ようこそ享楽至上主義の教室へ【特殊タグ無し版】   作:アネモネ

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強い人間は自分の運命を嘆かない。

 追加試験発表の、次の日。桃の節句ではあるものの、雛人形を飾るといったこともなく寮のロビーはいつも通りだった。櫛田はそれを少しばかり寂しく思いつつ、のんびりと玄関へと歩く。

 

 前日から、Dクラス以外の各クラスの様子は落ち着いたものだった。2クラスは既に退学者を決めているため。そして1クラスは一之瀬が「試験前日の放課後まで仲良く、普通に生活してほしい」と伝えたためである。

 

 情報網の広い櫛田はそれら他クラスの落ち着いた様子を聞いて素直に楽そうで羨ましいと感じていた。自分が退学者になる可能性はゼロに等しく、またプロテクトポイントは平田あたりに獲得してもらいたいが、誰が退学者となるかに関してDクラスは全く決めようがないのだ。各自好き勝手に誰を退学にすべき、誰ならば退学になっても仕方ないということを話している状態になってしまっている。

 

 もちろん櫛田としては堀北に退学してほしい。しかしそんな呼びかけをすることは自分の首を絞めることに繋がりかねない。なので中立を貫こうとする櫛田だったが、早朝に山内に呼び出されたことによってそれは変更せざるを得なかった。自分の退学を防ぐため、綾小路を退学させる呼びかけの仲介役になって欲しいと言われたのだ。

 

 彼の惨めな泣き落としには全く心動かされなかったものの、その頼みを断ることはできなかった。昨日、Aクラスの生徒から「坂柳が山内を操ってDクラスに何かしようとしている」と教えられたのだ。山内ごときはどうとでもなるが、その背後に立つ坂柳を敵に回すことは避けたかった。

 

 よって櫛田は綾小路の退学に加担することを決めた。綾小路とは2月から協力関係にあるが、山内の手助けという形なら敵対行動にはあたらないと判断してのことだ。

 

 2月14日、バレンタインの夜。櫛田を呼び出した綾小路はある話をした。それはプライベートポイントの提供で結ばれる協定。綾小路に対して櫛田が敵対しない代わりに、綾小路は今後入ってくるプライベートポイントの半分を櫛田に差し出すという契約。船上試験で優待者として100万ポイントを得た櫛田にとってプライベートポイントは別に必要ないものであったが、綾小路が自分を脅威と思って勝手に貢ぐならそれで構わないかと了承。きちんと証拠の録音データも残してある。抜かりはない。

 

 櫛田は綾小路を警戒しているが、自分に害を及ぼすことはないだろうとたかをくくっている部分もあった。場の空気だったり、相手の考えていることだったり、そういったのを読むことには自信があるのだ。

 

 入学して少し経ってから、彼女がそのストレスを暴言として吐き出したのを綾小路が目撃してしまった時。櫛田は自らの胸に綾小路の手を押し当て、制服にベッタリと指紋を残した。きちんとそのブレザーは洗わずに保管してあるため、綾小路が何かしようとすれば「私と付き合いたくて必死に迫って来ていた」とか「暗がりで、嫌がる私の胸を触った」とか主張すれば綾小路は窮地に陥る。裏切ることはできないだろう。

 

 堀北ほどではないにしろ、綾小路の退学も櫛田にとっては歓迎すべきこと。櫛田がその人脈と求心力を使えばDクラスの過半数以上に綾小路への批判票を入れさせることができる。

 

 クラスの方向性が固まることでみんな安心できるに違いない。櫛田はにこやかな笑みを浮かべた。

 

 誰をいつ引き込んでいくかは既に山内から伝えられている。彼は必死に隠そうとしているが、その指示の的確さからも坂柳がバックについていることは明白だった。

 

 首謀者である山内の存在を口外せず、自身のイメージも壊さずに皆を扇動しなければいけない。教室についたらまずどうするか考えながら寮を出ると、見覚えのある後ろ姿が目に入った。

 

「おはよー、ククリちゃんっ」

 

「桔梗ちゃん。おはよう!」

 

 退学者として名乗り出たにしてはいつも通りすぎる元気な様子のククリだが、退学指名をされたAクラスの葛城もひどく落ち着いていた。それを思うとそうおかしいことでもないか、と櫛田は考える。

 

「学校までご一緒してもいいかな?」

 

「もちろんだよ」

 

 笑顔のククリからは、何の悪感情も感じない。自身の二面性や、あの一之瀬ですら万引きという過去を持っていたことを考えると彼女にも何かしらの秘密があってもおかしくないものだが、櫛田ですら特に聞いた覚えがなかった。他クラスとなるとそこまで情報を持っていないことが原因なのかもしれないし、本当に裏表ない性格なのかもしれない。彼女に秘密を打ち明けてもらえるほどの仲にはまだなることができていない以上、その内心は不明だ。

 

 櫛田桔梗にとって、京楽菊理はどちらかといえば好ましい部類に属する。勉強も運動も櫛田以下であるし、人望に関しても教師からの評価はともかく同級生からのものでは櫛田に軍配が上がる。龍園に関する情報が手に入ることもあり、付き合っていて損はない人間だった。

 

 龍園、という単語にそういえばと櫛田は思い出す。昨日からククリが退学に立候補した要因として「龍園を、クラスを裏切ったことがあるからだ」という噂が出ていたのだ。あの龍園を裏切るというのは他クラスにとってはむしろ善行のように聞こえるが、真実であるならば退学しようと決意したのも頷ける。

 

 今本人に直接問いただしてみたい気持ちも湧いたものの、自身もクラスを裏切ったことがある櫛田は(やぶ)をつついて蛇を出すのも嫌だとやめておくことにした。

 

「もし良ければ放課後に遊んだり、とかどうかな?」

 

 退学する彼女に対し、寄り添って優しく遊んであげる様子は『櫛田桔梗』のイメージ通りだろう。そんな提案にククリは少し迷ってから頷いた。他の生徒との約束もあるのかもしれない。

 

 いつ、どこでと詳細を詰めていると、ククリは鞄から紙とペン、それに紙の下敷きに本を取り出していた。サラサラとメモする彼女に櫛田はその話題を振ってみる。

 

「何か本、読んでるの?」

 

「ああ、これ? うん、マザーグース……って言ってわかるかな」

 

「ロンドン橋落ちた、とかイギリスの童謡だっけ」

 

「そうそう。ちょっと怖いけど何か面白くて好きで」

 

 ククリと仲の良い椎名が本好きだからか、彼女も図書室で本をよく読んでいたりする。教室で小難しそうな本を偉そうに読んでいる堀北を連想してしまった櫛田は少し苦い気持ちになった。

 

「特にここに出てくるハンプティ・ダンプティが好きなんだよね。何かほら、鏡の国のアリスとかにも出てくるんだけどさ」

 

 卵に細い手足が生えたような感じのキャラクター、と言われれば櫛田にも思い浮かぶものがあった。

 

 好きだと言っていただけあって暗記しているのか、ククリは軽く空を見上げながら吟じる。

 

「ハンプティ・ダンプティが塀に座った

 ハンプティ・ダンプティは落っこちて

 王様の馬と家来たちが頑張ったけど

 ハンプティはもう元には戻らない」

 

 ロンドン橋落ちた、のほうも人柱のことを指す部分があるという話がある。マザーグースらしくどことなく不気味な感じのする童謡だった。

 

「4行だけしか出てこないのに大人気のキャラだよねえ」

 

 にこにこと能天気に笑うククリを見て、櫛田はふと思った。

 

 もし、もし。退学が決まったその瞬間も彼女が笑っているとしたら。申し訳ないことだがどこか不気味に感じてしまうに違いない。

 

 壊れた卵は元には戻らない。ならば彼女が壊すものは? 

 

「ククリちゃんは────」

 

 ん?と不思議そうな顔で見つめられる。沈黙が落ち、白い吐息だけが漏れた。

 

 ただでさえ山内のことで忙しいのだ。深入りしても、得はない。

 

「ううん、ごめんねっ。何でもないや」

 

 ゆっくりと校舎へ足を進める。

 

 ぐしゃり、と何かを踏み潰す音がした。

 

 

 

 

 §

 

 

 

 

「聞け」

 

 どかりと教卓に腰かけた龍園の言葉に、みな一斉に前を向いた。

 

 ひよりも本から目を離して朝の読書タイムを中断する。

 

「昨日からコソコソやってるヤツもいるみてえだが、言っておく。俺は一切投票権を与える気はない」

 

 唐突な暴君の宣告に教室がにわかにざわつく。

 

「当日、投票まで時間がある。その際に俺が一人ひとりに指示を出す。賞賛票、批判票全てだ。おまえらは言われた通りに書きゃいいだけのこと。簡単すぎて欠伸が出るくらいだろ?」

 

 票の完全なコントロールを行うということだ。これについて昨日のカラオケでひよりは金田と龍園と話し合っていたため、特に意外性はない。

 

 他クラスの賞賛票の行方がわかった、というのは昨日の大きな収穫だった。ある人に他クラスから40票の賞賛票が入ってしまうと、たとえその人に批判票39票が入っていても差し引きプラスになり退学を回避できる。またクラスからの賞賛票を39票集めている人がいた場合でも、他クラスから40票の賞賛票を得た人がいるとそちらがプロテクトポイントを獲得してしまう。

 

 龍園の予想ではAクラスはDクラスに賞賛票を、そしてCクラスはククリに賞賛票を投じることになるらしい。残るDクラスは退学者決めに揉めている以上、他クラスへの賞賛票のコントロールにまで手が及ぶ可能性が低いと考えられる。そうなるとこのクラスの得票数を龍園がほぼ完璧に支配できる状態となっていた。

 

「指示を出すって……?」

 

 不安そうな声に答えたのは龍園でなく金田。クラスの参謀として説明を始める。

 

「詳しくは当日に話しますが、やり方は単純です。批判票と賞賛票を集める人を決め、その名前は当人以外の全員が書く。あとの2票は賞賛と批判で打ち消し合うように記入してもらいます」

 

 同一人物を複数回記入することはできないため、賞賛票と批判票の両方に同じ人物の名前を書くこともできない。そのためたとえば賞賛票を「龍園、伊吹、真鍋」の3人、批判票を「伊吹、真鍋、京楽」の3人に投じるということは不可能。

 

 やるならば、ある人は賞賛票を「龍園、石崎、近藤」と批判票を「伊吹、真鍋、京楽」に、ある人は賞賛票を「龍園、伊吹、真鍋」と批判票を「石崎、近藤、京楽」にという形にして打ち消さなければならないのだ。よってクラス全体で調整する必要がある、という金田の話にみな納得の雰囲気になっていた。

 

「それで、肝心の票の集め先はどうなるんだよ」

 

「批判票はククリさん。賞賛票についてはこのクラス、他クラスともに検討中ですので当日になってからお伝えします」

 

 プロテクトポイントは龍園が持つべきというのが金田の意見だったが、龍園自身はあまり乗り気ではないようだった。自分が試験で敗北して退学処分となることは有り得ないという自信から、別の人物に与えて自爆じみた使い方をさせたいらしい。

 

 これから先の特別試験がどのようなものになるのか不明なため、ひよりとしてはどちらでもいいと思っている。もちろん万が一にも龍園が退学なんてことになってしまえばクラスが立ち行かなくなることはわかりきっているものの、補完する案を他でもない龍園が出しているのだから。

 

 葛城のクラス移籍。それが叶えば、龍園が消えた時の代わりのリーダーが誕生するだろう。そして交渉事に長けた龍園のことだ。夏休みに無人島で契約を締結させた時のように、言葉巧みに引き込んでいくに違いない。少なくともひよりはそう確信している。

 

 他クラスへの賞賛票をどう使うかについては、龍園の中ではある程度決まっているらしいものの口にしてはくれなかった。とはいえできることは限られる。

 

 まず一之瀬のクラスについては、彼女は自クラスはもちろんのことDクラスからも賞賛票が入れられる可能性が高いためどうあがいても首位になること確実であるし、退学者が出ても2000万ポイントで救済する。よって何か仕掛けようとしても無理だ。

 

 Aクラスのことを考えると、坂柳、戸塚、葛城以外の適当な生徒に40票投じればその人物にプロテクトポイントが渡る可能性が出てくる。しかしAクラスの生徒は皆優秀だ。誰が所持してもきちんと活用してくるだろうし、プロテクトポイントを得てはまずい生徒に関してはそこへ何票か批判票を投じておくよう坂柳も指示しているだろう。彼女との読み合いの勝負になる。

 

 Dクラスは、わからない。誰が首位で誰が最下位になるか。首位ならば順当に行けば平田だとは思うが、それも絶対ではない。ひより個人としては、自分と同じくらい筆記試験の成績が良い(みーちゃん)の退学はまずないことから綾小路に1票を投じたいところだが、クラスの方針が優先だろう。

 

「それでは、他に何か質問があれば僕に言ってください」

 

 そう、金田が話を締め括ると。教室はまたいつもの調子を取り戻した。

 

 ただ、やはりどこかギクシャクした様子は残っている。たとえば石崎。彼はククリの退学に納得がいかないらしく何度も彼女に考え直すよう呼びかけている。

 

 ひよりとしても彼女の退学は望ましくない。大切な友達を失いたくないという感情面からも、クラスにはもっと他に排除すべき人間がいるという計算からも、それは確実に言える。

 

 ククリが何を考えているのか、正確なところはわからない。しかし坂柳や一之瀬、そして自クラスにも関心がなさそうなところから見るにDクラスが目当てではないかと推測できる。まあそもそも投票先のことで揉めてるのはDクラスのみ。自明の理だ。

 

 そして彼女自身に退学する気があるのか、というと全くないだろう。だって昨日、ククリは。皆の前で自分に批判票を集めろとは言ったものの、『退学する』なんてことは一言も述べていないのだから。

 

「ククリちゃん」

 

 色よい返事をもらえなかったらしい石崎がすごすごと退散するのを見届けてから、ひよりはククリのもとへと向かった。

 

 彼女の隣の席に座る伊吹は冷静な様子。ククリのことを諦めている、というよりは信じているように感じたひよりはほっとする。

 

「何かな、ひよりん」

 

「あの、昨日は色々な方に会いに行っていたそうですが……」

 

 ケヤキモールにいる従業員であったり、そこで遊んでいる生徒であったり、寮のロビーにいる同級生などと話していたという。ククリに退学する気がない以上、それは思い出づくりなんかが理由ではない。ならばなぜ、と考えると。

 

 ひよりはククリの耳元で囁いた。

 

「カモフラージュ、ですか?」

 

 木の葉を隠すなら森の中。誰か特定の人に会うことを隠したいなら、コソコソするよりも様々な人に会った上でそのうちの1人ということにしてしまえばいい。

 

「……ひよりんには敵わないなあ。うん、実はね。ちょっと前から気になってた人がいるんだよ」

 

 ふわりと微笑む彼女の姿に、なぜだかチクリと胸が少し痛むような気がした。

 

 彼女のお目当てはおそらくDクラス。そこで気になる生徒、というと。

 

「綾小路、くん……?」

 

「へ? 違う違う」

 

 おそるおそる呟いた言葉はあっさりと否定される。嘘ではなさそうなその口ぶりに、ひよりは思わず安堵の息を漏らした。

 

「んー、ま、後のお楽しみってとこかな。心配はいらないから、クラスのことに注力しててくれると嬉しいかも」

 

 ククリが退学しないということは別の人物を退学させなければいけないということ。

 

 能力や貢献度等々から金田と龍園が選出しようとしているのを、ひよりは止める気がなかった。クラスから、学年から退学者が出るのは辛いことだが、割り切る必要があると理解しているのだ。

 

 クラスの勝利。それを、ひよりは優先させる。それこそが最もクラスのためになると理解してしまっているから。龍園の使う非情な手段も黙認する。もちろん、できる限り平和的な形にする努力は怠らないけれど。

 

 今回の特別試験ではどの人材を切り捨てるかが肝。2000万ポイントでの救済ははっきり言って悪手だ。

 

 誰を、切り捨てるのか。そのうちひよりも意見を求められるだろう。投票日は明々後日(しあさって)。あまり猶予はない。

 

「頑張ってね、ひよりん」

 

 そっと頬を撫でられる。彼女の手はひんやりとしていて、それでもどこか温かかった。

 

 

 

 

 §§§

 

 

 

 

「でも、よかった〜。一之瀬さんが元気になってくれて。今回の試験、すごーく心配してたのよ」

 

 放課後。そう話してくれる担任の星之宮に、一之瀬は笑顔でお礼を言った。

 

 この学校には本来存在しないのだが、一之瀬たちのクラスは独自に学級委員を設置している。委員長はもちろん一之瀬。満場一致だった。形式上は副委員長と書記も決めているものの、こちらはあまり機能させたことはない。

 

 今日もその学級委員長としての仕事で教室に残っていた一之瀬は、彼女からの指摘どおり昨日よりもだいぶ晴れ晴れした気分になっていた。

 

「やっぱり恋のパワー? 同じ寮で男女が暮らしてるなんてとっても恋愛しやすい環境よね」

 

 星之宮は生徒との距離がかなり近いタイプの教師だ。その明るい性格により男子生徒女子生徒の両方から親しまれている。ただ、気楽に、フレンドリーに接していると言えば聞こえはいいが、教え子たちからだらしない大人と思われているのもまた事実だった。なにせ二日酔いのせいでHR中にリバースしたことすらあるのだ。それも何回か。こんな大人にはならないようにしよう、という反面教師と化している部分があるのは一之瀬も否定できない。

 

「学生時代には青春すべき! 今のうちに恋愛しておかなくちゃいつか後悔しちゃうわよねー。今年はカップルが少なくて寂しいと思ってたのよ」

 

 一之瀬がどう受け答えすべきか悩んでいるうちに、星之宮の中ではどんどん話が進んでいるようだった。キラキラと目を輝かせてかなりエキサイトしてきている。

 

「ね、ね、クラスの子? それとも〜、他クラスだったりする? しちゃう?」

 

 他クラスの、男子。何故か綾小路のことが思い浮かんでしまった一之瀬は、慌てて首を横に振った。

 

 綾小路清隆。Dクラスの、顔立ちは整っているけど目立たない生徒。

 

 クラスメイトの白波からラブレターをもらったため、偽の恋人役を頼んだ時。ちゃんと向き合うべきだと厳しくも優しく諭された。おかげで彼女とは今まで通りの関係を続けられている。

 

 Dクラスの暴力事件の時。クラスメイトを救うために頑張っている姿と、あと元陸上部の一之瀬を驚かせる俊足を見せつけられた。

 

 船上試験では、色々と考えていた一之瀬はつい眠ってしまったようで、その間に兎部屋へ来ていてびっくりした。寝顔を見られていたとしたら恥ずかしい。自分が竜グループでなく兎グループに配属されたのも、彼がいたからという理由があるんじゃないかと思っている。

 

 体育祭にて、一之瀬は彼の成績を密かに記憶していた。残していた結果は可もなく不可もなくだったけど、あの堀北元生徒会長とリレーで好勝負を繰り広げていたのだ。やはり彼の身体能力はかなり高いものと見ておくべきだろう。

 

 そして。秘密にしていた過去を広められてしまい。犯罪者だと自分を責め、苦しみのあまり自室に籠もっていた一之瀬のもとに。何度も、何度も訪れて。手を、差し伸べてくれた。

 

 バレンタインにチョコをあげた時。なんだか少しドキドキしてしまった。今朝もそう。寮の少し外、自動販売機の陰で待ち伏せしていた自分の呼びかけに応じて振り返った彼を見て、思わず固まってしまった。いつもと違って何を話せばいいのか分からなくて、でも何かを話したくて。

 

 とても頭が良いようなのに、それを隠しているっぽくて。ライバルである他クラスの生徒なのに、弱っている時は傍にいてくれて。そんな、いつも絶妙な位置にいる不思議な男の子。一之瀬が大量のポイントを保有していることを知っている限られた存在の一人で、クラスメイトの誰かが漏らしたんじゃなければあるいは、と思ったこともある。だけど、だけど────

 

「ち、違いますよ。先生の早合点です、誤解です!」

 

 正確には、ポイントを借りるには南雲と付き合わなければいけないという条件に悩まされていたため、恋愛沙汰というのは全くの間違いというわけでもない。しかしそれを言う気にはなれなかった。

 

「えー、な~んか怪しいなあ。いいじゃない、クラスをまたいでの大恋愛。そこに生まれる苦悩、葛藤、そしてドラマ! 『ああ、ロミオ、あなたはどうしてロミオなの?』って感じね。まさにロミジュリよロミジュリ」

 

 大仰な仕草で謎の演劇が差し込まれる。わりと様になっているのがまた何ともコメントしづらい。

 

「まあ、真面目な話をするとそういう当たり前の関係が複雑に絡み合えばより競争が激化するでしょ? 私にもそれに近い経験があるのよねー」

 

「先生に、ですか?」

 

 この学年の担任である星之宮、茶柱、真嶋の3人はこの学校の卒業生であり、同級生だったと聞く。何かあったのだろうか、と考える一之瀬に星之宮はいつもとは違い大人っぽく妖艶に笑った。

 

「私って言うよりサエちゃんの問題だったけど……んー、これ以上はナ・イ・ショ」

 

 茶柱佐枝(さえ)、そして星之宮知恵(ちえ)。彼女たちは下の名前で呼び合う仲らしいが、時々今のようにピリッとした空気を漂わせることがある。その原因は何なのか。気にならないわけではない。でも一之瀬はその疑問をそっと胸にしまっておくことにした。

 

「と、ともかく、このあと約束があるので失礼しますね」

 

 あたふたと鞄を持って立ち上がる一之瀬に、星之宮はにやにやとそれはそれはいい笑顔を浮かべる。

 

「どんな男の子との約束かしら?」

 

「会うのは、女の子ですから!」

 

「わかってるって〜」

 

 絶対にわかってない。そう思いつつも、一之瀬は教室を後にした。

 

 

 寮に戻り、自室で着替えてからある部屋へと向かう。

 

「お邪魔しまーす」

 

「ようこそ、一之瀬さん」

 

 扉を開けてくれた神室に軽く会釈して進むと、部屋の主である坂柳は優雅に椅子に腰かけつつも迎えてくれた。

 

「何か飲み物はいかがですか?」

 

「ありがとう、お気持ちだけいただくね」

 

「わかりました。それではさっそく本題に入りましょうか」

 

 一之瀬がこうして坂柳のもとに来た理由。それは、今朝彼女からメールが届いたことであった。

 

 内容は、どこから聞きつけたのか南雲生徒会長とほぼ同じ取引。クラス全員のポイントをかき集めても2000万には足りない。その不足分のポイントを無利子、3ヶ月以内の返済で貸してくれる、という話。

 

 南雲の場合は一之瀬との交際が条件だったが、坂柳の場合はクラスの持つ賞賛票。その文章を目にした一之瀬はクラス全員に相談した。他クラス用の賞賛票を、自分に預けてくれないかと。みな理由も聞かず一之瀬を信じると、そう言って彼女の指示する投票先への投票に同意してくれた。

 

 となると、残るハードルは一つ。

 

「40票の賞賛票の投票先、それを聞いてもいい?」

 

「ええ、もちろんです」

 

 坂柳が票を何のために、どのように利用しようとしているのか。それを見極めなければならない。

 

「あなた方にはククリさんへ賞賛票を入れていただきたいのです」

 

「えっ?」

 

 意外な言葉に一之瀬は驚かされた。坂柳のことだからもっと何か攻撃的に使うとばかり思っていたのである。

 

 もしどう足掻いても2000万ポイントに足りず、クラスから退学者を出すことを余儀なくされた場合のため。一之瀬は2つのプランを考えていた。

 

 1つは自分が辞めるという選択。しかしこの実力主義の学校の生徒として最後まで戦い抜きたい意思がある一之瀬は、何だか違うような、それでは駄目なような気もしていた。

 

 2つ目は、くじ引き。当日までに退学回避の手段を確保できなければ、批判票にはハズレを引いた3人の名前を書く。賞賛票の行方は個々人が選ぶということでクラス全員が納得してくれていた。

 

 ククリが退学者として名乗りをあげたことは一之瀬の耳にも届いている。同じ生徒会役員としての付き合いもあるだけにとても残念なことではあるものの、彼女の選んだ道を尊重したい気持ちであるが故に口出しするつもりはなかった。

 

「それって、ククリちゃんの退学を勝手に止めるってことだよね……」

 

「はい、そうなりますね。加えて、お伝えし忘れていましたが一之瀬さんにはもう一つお願いがありまして」

 

 お願いと聞き身構える一之瀬に、坂柳は笑顔で告げた。

 

「生徒会長職を彼女に譲ってほしいのです。まだ先のことではありますが」

 

「生徒会長を、かあ」

 

 ククリを生徒会長にしたい。だから退学させたくない。一応、筋の通った話だ。

 

 学年で生徒会役員は2人のみ。一之瀬が降りれば、自動的にククリが生徒会長に就任することとなる。

 

「お悩みのようですね。ああ、申し上げておきますと別にククリさんを通じて学校を牛耳ろうなどとは考えていませんので、ご安心ください」

 

「あはは、大丈夫。そんなことは疑ってないよ。だってそうしたいなら坂柳さん自身が生徒会に入ればいい話だもんね」

 

 坂柳でなく他のAクラスの生徒でもいい。来る者拒まずの南雲なら誰だって受け入れるだろう。

 

「でしたら歴代の生徒会長は皆、必ずAクラスで卒業しているということを気にされているのでしょうか」

 

「うん、それはちょっとあるかな。願掛けみたいなものだけど。でもそれだけじゃなくて、南雲生徒会長の後を継ぎたいっていうのが大きいよ」

 

 南雲が何をしようと、一之瀬は自身を生徒会に引き入れてくれた彼に抱く感謝を忘れない。人を恨む、という気持ちが一之瀬には存在しないと言ってもいい。

 

 生徒会で頑張ることで、南雲への恩返しをする。そのために生徒会長になりたい。

 

「では、彼とのお付き合いを受け入れるのでしょうか」

 

 その問いに、一之瀬は答えることができなかった。南雲に対する恋愛感情はないのだ。

 

 たとえ南雲が一之瀬を好いてくれていたとしても、それは一方通行。しかし一度付き合ってしまえば自分から別れるなどとは言い出せない。自分が、我慢すべきなのか。そもそも好きでもないのに付き合うのは南雲に対して失礼ではないのか。交際していれば、そのうち恋愛感情も芽生えるものなのか。でも、それは果たして自然な気持ちと言えるのか。

 

 一之瀬は、昔から自分のことになるといまいちすぐに決めきれないところがある。どっちの映画を観るかとか、自販機で何を買うか、はたまたカフェに入ってどれを頼むかなんてのを自分1人の時はすごく悩んでしまうのだ。今もそう。考え込む一之瀬を急かすように坂柳が契約書を突きつけた。内容は、先程から話している通りのもの。特に小細工があったり罠になっていたりということはなさそうだ。

 

「……ククリちゃんは望んでいるのかな。退学回避や、生徒会長を」

 

「私が望んでいる。それだけで十分だと思います」

 

 坂柳らしい傲慢さだ。一之瀬は思わず苦笑する。

 

 自分勝手だとしても。どれだけの条件があっても、仲間には代えられない。クラスメイトを守る。それが一之瀬にとって何より優先すべきこと。

 

 ゆっくりと深呼吸して、心を落ち着かせる。

 

「うん。わかった、サインするよ」

 

 一之瀬はペンを握った。契約書の内容に問題がないか、もう一度じっくりと読んで確認する。

 

「私はクラスの賞賛票を40人全員分、ククリちゃんに入れてもらうよう言って、あと彼女の生徒会長就任をできる限りサポートする。その代わり、坂柳さんは約400万プライベートポイントを貸してくれる。これでいいんだよね?」

 

「ええ」

 

 端末を取り出した坂柳は契約書に自らも署名してから、一之瀬へとプライベートポイントを送る。

 

 巨額のポイントが絡む契約を破れば、詐欺行為とされ学校側から処罰が下されるであろうことはお互いよくわかっている。念押しするまでもない。

 

 あとは龍園に録音と契約書のコピーを渡せば、坂柳の仕事は終了だ。

 

「本当にありがとう、坂柳さん。すごく助けられちゃったね」

 

 純粋に、ただただ感謝を述べ。屈託なく笑う一之瀬に、坂柳は疑念を抱いた。

 

「あなたは、私をもっと警戒したり……嫌っているものと思っていましたが」

 

 一之瀬の万引きという過去を南雲から教わった坂柳は、詳細を知るために本人からもその秘密を聞き出していた。それが噂として広まったのだから情報源は坂柳であると一之瀬は察しているだろうし、実際にその通りであるのだが、彼女から悪感情はこれっぽっちも伝わってこない。

 

 警戒している一之瀬をどう説得しようかと考えていた坂柳としては肩透かしを食らった気分だった。

 

「だって、坂柳さんが特別ひどいことをしたってわけじゃないからね。私の中学時代の行為は反省しなくちゃいけないもので、恥ずべきものだった。でもその話を他に口外しないでとか言った覚えもないし、私の問題であって坂柳さんがどうこうっていうのはお門違いだよ」

 

 話した自分が悪いのだと、他人ではなく自分に原因を見る。そんな清い心を持てる人が果たしてどれくらいいるものか。少なくとも坂柳は初めて出会った。

 

 まさしく善の塊。自分の父や母、綾小路やククリとも違う、形容し難い存在。

 

「一之瀬さんは、紛れもなく善人のようですね」

 

 万引きしたのも、家族愛から行ったこと。一之瀬の言動はいつもまばゆいほどの善意に溢れている。

 

「んー、そうかなぁ。私はただ普通にしてるだけだし、そんな立派な人間じゃないと思うよ。だけど、今はそう言ってもらえると嬉しいかも」

 

 だからこそ。時折、彼女がとても怖く見えるのは。何も坂柳に限った話ではないだろう。

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