灰になっても   作:隠し帯

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2話

 「名前、名前が、分からない」

 

 「ほぉ、名前が分からないのか」

 

 自身を形成する大部分である名前、自分でも驚くことにそれに関連する記憶が全て抜け落ちている様だった。

 

 日常的に呼ばれていた記憶はある。挨拶なり、食事であったり、そういった日常の一部分で確かに呼ばれていたはずだ。そう、そう言った経験(・・)は思い出せるが、どうしても自分の名前が思い出せない。

 

 くらりと、何かが揺れ出したのを感じた。

 それは自分の中の何かが消えていった、喪失感であった。

 

 「名前が分からないとなると他にも記憶に影響があると考えていいだろうね。そうか、それなら理由もつくか」

 

 遠くから聞こえてきた女の声、それに続いてペラという紙が捲れる音が聞こえた。

 

 「よし、じゃあ次だ。君は直前の記憶について覚えているか?」

 

 「は…?それはさっき言った通りで……」

 

 女が聞いてきたその質問に俺は困惑を隠さずに答える。一度目の質問として聞いてきた内容とそれは同じであったからだ。

 

 「あぁ、そうじゃないそうじゃない。直前のって言うのは私がここに運び込む前、つまりあの森の中でくたばる前(・・・・・・・・・・・)の事だ。覚えているかな?」

 

 「は…は?何を言って……いや、そもそも俺は屋敷の中に居て、森の中…?」

 

 俺は女の言う状況に何一つの覚えがなかった。

 

 運び込んだと言うが、お前が連れ去ったのでは無いのか?

 森の中とは具体的にどこの森で、俺は何故そんな場所にいたのか。

 そもそも、くたばるとはどう言うことだ? 

 

 頭に浮かんだ疑問の全てをぶつけてやりたい気持ちだった。だけどそんな俺より早く女の言葉が続いた。

 

 「うーん、覚えてない?君は推定三日前の午前、早朝にあの森で死んだ(・・・)。遺体の損傷具合から恐らくあの付近の崖の近くから落ちたと思うんだが、どうしてそうなったのか、死因について教えてくれないか?」

 

 淡々と事実を述べるように温度の変わらない声で女はそう尋ねた。

 

 「俺が……死んだ?意味の分からないことを言うな、俺は生きているだろ?」

 

 俺は自分の声が震えていることに気づいた。俺は生きている。ここまで来て自分がまだ命を惜しく思っていることに気づいた。

 

 「あぁ成程、そういう事だったか。随分聞き分けがいいと思ったよ」

 

 女の方からふぅ、と息を吐く音が聞こえる。それは納得の意を含んだため息であった。

 

 「なら次の質問だ。今はどの季節だと思う?」

 

 意味の分からない質問を更に重ねてくる様にそう言った。

 

 今更何故季節を?そんなこと聞いたところで何の意味があると言うのか。

 

 「…春、だろ。まだ色鮮やかだった木の葉の色を覚えている」

 

 確かに俺の直前の記憶で見た窓の外には青々とした木々が映っていたのを覚えている。

 

 「春、面白い事を言うね。部屋はこんなにも冷え切ってる。すぐにでもこの屋敷の外に連れて行こうか?きっと一面の雪景色が見えるよ」

 

 嘲笑うように女はそう言った。今の季節は冬だと。

 

 俺はその言葉に反論するより先に、自身の肌感覚に集中した。驚くことに、確かに女の言う通りの寒気が感じられた。

 

 恐ろしかったのはそのタイミングだ。何故俺は目覚めたその時にその寒気に違和感を覚えなかったのか。言われてから温度の変化に気付くなどありえない話だ。

 

 「教えてあげよう。蘇生の副作用と言えばいいのかな、現状の私の術だと温度の変化に鈍くなるの。つまり、それは仕方のない事だ。君は死人なのだから」

 

 俺の内心を見透かしたかのように女はそう言った。

 

 先程から死因だの、痛いだの、死人だの、まるで俺が既に死んだと言い聞かせる様だった。

 だが、そんな事__

 

 「あるんだよ。そんなふざけた道理がね。」

 

 ギイ、と再び何かが、恐らく椅子を引きずったであろう音が聞こえ、続いて女の声が聞こえた。

 

 「魔術、魔法、禁術、忌合解帰、どんな呼び方でも構わないが、君も一度くらいは聞いたことがあるだろう?」

 

 足音ともに、女のその声が近づいてくるのを感じる。

 

 「私もその一人だ。まだ若輩者だからね、魔女、なんて呼ばれた経験は無いがその類の者だと思ってくれていい」

 

 何が起きているのか、頭の中が爆発しそうだった。女の声の後ろで、絶えずザラザラとした砂の流れるような音が耳鳴りとして脳内に響く。

 

 魔術。聞いたことはある。しかしそれは一種禁忌的なものとして扱われていて、正確な情報かも分からないあやふやなものばかりだった。

 

 意図的に情報統制がされていたなら、そう考えれば実存していても不思議ではない。だけど俺がその話を聞くのはいつも物語の本の中か、誰かの噂話の中だけだった。

 

 「私が扱うのは元は生物だったもの、それの肉体的蘇生と操作を行う死者蘇生(ネクロマンス)だ。」

 

 そこまで言い放った辺りで、俺の視界に再び女の姿が映った。

 

 大きなツバの帽子。魔術、と言う女の言葉に連想するようにその帽子が魔女であることの証明のようにも見えてくる。

 

 そこから真っ白な長い髪が垂れ下がっていて、その奥からまた不健康なくらいに白い肌の顔がこちらを見下ろしていた。

 

 顔に浮かんでるのは、薄い笑み。笑っているのになぜか、その笑みに底の無い恐怖を覚える。

 

 「な…にを……」

 

 何でもいい、そんな事を認めてやらない、声を上げろ、反論をしろ。

 

 そんな風に自分に言い聞かせている内に、脳内一つの情報と推察が生まれた。

 

 そう言えば汗をかいていない。また一つ、要らない情報が俺の中の不安を掻き混ぜた。

 

 俺の心はもうとっくに平常では無い。不安と恐怖で満たされていたはずなのに、冷や汗ひとつ書いた覚えがなかった。

 

 精神的な問題だけでは無い、腹を抉られたのだ。当然その猛烈な痛みには耐えきれず、体にも影響が出るはずだ。そのひとつが、発汗。しかしその様子は一切無かった。

 

 「……その顔、理解してくれたかな?」

 

 女はゆっくりと、俺の顔を眺めて観察しながらそう言った。

 

 「君は死んだ。もうその身体にあるのは私の魔術によって吹き込まれた紛い物なんだ」

 

 言葉は淡々と、何の同情もない、全てが当然であると語る冷徹なものだった。

 

 「……け、るなよ」

 

 「ん、何かな?」

 

 口に入れられたその言葉が、事実が飲み込めなくて、吐き出すように言い放つ。

 

 「ふざけるなよ!!何が、何をいい加減な事を言う!!俺は」

 

 生きている!!

 ガシャン!拘束具によって身動きの塞がれた両手を力の限り動かす。そしてその音が思ったより大きくて自分でも驚く。

 

 「うわっ!声が大きいなぁ……あんまり人と話さないから大声は苦手なんだ、よしてくれ。後、それ」

 

 女は俺の声から一歩後ろへと下がると、右耳を耳に当て音を阻んだ。それから俺の身体、恐らく腕の方を指して言った。

 

 「思ったより力が強かっただろう?それも副作用みたいなもの。肉体を構成する時魔力を行使するからだと思うんだけど、そこも要研究だね」

 

 その声を、もう聞きたくは無かった。しかしそれは事実上の敗北を示していた。

 

 自分が、もう既に死んでいるなんていう、ふざけた道理の存在を認めた事になる。

 

 「俺は…!おれ、は……」

 

 生きている。そう言いたくても、何でか言葉が繋がらなかった。

 

 「………」

 

 「…まだ認めてない、って感じかな?じゃ、実力行使と行こう」

 

 もう何も喋らない、その気力すらない俺を見下ろした女はやがて俺の視界から消え、再びどこかへと歩いて行った。

 

 少しして、カチャリという音が耳に入った。何度か聞いた凶器の音だった。

 

 「じゃあ、また会おう。その時は君が理解してくれる事を願うよ。それじゃまた会う時まで」

 

 おやすみ。その声と同時に身体に衝撃が走った。

 

 「がっ……!?」

 

 痛みは当然だった。だがそれに続いて口から勢いづいた空気が漏れ出す。

 

 肺を押し潰されたような、そんな衝撃だった。痛み根源は、胸からだろう。

 

 刺される痛みになど、慣れる訳が無かった。本当は大声で叫び悶えたい位だったが、それも出来ないほどの脱力感が身体を襲った。

 

 強制的に、身体の全ての感覚が途絶える、そんな感覚だった。

 

 視界が、消える。目を開けていたはずだったのに、気づくとそこには闇だけがあった。

 

 もうほとんど音も消えそうなその時、ようやく気づいた。

 

 心臓を貫かれたのか。それを確認して、手放して、それから少しだけ祈った。

 

 どうか、もう動かないでくれ_____

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

________ドクン。

 

 心臓が跳ね上がる感覚。消えていた意識が一瞬で覚醒するその音に、目が覚める。

 

 気分は平常だった。直前の記憶は、あの女の声から天井の色まで全てを覚えていた。

 

 だが、自分でも驚く程に平常心であった。意識を失う、いや、命を失うその瞬間まで抱いていたあの激情はどこへ消えたのか。

 

 ゆっくりと瞼を開ける。

 

 「や、おはよう。実験体一号君……いや、二号の方が君としてはいいのか?」

 

 記憶に新しい、嫌と言ってももう離れなさそうな女のその顔がそこにはあった。

 

 「……一号で、いい」

 

 心臓を刺されたその時の脱力感がまだ残っていた。力の入らない声でそう言うと、女はその返事に満足したのかニコリと笑った。

 

 「そうか、それは良かった。君は私の想像よりも賢そうだ」

 

 そう言うと女は覗き込むようにしていた姿勢を正し、いつの間に持ってきたのか、近くにあった椅子に腰掛けた。

 

 それでも寝たままの姿勢の俺の頭よりは女の頭の方が高い。見下ろされるのは変わらないまま、女は口を開いた。

 

 「まぁ多分、全部を飲み込めた訳じゃないと思うけど。取り敢えず現状の君の立場は分かった思う」

 

 「……俺は、貴女の人形って事か?」

 

 俺は静かに女の顔を見つめ、そう言った。

 憎くない訳が無かった。だが、それ以上に憎しみなんか今の状況じゃ何の足しにもならない事を理解していた。

 

 「……へぇ、君、本当に賢いね。想像以上だ。想定だと、もっと取り乱して、後三回くらいは同じ事を繰り返す予定だったよ。」

 

 ニヤリと笑いながら女はそう言った。

 

 後三回繰り返す。それはつまり三度の死、つまり三回もあの吐くことも儘ならない苦しみと痛みを味わう事を意味していた。

 

 俺は内心、安堵した。あんなの何度も味わいたいものじゃない。

 

 「……それで、どうして俺はまだ、生きてるんだ?」

 

 何故生きているのか、自分で言ってから何とも言えない解放感を得る。心臓を刺される前、一度死ぬ前までは頑なに認めなかったそれを自身の口から言い切る。

 

 「そうだね。これから君との付き合いも長くなるだろう。私の目的と君の役割、使命について話そう。」

 

 女は座っていた椅子から身を乗り出すよう、前屈みになって言った。

 

 「君の使命は一つ、灰になってでも私のために尽くす事だ」

 

 

 

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