ようこそ享楽至上主義の教室へ【特殊タグ無し版】   作:アネモネ

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大切なのは、普通の言葉で非凡なことを言うことである。

 チャイムが鳴り、お昼休みが終了する。後半戦の始まりだぁ! 

 

 推薦競技、栄えある1種目め──それは、借り物競争。唯一バラエティ感のある種目である。

 

 うちのクラスの走順は園田君、たっつー、私、木下さん、矢島さん、石崎君……だったんだけど、木下さんは欠場。よって代わりに磯山(いそやま)さんが入ることになっている。二人三脚で木下さんとペアだったぶん点数もらえなかったからね、その補填らしい。まあこれは走力より運とかが試されるからなあ。だからこそ楽しいよね! 

 

 競技の前に審判よりご説明をいただく。ワクワクドキドキ。

 

「借り物競争では様々な難易度のものを用意している。引き直しも可能だが、クジを引く地点にいる審判に希望する旨を申し出て、その場で30秒待機しなければならない。また、3名がゴールした時点で順位が決まるため後の1人が競技を続ける必要は無い」

 

 スタート地点付近で並んで待っていると、前にはカピバラ麻呂がいた。これが噂をすれば影というやつか(2回目)。

 

「麻呂君も出るんだね。ちょっと意外」

 

「ああ。出来れば参加したくなかったが、うちのクラスはじゃんけんで決めたからな。そこで運悪く勝ってしまったんだ……」

 

「んー、それは運が良いんだか悪いんだか微妙な感じだね」

 

「ククリは順当、という感じだな。何度か入賞していたのを見かけた」

 

「ありがとう。でも私はそんなにだよ、それこそ運が良かったんだと思う」

 

 うん。そうなんだよなあ。こうとしか言えないや。

 

「おい」

 

「? どしたの龍園君」

 

 カピバラ麻呂と同じく私の前、2レース目の走者であるたっつーが何か絡んできた。話があるならテントに帰ってからにしてよ。

 

「おまえじゃねえ。そこの金魚の糞と話したいことがあんだよ」

 

「だからその呼び方やめなって」

 

 たっつーってどうしてこう、偉そうなムーブをしたがるんだか。逆に小物臭く見えるって絶対。

 

「あの筋肉バカの姿がねぇな。全競技にしゃしゃり出る性格と思っていたが。それに鈴音も見当たらないとは」

 

 元凶が何か言ってるぞおい。性格わっるいな。

 

「他クラの戦略について聞くのは失礼だよ。麻呂君も困ってるじゃん」

 

「いや、それ以前にクラスの内情も分かっていないんだ。悪いが話せることがない」

 

「麻呂君…………」

 

 私は心の中で涙した。君、そんなに友達いなかったの? 須藤某とリンリンの動向とかめっちゃ目立つと思うんだけど……いや、そうだよな。友達のいるいないたぶん関係ないや。カピバラ麻呂め、さては嘘ついてるな。私の涙を返せ。

 

 たっつーはフンと鼻を鳴らして私たちから距離を取るように離れた。何がしたかったんだろあいつ。

 

「ごめんね、変な人なの」

 

「ククリが謝ることでは……謝ってるのかその言い方は?」

 

 うん。ベリーベリーソーリーよ。

 

 カピバラ麻呂は不思議そうな顔で私を眺めて言った。

 

「おまえは髪とか腕とか色々と飾ってるんだな」

 

「うん、可愛いでしょ? 髪型は朝はやく起きて頑張ったんだ〜! リストバンドはね、テニスの授業の時とかもつけてるやつなんだ。私、形から入るタイプだから」

 

 リストバンドといえばテニス。テニスといえばリストバンド。異論は認める。

 

「自分でやったのか、器用なんだな。ハチマキをそう使うのは初めて見た」

 

「え? うちは女子校だったからかな、みんな中学でもハチマキでこういう編み込みとか猫耳作ったりとかやってたけど。麻呂君は男子校だったの? もしかして」

 

「いや……男女は均等に“いた”が」

 

「そっか。じゃあ厳しめのとこだったんだね」

 

 話しているとスタートの合図が鳴り、1レース目がスタートした。4人の走者が駆け出す。次のレースに出場するカピバラ麻呂はスタート地点にまで移動した。バイバイ、ぜひとも頑張ってたっつーを倒してくれ。

 

「うおおおおお!」

 

 と、思ってたらDクラスの男子がカピバラ麻呂のところまで逆走して来た。「靴!靴!」と騒いでいる。あのね、それ貸しちゃうと、カピバラ麻呂は靴なしで走る羽目になっちゃうよ……? 

 

 彼も気づいたらしくクラスのテントへ走った。タイムロスだけど、他クラスは皆お題に苦戦しててなんと1位を獲得。うちのクラスはゴールできず4位で終了した。えー、園田君頑張ってよもっと。君サッカー部でしょサッカー部。しっかしお題何だったんだろうな。

 

 2レース目では今度はたっつーが逆走。私のほうに来る。靴なら貸さんぞ。

 

「寄こせ」

 

 見せつけてきた紙には【リストバンド】の文字。こいつ本当に悪運強いな……。

 

「はい。後でちゃんと返してね」

 

 仕方なく外して渡してあげる。次の綱引きに出るから、その時には何となくだけどつけていたいのだ。

 

 そのままたっつーは1位でゴール。カピバラ麻呂はというと3枚目の紙を引き直していた。そして当然最下位に。運悪いんだね本当に……。何だろ、【校長のカツラ】とか【友達100人呼べるかな?】でも引いたのかな。

 

 パン、とピストルの合図が鳴り響く。じゃんけんで決めてるらしいDクラスの選手以外はやはり足の速い人のようでクジに辿り着いたのは3番目。ゴソゴソと箱から紙を取り出す。しかし中に意外といっぱい入ってたな。誰がこんなにお題考えたんだろ。先生たち? 

 

 4つ折りにされた紙を開くと【アルミ缶の上にあるミカン】との文字が。うん、この古いギャグセンス。オッサンが書いたに違いない。

 

「意外と難しいのやめろし!」

 

 私は白組陣営に走った。誰か……デザートに蜜柑持ってきてて……そしてお昼に食べないで残してて! 

 

「アルミ缶! コーラとか炭酸飲料!」

 

 クラスのテントで叫ぶとすっと差し出される。よしよし、スチール缶ではないな。

 

「蜜柑! 誰か蜜柑持ってきてない?」

 

 皆一様に首を横に振る。くそう、レモンなら……レモンならバーティがはちみつ漬けを持ってるのに……! 

 

 目の前が真っ暗になる。くっ、私は、もう駄目なのか……? 

 

「はい、どうぞ」

 

 優しい声がした。

 

 そちらを見ると手には蜜柑が。差し出してくれたのは────いつものお惣菜屋さんのお姉さんだった。どうやら近くまで見に来ていてくれたらしい。流石ですお姉さん! これからも末永くお付き合いさせてください! 今度いっぱい惣菜買います、買い占めます!! 

 

 私は走った。必死に走った。

 

「疲れた……」

 

 何かこう、オヤジギャグで余計に疲れた気分。だってゴールの時、アルミ缶にちゃんと蜜柑載せてお題の紙と一緒に見せたらあれよ、審判の人に笑いを堪えた顔で見られたからね。私が決めたお題じゃないんですよー? そこんとこヨロシクですよー? 

 

 あ、1位は取れました。うん、よかった……。お姉さんにお礼を言いに行ったら「お疲れ様、1位のお祝いに蜜柑はあげるよ」って言われた。疲れた身体に優しさが染み渡る。美味しかった。炭酸飲料はシェイクされてしまったため借りさせてくれた人には買い直して返した。借りたほうの缶はどうしよう、これを開ける蛮勇は私にはないよ……時間が経てば炭酸も噴き出さないらしいから寮に持って帰るとするか。

 

 観戦に回るとお題に他人が四苦八苦してるのは見てて楽しかったけど、すごいなと思ったのは最終レースの柴田君かな。【サングラス】を引いたらしく、笑顔でバーティのところまで来て少し話してから「サンキュなっ」と受け取って走り去っていった。同じ白組とはいえ、他クラスでバーティに話しかけられるなんて本当にすごいや。うちのクラスの人ですらみんな怖がってるのかバーティには全然話しかけないもん。ちなみにこの時同じレースの走者、石崎君は【クラスメイトの眼鏡】がお題だったらしく金田君から眼鏡を奪っていってた。しかしあれね、偶然だろうけど眼鏡眼鏡してたね。

 

 

 

 四方綱引きは1年女子から始まる。待機する私たちの雰囲気は暗かった。

 

「あれは……悲惨……」

 

 誰かが呟いた一言に、皆心の中で深く同意した。

 

 3年生の借り物競争、最終レース。そこで起こった悲劇を、近くで目撃してしまったのである。

 

 単純な、単純な話。【好きな人】という定番のお題を引いた男子の先輩が有無を言わさず、戸惑う女子生徒の手を力強く引いて、ゴールし……審判の目の前で、告白。そして見事玉砕。

 

 全生徒が涙したに違いない。可哀想に。

 

 まあ、ここは実力主義の高校! 切り替えていこう、うん……うん。

 

 さて。四方綱引きではこの競技専用の十字の形になってる綱を4クラスが一斉に引き合う。勝ち抜け順で得点が決定するポイント制で、3試合の合計得点で順位がつけられるわけだ。

 

 地面には大きい円が描かれてて、そのうちの4分の1ずつが陣地になる。自陣から出ては駄目なんだよね。後はまあだいたい普通の綱引きと一緒。ただ、まっすぐ引くだけじゃなく左右に寄ったり戦略が必要になるのだ。うん、でもよく考えたらこれ将棋全然関係ないな。何で始めたんだろう私。

 

 対面のチームが味方側、つまり同じ白組のCクラスになってるから協力プレイは難しい。隣にいるA、Dクラスとの駆け引きが勝利のカギとなる……本来ならば。縄の置いてあるグラウンドの中央へと歩く最中。Aクラスの選手の一人、神室さんと目が合った。うーむ。

 

 結果は1位がうちのクラス、2位がAクラス、3位Cクラスに4位がDクラス。直後の男子による四方綱引きでは1位と2位のみが逆転。C、Dクラスの得点と差をつけることができた。でもなあ、Cクラス総合的に強いからなあ、今の点数の順位はどうなってるんだろう。この体育祭、赤白の点数は表示されるけどクラスの得点はどこにも掲示してくれない不親切仕様、かつメモとかも取ると注意を受けるのでクラスの正確な点数は脳内コンピュータでも持ってる人くらいしか計算できない。口頭で伝えあったりするにも限界があるし、他クラスの状況は自クラス以上に把握できてないもん。無理っすよまじで。

 

 男女混合二人三脚では木下さんの代役となる子も元々決まっていたため、うちのクラスはまずまずの結果で終わった。個人的に注目だったのは須藤某とリンリンのペアの代役っぽいカピバラ麻呂と桔梗ちゃんのペア。何を話してたんだろうなあの2人。船上デッキでの一件といい、勝手に交際疑惑をかけてはいるものの関係性がいまいち謎い。

 

 

 

 そして────体育祭、最後の最後のお楽しみ、3学年合同1200メートルリレー! 生徒みんなのボルテージは最高潮に達している。

 

 これは各クラス男女3名ずつで1人200メートル、12人が横ならびで同時スタートのいわば究極のリレー。グラウンドの中央に集まる選手たちもなんかこう、もうね、気迫が違うよ気迫が。堀北生徒会長に南雲副生徒会長に……およ? カピバラ麻呂がいる。あ、須藤某も復活してる。すごい、あの状況から持ち直したのか。

 

 ちらりと振り返ってたっつーの様子を見てみる。須藤某とかのことは全く気にせず、金田君と何やらコソコソ話してた。むー、気になるな。また何か悪巧みでもしてんのかね。

 

「どうやら1,2年生でめぼしい選手を観察しておくみたいです。このリレーは混戦になりますし、本番の時の強さが練習とは違う方もいますし」

 

「なるほど。勝負強さってやつだね」

 

 ひよりんもちゃんと観察しておくよう言われてるみたい。来年の体育祭で役立てるんだとさ。かなり先を見据えてますな。

 

 となると注目はやはりアンカーの選手だろう。普通に考えるとここに最速の人材を投入する。そうすれば最後に火事場の馬鹿力を発揮して他選手をごぼう抜きにしてくれ一発逆転、なんて可能性も残るからね。

 

 ピストルの音が鳴り響く。1番手である12人が一斉に走り始めた。

 

 最初、コースでは1年Dクラスが1番内側で3年Aクラスが1番外側という1年にやや有利な並びの配置だったものの、そんなのは関係なく須藤某は飛び抜けて速かった。圧倒的な走りだ。来年以降もこいつをどう封じるかが体育祭の課題だな。

 

 でも上級生と下級生の壁はやはり厚かった。中盤になるとDクラスは2年Aクラスに抜かれ1位から転落。3年Aクラスも続く。この2クラスが頭一つ抜き出る形となった……が、3年Aクラスの女子がバトン受け渡しの最中に転倒、2年Aクラスとは猛烈な差ができる。

 

 2年Aクラスのアンカー、南雲副生徒会長は首位を独走した。それを追いかけCクラスの柴田君が2位の位置で走ってはいるものの明らかに追いつけない距離だ。おそらくその後ろの3年Aクラスと2位争いをするのだろう。誰もがそう思ったに違いない。

 

 だが。しかし。けれども。それなのに。にも関わらず。

 

「堀北生徒会長、何を……?」

 

 3位でバトンを受け取った会長は、何故かその場に佇んでいた。他の選手も驚きはすれど容赦はしない。当然、次々と抜かれていく。

 

 点数的にここで負けても問題ないから手を抜きたい? いや、堀北生徒会長はそんな舐めたことする人じゃない。いつも生徒の模範であろうとする感じの人がそれはないだろう。

 

 なら、何で会長は棒立ちしているんだ? その謎はカピバラ麻呂が助走に入った時に解けた。桔梗ちゃんからバトンを渡された彼と会長はほぼ同時に走り出している。

 

 男2人、真剣勝負。

 

「カピバラ麻呂……速い……」

 

 つい呟いてしまう。それほどまでに彼は速かった。風を切るように駆けていた。

 

 見ていたみんなが思ったことだろう。会長と果たしてどちらが速いのか、と。

 

 しかしその答えは迷宮入りになってしまった。2人の驚異的な追い上げに慌てた前の走者が転ぶというアクシデントが発生。カピバラ麻呂の進路は塞がれ、そのタイムロスが響いて負けてしまったのだ。

 

「すごかったね、麻呂君。とっても意外な速さ」

 

 興奮冷めやらぬ私へとひよりんは冷静に告げる。

 

「ククリちゃん。一般人の平均時速は20㎞程度、対してカピバラの走る速度は時速50㎞。もちろん動物園などではなく野生のカピバラに限られると思いますが……カピバラは陸上選手よりも速く走れるのです」

 

「え、ま?」

 

 驚きなんだけど。え、本当に? あんなぬぼーっとしてるのに? 

 

 ひよりんは神妙な顔で頷いた。私はまた一つ、賢くなった。カピバラは人間よりも速い……。

 

 こうして、無事プログラム通りの進行で全13競技が終了した。

 

 結果発表は閉会式と共に行われる。皆、静かに巨大電光掲示板を見つめた。

 

「それでは、これより本年度体育祭における勝敗を伝える────」

 

 ピピピピピ、という感じで数字がカウントされて、得点と一緒に表示された文字は【勝利赤組】というもの。こちらの陣営のあちこちから落胆のため息が聞こえる。

 

「続いて、クラス別総合点を発表する」

 

 全12クラスを学年ごとに分けた表示に切り替わり、各クラスの得点が一斉に映し出された。

 

【1位 1年Cクラス

 2位 1年Bクラス

 3位 1年Aクラス

 4位 1年Dクラス】

 

「ありゃりゃ、ざーんねん」

 

 やっぱりDクラス潰し作戦で木下さんが欠場したりしてた影響が大きかったのかな。一之瀬さんたちには負ける結果に終わってしまった。2,3年のAクラスは圧倒的点差で1位。Dクラスも2年は2位、3年は3位と上級生は完全に赤組優勢だったようだ。

 

 これでAクラスはマイナス50クラスポイント。うちのクラスはマイナス100、Cクラスはマイナス50、Dクラスはマイナス100。1年全体が赤字だ。むー、悲しいね。

 

「それでは最後に、最優秀選手を述べていこう」

 

 パッと出された表示の1年生のところへ目を向ければ【1年最優秀選手はC組・柴田颯】と予想通りの結果が。そして電光掲示板の画面は消され、先生方のお話へと移っていく。疲れたからはよ終わらせてほしいぜよ。

 

 閉会式の後には教室で簡単なHRを行ってからの解散になる。体育祭の最中は防犯のためか教室が施錠されていて、開ける役目は坂上先生より私が仰せつかり鍵も預かってるので早く教室へ行ってあげないとなんだよね。じゃないと教室前でみんな立ち往生しちゃうもん。テキパキとロッカーで制服に着替えて向かう。

 

 教室に入り席につく。それからのHRでは、みんなぐったりしているためか坂上先生はお話を手短に終わらせてくれた。ありがたい。先生のような気遣いあふれる対応を閉会式でもみんなするべきだった。校長先生のお話って何で長いんだろう。生徒たちが次々と教室から出て行く中、私も鞄を手に立ち上がるとひよりんから声をかけられた。

 

「よろしければ木下さんのところを訪ねてみませんか?」

 

「うん! 私も行きたいと思ってた。でもすぐにじゃなくて……そうだなあ、6時以降とかでもいい?」

 

「はい、構いませんが……」

 

 どうして、という感じで首を傾げるひよりんに私は言った。

 

「実はこの後ね、ちょっと人と待ちあわせの約束があるんだ」

 

 

 

 §§§

 

 

 

 待ち合わせ場所は特別棟の3階。このフロアは校内でも数少ない監視カメラの設置されていない場所らしい。

 

 目撃されてはまずいので慎重に歩く。端末の電源も落としてある。問題はない。

 

 気配を殺して階段を上ると、かすかに声が聞こえてきた。早めに来たはずなんだけどな。

 

 辿り着いた3階の廊下。窓からは夕日が差し込み、校舎内はどことなく赤く染め上げられていた。

 

「最後のリレーはお見事でしたね、綾小路清隆くん」

 

 …………

 

 ………………ふむ。

 

 廊下の角に隠れて聞き耳を立てる。何やら非常に面白そうな話をしているようだ。

 

「あー、ちょっとメールを送らせてくれ。1通だけだし、今のうちでないと相手に悪くてな」

 

「どうぞ」

 

 なるほど。さてさて、今頃あちら側はどうなっているのやら。見物できないのは口惜しいものの、こちらの話も十分に興味深い。

 

「待たせてすまなかった。それで、オレに用があるのはおまえで間違いないか?」

 

「はい」

 

 キャロルは即答した。心なしかいつもより声が弾んでいるような気がする。ってかあれか、やっぱ意図的なのね。

 

「なら用件を言ってほしい。こっちもそこまで暇じゃないんでな、出来れば早く済ませたいんだ」

 

「ふふ、申し訳ありませんが私の気の済むまでお付き合いください。そうですね、あなたのことを多少はお聞きしていたんですよ。しかし今日のリレーで走る姿を見るまではパズルのピースを組み立てられていなかった。あまり気に留めていなかった事柄とはいえ、私も迂闊(うかつ)でしたね。この衝撃を分かち合いたくて、つい我を忘れて呼び出してしまいました。告白、と形容しても差し支えないかもしれません」

 

「何を言いたいんだかさっぱり理解できないんだが」

 

 うん、私にもさっぱり。カピバラ麻呂に同意だわ。

 

 カツン、カツン、と杖の音。お、一旦止まった。

 

「お久しぶりです綾小路くん。8年と243日ぶりですね」

 

 ……ここで8年243日と15時間34分18秒ぶりですねとか言ってたらすわストーカー!?という気持ちに襲われていただろうけど、まあ日数くらいまでなら詳細に覚えててもギリギリセーフだろう。キャロルはとっても頭がいいから、その程度は忘れようにも忘れられないんだろうし。

 

「新手の詐欺か何かか。生憎とお前のことなどオレの記憶には無い」

 

「ええ、当然ですね。こちらが一方的に存じているだけですから」

 

 カツン

 

    カツン

 

 段々と杖の音が近づいてくる。もう一つ、遠ざかる足音もある。これはカピバラ麻呂が反対側に歩き出したんだろう。

 

「ホワイトルーム」

 

 ────キャロルの放ったその一言で。音が、消えた。2人とも足を止めたらしい。

 

 ホワイトルーム? 白い明日が待ってるぜ、じゃないな。それはホワイトホールだわ。アメリカの大統領官邸でもないだろう。

 

 直訳すると白い部屋。うん、病室かな? 

 

「あまり気持ちのいいものではありませんよね。相手の手の内にあるカードが判然としないのは」

 

 イエス。私も君たちの頭良さそうな会話を現在進行形で理解できないでいる。 

 

 おまえは、とカピバラ麻呂が呟いた。

 

「懐かしい方に(まみ)えた以上、挨拶が必要と。そう思ったんです」

 

 ふむ。キャロルは久しぶりとか懐かしいとか言っている。でも同時に彼女は今日の体育祭で初めてカピバラ麻呂をちゃんと認識した。つまり、キャロルは昔カピバラ麻呂と会ったことがあるもののそこまで親しい仲ではなかったということかな。

 

「あなたは私のことを知らない、でも私はあなたをこの目に焼き付けた。これこそ運命、とでも呼称すべきなのでしょうか。この学校にあなたが来ていたとは。正直なところ二度と顔を合わせる機会はないと思っていました。ただ、これで(くすぶ)っていた謎も解けましたね」

 

 不思議な言い回しだ。キャロルの高度すぎる考えは私にはわからない。でも一つだけ、何となくわかるのは。彼女は嘘をついている。彼女はカピバラ麻呂と再会できる日がいつか訪れると。そう、確信していたっぽい。

 

 一瞬、言葉が切れる。

 

「Dクラスの退学騒動」

 

 トン、と軽く床を叩く音。

 

 続けてトントン、と軽快にキャロルは杖を叩きつけたようだ。

 

「無人島……では少しばかり龍園翔に読まれてしまっていた部分もありましたか」

 

 くすっという感じの笑いを含んだ声。む、あれはたっつーの功績……で、いいのかしら。どちらかというと無線機さんのおかげな気が。いやしかしまあDクラスのリーダーの名前を書かないと判断したのはたっつー自身だしなあ。

 

「そして船上試験」

 

 トントントン

 響いた音は獲物を追い詰めるためのもののようにも、隠しきれない歓喜が溢れたもののようにも聞こえる。

 

「堀北鈴音のもたらした結果とはとても思えませんでした……ああ、忘れていました。今日の体育祭も勘定に入れましょう。これらは全てあなたが描いた絵の上だったんですね」

 

「なんの事だか。Aクラスに話すのは恐縮だが、うちにも優秀な参謀が何人かいるからな」

 

 うーむ、それはそれで羨ましい。うちのクラスには頭脳派がいまいち揃ってないんだよなあ。私も参謀とか絶対無理だし、たっつーはやり口がダーティーすぎるし、ひよりんは逆に平和主義すぎるし。金田君が一番バランス良くてちゃんとしてるよね。やっぱあれだよ、参謀は眼鏡をかけるべきなんだよ。

 

「参謀とは高円寺六助くんのことですか? それとも平田洋介(ようすけ)くん? あるいは幸村(ゆきむら)輝彦(てるひこ)くんでしょうか。まぁ誰を指しているにしても関係ありませんけどね。あなたという存在が表舞台に出てきたのですから」

 

 制御不能なロックが参謀ってのはないっすよ。平田君も、なんか駄目な気がするなあ。幸村君は眼鏡だからたぶんオッケーなんじゃないかな。

 

「ご安心を。あなたのことは誰にも話すつもりはありません……さしあたっては、ですが」

 

 ごめん、キャロルに言うつもりがなくても盗み聞きしちゃってるよ私。カピバラ麻呂もすまぬ。でも謝ったから許せ。以上! 

 

「周知させたほうが楽になるんじゃないのか?」

 

「横槍が入るのはいただけませんもの。偽りの天才を(ほうむ)る役目は、私にこそ相応しい。誰にも譲りたくはありません────そうですね、やはり誰にもです」

 

 カツン、と鋭い金属音が響く。偽りの天才とは何ぞや。そして葬るって何事かな。え、なんかすごく怖い。キャロルすごく怖い。

 

「この単調な学園生活にも新たな楽しみが出来ました」

 

 んー、退屈してたんだキャロル。ならおめでとうと言ってあげるべきだろう。楽しめるものが生まれたことへの祝福の言葉をかけてあげよう。

 

「ひとつ聞いてもいいか?」

 

「あなたから質問を頂けて光栄です。遠慮なく(おっしゃ)ってください。私があなたを知っている理由でしたらお答えしますよ? それとも──」

 

「いや、いい。だがこれだけ教えてくれ」

 

 どこまでも無機質な声。ぬぼーっと、気だるげに、淡々と、機械的に。そんな、彼の声に。

 

 

 

「おまえにオレが葬れるのか?」

 

 

 

 そこに、少しだけ感情が混じった……ような、気がした。

 

「……ふふ」

 

 小さな笑い。でもその奥に潜む感情はけして小さくなんかないだろう。滲み出るような、這い寄るような、浮き上がるような、愉悦とも狂喜とも言えるようで言えないような。ラベリングできない、名状しがたい感情。

 

 今のキャロルの表情がありありと想像できる。

 

「ふふふ。すみません、笑みが(こら)えきれなくて。でも侮辱(ぶじょく)したわけではありません。私はあなたがどれだけ凄い方か良く知っていますもの。ええ、良く良く」

 

 口元が、弧を描き。それはそれは楽しそうに笑っているに違いない。

 

「今から待ち遠しくなりました。あなたのお父様が信じる最高傑作の破壊、それでこそ悲願の達成となりますから」

 

 何かまた思わせぶりなこと言ってますね。カピバラ麻呂のお父さんって誰よ。キャロルの悲願って何よ。

 

 話はこれで終わりなのか、また杖の音がこちらに近づいてきた。カピバラ麻呂が歩き出した音も聞こえてくる。

 

「少し、不親切が過ぎましたね。説明を加えておきましょう」

 

 キャロルは今度は歩きながら語り始めた。

 

「私は幼い頃からとある見解を持っています。生まれた時からその人の能力の格付けは済んでいると。天才と凡人はDNAによって定められているのです。教育で変わるものでは無い」

 

 DNA絶対信者なのね、キャロルは。まあいいんじゃないっすか(適当)。

 

「天才には優秀な血筋、もしくは突然変異が必要。つまり後天的なものは有り得ず、人工的に生み出したいのならDNAを操作するほかありません。勉強にしても、スポーツにしても、それ以外の分野においても同じことが言えるでしょう」

 

 ………………

 

 …………ふーん。突然変異、ねえ。

 

 それだけ告げると満足したのかキャロルは無言になった。杖の音だけが廊下に響く。

 

 カツン

 

         カツン

 

                  カツン

 

 果たして。反対側へと歩いて行ったカピバラ麻呂は、キャロルの言葉を聞いていたのか。聞かずに立ち去っていたのか。

 

 どちらだったのだろうか。

 

 カツン

 音が、響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

❴勝手にククリが考えた2人の過去❵

 

 

 その病室は、異様だった。

 

 ぬいぐるみやおもちゃといった年相応の物も置いてある。しかしながら分厚い書籍の山のほうが量としては明らかに多い。

 

 この部屋の主は、もちろんそれらを読破済み、あるいはこれから読むのであり。ただの子どもとは思えないほどの、もしかすれば大人すら上回る頭脳を有していることは明白だった。

 

 しかしパラパラと頁を繰る彼女は、常であればすぐに理解できる内容もあまり頭に入ってこず。悩まし気な息を吐く。

 

「成功率は70%、ですか」

 

 決して低くない数字。だが自らの命が懸かっているとくれば話は異なる。

 

 手術を受ければ病状は改善されるらしい。しかしリスクは無視できなくて。

 

 カラリと窓を開いて、景色を眺める。外には同じ年頃くらいの少年が歩いている姿があった。

 

 風が吹き、かぶっていたベレー帽が飛ぶ。

 

 拾いにいかないと、と。病室を出ようとして。その前に看護師が現れた。

 

「これ、有栖ちゃんの帽子よね?」

 

 どうやら手際のいいことに、誰かが帽子を拾ってすぐ届けてくれたようだった。

 

「はい、ありがとうございます。あの、どなたが……?」

 

「綾小路さんのとこの息子さんよ。そういえば有栖ちゃんと同い年ね。あの子、入院してるお父さんのためにいつも見舞いに来てるんだけど……お父さんのほうが、ねえ」

 

「それはどういう──」

「あらやだ。あんまり他の患者さんのこと喋っちゃいけないのに。ごめんね有栖ちゃん、今のは忘れてちょうだい。ともかく、拾ってくれたのは綾小路くんって男の子よ」

 

 守秘義務が邪魔をして、それ以上聞き出すことは出来なかった。しかし綾小路、という名は妙に頭に残って。

 

 ──綾小路くん。先ほど、下を歩いていた子ですよね。

 

 会えるかどうか、会っても分かるかどうか、という状況なのに、気づけば有栖は院内を回って彼の姿を探していた。

 

 過度な運動は厳禁。見つからず、諦めようかとしたその時。

 

「清隆!」

 

 怒鳴り声が、聞こえてきて。有栖は直感的に理解した。きっとあの子が怒られているんだ、と。

 

 父親であろう入院患者の罵倒は苛烈で、理不尽で。それなのに少年は粛々と聞いていた。

 

「大丈夫? 綾小路くん」

 

 患者をなだめた看護師が少年にも声をかける。

 

「はい。父がオレのために言っているのは理解しているので」

 

 彼はあまりにも聞き分けのいい子どもだった。良すぎて、関係のない有栖ですらちょっと腹が立ってくるくらいに。

 

「それに、オレ。嫌いじゃないんです。父とチェスを指すこの時間が」

 

 ずっと無表情だった彼が、微かにではあるが笑ったような気がして。有栖は、強く強く思った。

 

 彼を、笑わせてみたいと。一緒にチェスを指してみたいと。

 

 ──だから。

 

 手術を受けて、長時間チェスを指しても大丈夫なようにして。いつか、彼と再会を果たそう。

 

「お父様。私、とても欲しい物が出来たんです──」

 

 病室に戻ってから、来てくれた父に有栖は笑顔で告げた。これからのことを。

 

 

 

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