2012年、12月。スイス連邦およびフランス共和国、国境。
歴史的な寒波が襲い、2500年ぶりにその湖が凍結したその日、2人の影がレマン湖の上に立っていた。
1人は、青い修道服に身を包んだ、年若い女。
人の身にて神の御業を代行し、異端を狩る吸血鬼殺しの頂点。埋葬機関、第七位、シエル。
1人は、白いトーガに覆われた、160㎝ばかりの少年。
人の敵にて神の敵。異端そのものである吸血鬼の頂点。死徒二十七祖、第五位、アレセイア・クリキュラステラ。
氷柱交じりの強風の吹く氷点下20度の中、寒々しい格好の二人。
だが、目撃者はいない。
ひとつ。ここが凍結した湖の上であること。
ひとつ。シエルによる人払いの魔術が敷かれていること。
そしてひとつ。このアレセイアという吸血鬼が、周辺の村の生命の灯を吸いつくしていること。
「久しぶりだね。この湖に来るのも。『ディオダディ荘の怪奇談義』以来かね」
「そして、これが最後になります。フランスで「あの街」を滅ぼしておきながら、よくのうのうと現れましたね」
「現れたってか……君が勝手に討伐に来ただけだしさ、『フランス事変』のことならお門違いだって。あのイベントは絶対見ときたかったんだけど、途中で
「イベント……ですか。私の街が滅んだ、アレが。何千年も生きて、それですることが
「イベントだよ。見逃すわけにはいかない、大切なね。あるだろう?ストーリーには『見逃しちゃいけないイベント』って奴が。
「御託はわかりました。ですが、貴方はそのために何人の血を吸ってきたのですか?」
「「お前は今まで食べてきたパンの枚数を覚えているのか?」……一度言ってみたかったんだ。ありがとう!!」
「……ええ。貴方が何も反省していないことはわかりました」
シエルは、反吐が出るとでも言わんばかりの表情を浮かべた。
シエルは、死徒の被害者だ。暮らしていた街を複数の祖により食い散らかされ、友も親も故郷も消えた。自身も、ロアの転生体に選ばれ、怪物へと堕ちてしまった。
そんなシエルにとって、この死徒の軽薄な言動は、醜悪な世界の癌にしか聞こえなかった。
「仕方ないんだよ。未来を、運命を見るために、こうするしかなかった。「生前」の知り合いにも
未来を見るため。この死徒の願望はそう珍しいものではない。誰だって、明日が見てみたい。
だが、「人の行く末を見るために」「人と共感できない、人を喰らう怪物」へと変じるのは、目的を破綻させる手段である。
「実際のところ、何千年も待ってたんだ。この世界で何が起こるかは
希望に満ち溢れた言葉を紡ぐ舌からは、人の血が滴る。
それが怪物の嘘であれば、まだよかった。だが、この吸血鬼は、この期に及んでこの綺麗ごとを、本気で嘯いていた。
「勿論、君と戦うのもね!!!『弓』のシエル!!!!」
「戯言を!死徒二十七祖第五位、アレセイア・クリキュラステラ。討伐します!!」
死徒二十七祖第5位、アレセイア・クリキュラステラは転生者である。
転生したからには、物語に関わりたかった。多くの英雄をその目で見てみたかった。多くの喜劇に、多くの悲劇に関わりたかった。聖杯戦争にも一回出てみたかった。
だから、外法に手を染めた。
元はそう才のある側ではなかった。英雄にも怪物にもなれない身だった。
だが、死徒として年月を重ね、多くの能力を蒐集し、進化を続けてきた己は既に、特級の怪物だ。
英霊たちに出会った。正しくは、英霊になる前の英雄たち。
アルゴー船の英雄たちに出会った。死徒にさえなる前、10かそこらの若造だった頃の、古い記憶だ。
円卓の騎士たちに出会った。あの時は殺されるかと思った。血のストックの9割9分9厘を消費して、命からがら逃げ帰った。
戦国時代には日本に渡って、織田信長にも会った。怪物である自分をも食客として受け入れようとする大器は、なるほど秀吉や光秀が惚れ込むのもわかる気はした。
死徒たちに出会った。
ワラキアの夜、ズェピアに出会った。最初に会った時はまだ死徒ですらない、ただのアトラスの院長だった。タタリと化した後は、会いに行っていない。いや、もうズェピアは死んだようなものだ。
プライミッツ・マーダーに出会った。知っていた姿より大きくて驚いた。
ルルリリィは、だいぶ嫌なやつだ。だが、面白い女でもある。
物語には語られなかったものたちにも出会った。描かれる時代が違えば、主人公として語られたような、綺羅星の如き魅力を持った人々。
ORTにだけは、会いにいかなかった。原作では第5位が瞬殺され、原理を簒奪された。
だが、この世界ではそうはならなかった。それは多分、「先代第5位」が己だった。あるいは、転生によって「先代第5位」の枠を己が奪ってしまったからなのだろう。ORT以外の祖は、原作から変動が起きていない。知る限りは。
それらの物語は、かつて知る通りに魅力的であり、かつて知る以上に鮮烈だった。
そして。その。『TYPEMOON』の物語の本筋は、
だから、これから先の10年は、きっと今までの何倍も楽しい。
だから、本当に楽しみにしていたのだ。月姫のヒロイン、シエル。彼女と戦うのも。
何千年も待った!!本当に!!
「本当に、楽しみにしていたんだ!!」
黒鍵が、アレセイアの頬をなぞった。それが、無言の答えだった。拒絶。殲滅。
シエルの神域の技量による斬撃。黒鍵は、投擲剣だ。長距離射撃から超短距離の斬撃まで、すべてを担える。
「べ・ゼの剣技か。「死徒が死徒を殺すための」だっけか。オシャレだよね。そういうの好きだよ」
(黒鍵が当たらない!紙一重で躱される!そもそも、当たったとして有効打になるの!?)
徹甲作用と肉体強化が組み合わさったシエルの斬撃は超高速。さらに、当たりさえすれば大半の祖への有効打にすらなる代物だ。
「だけど。英雄たちと比べたら一段劣る技術だ」
だが。円卓の騎士や北欧のベルセルク、日本の剣豪たちと比べれば一段劣る。アレセイアは、「そうした」相手と何度も戦ってきた。
さながら聖地巡礼の如く、世界中の戦場で勇士と戦ってきたアレセイアにとっては、見切れない技量でもなければ、初見殺しでもなかった。
(それに、この蝶の群れ)
アレセイアが放つ蝶の群れは、錬金術によって作られた弾丸であり、そして屍鬼でもある。
一体一体はシエルの敵ではなくとも、黒鍵を弾き、視界を塞ぐ壁になり、無数に突き刺されば命を削る弾幕でもある。
「鬱陶しい!!」
それ故に、黒鍵という小さな武器で傷をつけることは不可能に近い。吸血鬼特有の復元呪詛もあれば、自身の肉体を作り替える蝶魔術による再生すらある。
故に。
シエルが選んだのは超高火力による『必殺』だった。
「セット、コード・ガルガリン」
それは、神秘の一つの究極。
「原理血戒25番ーべ・ゼ。罪頸を断て」
それは、光の断頭台。
「
かつて死徒二十七祖第二十五位、剣僧ベ・ゼが冠した、死徒二十七祖を祖たらしめる、血に刻まれた超絶。
師を殺し奪った「それ」は、何千年を生きる祖であっても撃滅に足る、オーバーキル中のオーバーキル。
だが。
「原理血戒5番ーアレセイア・クリキュラステラ。 ……なんてね」
シエルが奪った原理血戒を持つように、アレセイアもまた、己の原理を持つ。
何千年もかけて積み上げてきた神秘。死徒の王冠。
その原理は「蛹」、掲げる不死は「羽化」。
100年に一度、蛹の中で肉体の全てをドロドロに溶かし、最適化して作り直す。その際に、捕食した綺羅星のような才能を、己の身に宿す。
人類史を尊び、楽しむ観測者としての在り方は、人類史の寄生虫としての地平に至った。
その本領が。
「綴じよ、世界蛹。『胡蝶幽明』」
絹のような糸が無数に広がり、世界を編む。
かつての設定では、死徒二十七祖の大部分は固有結界を有するとされた。
月姫リメイクに伴う設定再編により、それは異界法則、原理血戒へと置き換わった。だが。
固有結界を使えないとは言っていない。
故に。原理血戒にして固有結界。それが、アレセイアの持つ秘奥、『胡蝶幽明』だ。
「固有結界……ですって!?」
「衛星軌道上から首を落とす光の死。なるほど僕でも耐えられない。だけど、遠くから打ちすぎだ。「固有結界」の中に入って外界から隔離して仕舞えば当たらないだろう?」
固有結界。自分の心象を外界に投影する結界。
そしてこの能力の特徴として。
即ち、結界の外側から見た場合、『固有結界に取り込まれた人物』は『跡形もなく消えた』ように見える。
今回の場合、カルヴァリアの星の着弾地点に既にアレセイアはいない。
それ以前に、魔力供給を行うエネルギー供給源であり、照準を固定するポインターでもあるはずのシエルすらいない。
故に、無敵の破壊力を持つはずのカルヴァリアの星は、目標を穿つことができないのだ。
「別作品だけど、『外殻』が見える領域展開ではできない使い道だよね。
「何を意味の分からないことを!!」
「そうだね。でも、この世界にとっては意味の分からないことでも『口にして』おかないと、自分が何者だったかすらわからなくなるんだ」
アレセイアは、長く生き過ぎた。いくつもの記録魔術を体内で走らせてなお、『転生前』の記憶は既に朧気になっている。
それでも、もともと自分が何者だったのかを忘れるわけにはいかない。
TYPE-MOON作品の愛読者。オタク。もっと言えば、『作品を愛する』という志向すら失った時、自分はこの世界にとって究極の異物にして怪物になり果ててしまう。
「何千年も生きて、幻覚と現実の区別すらつかなくなりましたかアレセイア!!」
「
それは、この世界の者にとっては、幻覚に堕ちた痴呆老人のそれに過ぎない。
それでも、真実だ。少なくとも、アレセイアにとっては。
「ただ、まあ。不死の君なら味見してもいいかな。」
黒鍵を構えたシエルの腕が、どろりと溶け落ちた。
「胡蝶幽明は世界蛹。蛹の中の世界。ならば、自由に溶かし固められるのも当然だよね?」
「ええ。ですが。『溶ける』原理のエル・ナハトと比べれば数段劣る。」
「『胃界教典』か。本職と比べられてもなあ。」
シエルの腕が再生する。死徒の持つ復元呪詛と比べてもなお異様。
ロアの転生によって得た、不死の能力。
来るとわかってしまえば、なんということもない。
死徒の復元呪詛よりもさらに数段上、世界からの修正による完全不死。
「通常、固有結界は領域展開と違って即死効果を持たない。ただし、旧設定の死徒の超抜能力の場合は別なんだ。ブラックモアの「ネバーモア」とかORTの「水晶渓谷」とか、「枯渇庭園」なんかも死徒やサーヴァント相手には必中必殺だし……ああ、この
「
「ああ、失敬。オタクは早口なんだ。……いやとにかく、『無傷で』防がれるとは思ってなかった。不死っていってもやりすぎだろうその能力」
それでもアレセイアは警戒を解く。解いてしまう。いくら不死だといえども、この固有結界の中に入った以上『全身から攻撃を浴びせ続けている』ようなものだ。
アレセイアはこれ以上の攻撃手段をあまり持ち合わせないし、そもそも原理血戒の維持自体にリソースの大半を持っていかれている。
だから仕方ないことだ。
そう、シエルの手に、見知らぬ巨大な武器が握られていても。
いや、『識って』いる。それは……
「ちょっと待てそれ手元に呼び出せるのか!?知らないぞそんなの!!」
「虎の子です。最期に知れてよかったですね」
それは、本来。転生を繰り返すシエルの宿敵、二十七祖番外位ミハイル・ロア・バルダムヨォンへの特効礼装。
転生を批判し、転生者を封じる武装。
それは、『蛹を通して別の生物として
そして。
『異世界転生者』であるアレセイアにとっては。それ以上に致命的だ。ともすれば、本来の特効対象であるロア以上に。
「鉄を胸に、火を灰に!断罪刃を魂に!これらを以て禊とする!毒血!穿つべし!」
第七聖典は、今までに3人の死徒二十七祖を沈めたシエルの必『殺』武器だ。
特効効果の弱い3人でさえ、転生者でない祖でさえ当たりさえすれば殲滅する、そんな武装が、
当然、アレセイアという死徒を一撃で屠り、葬る一撃。防御も不能。アレセイアがどれほどの強度を持っていようとも、掠っただけでその命脈を断ちうるであろう。
「第七聖典……四因巡礼!!」
そして。その必殺の
「
「蛹は、肉体を作り替える工場だ。食べたものを材料にして、際限なく進化する。そんな相手の腹の中に、
アレセイア・クリキュラステラの掲げる不死は『羽化』。芋虫が蛹を経て蝶になるような、肉体構造自体がガラッと入れ替わるような変化、いや、進化を、何千年も繰り返してきた生命体だ。
そして、芋虫とは異なる重大な点が一つ。
アレセイアは、『捕食した血の能力を習得できる』。本来であれば即席ではなく、ストックした血をベースに蛹の中で肉体を作り替えてやっと習得できるものだ。
だがこの固有結界自体が『蛹の中』。吸った血を、その場で肉に宿せる。
「不死のシエル。その不死ゆえに。その超絶の回復力故に気づき損ねたな。この結界内は蛹の中であると同時に腹の中。既に僕は君の血を吸いつくした。数百人分はね。」
それは、本来あり得ない友情コンボ。
『吸血した対象の能力の、燃費の悪い劣化再現』と『何百人分もの吸血を許す超再生能力』。
「即死効果のある固有結界の、『1人を対象とした最大出力』によくぞここまで耐えた、否、気づきすらしなかったものだよ。腹の中を啜られ続けてなお、不死の回復力が勝ってしまったということだね。」
「褒めないでください。貴方たちと違って、望んだ不死ではないので」
「それに安心してくれ。カルヴァリアの星はもう使えない。原理血戒そのものを奪ったわけじゃなく、血の内容物を消費しただけだからね。要は複写、イデアモザイクだ。」
故に、シエルにはまだ勝ち筋が残されている。世界の修正力により持続時間の短い固有結界を抜け出せば、「もう一度」を防ぐ手段はない。
「だから逆に、『
「ッ!!!!」
原理血戒は死徒の王冠。ひとつひとつが究極の兵器だ。個々が
それが2つ。正確に言えば、『
「私の、負けですか」
「ああ。僕の勝ちだ」
「私は、死ぬのでしょうか」
シエルは、それは、嫌だ、というような表情を浮かべた。望まぬ不死とはいえ、故郷を滅ぼした罪悪感があるとはいえ。彼女もまだ20年そこらしか生きていない。死を目の前にして、竦まぬほど達観できてはいない。
それに、自身が死徒として犯した罪の清算ならまだしも、自身よりも悪辣で、たくさん殺した死徒の手で死にたくはないだろう。
「いや、殺さないよ。」
「なるほど。『血袋』と。ですが、不死の私を幽閉しておく気ですか?必ず寝首を搔きますよ」
「それもない。別に、そのまま帰ってくれていいよ?」
「え?」
シエルは、理解できない、と言った声色を漏らした。
確かに、客観的に見ればアレセイアは死徒二十七祖。人類の天敵だ。自分を殺しにまできた相手を、殺し返さない理由がない。そして、いくらシエルが不死とはいえ、不死に精通し、個々が1つの不死の在り方を体現した祖にとっては、敗北したシエルを殺すことなど造作もないことだ。
「人を殺人鬼みたいに言うんじゃないよ。そっちが殺しにきたから抵抗しただけじゃないか。」
「何千何万と人類を殺してきた、人類史の染みの貴方が。それを言いますか。」
「まあ、そうだね。だけど。」
アレセイアは、人類の敵対者だ。人類の織りなす物語を見たいがために、人類を捕食して生きながらえてきた、矛盾そのものだ。
「気に入った相手は殺さないことにしてるんだ。それに、『君の物語はまだ始まってすらいない』からね」
「……貴方やはり、未来視の魔眼を。」
「……さあ、どうだろうね。」
未来視の魔眼は、人生を歪めると言う。人間は、視た世界に規定されてしまう生き物だからだ。
ならば。最初から「原作」として世界の行く末を知ってしまっている
未来視の魔眼よりもなお高次を、より遠くを見据えてしまえる僕は。
どうしようもなく人生が矛盾し、
「君の負けだ。だから、この
「自分から呼び込んでおいてそれですか。ですが。ええ。今の私の武装では、貴方には勝てない。言われずとも出ていきますよ。」
僕は、世界の行く末を知っている。断片的とはいえ、それらが変わることは少ない。百年戦争はジャンヌ・ダルクによって終結した。ネロ帝は国を追われ荒野にて命を絶った。アーサー王のブリテンは無惨に滅んだ。
時代は収束する。結果は変えられない。
だけど。
無数のバッドエンドが。無数のグッドエンドがある。己の干渉で語られなかったルートに分岐する可能性も高い。
だから。心からこの言葉を送ろう。
「君の未来が、良い