ようこそ享楽至上主義の教室へ【特殊タグ無し版】 作:アネモネ
広い美術室。長期休暇中である今日は利用する者も他にいない。カチャリと鍵を閉める音が響いた。
「それにしても、私なんかがモデルになって大丈夫なの?」
「ええ、僕にとってククリさんこそがこの絵のイメージにピッタリでしたから」
夏休み中でも部活を行う生徒といえば運動部が基本だが、文化部とて行う者もいる。美術部所属、金田悟もその一人だった。
夏休みに制服着用の義務はないものの校舎に入る際には別である。美術室で二人、きちんと制服を着ていた。
「うーんと、ここに立ってればいいんだよね?」
「お願いします」
ククリはそのまま注文通りのポーズをとる。そして動かないようには気をつけつつも、キャンバスにデッサンを始めた金田へと声をかけた。立っているだけだと暇だったのである。
「大会のための絵とか?」
「はい。天使をモチーフに描こうと思いまして」
天使、というと。綺麗、あるいは可愛らしいイメージで描かれることが多い。金田が描いているのももちろんそのパターンだ。
例えばキューピット。美しい羽と弓を持ち人々の恋愛を成就させるべく恋の矢を放つ彼らは、元々キリスト教ではなくギリシャ神話の愛の神であるエロスからその要素を受け継いだものであるが、天使というとこういった存在を想像するのではなかろうか。
「…………ククリさん」
「ん?」
「丁度いい機会ですし、答え合わせをさせていただけませんか」
「何の?」
不思議そうな声を出すククリはとぼけているのか、本当にわかっていないのか。金田には判別がつかない。手を動かしつつも頭は高速回転を始める。
「ククリさんと龍園氏との関係を、僕はずっと疑問に思っていました」
「金田君までバカなことを言うつもり……?」
「いえ、そういったものではなく。以前からの知り合いであろうと薄々察していましたが、どういうご関係なのかと」
少し迷ったように口を閉ざしてから、思いの外あっさりとククリは答えた。
「小学校が同じだったんだよ。中学は私は遠くの私立に通ってたからその間のことは全然知らないんだけどね」
特に過去を隠すつもりでもないらしい。しかし、ただそれだけではないと金田は確信していた。
「では小学校時代に何かあったんですか?」
「そうだなあ。ん、遠足の時に蛇出た」
「……他には?」
「不良に囲まれてたのを助けられた、かな」
そういうのが聞きたかったのだ。詳しく話してほしいと話す金田にククリは軽く付け足す。
「あん時の貸しだーってんでその後にちょっと追い回されて。でも逃げてたら諦めてくれたよ」
「なるほど」
金田はデッサンをしていた手を一旦止めた。そしてポツリと呟く。
「日本語、というものは難しいですよね」
「うん。日本人でも難しいと思うときはあるねえ。それがどうかした?」
「れる・られるには受け身・可能・自発・尊敬の意味があります。そして、日本語では主語のない文章も多いですが……」
言葉を切って、ククリのほうをじっと見た。彼女の表情は変わらない。
「助けられたというのは、受け身ですか? それとも助けることができた、という可能の意味ですか?」
ククリが不良に囲まれていたのを助けてもらった、というのと龍園が不良に囲まれていたのを助けることができた、では意味がかなり異なる。普通に考えれば不良に絡まれる少女を助けた龍園という図式のほうがまだ想像はしやすい。しかし。彼女は普通では測れないだろう。
沈黙が流れた。
「後者だよ」
どこかふてくされたような口調だった。やはりと金田は自身の思考を深める。
「ありがとうございます。それでは龍園氏がククリさんの前では暴力の使用を控えている理由をご存知ですか?」
「か弱い女の子の前だから遠慮しているんじゃないかな」
金田は首を横に振る。龍園がそんな生やさしい男であるはずがない。
「力というものはより大きな力の前では薄まるものです……龍園氏があなたの持つ『力』を警戒して、あまり手の内を見せないようにしていたとすれば?」
「考えすぎだよ」
ククリの表情は変わらない。いつもの、朗らかな笑顔だ。アホっぽく、彼女ならば大丈夫だろうと人の警戒心を解かすような。
「わかりました。ならば高円寺氏の話に移りましょう」
「ロックの?」
「はい……彼はかなり不気味な存在です。無人島試験はあっさりとリタイアし、優待者をも見抜く。僕も船上で彼を見張ることもありましたが、恐ろしいほどの自由人でした」
「見張りって。うちのクラスだけなんかスパイ養成学校みたいだよね」
呆れたようにククリは言った。その言葉は確かにちょっと否定しづらい。
「だからこそ疑問に思いました。なぜ彼はあなたに優待者の情報を差し出したのかと」
「私以外が聞いてもちゃんと正解教えてくれたんじゃない?」
「いえ、彼は話す気がない時はとことん話しません。でもあなたはちゃんと会話を成立させている。ここから思うに。彼の前でククリさんは何らかの素質を見せ、それが認められた。そう僕は思うのです」
どうにか喋ろうとしても高円寺が相手にすらしない場面を金田は何度か目撃していた。それが女子であっても適当にあしらわれる場面も。
「失礼ながら学力という面でククリさんは平凡です。知略において発想が優れている時もありますが、そういうものはすぐに見せることはできない。いつでもわかりやすく示せるもの、といえばやはり『力』でしょう」
高円寺は優れた才能を持つ人物だ。学力も運動能力も高ければ、優待者を見抜く洞察力まで有している。
ククリも学力でいうと金田には遠く及ばないが、それ故にか突飛で鋭い発想をすることもある。例えば過去問を入手するなんて発想は金田にはなかった。もしそこに暴力、怪力というものが追加されたら。
龍園は知っているのだろう、彼女のそれを。だからこそ信用しきれずとも排除もまたできないのだ。あるいはそのリスクすらも愉しんでいるのかもしれない。
船上で、ククリがAクラスの橋本と接触する際。彼女に仮装をさせ、着替える時間を与えなかったのは。彼女が不審な物を持ち込んで橋本とやり取りしたりすることがないように、裏切る可能性を減らすようにという作戦ではなかったのかと金田は考えている。あの衣装では制服に比べポケットなどもない上に変な行動をすれば目立つ。こそこそと向かってさっさと会話することくらいしかできなかったに違いない。
「んー、で?」
「いえ、お話ししたかっただけです」
証拠もない。採点のない答え合わせだ。そもそも非力な金田にとって、ククリの力がどのくらい強いかなんてあまり意味がないことである。もとより答えてくれることは期待していない。
「それともう一つ」
「何かな?」
「アルバムを作ってくださり、ありがとうございました」
「いえいえ〜」
「ご自分でクラス全員に声をかけ写真を集め、とてもよく丁寧にまとめあげてくださいました」
照れるなあ、と話すククリ。だが金田が言いたいのはお礼だけではない。
「ところでどうして写真を集める際、端末でのやり取りではなく直接会って受け取ったのですか?」
「うん? 単にみんなわりと寮にいることも多いし、大した手間じゃなかったからだけど……」
Cクラスにも夏休み最初にポイントを使いすぎてすっからかん、という生徒は大勢いる。船上試験のプライベートポイントも振り込みは9月1日だ。どのみちこの成功報酬は龍園が回収するのだが、ともかく。まぁつまり、各人の部屋か部活かを訪ねれば確実に会えるだろう。
「まるでクラスのどなたかの端末から、確認したい写真でもあるようだと思いまして。そうであれば僕もお手伝いさせていただこうかと」
「んふふ、邪推だよ金田君。でもお気遣いありがとう!」
その言葉には裏なんて存在しないように聞こえた。
龍園は使えない、不要な人材は切っても必要な人材を切るなんて真似はしない。金田は自身の価値に自信があった。人を見る目にも。高圧的な龍園の台頭を初めは認めなかった金田だが、その怜悧狡猾さが判明するにつれ彼こそがクラスを率いるにふさわしいと思い従うことを決めた。だがククリに関してはある意味龍園以上に読めない。
「そういえば美術部で服のデザインとか得意な人、いない?」
本当に読めない。こういう人なんだろうな、と金田は諦めた。
この学校には学ぶべきことが多く、他者から学べることもまた多い。ただ学力が高いだけでは通用しないのだ。この高校を選んで正解だったと金田は嬉しく思った。
「おお、流石。上手いねえ」
綿あめのようにふわふわとした長い黒髪に、くりくりとした目が印象的な可愛らしい天使がキャンバスに描かれている。
「実は金田君が美術部入ったのって情報収集のためかと思ってたけど、それこそ邪推だったね」
「はい、確かにAクラス坂柳派の
神室は部活に来ないし、白波は男子生徒に対して当たりがきつく女子生徒のみとの会話が多い。さらに無人島にてBクラスへのスパイ活動を行った以上、金田は白波から余計に悪感情を抱かれていること間違いなしだ。
「そっかそっか。それじゃ、また完成したら見せてね」
「もちろんです。今日はどうもありがとうございました」
ククリが立ち去った後、金田は自身の描いた絵を見つめた。
キャンバスの中で翔ぶ天使はどこまでも純粋そうな姿だ。人へ祝福を授けたり、そういった優しい存在に見える。
だがしかし。ラッパを吹き世界に終末をもたらすのもまた、天使なのである。