ようこそ享楽至上主義の教室へ【特殊タグ無し版】   作:アネモネ

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我々は、他の人たちと同じようになろうとして、自分自身の4分の3を喪失してしまう。

 体育祭直後の放課後。特別棟3階、廊下。

 

 坂柳有栖は謳った。

 

「私は幼い頃からとある見解を持っています。生まれた時からその人の能力の格付けは済んでいると。天才と凡人はDNAによって定められているのです。教育で変わるものでは無い」

 

 それは、彼女の根幹。彼女の矜持。彼女の信条。

 

 生まれ持った才能は永久不変であり、どれだけ努力しても埋められない差が存在する。

 

「天才には優秀な血筋、もしくは突然変異が必要。つまり後天的なものは有り得ず、人工的に生み出したいのならDNAを操作するほかありません。勉強にしても、スポーツにしても、それ以外の分野においても同じことが言えるでしょう」

 

 優秀な両親から産まれた有栖は、当然前者。今隠れて話を聞いている少女──京楽菊理は、おそらく後者。

 

 この学校の理事長である父曰く、綾小路清隆の両親やその親には特別秀でた才能はないらしい。では、綾小路清隆は果たして。本当の天才なのか。それとも偽物なのか。

 

 それを知ることが叶う日を、有栖は待ち望んでいる。

 

 綾小路清隆というずっと追い続けてきた幼なじみのような人物に出会えた喜びにルンルン気分で歩く有栖の前に、彼女と待ち合わせしていた少女が姿を現した。

 

「キャロル、ごめん話聞いちゃった」

 

 悪びれることもなくあっさりとそう話すククリの姿に、有栖はにっこりと笑った。

 

「構いませんよ。気づいていましたから」

 

「え、本当? 気配消したつもりだったんだけどなあ」

 

「ふふ、綾小路くんには通じていなかったようです。彼がククリさんの方を振り向いたので私も気づきましたもの。背後の気配に気づく程度、彼には造作もないことなのでしょう」

 

 綾小路は話の序盤も序盤、「それで……おまえでいいのか? オレを呼び出したのは」と有栖に問うとき、後ろを振り向いていた。ククリの存在に気づき、聞かれても大丈夫なのかと軽く首を傾げていたのだ。対して有栖は首肯して問題ないと答えていた。『ホワイトルーム』の単語程度ならばククリに聞かせて構わない。

 

「うーん。ね、何でキャロルは麻呂君のことお気に入りなの? 前に軽く話した時は全然興味ナシって感じだったじゃん」

 

「それはククリさんが『カピバラ麻呂』とお呼びだったからですよ。綾小路と名字をおっしゃっていただければもっと早く彼に気づけていたかもしれませんのに。少し残念です」

 

 有栖はククリから綾小路の話を聞いていた。船上試験で同じグループだった『カピバラ麻呂』そして体育祭で龍園の計画を防ごうとしている可能性の高い人物として。

 

「だってカピバラ麻呂はカピバラ麻呂だもん……そうだ、キャロルは知ってた? カピバラって人間より速く走れるんだよ!」

 

「存じていますが……それがどうかしましたか」

 

「うぐ、そう言われると返しに困る」

 

 しょんぼりとするククリに有栖はクスリと笑った。

 

「綾小路くんの走りは素晴らしかったですね」

 

「うん、本当に。あ、走りといえばキャロルさ。操作したでしょ私の順位」

 

「ちょっとお願いしただけですよ。ククリさんと同じレースの走者には手を抜くようにと。鬼頭くんたちと同じです」

 

 有栖は体育祭で葛城の勢力を削ぎ切るつもりだった。故にAクラスの情報を龍園に流し、さらに3位になるよう当日も得点を調整させた。

 

 競技に参加できず見学だったため暇していた有栖にとって、全生徒の着順等の得点から4クラスの点数を計算するのは簡単なことだ。ある程度であればその先の予測すらできる。

 

 退屈しのぎにククリを勝たせてあげる程度のお遊びは容易いものだった。

 

「いつもの私の速さだったら4,5位くらいなのにさ。みーんな2,3位くらいだったんだもん。事前に参加表を知ってたからその調整もあったとはいえ、たっつーがリンリンに熱中してなきゃバレてたと思う」

 

「龍園くんは堀北さんにお熱でしたね。綾小路くんにも、でしょうか」

 

 有栖は龍園が綾小路と戦う姿を想像して顔をしかめた。その座には自分がつくべきなのだ。有栖の前座だとしても、抜け駆けするのはいただけない。彼の時と有栖の時とでは綾小路が立つステージも異なると理解はしているが、感情は別問題である。

 

「うん、そのうちそうなると思うよ。嫌そうだね、キャロルは」

 

「それはもちろん。綾小路くんを倒すのは私の役目ですから」

 

 白い、真っ白い部屋。ホワイトルーム。それをガラスの外側から見た有栖は、父にそう誓った。彼女はその想いを今なお抱き続けている。綾小路側からはマジックミラーになっていて有栖の姿は見えていなかったとしても、あれはまさしく運命の出会いだったのだ。

 

 有栖と綾小路の関係をよく理解できないククリは首を傾げた。

 

「ホワイトルームってのが何か関係あるの? 病院?」

 

「ふふ、ククリさんにもそれはお答えできません」

 

 そっか、とあっさりと引き下がったククリ。特に興味はないらしい。そのうち忘れそうな勢いですらある。おそらく彼女の今日得た知識としては「カピバラは人間より速い」ということの方がよほど記憶に残るものと思われる。

 

 それでいい。有栖がククリにこの単語を聞かせたのは万が一の時のための保険。それまで彼女がこの話を持ち出すことはないだろう。

 

 ククリは興味ないことへはとことん淡白だ。自分の楽しさのみを追求するという、有栖とも似通った思考を持っている。

 

「ククリさんは彼のことを倒せると思いますか?」

 

「キャロルが、ってこと? なら勝負はわかんないや。頭のいい人のやり取りは理解不能だもん」

 

「ではあなたが、となると?」

 

「うーん、別にカピバラ麻呂のこと敵だと思ってないしなあ。でも、まあ私が今まで壊したいと思って破壊できなかったものはなかったはず。記憶の限りでは」

 

 ククリに敵意はない。悪意もない。単に事実を述べているだけ、それが有栖には心地よい。ククリにとっては有栖だろうが龍園だろうが綾小路だろうが誰であろうと等しく『壊せる』ものなのだろう。

 

 有栖はククリと初めて会った時のことを思い出した。

 

 

 入学してまもない頃。杖をついてのゆっくりな移動しかできない有栖が、教室移動の遅れで遅刻してしまいそうになった時──手を差し伸べたのがククリだった。彼女はなんと有栖をお姫様抱っこして廊下を疾走したのである。その際に有栖が感じたのは羞恥でも感謝でもなく、歓喜。ククリの身体に触った有栖にはわかったのだ、彼女のそれは普通とは全く異なるものであることが。英才教育を受けてきた有栖の周りにはもちろん運動神経の良い人間や武芸に優れた人物がいた。しかし、その誰とも異なる。異質、異常、異端。ククリに触れた有栖はそれを垣間見た。

 

 善意から自分を運んだのだろうか、そう考えた有栖はククリの顔を見てすぐに違うと気づいた。ただ、楽しんでいる。有栖が困っていようといるまいと関係ない。他者への優しさすらも自身の楽しみにするのならば、他者の傷心すらも自身の楽しみとする。なんて利己的で馬鹿げた思想なのだろうか。

 

 有栖は学校の情報と引き換えにククリの過去の話を望んだ。彼女のことをもっと知りたかったのだ。そしてククリはあっさりとそれに応えた。両親の話、小学校、中学校の話。有栖を信用したから話した? ……違う。ただククリにとってどうでもいい、隠すことでもないことだから語っただけ。暇つぶしに行っていた葛城との相反がつまらないことと合わせて、それがどうも有栖には不満だった。何より彼女は有栖のことを『坂柳さん』としか呼んでくれない。

 

 夏休み。先天性心疾患を持ち運動が禁止されているため迷いはしたものの特別試験には参加しないことを決めた有栖は、ククリに手紙を送ることにした。

 

 

【こんにちは。クラスポイントを懸けた最初の試験も終わり、優雅な船旅を楽しんでいることかと思われます。もし2度目の試験の最中でしたらお邪魔して申し訳ないです。たまにはお手紙でもと考え、こうして筆を執らせていただきました。

 今回の試験においては葛城くんと龍園くんが取引を行ったのでしょうね。以前から密会を重ねていたと報告に上がっています。クラスポイントとプライベートポイントの交換あたりが有力候補でしょうか。龍園くんのクラスメイトであるククリさんにとって喜ばしい結果となったことと思います。

 そして、このお手紙を受け取った後、私の駒の一人があなたに接触するでしょう。彼の独断行動ではありますが、ご迷惑おかけすることを先に謝罪させていただきます。優秀な駒ですのであまりいじめないであげてくださいね。

 それでは、ククリさんが学校にお帰りになる日を心待ちにしております。残りの夏休み期間には私とお会いしてくださると嬉しいです。

(追伸)理事長の娘、ということで遠慮なさっているのかもしれませんが、私のこともお好きに呼んでいただいて構いませんよ】

 

 

 無人島試験が終わった後、干支試験の説明直後にこの手紙はククリへときちんと渡されたらしい。2つの特別試験を乗り越えた1年生たちが学校に帰還すると有栖の予想通り、采配通りに葛城が失脚する結果となったものの誤算もあった。一つはククリと同じ兎グループであったため手紙の配達を任された森重という坂柳派の男子生徒が、葛城への反発心から試験で裏切りメールを送って失敗したということ。間接的にとはいえ坂柳からの仕事を与えられたことで慢心してしまったのだろうか。もう一つはククリと接触した橋本が彼女の中学時代の話等を持ち出したこと。橋本にククリの情報を与えたのは有栖だが、いきなり本人に話すというのは想定外だった。

 

 とはいえ別に悪影響があるわけでもない。Aクラスのクラスポイントがいくら減ろうと有栖は気にしないし、ククリも中学の話をされようと気にしていなかったのは確認済みだ。何よりこの手紙の後からククリは有栖を『キャロル』と呼ぶようになった。さらに夏休み明けからは一緒に将棋を始めて、より親しくなることができた。

 

 

 ふふふ、と有栖は笑う。

 

 頭脳と肉体。論理と直感。対照的な才能を持つからこそ、彼女のことを好ましく感じる。

 

「ククリさんは私とは対極の力をお持ちですからね」

 

「そう思いながら監視カメラもない場所で2人きりで会おうとするキャロルはすごいと思うけど……違うか。この特別棟の入口に見張りでもおいてるかな」

 

「正解です」

 

 有栖は事前に山村へ指示を出している。特別棟に神室と綾小路、ククリ以外の人物が入ってきた場合は連絡するように、と。そして有栖があまりにも長時間帰ってこなかった場合には様子を見に来る手はずになっていた。

 

「神室さん?」

 

「いえ、別の方です。真澄さんには綾小路くんを連れて来ていただきましたから」

 

「そかそか。神室さんも大変だねえ。最初の100メートル走で運動神経のいい彼女がコケたのもキャロルの指示でしょ?」

 

「はい。自然な形で順位を落としてほしかったですから」

 

 可愛らしく微笑む有栖に対しククリは疑いの視線を向けた。

 

「面白がってるでしょ、絶対」

 

「真澄さんは揶揄(からか)うと可愛らしい姿を見せることは否定しません」

 

「それはわかる。なんかリンリンにちょっと似てる感じ」

 

 うむうむと頷くククリ。確かにAクラスの神室真澄とDクラスの堀北鈴音はどことなく雰囲気が似ていた。

 

 それから、ククリがきちんと畳んであるハンカチをポケットから取り出す。

 

「そうそう、ハンカチ返すね。でも放課後に会うなら端末でメールとかで呼び出してくれればよかったのに。何でこんな手間のかかることしたん? すれ違いざまに手紙を包んだハンカチ落として拾わせるなんて」

 

 100メートル走の際、有栖は神室に「軽くコケてください」という指示の他にもう一つ。ククリに【今日の5時15分、特別棟3階】と書いたメモを渡す役目を与えていた。メモを包んだハンカチを彼女の前でさり気なく落とす、という古典的なやり方で。

 

「ククリさんのことですからこういうスパイごっこ、好きだと思いまして」

 

「うん、それはそう。ありがとう、楽しかった」

 

 にぱーっと明るい笑顔になるククリに、有栖もそれなら良かったと薄く笑みを浮かべた。

 

「最後のリレーを見て綾小路くんと話したくなってしまい真澄さんを使って呼び出したので、ククリさんと会う時間は変更していただこうかとも思いましたが……あなたの運を、試させていただきました」

 

 綾小路と会うのは5時前後。ククリとは5時15分の約束。ククリが特別棟に早く来て綾小路と遭遇するかしないか、微妙な時間だった。

 

「あれ、じゃあ私は運が良かったのかな。悪かったのかな」

 

「ふふ、どちらでしょうね」

 

「こ、怖いなあ」

 

 おどけた口調で話すククリはぶるりと震えた仕草を見せると、話題を変えたいらしくのんびり口を開いた。

 

「まあ天才についての話は興味深く聞かせてもらったけどさ。ロックなんかはDNAなのかな、やっぱし」

 

「高円寺くんですか。彼についてはわからないことも多いですが、そうですね。いつかは彼のことも確かめてみたいものです」

 

「キャロルとの相性悪そうだけどね、あの人。上級生を敬うこともしてなさそうだし……そうだ、生徒会の話を教えてくれてありがとうね。なんか入れそうな感じになった!」

 

「堀北生徒会長のお眼鏡に(かな)ったのですか。それは私としても嬉しいです」

 

 有栖がククリに生徒会のことを話したのはそのほうがお互い楽しめそうだったからだが、無事に事が運んだらしい。もし、彼女が生徒会長となったら。学校はどのように変わるのだろうか。

 

 綾小路と再会する前の有栖にとっては、デスゲームを願うククリといずれ戦うことだけが楽しみになっていた。しかしその点においては今の有栖の心境は異なる。

 

「でもキャロルのことバレてそうだった。ごめん」

 

「なかなかですね、あの方も」

 

「うん、麻呂君のことも目をかけてるっぽかった。だから今日もリレーで勝負してたんだろうし」

 

「他学年でなければ彼と遊ぶのも楽しめたかもしれませんね。そう考えると綾小路くんと同学年で私は幸運でした」

 

 堀北生徒会長に勝負を挑みたい南雲副生徒会長だが、学年が異なるということであまり満足のいく戦いになっていないようだった。同学年でなければ基本的に特別試験で直接対決することもできない以上、当然といえば当然だろう。

 

「私は私は?」

 

「もちろん、ククリさんと同学年であることも喜ばしいことですよ。けれどあなたと私では才能の方向性が異なりますから。戦いたい、となると申し訳ないことに綾小路くんが優先になってしまうのです」

 

「むー、まあ確かに得意分野がまるっきり違うかあ。でもそうね、そう考えると麻呂君とロックと似たタイプなのかもな。万能選手って感じで。性格はかなーり違うけど」

 

「どうでしょうかね。それを調べるのも楽しめそうです」

 

「じゃあDクラスに攻撃仕掛けるの?」

 

「いいえ。元々彼とはこの3年間、会えないつもりでしたから。偶然出会えたことを喜びつつゆっくりと戦いの場を整えようかと。簡単に競い合いが成立してしまえば価値が薄れてしまいますし。その時までは龍園くんと遊ぶのもやぶさかでないのですが……」

 

 そうすれば龍園の目を綾小路から逸らせるので一石二鳥になる。加えて、有栖は龍園から奪いたいものができたのだ。

 

「ククリさん。誕生日祝いがメッセージのみになっていたことですし、遅くなりましたが一つ差し上げたいものがあるのです」

 

「およ、別にいいのに……」

 

 9月9日。有栖はククリにメッセージを送ったが、プレゼントは渡さなかった。しかし綾小路と再会したことでククリへおよそ一ヶ月遅れのプレゼントをしたくなったのである。

 

「2000万ポイントを差し上げます。ですからAクラスに来ませんか?」

 

「え!?」

 

 ククリと敵対するのではなく、味方に取り込む。全力の綾小路と戦うにはそれが必要だと有栖は判断した。頭脳面では有栖が、肉体面ではククリがその実力を測る。有栖は綾小路の才能を引き出せるだけ引き出したい。本物の『天才』であるのか見極めたい。

 

「ポイントを使ってのクラス移動においては他人が強制的に命じるのではなく、あくまでも当人が自発的に自己資金で任意のクラスへ移動すると宣言しなければいけません」

 

 2000万もの大金を好きに使った場合、詐欺の疑いがかけられる。故に持ち逃げ等を封じる契約書は必要ない。

 

「2000万ポイントを移譲する旨の契約書を用意しました。ククリさんがサインさえしてくださればいつでも私のクラスに迎え入れる準備はできています」

 

 この学校の生徒ならば誰だって欲するチケットだろう。しかしククリは迷っていた。うーん、と考え込んでいる。彼女はAクラスへ行きたいとの意欲が特になかった。行かない理由はないが、行く理由も見当たらない。

 

「お返事はいつでも結構です。ただし、私が退学した際には無効になるよう定めているので、その点注意してください。その場合でも私の手持ちのポイントはククリさんにお渡しできるようにしますが……」

 

 代わりにちょっとしたお願いを、と言いかけたところで有栖は口を閉じた。その時になってから話せばいいことだ。ククリに契約書を手渡す。

 

「ありがとう。でも、これ私がサインするしないでキャロルがたっつーに攻撃するか決まっちゃう?」

 

「いえ、ゲームの途中で割り込むのは無粋ですから。きちんと終了まではお待ちしますよ」

 

 本当かなー、と懐疑的な呟きを漏らすククリに有栖は笑みを深めた。

 

 有栖は龍園と綾小路のせめぎ合いに手を出すつもりはない。少なくとも、今のところは。

 

 

 

 §§§

 

 

 

 

「坂柳有栖、か」

 

 特別棟から立ち去った綾小路は考えていた。何故彼女が己の過去を知っているのか。何故彼女はそれを自分にわざわざ話したのか。何故彼女は京楽菊理に会話を聞かせたのか。

 

 綾小路にとって『ホワイトルーム』とは絶対に知られてはならない、というものではない。そもそもあの人道に反した施設に関しての情報が広まって困るのは綾小路ではない以上、彼個人の負うリスクにはならないのだ。いくら検索しようと一片たりとも情報が落とされない場所の名前を知ったところでほとんどの人間は何も出来やしないだろう。たとえ「綾小路はホワイトルームの教育機関で育てられた」という真実が明かされようと、リアクションがなければそんな面白みもない噂は忘れ去られるだけだ。ただ、多少の混乱を生むことは避けられない。己の平穏な学校生活に支障が出ることは綾小路にとって危惧すべきことだ。

 

「ククリは龍園ではなく坂柳側の人間」

 

 それが最も説明がつく仮説だった。Aクラスの坂柳が「今日の体育祭も勘定に入れましょう」と体育祭での龍園と綾小路のせめぎ合いを知っているような口ぶりだったのは、ククリが話したのだろう。その前に「あなたのことを多少はお聞きしていました」と言っていたことからして、今までの綾小路の行動の報告もある程度されていたものと思われる。

 

 それであれば坂柳はどうして今になって接触してきたのかという疑問も出てきたが、まあ大した問題ではない。重要なのは坂柳が綾小路の過去を知っていること。そして坂柳とククリが繋がっているということ。この2点だ。

 

「京楽菊理……」

 

 周囲からの評価は一之瀬帆波、櫛田桔梗の同類。クラスメイト全員に対してコントロールするためのシミュレーションを行っている綾小路は当然のごとく友人である彼女に対しても同様のことを考え、同じく制御下におけるとの結論を出し──しかしそれは無人島試験で覆された。砂浜でコケたククリを支えるべくその肢体に触れた綾小路は、脳内で高円寺と同じ制御不可能のカテゴリに彼女を移動させたのである。だからといって綾小路の態度が変わることもなかったのだが。

 

 そして。綾小路が真鍋たちを脅迫し体育祭の作戦会議の録音を入手した際、彼はファイルの1つに違和感を覚えた。

 

 クラス全体での話し合いではなく、龍園とククリ、金田、椎名の4人で行われていたそれを真鍋たちが録音できたかと考えると、可能ではあるものの難しいと言わざるを得ない。録音の感じからしてもククリの手によるものであると察しはついた。彼女は非常階段での軽井沢そして真鍋たち、幸村、綾小路のやり取りを目撃している。あれ以降様子がおかしい真鍋たちを見て問い詰めたりでもしたのだろう。

 

 綾小路としてはいずれは龍園に自身の正体までたどり着いてもらい、叩き潰す予定である。それ故にそもそも真鍋たちが体育祭前のスパイ活動に失敗する可能性も想定していたし、ククリがどう動こうと問題なかった。

 

 今回の体育祭の顛末からして真鍋たちもククリも綾小路による脅迫に関して龍園に何も告げていないのであろう。だが龍園も馬鹿ではない。すぐに真鍋たちのスパイ活動に気づき吐かせるに違いない。

 

 坂柳寄りであるククリは龍園に綾小路のことを告げたりはしないと見ていい。一応後日、ククリがどちら側の立場なのか遠回しに確認するか、と綾小路は思案した。

 

「しかし──」

 

 気になるのは夏休みの出来事。トランプ占いで綾小路の過去を空白としたのは意図的なものであり、警告か何かだったのか。その時のことを思い返した綾小路は首を振った。

 

 あの近距離でククリがイカサマをしていれば綾小路は間違いなく気づける。しかし彼女は普通にトランプを切っているだけだった。それに予備カードが出てきた時の驚きも本物。何ら不自然な様子もなかったのだから、ただのアクシデントだったのだろう。

 

「事実は小説より奇なり、か」

 

 ほんの、少し。綾小路は口角を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(言葉の意味は難しい)

 

「どうしたの、椎名。難しい顔をして」

 

「伊吹さん……実は、ククリちゃんのことでちょっと悩んでることがありまして……」

 

「ケンカでもしたわけ?」

 

「まさか。ただ、ククリちゃんの龍園くんへの物言いで気になる点があるのです」

 

「『たっつー』とか呼んでるって話? かなり今更だと思うんだけど」

 

「はい。そうではなく、龍園くんについて『悪運が強い』と何度か口にしていましたよね?」

 

「ん、聞いた覚えはあるわね」

 

「この『悪運』とは、不運なこと、もしくは悪事を働いてもその罰を受けることなく逆に栄えてしまうような運という意味なんです。ククリちゃんは後者のニュアンスで使用しているのだと思いますが、時々単に『龍園くんという悪人の運が良い』という風にも聞こえてしまって」

 

「……龍園が悪人って今、さらっと言ったのに驚かされた。意外と椎名って優しげな顔して辛辣な時は辛辣よね」

 

「悪いことをしていない時の龍園くんの運が良い場合、『悪運が強い』と言うのは厳密には間違ってるのでは、と思ってしまうのです。困りものですね」

 

「まあ龍園はたいてい何か企んでるし、それに『運が良い』って手放しに褒めるのはムカつくからじゃない? あいつをあんま称賛したくはない気持ちは分かる」

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