寝たままの状態で拘束されている。脳で割り出した結論に俺は焦りを覚える。
どうなっているんだ。そう思った俺は自分の身体の様子を確かめようと顎を引き、首より下の様子を伺おうとする。
が、それも出来なかった。どうやら拘束されているのは首も同様らしく、俺は天井以外を向け無い状態のようだ。
いよいよまずい状況だと、冷や汗が垂れてもおかしくない状況だが、俺の身体にそう言った様子を無いようで、思考のみが負の方向へと加速していく。
父様との食事の後、何があった?そもそもなぜ俺はこんな状況に?ここは屋敷では無いようだが、じゃあ屋敷はどうなった?
首が動かせないので目だけをキョロキョロと動かして必死に状況を探りつつ、様々な可能性を考える。
視角から察せられるものは多くはなかった。木製の建物であること、近くに置かれた小さな机、そこからわずかに見える、血が滲んだような痕。
その夥しい赤色から俺は一つの可能性を考える。
一番あり得る可能性は権力争いが原因で起こった暗殺。しかし、だとしたら俺が狙われる理由が無い。父様との食事を好機と見た刺客がそこを狙った?部屋の外の護衛を潜り抜けて?
考えにくい。どこの誰かは分からないが、そんな失敗率の低い暗殺、情報の漏洩や経路の判明、リスクの方が大きい。
それに最近は国内より国外との状況が悪化していたはずだ。ならば国外からの刺客、いや、それにしたって同じことが言えるだろう。無駄で高リスクだ。
それに肝心のその記憶が俺にはない。普通食事を狙われているのなら俺はその襲われた状況を覚えているはずだ。
毒殺、一応銀製食器であるはずだが、それなら毒の作用で記憶が曖昧でもおかしくはない。
だが俺には部屋に入った時の記憶すら無い、普通、毒を盛られたとしてもそこまで記憶がキッパリ切り取られるものなのだろうか。
色々考えたが結論は出ず、俺はわずかな望みに賭けて手と足を激しく動かして拘束を外そうとした。
しかし当然、その程度は拘束は外れないし、もうどうすることは出来なかった。それでも何かないかと、もう何度も見た目で追えるだけの範囲で周りの景色を観察する。
「っ!!」
すると今度は俺の耳に新しい情報が入る。恐らく部屋の外、足音だろうか、ガチャガチャと金属製であろう拘束器具が擦れる音に紛れて、木の床が軋むような音がすることに気づいた。
俺は思わず呼吸をすることすら止めて、その音だけに耳を澄ませる。
規則的に間隔を取るように聞こえるその音、段々と大きくなっていることから、おそらく何者かがこちらに近づいてきているのだろう。
何者か、俺の存在を知り、助けに来てくれた誰かか、むしろこの状況を仕立て上げた下手人その者か。
足音のようなそれはやがてすぐ側、部屋の外にある廊下だろうか、そこから聞こえてきた。
足音の主はこの部屋に向かって来ているのだ。俺はゴクリと、自然と唾液が喉をゆっくりと通って行くのを自覚した。
いよいよ扉の前まで来たのか、ギシリ、と音はそれを最後に唐突に姿を消し、代わりにギギギ、と扉が開く音が聞こえた。
この部屋の扉が開かれたのだろう。俺は音のする方向を確認しようと首を無理矢理動かそうとするが、それは拘束によって妨げられ、誰が入ってきたのかは確認できないままだった。
ギシリ、ギシリ。扉の奥から聞こえたその音は今度はより近くで、鮮明に聞こえた。
「………っ!!」
誰だ!と恐怖から声を上げようと思ったが、それを上回る恐ろしい何かが俺の喉を締め上げた。
近距離と言ってもいいだろう、気配が感じ取れるほどに近づいた何者かは、俺の身体の横、腹部の横くらいの位置に立っている様だった。
一言も話さないそいつに俺の中での不安が膨張し続ける。
せめて、何か言ってくれ。そう思った俺の願いが通じたのか、そいつは遂に言葉を発した。
「ふぅむ……てっきりもう失敗したと思ったが……遅れて術が成功したのか?これも人間だからかな?」
それは、静かな声だった。夜の静けさ、冬の静寂を思わせる、儚くも美しい声だった。
もっと恐ろしい、暴力を厭わないような大男の低い、唸るような声を勝手に想像していた俺はその声だけで何だか肝が抜かれた様だった。
それから呆然とする俺の視界の先、天井を映すだけであった視界に新しく、一人の女が映った。
白いその髪は覗き込むようにしてこちらを覗き込んできた事でその髪先が頬に触れる。
端正な顔立ちでいて、それでいてやはりどこか儚い印象を抱かせる表情であった。
頭には大きな帽子を被っているのか、つばの大きなそれが女の顔の後ろから見える。
女はそれから笑顔を浮かべた。ニコリ、というよりかはニヤリ、そんな擬音が正しいだろう。
「お目覚めの様だね。気分はどうだい?実験体一号君」
どこか嬉しそうな感情が籠った声が俺の耳へと入った。