物語のはじまりは、古代に遡る。
紀元前12世紀ごろ、ギリシャ、ペロソポネス半島北東部、ネメアの谷。
その谷に、ヘラクレスという年若い男が立っていた。
それは、ヘラクレスの「十二の試練」のひとつ目。ネメアの獅子退治であった。
狂気によって妻子を殺した罪滅ぼしとして、ミュケーナイ王エウリュステウスに従って与えられた試練のひとつ目であった。
ネメアの獅子は、死徒であった。それも、血戒を持つ、王冠の死徒であった。
後の世、偽りの聖杯戦争に召喚されたヘラクレス―その時はアルケイデスと名乗ることになるが―は、死徒を指して「人型のネメアの獅子」と称した。
なぜそうなったのかはよくわからない。
怪物の女王エキドナと怪物の王オルトロスの血が、死徒の「人理を汚染する」性質と酷似していたからか?
あるいは、
またあるいは、もっと単純に、正史のORTのように、先代の死徒二十七祖を捕食して原理を得たという可能性は?
少なくともわかることとして。
ネメアの獅子という怪物は、不死身にして無敵の怪物であった。
谷底で、その獅子に出会ったヘラクレスは、瞬間的に弓を引き絞り、放った。
ヘラクレスの弓。剛弓でありながら誰よりも繊細な。
未だヒュドラと戦わず、未だ
ネメアの獅子の外皮に触れた途端勢いを失い、すとんと地に落ちた。
強度によって弾かれたのでは、ない。武器無効の概念によって、その殺傷力を消失させられた結果がこれだ。
「弓は効かんか」
ヘラクレスはその性質を「矢避けの加護」の類と判断。弓を捨て、即座に30mほど踏み込み、棍棒による連撃を浴びせた。
一撃一撃が凡百の英霊の宝具に匹敵し、さらに一瞬にして数百の手数を誇る連打を受けてなお。
ネメアの獅子は無傷。
それは「概念防御」。ルールさえ突破しなければ、あるいはそれ以上の概念で打倒しなければ、どんな火力によっても突破不能の「法則」。
(だが、怯みはする。のけぞりも、吹き飛びもする)
ヘラクレスは、そのまま棍棒による連打を続ける。今度は「ダメージを与える」ためではない。棍棒による打撃で宙に浮いたネメアの獅子は、周辺の洞窟に叩き込まれる。そして、その入り口に棍棒が掠り、崩落させる。
それはヘラクレスによる、「ネメアの獅子の逃走」を防ぐための策だった。
(待て、なぜ狂暴化している!!)
ネメアの獅子は死徒だ。かろうじて陽の当たる谷底から、洞窟の中に。
故に、太陽という天敵を失ったネメアの獅子の体躯は膨れ上がり、魔力は加速した。
それは、ヘラクレスの明確な判断ミスであり、失策であった。
ネメアの獅子の牙が、先ほどより数倍に加速して、ヘラクレスの喉へと突き立たんとする!
だが、ヘラクレスという英雄にはもう一つの武器があった。知恵や勇気のような抽象的なものではなく、純粋に、今の彼が誇る最強の『武器』が。
後の世ではアーサー王の手に渡り、エクスカリバーと並ぶかそれ以上の剣として称えられるその西洋剣も、2.5mの体躯を誇るヘラクレスにとっては短剣でしかなかった。
その剣の名を……
『マルミアドワーズ』。
光の斬撃を放つその短剣は、ネメアの獅子の喉首に、吸い込まれるように突き立てられた。
(なるほど。この剣は通るのか。『神威を纏った武器なら通る』あたりか)
正確には異なる。「神の攻撃なら通る」ではなく、「人の作った武器による攻撃を無効化する」。それがこの死徒の持つ「性質」だ。
多少ズレた解釈ではあっても、この戦いを制するのにそれ以上は不要であった。
(だが、すぐに元通りになるな)
とはいえ、傷をつけても直ぐに修復される。
死徒の持つ復元呪詛だけではなく、神獣のランクに至った幻想種故の再生力をも以て、一息で心臓さえも再生する。
ヘラクレスという男は、不死の怪物も含めた多くの怪物を退治した男だ。だが、この冒険の時点ではそうではない。これが、ヘラクレスという大英雄の最初の冒険だった。
(ならば)
それは、ヘラクレスという理性的な男が明晰な判断で導き出した結論だったか?あるいは、ヘラクレスという脳筋が筋肉で考えた野蛮だったか?
(いかに不死の魔物でも、血と魔力の消耗は防げまい。動きを封じ、殺し続ければいずれは死ぬ)
そしてそれは正解だった。
いかに強大な吸血鬼であっても、吸血種であるがゆえに逃れられない死因が存在する。
『失血死』。
全身に神造兵装の刃を突き立てられ、首絞めによって全身の動きを封じられた死徒の獅子は、3日半が過ぎた頃には全身の血を流し尽くして絶命した。
それが、ヘラクレスの『第一の試練』、ネメアの獅子退治の顛末であった。
そして、さらにのち。
アルゴノーツのひとり、サラミスの王テラモーンの元に、一人の娘が生まれる。
テラモーンは不妊に悩んだ王であり、ヘラクレスが祈りをささげることでやっと娘が生まれたという。
故に、元々子供好きの性分なヘラクレスが幼いその娘を両の腕で抱きしめることも、不思議なことではなかった。
そして、巌の如き己の筋肉が、幼い娘には硬かろうと気を遣うのも、おかしな
ヘラクレスは、この娘が生まれた時に、『毛布』として、身に着けていた毛皮を貸し出してしまう。
いかに鞣していたとしても、それは怪物の皮で。いかに血を抜いていようとも、血塗られた死徒の骸であるのに。
自身が最高神の子であり、強大な神秘によって『汚染』をはねのけていたことになど気付くこともなく。
そして、その娘、アイアスは不死になった。
ネメアの獅子の毛皮に宿された原理血戒によって主に選ばれ、死徒として再誕してしまったがゆえに。
あるいは逆に、生まれたばかりのアイアスという幼児は、すでにこの時点で死んでしまったのかもしれない。
魔術世界において、「死徒」は「死人」であるがゆえに。
生まれながらに怪物と死に果ててしまったアイアスという少女は……
びっくりするほどに普通に。すくすくと成長した。
並みの大人をも上回る膂力も、鋭利な牙も、獣の血を啜る性も。多くの英雄が棲む古代ギリシャにおいては、「英雄の子とはそういうものなのだろう」と流されてしまった。
だって。死徒二十七祖に選ばれるほどの強大な原理を、幼児のままにねじ伏せる英雄の才覚を以て御したとて。
周囲の人間も「そういうものなのだろう」、あるいは「この子はヘラクレスの再来となるかもしれない」と得心してしまったのだ。
ゆえに彼女は、異物として排斥されることもなく、奇跡的にすくすくと育っていった。
……そして、この見立ては間違っていなかった。
事実。成長した彼女が参戦したトロイア戦争において、彼女は『二番目に強い』英雄だった。
アキレウス。トロイア戦争において最強の英雄。
不死の肉体を以て、怪物の膂力を以て、
それでもなお彼女は、「最強」にはなれなかった。
彼女は思った。
「もし怪物にならなければ、もっと平穏な人生を歩めたのに」
そして
「どうせ怪物になるのであれば、最強でありたかったのに」
日に日に人の血を啜りたくなる吸血衝動は強まっていき、肉体の構造は人を離れていく。寿命だって何年あるか知れたものではなく、最後には怪物として英雄に討伐される末路に至る。
今までは、それでも「そういうもの」として受け入れられたかもしれない。でも、最後にはそうではない。絶対に。
そこまでのデメリットを背負ってなお。
アキレウスという究極の英雄には届かなかった。恵まれた神の子に、届かなかった。
その上でアキレウスは、純白の肌を持つ自身を「美しい」と褒め称えるばかりだった。それは侮辱ではなく、下卑た性欲ですらなく、純粋な賛辞であったのだろう。それでも。
『同じ英雄』として見られていない気がして。何よりも遠い気がして。それは耐えがたい苦痛だった。
それでも、一生懸命努力していれば、超えるなどままならずとも、同じ不死の体を持つものとして、少しでも同じ視点を見られると思っていた。
不死のアキレウスが死んだ。
トロイアのいけすかない王子パリスが、アポロン神の加護を借りてその踵を貫き、殺したのだという。
アイアスは、アカイア最強の英雄になった。
もう、アキレウスは越えられなくなった。
「私は、なれないよ。あんな煌びやかな、最強の英雄には」
そのしばらく後、アキレウスの母テティスが開いた、アキレウスの遺品を賭けた競技会があった。
アキレウスの持つ宝具である黄金の鎧を賭け戦ったのは、アカイア最強の英雄アイアスと、アカイア第二の英雄オデュッセウスだった。
アイアスとオデュッセウスは、互角に戦った。
否。続ければ続けるほど、オデュッセウスだけが傷ついていった。
当然だ。アイアスは、怪物の膂力と、怪物の再生力を持った、アカイア最強の英雄だ。無敵の英雄だ。相手がアキレウスでさえなければ。
そしてアイアスは、オデュッセウスを打ち倒した。
鎧に選ばれたのは、オデュッセウスだった。
「は?」
審判はトロイアの捕虜たちであった。どちらをも恨んでいるが故、どちらにも肩入れしない、公正な審判であった。
公正な審判は、怪物として勝ったアイアスよりも、清廉に英雄として戦い負けたオデュッセウスを、勝者にふさわしいと選んだ。
それが、自分より強靭な勇士ならば、仕方ないと諦めがついただろう。それが、自分よりも悲劇に見舞われた英雄であれば、しょうがないと納得もできただろう。
それでも。
それでも。
それでもそれでもそれでも。
「AAAAAAAAAAAA!!!!!!!」
それでも、選ばれたのは。自分より弱くて、自分より煌びやかな、怪物の自分とは比べ物にならない、
それは、どうしようもなく「自分」が認められていないような気がして、アイアスにとってはこれ以上なく苦痛だった。
そうして気が緩んだことで。
アイアスはその日、英雄から怪物になった。
アキレウス亡き今、死徒として暴走を起こしたアイアスを止められるものなど、トロイア戦争にはだれ一人残されていなかった。
オデュッセウスの駆るかの超兵器、
「いくらこの戦争が『人類の削減』を目的としているとしても、これは駄目です。神核接続、神核励起。我が神名
神を、除けば。
『
それは、アテナ神の有する、究極の防御能力。
本来は、オリュンポス星間航行宇宙船団の、『星間航行対隕防御艦』としての能力。
そして、今となっては、オリュンポス十二神の一人、『都市守護神アテナ』としての権能。
それが、最大出力の『壁』となって、アイアスの周囲を覆った。
それは、アイアスの用いる盾の原典でもある究極の守りであり、神々であってもほぼ貫くことはできない
そして、アイアスは「敵」を見失った。
結界内のすべての存在を鏖殺したが、結界の中には羊しかいなかった。人間だけは、その結界をすり抜けて逃げることができた。そう指定されていたから。
「ほんと、何やってるんだろうね、私は」
そうして、その暴走を止めたのは、他ならぬアイアス自身だった。
「英雄として認めてもらえなくて、こんなに自暴自棄になって。それでも、
英雄は、怪物を倒した。
己の首に剣を突き立てることで、怪物を打ち倒した。
本来であれば、死徒二十七祖となったアイアスの首に、剣など突き立てても、なんら死には繋がらなかっただろう。
だが、いくつかの要因があった。
ひとつ。アイアスという清らかで神経質な女が、己の死徒としての不死性を拒んでいたこと。
ひとつ。死徒としての「積み上げてきた階梯」が低く、原理血戒を抑えるだけでエネルギーの大半が消費されていたこと。
そして。その剣が、友誼の証明として敵軍の将ヘクトールから与えられたその剣が、『
『
ひとつ、何があっても壊れない。故に、強靭なアイアスの皮膚を突き破った。
ひとつ、天使より賜った聖剣であること。故に、魔であるアイアスの肉を焼いた。
そして、所有者の命などの対価を犠牲にすることで、奇跡を起こす性質があること。
故に、
そして、流した血は、その奇跡と献身を象徴するかのように、アイリスの花畑となった。
そして、その女の死体を丁重に弔ったのが、当時、ヘルメス神の神官であり、アカイア軍の従軍魔術師をしていた、アイアスの友人であった男、アレセイアであった。
……そして。流れ出た女の血が。アイリスの花が。その中に満たされていた原理という『呪い』が、次なる宿主に選んだのも、その男であった。
それから先の物語は、