灰になっても 作:隠し帯
「じゃ、早速説明していこうか」
グシャリと床に散らばる紙を押し除け椅子が引かれる。細かい文字が書き連ねられたそれはとてもじゃないがもう読めそうにない。
「あぁ、床に散らばっているのは気にしなくていいよ。吟味を重ねた上で不要と判断したものだから」
いや、だったら床じゃなくて一纏めにしておけよ。俺はそう思って女に冷ややかな目線を送るが、女がその事に気づく様子はない。
「それじゃ、改めて話そうか。君のこれからと私の目的についてだ。あ、適当な所にでも腰掛けてくれ」
女はそう言って椅子に座ってから、どこかに腰を下ろすよう促した。が、部屋の中にある椅子は女の座る物のみ。
ざっと見渡しても、目に映るのは本棚や何かの詰まった瓶が並ぶ棚達。それからベッドがひとつ、掛け布団と枕が杜撰に並べられていた。
「……いや、いい。そのまま話を続けてくれ」
流石におそらく女が使用してるであろうベッドにいきなり腰掛けるのも、紙の上に腰を下ろすのも遠慮したかった。
「そうか、じゃこのまま話すとしよう」
そう言うと女は壁に掛けられた本棚に手を伸ばし、一冊の本を手に取った。それからペラペラと数ページを捲ってからそれを俺の方に見せながら口を開いた。
「最初に、どうやら君は魔術について多くを知らないと見える。出身はオリエンベスかな。あそこは魔術を異端扱いしているからね」
オリエンベス。女の口から放たれたのは俺の住む国の名であった。
オリエンベスはエルド=サレナス様の教えを国教とする王国である。エルド様の教えは根強いく、歴史のある王国であったが、それ故多くの伝統や規制があった。
エルド様は存在していると、俺は考えている。が、隣国であるリュガレッド帝国では宗教や人種にも寛容であり、世の中に別の神を信仰する国家があることも知っている。
故に、崇拝は出来ていない。こんな事を言えばどんな処罰が降るか分かった物じゃないが、俺は心の奥でそう俯瞰していた。
「確かに俺はオリエンベスの出身だ。故に忌術とされてるものに詳しくはない」
「やはりそうか。ちなみにここはリュガレッドの領分だ。どうしてオリエンベスの君が付近の森で死んでいたか、気になる所だが、ま、いいだろう。ほら」
そう言ってから女は手に持つ分厚い本を渡してきた。
いきなり何故本を?そう思いつつも俺は反射的にそれを受け取る。
「これは?」
「それは私の扱う
俺はその言葉を受け、開かれていた本に書かれた内容に目を通してみる。
そこそこ癖のある文体で、文字だけ読んでみるが見覚えのない、おそらくリュガレッドで広く扱われる単語が見受けられた。
しかしそれ以上に内容の意味が分からない。専門用語と思われる単語が多く、明らかに初心者用ではない。
「……全く分からないな」
意味の分からない文字の羅列を読むのは中々に苦痛だ。俺は目線を本から浮かばせ、女の方を見る。
「そうだろうね。だが、魔術は存在する。先ずはそこから理解してもらいたが……ま、本を見せるだけじゃ効果も薄いか」
女はそう言うと人差し指を立ち上げてから、歌うようにして何かの言葉を呟いた。
すると、目に見えてその指先に変化が起こった。赤い色だった。空気の色が変わっていくように赤に染まっていく。
そして数瞬を経て、指先からはゴウっと音を立てて炎が灯った。
「…!!」
「はい、これが魔術。私は
そう言ってから女の指先からふっと炎が消える。俺は炎が消えた後もその指先を眺めるようにして口を開いた。
「…成程、確かに分かった…前に見た奇跡に近いもの…なのか?」
俺が聞き返すと女は悩むように顎に手を当てた。
「うーん…奇跡の方は、ほら、こっちだと使い手がいないからね。私も知識不足だが、まぁ似たようなものと思ってくれた方が飲み込みやすいだろう」
言われてから、確かにと納得した。奇跡は主神エルド様から寵愛を受けた神聖の高い者のみが使える高位なものとされている。
そもそも宗教の分布が異なるリュガレッドでは目にしないのも当然である。
「ま、取り敢えず魔術の存在は理解してくれただろう。じゃあ、次は私の扱う
女は右肘を机の上に置き、右手の甲に頬を当てるようにして話を続ける。
「さっき少し話したが、死者の蘇生と操作に関する魔術だ。動物なら小動物が完全に命を落としてから、死後魔力離脱が完全に終わり帰空する前…簡単に言えば鮮度が落ちる前に魔術を利用して擬似的に蘇らせる魔術だね」
スラスラと語るその口調に澱みはなく、確かな知識の蓄えを感じるようだった。
「……それを使って、俺を…蘇らせた、と」
それを言い切ること、自分が目の前の女に忌術によって蘇らされたという事実を認める事に抵抗はあった。
だが、それを否定するより最早魔術の存在を認めた方が可能性が高い、と俺の頭は結論を出していた。
「その通り、ここまでは納得してくれたかな?」
おそらく、話を円滑に進めるために魔術を実際に見せたのだろう。女の思惑に乗ったようであったが、俺は大人しく頷いた。
「で、肝心の君を蘇らせた理由だけど、これには二つくらい理由があるんだけど」
言いながら、女は小さくため息を吐いた。
「一つ目の理由、残念な事に
女はそう言って過去に思いを馳せるように語った。目線の先は遠くを見ているようで、そこには僅かな哀愁を感じた。
「…で、二つ目は?」
「ん、すまないね。少し過去を振り返っていたよ。で、二つ目、それはそんな風に思い悩んでいた私の前に都合よく死体が…君が現れた事だ」
女は俺の顔を指さしてそう言った。
「先程も言ったが、この魔術は発展に乏しい。単純に他の魔術と比べて難解である事も挙げられるが、公に出来るような研究じゃないんだ。魔術に寛容なリュガレッドでもそれは一緒だ。素材の調達が難しい。適当に墓場から持ってくるにもそれじゃ鮮度が落ちている」
女は俺に向けていた指先をグルグルと回しながら話した。
「だったら都合のいい死体、犯罪者か奴隷でも使えば良かったんじゃないのか?」
「どうやって?『犯罪者を蘇らせるために死体を貸してくれ』と頼むのかな?胸を張って言える事じゃないが、私には地位も信頼もない。そも、
俺は質問を投げ返すが、それは女の言葉によって解消される。
「で、そんな状況で現れた活きの良い死体…どういう理由かは分からないが屋敷の近くに死体が発見された。これは奇跡だと思い、私はウキウキで君に保存魔法をかけ、
そう言われるが、俺の心にはまだ疑惑が根付いたままであった。偶然死体があった、と言う言い草だが、こんな恐らく雪山の森の中で鮮度の良い死体が、それも他国の者のものがある、なんて言われても都合が良すぎるとしか思えなかった。
「…その視線、どうやら信じていないみたいだね…ま、それもそうだろう。いいよ、私も信じて貰おうだなんて思っていない。どっちにしろ、君に選択肢は無いしね」
そしてそんな俺の視線に気付いたのか、そんな風に言ってニヤリと笑う女。
俺はそんな女の表情と言動に俺は先程の出来事、自分の身体が女の命令一つで操作された事を思い出す。
女の説明したその言葉を思い出し、身体が硬直する様だった。
「……」
「元々こんな風に君と話すことも、魔術について説明する予定もなかったんだ。実際に私が構想した魔術は人間に通用するのか、それを試し、あとは軽く実験を行って、保管室にでもしまう。そんな想定さ」
じっとりと、這う様な視線が俺に向けられる。それは対等な者に対するものではなく、文字通り実験体に向けられる視線であった。
「が、ここで想定外の出来事だ。いざ屋敷に持ち帰り、蘇生を開始してみればびっくり、会話が成立した。副作用の症状は見られた。つまり確かに私の魔術によって蘇った死人だ。だと言うのにその本人は知識があり、殺意を押さえ込む程の理性もある……これには本当に驚いたし、同時に歓喜したよ」
女は嬉しそうに笑みを浮かべて話を続ける。
「だから計画を変更した。君には私の有効な実験サンプルとなってもらうと同時に、私の研究を手伝う助手、魔女としての感覚で語るなら使い魔として働いてもらう事にした。その方が色々と都合が良さそうだからね」
そこまで言い切ってから、女は一度口を閉じ、それから徐に口を開いた。
「両手を挙げて、一歩前に」
その言葉を聞き終えると同時に、身体が引っ張られる感覚を得る。しかし実際には俺の両手は自分の力で天井へと向けられ、足は一歩先へと踏み出していた。
クシャ、クシャ。床に散らばる紙を踏みつける音が耳に入る。
「だから私は保険を仕込む事にした。それの一つがそれ、強制命令だ」
そう言って女は俺の両腕を指差した。察してはいたが、やはりこれも女の仕込んだ術の一種で、俺が死人であることの証明の一つともなっていた。
「特定の魔力を編み込んで、君に命令をすれば発動する。君はどんな命令でもこなそうと必死に身体が動く」
女の口から放たれた内容は、察せている事ではあったが、やはり実際に目の当たりにし、耳にすると緊張を覚える。
強制命令、と女が呼んでいた魔術は、どうやら文字通り俺の身体を女の意思で動かすことが出来るようだ。
成程、これなら強気になる理由も納得できた。俺は奴隷になったも同然なのだ。
しかし、と俺は考える。命令されて、それから動くなら俺の拘束を解いた理由としては薄いと思った。
単純に俺が女の隙を窺って、寝込みやらを襲えば容易に攻撃が出来る。
「でも、これだけじゃ保険としては弱い。命令されてから動くんじゃ、いくらでも工夫次第で私を殺せる」
女は俺の考えていた事をそのまま説明するようにそう言った。それから二本指を立てた。
「二つ目、君の心臓は私が死んだら完全に機能を停止する。単純だけど、これで君には大きなリスクが出来た。本来、蘇生させれば空気中の魔力を自身の身体に取り入れたりするんだけど、意図的にその機能を切って、私の魔力から流すようにした」
そう言って女は自身の胸の部分、恐らく心臓を指さしてそう言った。
「……なら、俺が捨て身で貴女を討ちに行ったとしたら?」
「うーん、律儀だね。気付いたなら黙っていた方が寝首を掻きやすいよ?」
そう言ってニヤニヤと女は笑みを浮かべて話した。
「無論、その可能性もある。が、折角知性も理性もある実験体を閉じ込め、解剖や実験だけに使う。実にナンセンスだ、もっと賢い方法があるし、そちらの方が研究の進捗に早い」
閉じ込め、解剖や実験に使う。辿るかもしれなかった一つの結末に、俺はゾクりと背筋が凍るのを感じた。
しかし女はそれはナンセンス、つまり実験には不向きであると考えた。
「…成程、だから俺にこうして説明をしている、とう言う事か」
俺がそう言うと、女は目を一瞬見開き、それから嬉しそうに顔を綻ばせた。
「んー、良いね。君、飲み込みが早いじゃないか」
女は純粋に感心した、そう言う表情で俺を称賛するが、状況と言われる相手の関係で素直には喜べない。
「そうだね、もっと周りくどく、君を騙そうとも思ったけど、理解してるならそれも悪手だ。素直に言おう、私は君に一定以上の生活と生存を約束しようと思った訳だ」
つまり、俺を実験動物として扱う事を止め、人間としての生活を俺に提供する。
「その代わり、俺に実験に協力しろ、と」
「その通り!」
パチン、と指を鳴らして俺の顔を指差す女。
俺に失うものがない状況、つまり延々と苦痛だけを享受する日常ならば、そのうち殺意が理性を乗り越え、女との心中を図るかもしれない。
だから逆に、失う物を与える。つまり、一定以上の生活を俺に与えることで、反抗の芽を摘むと言う訳だ。
「君と話してこの結論を出したよ。どうやら君は自身の選択を天秤に乗せられる、そう言った合理性を優先する人間だと見た。そのため君とこういった契約を行う事にしたんだ」
俺の人間性を見極め、その上でこの方法を選んだらしい。
合理的、女はそう俺を評したが、確かに間違っているとは思わなかった。無論、全ての感情を無視し、最善だけを選べる訳ではない。一度は状況を忘れて女にも怒鳴りつけた。
しかし貴族社会を生きてきた経験からか、物事を俯瞰してなるべく自分が生き残る方を選ぶ能力は確かに持っていた。
「で、どうかな。この提案、乗ってくれるかな?」
女は改めて、俺に向き合うような姿勢になって、そう言った。
提案と言うが、最初から俺に選択肢は無い。俺は気付かれないよう、小さくため息を吐き、それから答えた。
「…分かった、受け入れよう」
俺の言葉を受けて女は満足そうに微笑んだ。
「ありがとう。そう言ってく入れると思っていたよ」
それは言葉通りの意味なのだろう。女も俺が提案を蹴るとは考えていないだろうし、その素振りを見せたら直ぐにでも強制命令で俺の自由を奪うのだろう。
「それで、肝心の俺を蘇生させた、研究の目的とは何なんだ?」
俺は観念して、今は取り敢えずこの女の意向に従うことに決めた。
女は俺の言葉を受けて、それから少し間を空けてから答えた。
「……人を蘇生させる技術…それも今より高度な蘇生術の確立だ。それこそ灰の状態からでも、だ」
女は今まで見た表情の中でも真剣な様子で、そう話した。