ようこそ享楽至上主義の教室へ【特殊タグ無し版】 作:アネモネ
追加試験が発表されてから3日目。いつの間にか、投票日は明後日に迫ってきている。
Dクラスでは誰かを退学のターゲットとした大グループを形成しているかもしれないとの話を受けて、そのターゲットとは自分ではないのかと怯える気持ちが佐倉にはあった。
佐倉愛里は、自分に自信がない。クラスの中で要らない子がいるとしたら多分それは自分なんじゃないかと思っているし、実際学力は平凡、運動能力は学年でもびりっけつである。その容姿はとびきり端麗なものの、目立ちたくないからといつも背中を丸めて俯きがちにしているし、伊達メガネをかけ野暮ったく地味な感じにしており、今のところこの擬態は一部にしかバレていない。
内気な自分を変えるために3年ほど前から雫という芸名でアイドル活動をしていて、そのファンであるストーカーに襲われた際に助けてくれた綾小路のことを想い続けている。ペーパーシャッフルの際に作られた綾小路グループの一員であるが、引っ込み思案な性格から彼に告白するといった積極的なアプローチは未だできていない。
そんな彼女が今日は仲の良い長谷部波瑠加と一緒にではなく、放課後1人で行動しているのには理由があった。
────き、来た……!
隣のクラスの京楽菊理。今回の試験で彼女が退学しそうな状況にある、ということを綾小路から聞いた佐倉はその前に一度でいいから話をしておきたかったのだ。
放課後に寮の1階、ロビーにいれば確実に探し人に会える。どんな生徒も玄関から帰ってくるからだ。
心臓をバクバクさせつつ、勇気を振り絞っていざ声をかけようとする佐倉の前に。ぬっと人影が現れた。
「あ、────」
「これはこれは。パワフルガールじゃないか。奇遇だねえ」
「ロビーで会うのは、わりと奇遇でも何でもない気がするけど……」
自由人、高円寺の登場により接触は見事に失敗。佐倉の存在に気づいていながらも先にククリへ声をかけていたような感じすらある。やはりこの男、唯我独尊すぎる。
しかし彼が人と仲良く長時間話すとはとても思えない。佐倉はいつものように影を薄くして、こっそりと近くで待っていることにした。
「そちらのクラスは随分と落ち着いているようだ」
「Dクラスだけみんな悩み中、って雰囲気だよね。でも高円寺君は始めっから心が決まってるのかな」
「愚問だね。これは不要な生徒をデリートするのに適した機会だろう?」
「うーん、否定はできないけど、それはクラスの方向性次第じゃあないかな。少なくともDクラスがそうきっぱり割り切れるかはわからないと思うよ」
その通りだ。高円寺が優秀な人材であろうことはクラスのみんながわかっているが、その傍若無人ぶりから依然として退学候補者の一人である。池、山内、須藤と合わせた4人は退学候補の圏内から抜け出せることはまずないだろう。
誰かを落とす、ということに強い抵抗感がある佐倉としては批判票に誰の名前も書きたくない。高円寺についても、変わった人ではあるものの今回の学年末試験では幸村に次いでクラス2位の成績を取っていたし、自分よりよっぽどクラスに貢献していると思う。綾小路グループである幸村、三宅、長谷部、そして綾小路の4人は絶対に退学なんてしてほしくはないが、だからといってじゃあ誰なら退学させていいのかと問われると言葉に詰まってしまう。
「努力するのは私の役目ではないさ。クラスの中心たる平田ボーイあたりに期待したいものだが、どうなることか」
「それなら私はリンリンか麻呂君あたりだと思うけどなあ」
何の話をしているのだろう、と佐倉は疑問に思った。ククリと二人きりで話したことはないが、綾小路と彼女が話しているところを見かけたことはある。リンリンは堀北、麻呂君は綾小路のニックネームだったはずだ。平田と堀北と綾小路の共通点、と考えても思い浮かぶものがない。
「君たちに対しても期待しているよ」
「フリーダムをってことかい? そこらへんは私に言われても微妙ではあるけど、まあ伝えてはおくね」
「フフフ、それで構わないさ。私は私以外の者など誰一人信用してはいないからねえ」
「頼み事めいたことしといてそんなこと言うなや……」
ククリは呆れたようにため息を吐いた。いつも笑顔で、アグレッシブな感じの彼女がこうも
「互いにとってベネフィットになる。君もそう思うだろう?」
「確実性に欠けるから、何とも」
「大枠は定まっていると見ているけどねえ」
「番狂わせはいつでも起こり得るもん。だから高円寺君も安心はしていないんでしょう」
ドキリ、と心臓が飛び出しそうになった。高円寺はあんな感じではあるけど、洞察力は鋭い。Dクラスでは、誰かを退学者として狙っているグループが形成されつつあることに気づいているんだろう。そしてそのターゲットが自分ではないことも。
だとしたら、誰が狙われている? 考えてみても、佐倉にはわからない。そもそもクラスメイトについて知っている情報も本当にわずかなのだ。
悩む佐倉をよそに、軽く頷いた高円寺はひらりと優雅に手を振っていた。
「オルボワール、パワフルガール」
高円寺は例えば堀北のことは堀北ガール、という感じで基本的にみんなを名字プラスボーイかガールで呼んでいる。何で彼女にはパワフルとつけたんだろう、と佐倉は首を傾げた。
エレベーターの中へと消えていった高円寺を見届けた佐倉は、今度こそと意気込んでククリに近づいていく。話しかけよう、と思った瞬間。彼女の視線がどこか一点へと注がれていることに気づいた。
自分もその視線の先を辿るとよく知っている姿が目に入った。クラスのまとめ役。平田洋介だ。
いつもならにこにこと笑顔を振りまきながらきびきびと動き回っている平田だが、今は陰りのある表情で一人覇気なく歩いている。
どうしようと迷った佐倉であったが、さっきからずっと待っていたこともあり。とりあえずククリにアタックしてみることにした。
「あ、あの…………!」
トン、とほんのちょっぴり肩に触れてみる。それだけでも佐倉には膨大な気力が必要だった。
「ん?」
振り向いたククリは不思議そうな顔をしている。無理もないだろう。佐倉はあまり自分から話しかけるようなタイプではないし、そもそもククリのことはどちらかというと避けていた。
「す、少し……お話、いいですか?」
そう言ってから、先に名乗るべきだったかもと佐倉は気づいた。しかし彼女が次の言葉を口にするより先にククリが笑顔で告げる。
「そうだなー。私のお部屋でもいいなら、喜んで」
他人の、部屋。緊張しないわけがない。ククリは櫛田や一之瀬と同じで人懐っこいタイプなものの、佐倉はこの3人ともどこか、何か、怖いと思ってしまっている。感じてしまっている。自分でもその理由はわからない。だから決して、決して誰にも。友達にすら言ったことはないけれども。
昔の佐倉ならここで怖気づいていただろう。しかし。
「わかりました……!」
小さくも、はっきりと。佐倉は頷いた。
「お茶淹れるから、こたつにどうぞ」
手慣れた様子の彼女はやはり何度も自室に人を招いたことがあるのだろう。おそるおそる座る佐倉の前に、お茶とお菓子が並べられる。
「それで、話ってなにかな」
ククリはクッキーを食べつつフランクに聞いてきた。部屋で話したがったのはお腹が空いてたからかもしれない。甘いもの全般が好きな佐倉は、ちょっとだけそちらに目を奪われつつも。ゆっくり、ゆっくり深呼吸して。ずっと言い出せなかったお礼を口にした。
「ハンカチ、ありがとうございました」
「んー? えーっと、ああ! 7月の裁判の時のあれかな。別にそんな、いいのに。こちらこそわざわざありがとう」
須藤の暴力事件での裁判の後。泣き出しそうになっていた佐倉に、ハンカチを手渡してくれた。綾小路づてにそれは「あげる」と言われていたが、お返しがしたかったのだ。
前から買ってはいたものの、鞄の奥底にしまいっぱなしになっていた新品のハンカチを差し出す。ククリは戸惑いながらも受け取ってくれた。
ほっと息を吐く。大仕事が終わった、そんな気持ちだった。
「で、他にも話があるんじゃあないかな」
「えっ……」
心を見透かされているような言葉に佐倉は戸惑う。確かに、彼女に聞きたいことはあった。
何を、どう話すべきかわからない。心を落ち着けるようにお茶へと口をつける。
「麻呂君のこととか?」
「ん、んっ、んーっ──────」
予想外の口撃に佐倉はお茶を吹き出しそうになった。何故彼女が綾小路の話を持ち出してきたのか。わたわたする佐倉の背中がそっとさすられる。近づいてきたククリからはふわりと甘い香りがした。香水か何かをつけているのかもしれない。
「ごめんごめん、意地悪がすぎたね。大丈夫?」
「は、はい……」
「ならよかった」
お詫びに、と言ってクッキーを口元に運ばれる。差し出されたそれを断るわけにもいかず、ぱくりと咥え咀嚼した。
何だか不思議な感じだ、と佐倉は思う。クラスの人とさえ綾小路グループ以外とは全然話すこともできないのに、他クラスの人と仲良くお茶をするなんて。
こうして初めて近くに来て、佐倉はあることに気づいた。ククリの瞳の奥は、どこか綾小路と似ている感じがする。そう思ってついまじまじと見つめる佐倉のほうへ、ククリはずいとお菓子のお皿を押しやった。
「女の子は砂糖とスパイスそして素敵なものすべてでできてる。つまりお菓子やカレーをいっぱい食べていいということをマザーグースは伝えてるんだ。たんとお食べ」
「それは……違うのでは……?」
だいぶ斜め上の解釈をしているように佐倉は感じた。それにスパイス料理はなにもカレーだけではない。
「ちなみに男の子はカエルとカタツムリそして子犬の尻尾でできてるらしいよ。なかなかの
やっぱりちょっと違うのでは。そうツッコミを入れつつも、佐倉の頭にはエスカルゴを食べる綾小路が思い浮かんだ。一緒に昼食をとる時、彼の所作はよく目につく。贔屓目なしに綺麗に食べるのだ。ちゃんとしたフレンチレストランなんかに行ってもしっかりエスコートしてくれそう、とまで考えてしまった佐倉は慌てて首を振ってその妄想を脳内から追い払った。
そんな佐倉の様子を見て、彼女から緊張感が薄れたことを悟ったククリはにこにことしながら口を開いた。
「さてさて、まあ空気も和んだところで。ちょっと一問一答形式にでもしようか! 私も佐倉さんに何か聞くから、佐倉さんのほうも何でも聞いていいよ。趣味でも兄弟姉妹の有無でも何でもね」
「えっ、は、はい……わかりました……!」
なんかよくわからないけど交互に質問し合うことになったようだ。お先にどうぞ、と譲られた佐倉は胸に手をあてて、心を落ち着けてから質問し始める。
「ご、ご趣味は……?」
「お茶とお花を少々」
完全にお見合いの雰囲気である。佐倉はちょっとテンパっていた。
「佐倉さんは?」
「えっと、写真撮影が趣味です」
切り取られたそこには綺麗な世界が広がっていて、偽りの仮面を被るも何も関係ない。だから佐倉は写真が好きだ。人から撮られるのは全然上手くいかなかったし、『自分』を消して感情を無くして、空っぽにすることで我慢していたものの、結局限界が来たため休止としたのであるが。
「ああ、あの時も写真撮ってたもんね」
軽く頷くククリは、なかなか本題に入る勇気が出せない佐倉のことを気にせず、普通に友達と会話をしているような雰囲気すら漂わせていた。その優しさについ甘えてしまう。
「ご、ご兄弟は……?」
「たぶんいないと思う」
たぶんとは。冗談なのか本気なのか表情からは読み取れないが、一人っ子っぽい人ではあるなあと佐倉は感じた。高円寺コンツェルンの一人息子である彼ほどではないが、なんと言うかこう、マイペースなのだ。
いたずらっぽく笑ったククリはそのまま話し続ける。
「んー、そんじゃ。佐倉さんはさっきのロック、じゃない高円寺君と私の話が気になってるのかな?」
急に、核心を突かれた。ドキリとまた心臓が飛び跳ねる。どうすればいいのかわからない。何も答えられずにいる佐倉に、スチャッと取り出した伊達メガネをかけてから、ククリは言葉を付け足す。
「えーっと、そうだなあ。ではまずこの試験のメリットを考えてみようか」
試験の話をしてくれるらしい。佐倉はとりあえずこくこくと頷いた。
「今回はクラスポイントもプライベートポイントも一切関係なし! 2000万ポイント払っての救済は別だけどね」
2000万ポイント。Dクラスにはとても出せる額ではない。だからこそクラスのまとめ役である平田はあんなに悩んでいるのだろう。
「退学者を出すなんての強制的にやらせるくらいならポイントくらいくれてもいいと思うんだけど、無いんだよねえ。だから作れるメリットといえば一つ。クラスに不要な人材を削る、そのメリットだね! ……と、まあそんな感じで理詰めで考えて行動する人がいるはずだから、明日はDクラスで学級裁判のようなものが開かれるに違いないって感じかな」
ああ、と佐倉はなんとなく察した。高円寺が平田に期待すると言っていた『努力』とはクラスにいる不要な人間をそうして炙り出すことなのか、と。
ククリが堀北と綾小路の名を挙げたのも。クラスのリーダー格となりつつある堀北か、その指示の下で働く綾小路が動くだろうと予想しているのだ。
「そしてそこで糾弾される人が出てくる。佐倉さんでも麻呂君でも、勿論ロックでもない人になるだろうね」
「でも……綾小路くんや高円寺くんはともかく、私は全然ダメダメだから……」
「あんま私が言える話じゃないけど、7月の裁判の時に佐倉さんが証言したことで須藤某は首の皮一枚つながってた。十分にクラスに貢献してたんじゃあないかな」
「そ、それは──」
証言がなければ裁判の引き伸ばしはできず、それどころかあっという間にDクラスの負けとなっていたことだろう。そんな風に褒められた佐倉は面映ゆい気持ちになった。
同時に感じるのは、自分も少しはクラスの役に立つことができていたのか、という喜び。ほっとして胸が温かくなる。
「まあそんなわけで、水面下での呼びかけとかあっても気にせずにのんびりと明日を迎えればいいと思うよ。何か起きても、落ち着いて対応する心づもりでいれば大丈夫大丈夫」
「……ありがとう、ございます」
いえいえ、と笑ってククリはお茶を飲んだ。沈黙が落ちる。しかしそれは居心地の悪いものではなかった。
ポツポツと、佐倉が話し出して。それに応答してくれての繰り返しで。ほんわかとした笑顔に佐倉の躊躇は、警戒心は、やがて解けていった。これが彼女と話せる最後の機会かも、ということが頭の片隅にあることも大きいのかもしれない。
最近の、些細な出来事とか。お互いのクラスのこととか。堰を切ったように言葉が溢れてくる。
綾小路への、ククリの感情も。自分とは違うことが、話していてはっきりとわかった。彼のことをよく目で追っている佐倉にはわかるのだ。例えば同じクラスの軽井沢や佐藤はおそらく綾小路に好意を抱いている。視線だったり、態度だったり。そんなところから何となく伝わってくるのだ。
にへらーっとアホっぽく、やわらかく笑う彼女に。佐倉もまた小さくではあるが微笑みを返した。
──もっとはやく、勇気を出して。ククリちゃんに話しかけてみればよかった。
自クラスのことすらどうにもできない佐倉には、何もできないけれど。彼女とこれからも一緒に学校生活を送れたらと。そう、祈ってしまう。