ようこそ享楽至上主義の教室へ【特殊タグ無し版】   作:アネモネ

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人はなんでも忘れることができるが、自分自身だけは、自分の本質だけは忘れることはできない。

「あー、澪も倒されちゃったか」

 

「手加減しつつも出来る限り早く気絶させていますね。お見事です」

 

 少女たちはお菓子をつまみつつのんびりと観戦していた。丁度おやつの時間が近いのである。アフタヌーンティーには頃合(ころあ)いだった。

 

「いよいよ残るは龍園くん1人ですね。ククリさんとしてはどちらが勝つと思いますか?」

 

「そうだなあ、あんま人の強さとかいまいちわかんないからあれだけど。そりゃあ麻呂君に勝ってほしいよ」

 

「あら。幼なじみですのに応援してあげないのですか」

 

「いやだってたっつー、『お前が裏切れば、死んだほうがマシと思うような目に遭わせる』とか言ってたんだよ。あとが怖いじゃん」

 

「ふふ。けれども体育祭の一件の際は大して何も起きませんでしたよね」

 

「それはだってあの時は私は裏切りの主体じゃなかったもん。たっつーにも迂闊すぎるとこあったし。あとはXの存在を確認できた喜びが大きかったんじゃないかなきっと…………そんなことより、キャロルはどっち応援するの?」

 

「ふふっ。もちろん──」

 

 その先の言葉が告げられる前に。男たちのぶつかり合いの、火蓋が切られた。

 

 

 

 

 はじめは龍園のターン。左手で殴りかかる。避けられる。右手で殴りつける。避けられる。

 

 やはり、と龍園は考える。綾小路の動きには無駄がない。この中では1番伊吹が近いだろうか。何らかの武道を修めた者の立ち回り方。独学で戦闘力を磨いてきた龍園とは明らかに異なる。

 

 反撃のつもりなのか綾小路が顔のほうへと手を伸ばしてくる。それを振り払った瞬間、脇腹に衝撃が走った。

 

「っ!?」

 

 蹴られた。それを知覚した龍園は追撃のリスクから一度距離を取る。

 

 脇腹はズキズキと痛む。だが痛みを上回る高揚感が龍園の全身を包み込んでいた。

 

「面白ぇなあ」

 

 口の端が吊り上がる。クラスを完璧に掌握して以来、殴り合いというものは久々だった。

 

 殴る。殴る。殴る。殴る。その全てを避けられ、あるいはガードされた龍園は理解した。己と綾小路との力量差を。

 

 物語などではよくピンチの時に陳腐な奇跡でも起きたりするものだが、ここは現実。生憎と龍園には今ここで綾小路に勝てるビジョンが思い浮かべられなかった。

 

 だがその程度では諦めない。たとえ今負けても、何度だって食らいつけばいい。どれだけ強い相手でもいつかは隙を生み出せる。最後にやってくる勝利を龍園は疑わない。

 

 死? その感覚は随分と前に経験済みだ。死への恐怖は克服した。たとえここで殺されようと構わない。そうなれば綾小路は殺人者のレッテルを貼られ、龍園の勝利となるのだから。

 

「おまえも痛みってもんくらいは知ってるよなあ」

 

「ああ、何なら試してくれても構わない」

 

「ハッ。なら遠慮なくいくぜ」

 

 綾小路の肩を掴み膝蹴りを叩き込む。そしてもう1度。龍園は渾身の力で同じ場所に二撃目を叩き込んだ。

 

 腹部に走る痛みにより後ろへよろける綾小路を見た龍園は笑う。

 

「機械みてえに無表情なヤツだと思ってたが、痛覚は機能してんだな。安心したぜ」

 

「まるで痛みを知らない人間を知っているような口ぶりだな」

 

「近いもんはな。だがあれは人間じゃねえ。俺はそう結論づけてる」

 

 綾小路はククリのほうへと目を向けた。その視線を追った龍園は小さく頷く。

 

「なかなか興味深い。殴ったことでもあるのか?」

 

「ガキん頃の話だ。今はもう相手にするだけ無駄だってわかった」

 

「負けた言い訳にしか聞こえないんだが」

 

「違ぇよ。勝負ってヤツが成立しねえんだよ、まず。その時だって無抵抗のあいつを好きなだけボコしただけだ」

 

 どこか呆れたような視線を向けられた気がした龍園は、当時の正確な状況を伝えることにした。

 

「あいつが『面倒くさいから殴って満足するなら好きなだけ殴っていい』っつったんだよ」

 

「言うほうも言うほうだが、実行するほうも実行するほうだな」

 

「攻撃の機会を逃すほうが馬鹿だろ。先手を取るのが俺のやり方だ」

 

 何が理由だったかはもう忘れたが。ともかく小学生の龍園と不良たちが揉めていた時、通りすがりのククリが倒していった、その後。龍園はこの不良たちにリベンジを果たしてから、ククリをも打ち負かすべくしつこく追い回した。勝負勝負とうるさい龍園を黙らせようとククリが言ったのが「面倒くさいから殴って満足するなら好きなだけ殴っていいよ」という台詞である。

 

 ならばと彼女に攻撃を加えた龍園だったが、いくら殴ろうと全くダメージを受けた様子を見せず、欠片の敵意も向けない。黙って考え込んだので何をするかと思えば「あ、君遠足の時の蛇の子か」と平然と声をかけてくる。ついには殴り疲れた龍園が諦めたくらいだ。『これ』は本当に自分と同じ人間なのか、と疑ったのも無理はないだろう。

 

 しかも何事もなかったかのように接してくるのだ。能天気、バカ、アホ。いくらでも罵倒が思いつくものの、同時にその顔に浮かぶ笑みを得体の知れないものと感じつつあったのも事実だった。苦手、一生苦手。龍園はそのカテゴリにククリを追いやっている。それでも何とか理解し制御するようには心がけているのだが、その結果は芳しくない。

 

「まあ、今はあいつは関係ねえ。そんなことよりもっと遊ぼうぜ、綾小路ィ!」

 

 一発。二発。三発。膝蹴りを繰り返す龍園は綾小路の様子が明らかにおかしいことに気づいた。ちっとも避けようとする素振りがないのだ。痛みで動きが鈍っている? おそらく違う。確かめるべく今度は頭部を狙う。

 

「ちっ!」

 

 腹部狙いからの突然の切り替えにもかかわらずその蹴りは難なく避けられた。おそらく致命傷になりそうな攻撃だけ避けてるのだろう。明らかに、遊ばれている。圧倒的な力量差を感じながらも龍園は決して挫けなかった。

 

 次は顔面を蹴る。そう考えた龍園であったが、痛んだのはむしろ自分の顔面だった。

 

「がっ────!?」

 

 容赦ない右フック。一瞬視界が白く染まり、気づけばコンクリートに叩きつけられていた。

 

 素早く動いた綾小路が馬乗りになってその顔面に追撃が加えられる。視界が悪い。龍園のまぶたは腫れ上がっていた。身体は上からガチガチに押さえつけられている。

 

 だからどうした? 手を、足を動かし反撃を試みる。距離感が上手く測れないからだろうか。空振りした。

 

 お返しとばかりに的確な一撃を食らう。口内が切れ、血の味がした。不味い。床に吐き捨てる。

 

 再び拳が振り下ろされた。床に後頭部をぶつけることのない絶妙な力加減だ。殴られる。殴られる。殴られ────

 

「もういいだろう龍園」

 

 優しくも残酷な宣告。そんなもの受け入れられるはずがない。

 

「ク、クク……痛ぇな。だが、それだけだ」

 

 綾小路はその能面のような無表情をピクリとも動かしやしない。目が合えば見えるのは深い闇を抱いた不気味な、ガラスのように無機質な瞳。強い。圧倒的に強い。ダメージのあまり全身が悲鳴を上げている。

 

 だからどうした? 龍園は再び自身に問いかける。

 

 脳裏に浮かぶのは黒髪の少女の姿。

 

 龍園は知っている。愉しく嗤う彼のことすら楽しく笑う、享楽至上主義の怪物を。

 

 今だってのん気に自分たちのことを眺めているのだろう。気に食わない。ダメージにはならずとも絶対に後でぶん殴る。

 

 だから、今は──────

 

「見せてみろよ綾小路。おまえの本心を! 感情を! 恐怖を! 愉悦を!」

 

 龍園翔は、笑った。

 

 

 

 

 ホワイトルームの4期生。最初の成功例にして最高傑作とされる綾小路の過去を知っている有栖は、あの綾小路くんを相手に意外と粘りますね、と素直に感心した。

 

「龍園くんは昔からあんなヤンチャな方だったのでしょうか」

 

「うん。でも正直そこまで親しくはなかったからなあ。家に来たことも……あ、あったか一度だけ」

 

「家捜しでもしにいらしたのですか?」

 

「キャロルの龍園君イメージが犯罪者。いや、違うよ。たぶんおまえの家族関係を知って人質にとってやる!的な考えだったんじゃあないかな」

 

「ククリさんの想像のほうが悪化しているような気がしますが……」

 

「気のせいだよ。でもあの時は悪いことしちゃったんだよね」

 

「と言いますと?」

 

「なんか保護者の男が勘違いしちゃってさ。龍園君に殺気ぶつけちゃってたんだよね」

 

「かの有名なおまえに娘はやらん、というものでしょうか」

 

「違う違う。ほらたっつー、やばい感じの小学生男子だったから。どっかから命令受けて私を探ってるんじゃあ、とか色々考えちゃったらしいよ」

 

「それは悲しい誤解でしたね」

 

「うん、本当に。保護者名乗るくせして職業不詳の殺し屋疑惑もある男の殺気だったからね。よくあんなの浴びて龍園君は平気だったなあ」

 

 心臓を鷲掴みにされる感覚だよあれ、と話すククリに有栖は「自分の保護者に殺気を飛ばされたことがあるのですか……?」と言いそうになったが、大人しく口を閉じた。

 

 

 

 

 何度殴られたか。感覚が鈍くなってきた。もう身体を動かす力すらない。今の龍園にできるのは口撃くらいだろう。精神的な揺さぶりをかけるべく龍園は口を開いた。

 

「なんで表に出て戦わない。こそこそ隠れて雑魚を見下したかったのか?」

 

 それは単純に気になっていたことでもある。龍園であればDクラス程度さっさと纏め上げていただろうし、綾小路にも十分可能だったはずだ。

 

「見下すも見下さないも、そんなことを考えたこともない。こっちにも色々と事情がある」

 

「そうかよ。だったら勝って聞かせてもらうとするか。今ここでおまえが俺に勝とうが──最後に勝つのは、俺だ」

 

 目を見開く。ギラギラとした龍園の双眼は未だその輝きを、鋭さを失ってはいなかった。

 

 龍園にしかない、龍園だけの優れた特質。良く言えば心の強さ、悪く言えば執念深さといったものであろう。

 

 対して綾小路は怯むことなく淡々と言葉を紡ぐ。

 

「暴力を以って相手に恐怖を植え付け支配する、か」

 

「あぁ。よくわかってるじゃねえか」

 

「確かにオレも痛みによる恐怖の存在を知っている。だがそれは、恐怖じゃなくなった」

 

「……何言ってんだおまえ。殴り疲れでもしてとうとう頭がおかしくなったか?」

 

 そうは言いつつも、薄っすらと龍園は察していた。綾小路の歪さは、おそらく育った環境に由来している。何度も喧嘩の場数を踏み、人一倍やられそして勝利してきた龍園とも違う、特殊な環境に。綾小路がこそこそする『色々な事情』とやらもそのあたりが原因なのかもしれない。

 

 だが。それがどうした。自分だって環境の特殊さで言えばいい勝負だ。

 

 龍園は笑う。嗤い続ける。

 

「だったら恐怖以外でもいい。感情でも欲望でも見せてみろ。いくらでも受け止めてやるからよ」

 

 恐怖がない? それがどうした。自分だって克服した。

 

 感情が見えない? それがどうした。綾小路の効率的な行動はむしろわかりやすい。自分と似ている。気分屋のバカのほうがよっぽど扱いづらい。

 

「俺は絶対に降参しねえ。心折れることも、絶望することもない。息の根を止めるくらいしかねえぜ、ただしおまえにその度胸があるならな」

 

 右、左、右、左。同じリズムで、同じ威力の衝撃が繰り返される。その拳を振り下ろす動作は機械的としか形容できない、いっそ作業とすら言えるものだった。あまりにも単調でつまらない。

 

 ……つまらない? そうか、つまらないのか。ならば面白くしてやればいい。そのほうが龍園も楽しめる。

 

 挑発しても尚怒りも殺意も感じられない攻撃。煽り耐性が高いらしい。そしてデスゲームを望むバカじゃあるまいし、殺す気はないのだろう。であれば何度だってリベンジしてやる。

 

 隙を、弱点を、草の根分けても捜し出す。敵に回したことを後悔させる。ギロリと綾小路を睨む龍園だったがやはりその表情は変えられない。

 

「負けるのが怖くはないのか」

 

 ポツリ、と投げかけられた言葉。龍園は笑って返す。

 

「クク。おまえは自分が一生負けないとでも思っているのか?」

 

「……悪いが敗北するのは想像つかない」

 

「ハッ。とんだ自惚れ屋だなテメエは」

 

 そうかもしれないな、と頷く綾小路は龍園のことを歯牙にもかけていないらしかった。余裕の様子である。

 

「だが、わからないな。計算違いが起きている理由が。おまえの上限を読み間違えた理由が」

 

「あ?」

 

 綾小路は軽くあたりを見回した。気絶している石崎たちや見学中のククリへと目を向けてから話を続ける。

 

「もしかして、それが俗に言う『守る者がいると人は強くなる』とやらなのか?」

 

 その言葉が耳に入ってきてから、理解するまでに時間を要した。龍園はワンテンポ遅れて反応する。

 

「は?」

 

 自分が、クラスメイトを想って、守っていると? 伊吹や石崎やアルベルトや……ククリのために戦っていると? 

 

 プチリ、と頭のどこかで音がした。

 

 基本的に馬乗り、マウントポジションは圧倒的に乗る側つまりこの場合綾小路が有利である。しかしそこから逃れる術もないわけではない。

 

 龍園は綾小路の左腕を掴み、その左足に自身の右足をかけると。素早くブリッジしてその体勢を崩すことに成功した。火事場の馬鹿力、というやつだろう。怒りが身体の不調を押しのけかつてないパフォーマンスを実現させたのだ。

 

 そのまま何とか立ち上がる龍園を綾小路は温度のない瞳で見つめていた。龍園はフラフラのフラッフラ。もはや気力だけで立っている状態。比べて綾小路には想定範囲内のダメージしかない。勝ち目のない勝負。マウントポジションから逃れられたところでさして状況は変わりない。

 

「あや────」

 

 綾小路、そう吠えて一歩踏み出そうとした龍園であったが。残念ながらその身体が先に限界を迎えた。

 

 ドサリ、と音が響く。

 

 勢いよく崩れ落ちた龍園が気絶していることを確認した綾小路は、少し考えてから床に座り込んでいる軽井沢のほうへと歩み寄る。流石にこれ以上放置するのは酷だと判断したのであった。

 

 

 

 

「あれ。龍園君死んだ?」

 

「いえ、意識を失っただけかと」

 

「そかそか。じゃあ麻呂君完全勝利だね! いやーバットジャスティスの仇も討てたし、よかったよかった」

 

 先日の龍園vs坂柳vs高円寺の一幕を思い浮かべつつ話すククリに、有栖は無邪気に笑った。

 

「ふふ。橋本くんはそう気にしていないでしょう。龍園くんとも“仲良く”しているみたいですし。ですが、そうですね……あの時はククリさんに守っていただけなくて少し残念でした」

 

「何をおっしゃるウサギさん。護衛役が仕事するってわかってたっしょ。それにあれだよ、いくら龍園君でもキャロルにマジで当たりそうだったらほんのちょっぴりくらいは手加減してたと思うよ、たぶんきっとメイビー」

 

 有栖の頭目掛けて蹴っていたらしい龍園だが、橋本が庇わずとも直前で軌道を変えて肩あたりを蹴ろうとしたに違いないとククリは思っている。龍園の善性がどうのとかではなく、有栖が必要以上の傷を負った場合、小競り合いで済ませられなくなり処罰は免れないからだ。

 

 もちろん有栖も全て計算尽くで龍園を煽っていたので、ククリに言ったのはただの軽口の類いである。そもそも彼女が有栖のほうへ行こうとしてクラスメイトに止められていたのは見ていたし……と、そこまで考えてから有栖は思った。そういえばあの時、綾小路は欠片もこちらを心配する様子がなかったと。

 

 その綾小路は現在、彼が手を差し出し立ち上がらせた軽井沢に抱きつかれていた。

 

「……寒そうですね」

 

「ああ、Kちゃんね。うん、ぐっしょぐしょのびっちょびちょだねえ。でもまあ、囚われのお姫様が王子様に助け出されたって感じでいいんじゃあないかな」

 

「ふふ。そういうシチュエーションには私も憧れがあります」

 

 有栖は微笑むとククリの左手を自身の両手で包んだ。それに驚いたククリは空いている手でゴソゴソとポケットを探る。

 

「およ、キャロルも寒いのかい? ならばこれをあげよう」

 

 取り出したカイロを有栖の手に握らせるククリ。そもそもお互い手袋してるから手を握っても温かくはならんしなあ、という理由だった。合理的判断である。しかし彼女に逃げるようにすっと手を引かれた有栖の笑顔はやや曇った。

 

「……ありがとうございます、ククリさん」

 

「いえいえ。まだまだカイロあるから欲しかったら遠慮なくどうぞ」

 

 扉の近くに座っている2人のほうへ綾小路と軽井沢がやって来る。軽井沢の瞳には何の不安もなく、綾小路を信じ切っていることが見て取れた。手駒の再教育が終わったらしい。

 

「お疲れさまでした」

 

 にこやかに声をかける有栖に軽く手を挙げると、綾小路は軽井沢へと話し始めた。

 

「下で生徒会長……今は元か、それと多分茶柱先生が待っている。着替えくらい準備できるはずだし、事情も聞いてこないだろうから安心して頼るといい」

 

 その言葉にククリも頷いた。堀北元会長と茶柱先生とはつい先程顔を合わせたばかりだ。着ぐるみの顔ではあったが。

 

「う、うん……でも清隆(きよたか)は?」

 

「まだ後始末が必要だからな」

 

 綾小路がククリたちのほうへ目を()ると軽井沢は納得した表情になった。軽く背中を押され、綾小路をチラチラと振り返りつつも扉から出て行く。

 

「さて」

 

 綾小路はククリと有栖と向き合った。屋上に残っている人間は7人もいるが、この3人以外は気絶している。

 

「ごめんなさい麻呂君。茶柱先生も堀北先輩もたぶん私たちが来る時止めようとはしてたと思うけど、無言で強行突破しちゃった」

 

「いや構わない。堀北兄のことだ、ククリたちを関係者とみなして最初から通すつもりだっただろう。そもそもオレはあの人に見張りを頼んではいないからな」

 

 元生徒会長が立ちはだかる階段を上る度胸のある人物なんてそういない。侵入者など本来ならば現れないはずだったのだ。

 

 綾小路が彼に頼んだことはおそらく屋上から出てくる人間、つまり龍園たちに自身の存在を示すことだろうと当たりをつけた坂柳はその推測を披露する。

 

「屋上で起こったことを直接ではないにしろ目撃した人物がいる。その状況を作り出したかったのですね。私が来たことで、ほとんど意味がなくなりましたが……いえ、もとから堀北元会長に許諾を得られなかった際にはあなたのことを知る私を利用するつもりだった、というところでしょうか」

 

「正解だ」

 

 屋上を出入りする生徒が目撃されていればやったやられたの押し問答は避けられる。そして先に仕掛けたのが龍園ということは監視カメラが潰された時間、綾小路はケヤキモールにいたことからも明白にわかるのだ。龍園にはもう工作のしようもない。

 

「綾小路くんと戦いたい私はその正体を暴露して獲物を横取されることを良しとしません。そうなると必然的に軽井沢さんの過去も、ここで何が起きたかも口をつぐまざるを得なくなる。Xさんの正体は闇に消える、というわけですね」

 

 坂柳は好戦的な笑みを浮かべそう締めくくった。やっと前哨戦が終わったのかと、今度は自分が綾小路と戦える番だろうとワクワクしているのだ。

 

「そっか。容疑者Xはいなくなっちゃうのか。何かちょっと残念」

 

「どのへんが残念なんだ……?」

 

「Xっていうカッコいい呼び名が消えることと、犯人探しっていう楽しそうなイベントが終わっちゃうことかな」

 

「すまん、聞いても理解できなかった」

 

「うぐっ。ひどいや!」

 

 先ほどまで起きていた脅迫やら暴力行為が嘘のように和やかとなった雰囲気を断ち切るように、有栖は爆弾を投下した。

 

「ところでククリさん。私、以前のククリさんたちの裁判についての録音を聞かせていただいて思ったのですが。あの7月の裁判が中断されたのは綾小路くんの仕業(しわざ)でしたよね? 『オレじゃない。全部、堀北のおかげだ。後はBクラスも協力してくれた』だとか当時御本人はおっしゃっていましたけれど」

 

「はっ、そういえば。確かに。忘れてた、法廷外で逆転された恨み……!」

 

「一生忘れていて欲しかったんだが」

 

 有栖は可愛らしく微笑んだ。とびきりの笑顔だった。

 

「どうでしょうククリさん。丁度いい腕試しの機会ではないでしょうか。審判は私が務めますから」

 

 ククリはサムズアップすると立ち上がり、右手の手袋を外して綾小路のほうへと投げつけた。ノリノリである。

 

「よーしカピバラ麻呂! 決闘だぁ!!」

 

「待て。まずカピバラ麻呂とは何だ」

 

「麻呂君の本名だよ。ごめん、すっかり言いそびれてたね」

 

「オレの名前は綾小路清隆なんだが……」

 

「? うん、そうだね」

 

 相互理解が難しいことを悟った綾小路は別の部分を突っ込むことにした。

 

「日本では決闘を決闘罪で禁止してるぞ」

 

「え、そうだったっけ?」

 

「問題ありませんよククリさん。そもそも決闘とは事前に日時などを約束しているものですから、これは該当しません。ただの手合わせですとも」

 

「そかそか。ならよかった」

 

 よくはない。そう思うのは残念ながら綾小路のみであった。

 

 潔く諦めた綾小路は床に落ちた手袋を拾ってククリへと渡す。ククリは礼を口にするとそのまま手袋を椅子に置いた。

 

「坂柳に良いように転がされてるが、いいのか?」

 

 綾小路はやっぱりちょっと悪あがきをしてみた。こそこそとククリの耳元で話す。

 

「うん! キャロルはキャロルで見たいものがあるんだろうけど、私も私で麻呂君の実力を1回くらい体感してみたかったの。こういう人目がない時でないと相手してくれないだろうし」

 

「実力……と言われてもな」

 

「あ、ごめんね。私が勝手に麻呂君に……なんだろ。うーんと、期待?してるだけだから。大丈夫、ちょっとやってすぐ終わりだよ」

 

「それはすぐに勝負が終わるという意味か?」

 

「違う違う。だってさ、1回こっきり、怪我のない程度に終わらせないとだもん」

 

 これっぽっちの敵意も悪意も感じられない朗らかな笑みを浮かべて、ククリは握手を求めるように綾小路へと右手を差し出した。

 

「じゃ、始めようか」

 

 

 

 

 ククリは無防備だ。すぐに騙される。人に対して敵意を抱かない。何故なら、壊そうとすればすぐに壊れるモノだと知っているからだ。それが何であっても、誰であっても。

 

 有栖は考えている。暴力は強いカードの1枚だが、必ずしもそれが最強とも限らないと。そして駒やカードを使うなら、自分が一番上手く操れると。

 

 綾小路にはホワイトルームでの教育が染み付いている。この世は『勝つ』ことが全て、過程も、犠牲を払うことも関係なく、最後に自分が『勝って』さえいればそれでいい、と。

 

 結局のところ、三者三様に傲慢であり、不遜であり、自分が負けるなんて微塵(みじん)も考えちゃいないのだ。

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