ようこそ享楽至上主義の教室へ【特殊タグ無し版】   作:アネモネ

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春季休暇
去年の春逢へりし君に恋ひにてし桜の花は迎へけらしも


 

 入学した日。桜も終わりの頃だった。

 

 この高度育成高等学校の門をくぐり抜けた僕は、これからどんな素晴らしいことが待ち受けているんだろうとワクワクしながら歩いていた。今考えると何とも脳天気な話だ。

 

 すると、強い風が吹いて。最後の仕事とでも言わんばかりにどんどん桜は散っていった。物悲しい気分になりつつ眺めていると、舞う花びらとともにその長い黒髪をなびかせた彼女がこちらを向く。

 

 それはまるで、一枚の絵画のような光景だった。

 

 美しい風景に溶け込んだ彼女は儚くて、可憐で。目が離せないような存在感があるのに、どこか淡くて。桜の精みたいだと。そう、思った。

 

 目が合った瞬間。僕はどうしようもなく恋に落ちてしまった。……一目惚れだった。

 

 

 

「ええと、京楽菊理っていいます。下の名前で呼ばれ慣れてるから、良ければみんなにもククリって呼んでほしいな。趣味は本を読むこととかで、特に格好いい名言なんて大好きです。これから3年間、よろしくお願いしますっ」

 

 担任の坂上先生の話が終わると、入学式までの時間でクラスの女子のほとんどが集まって自己紹介をし合っていた。クラス全員で、とならなかったのはたぶん男子には何だか怖そうな人たちがいたからだろう。いかにもヤンキーっぽいのとか、サングラスをかけたどう見ても外人にしか見えない人とか。このクラスやばいだろ、とちょっと思ってしまった。

 

 でも彼女──ククリさんは嬉しいことに僕と一緒のクラスだったのだ。それだけでもうおつりが来るほどの幸運だ。お手洗いなのか坂上先生が行った後に教室を出たククリさんだったけど、戻ってきてから女子が集まってるのに気づき、するりと自己紹介に合流していった。

 

 読書が好きということは、と思ってたらやっぱりその後の敷地案内では図書館の蔵書の多さに目を輝かせていて、椎名さんとキャッキャウフフしてて癒やされた。クラス全員で行動させられると怖いんだよ他の男子が本当に……。

 

 悲しいことにと言うべきか、案の定と言うべきか。入学式の、次の日。クラスでもかなりやばめのオーラを放っていた男子──龍園翔君は、その名前を僕たちに名乗るより先に宣言した。

 

「俺がクラスのトップ……まあリーダーだろうが王だろうが名称は何でもいい。言うことは一つだけだ。おまえら全員、俺に服従しろ」

 

 え?っていう戸惑いが僕の場合大きかったけど、クラスの大半は何言ってんだテメエ、という感じの喧嘩腰だった。ククリさんはどうかな、とちらっと見るといつも通りニコニコしてた。うん、大物だ。

 

 この日は携帯端末が配られたから、さっそく女子はクラスのグループチャットを作っていた。男子は龍園君のせいで石崎君たちがピリピリしてることもあって、もちろん連絡先の交換なんてイベントはない。

 

 そして。出る杭は打たれるというか、龍園君は出過ぎた杭なわけで。当然クラス全体から疎まれたし、抑えつけられた。悪口を言われたりとか無視されたりとか……いわゆる虐め、が起きかけてしまったんだ。

 

 しかし龍園君は、教室で絡んできた石崎君たちをあっさりと殴り飛ばした。これが彼の『暴力』を見た最初の瞬間だった。

 

 もちろん石崎君たちが黙ってるはずもなく、あわや乱闘になりかけたんだけど、そこを止めたのは伊吹さん。いや、やるなら外でやれって言っただけだから止めてはいないのか。ともかく彼らは授業をサボってどこかに喧嘩に行った。

 

 それから何が起きたのかはよく知らない。正直な話、関わり合いたくなかったのだ。

 

 だけどその後龍園君とか不良っぽい男子たちは授業を欠席したり遅刻したり、あとは怪我してる様子からみるにいつもどこかでバトっているようだった。うん、どこのヤンキー漫画かな? 

 

 僕は彼らとは関わらないようにしつつ、早速部活に励んだりしていた。僕の入った部活は奇術部。マジックは元から好きだったし、ククリさんが「皆を楽しませてくれる人とかいいよね」と話すのを聞いたことが決め手になった。先輩たちも優しいし、我ながらいい部活を選べたと思う。

 

 1週間くらいすると4月なのにプールの授業が始まった。男女合同ということで普通なら男子は大はしゃぎするところだけど、僕たちのクラスでそんなことできるはずもない。

 

 見学者は男子が多く女子は少なかった。たぶん他のクラスでは逆だろう。理由は単純。怪我とかでプールに入れない、入りたくない男子が多かったから。そして女子はそんなバイオレンスさを漂わせる彼らに近寄りたくはなかったのだ。

 

 プールでは2階の見学席からの鋭い視線が怖くて女子の水着姿なんてろくに見れなかった。顔を俯かせて龍園君とは絶対に目を合わせないようにしていたんだ……。

 

 そんな龍園君に、僕はある日声をかけられた。1人で歩いてる時だったしボコられるのかと汗だくになったけど、意外と普通のやり取りだった。

 

 配られた携帯端末には学校のアプリが入っていて、そこからポイントの残高照会とかができる。見せろと言われたので恐る恐る見せると、後は連絡先を教えただけで解放してくれた。

 

 

 5月になると、この学校の仕組みが明らかになった。Cクラスということで僕は普通より下と判断されたということになるけど、まあ気にしてはいなかった。そんなことよりもククリさんと出会えて、同じクラスになれた喜びのほうが大きいし、彼女が小テストで100点を取っていたという事実のほうが重大だ。点数が公開されることだし僕も恥ずかしくないようにちゃんと勉強しないとな……。

 

 4月に10万ポイント配られたけど、5月には半分ほどになった。ここで僕は龍園君が前にポイント残高を見させた理由を察した。あれはポイントの減り方を見てどのくらい使える人物なのか判別しようとしていたんだ、と。まあもちろん部活に入ってる人はどうしても使わなきゃいけないお金とかもあるだろうけど、奇術部の僕は先輩のお下がりを使ったりで済ませられたのでそんなに使い込んではいなかった。

 

 だからなのかは分からないけど、龍園君に呼び出されて言われたのは今度からは毎月1万ポイント渡せ、ということ。彼の後ろには配下になったらしいアルベルト君と石崎君が控えていた。まごうことなきカツアゲだ。でも外の世界のお金と違って、このポイントは学校側から支給されたもの。生活費とかも学校が出してくれてる以上、少しお小遣いが減るくらいで彼の庇護下に入れるという保証が得られるなら別に文句もない。僕は了承した。

 

 中間テストでは、赤点を取ったら退学ということで緊張して臨んだものの龍園君の言った通り過去問そのままの問題で拍子抜けだった。このことを見抜いた洞察力だったり、カリスマ性からも龍園君がクラスのリーダーということは確定しきっていた。

 

 それはまあいいんだけど、僕が気になるのはククリさんのことだ。彼女の交友関係は浅く広く、といった感じで同級生だけでなく上級生や先生たちと仲よさげに話しているところも見かける。僕も話しかけてみたいとは思いつつもなかなかそのチャンスを掴めないでいる。それでも荒んだ空気すら浄化するような笑顔を浮かべる彼女についつい視線を向けてしまうのは仕方のないことだろう。

 

 それがあまりに露骨だったのか、かなりのクラスメイトに僕の恋心は悟られているようだった。だからだろうか。あんなことになってしまったのは。

 

「やめておけ」

 

 期末試験が終わってから。勇気を振り絞って、ククリさんの机の中に入れたラブレター。それは何故か龍園君から突き返された。

 

 僕がその時味わった絶望感は筆舌に尽くし難い。だって恋のライバルが龍園君なのだ。彼はその残忍酷薄な性格を除けば、精悍(せいかん)な顔つきをしているし腕っぷしも強くて頭も回る。性格さえ改善すればすぐにモテそうな伊達男なのである。性格さえ改善すれば! 

 

 ククリさんへの告白は、諦めざるを得なかった。その日、僕は枕を濡らした。

 

 僕の名誉のために言っておくと、彼のことを怖がったから、というわけではない。いや怖いのはそりゃ怖いんだけど、それ以上にククリさんに拒否されるのではという恐怖が大きかった。彼女との距離感の差からしても龍園君に勝てる自信がてんで湧いてこなかったのだ。

 

 唯一の救いは、少なくとも正式に付き合っているわけではない点だろうか。あの2人の関係はよくわからないものの、どちらかがはっきりと交際を宣言するまでは僕にもチャンスがあるように思えた。

 

 

 

 夏休みにあった特別試験では、何をしたんだかよくわからないけどとりあえず龍園君のおかげでクラスポイントが増えた。僕たちにはほとんど苦労もなくて正直ちょっと申し訳なかったくらいだ。

 

 ククリさんがこの時のアルバムを作ってくれたけど、僕と彼女が一緒に写ってるものだったり他にも色々クラスメイトの一面が見れる写真もあってすごく良かった。ポイントなら出すから量産してくれないだろうか、とは思いつつも言い出せずに今もアルバムはみんなが読めるものとして教室の後ろに置かれたままだ。

 

 2学期に入って最初の行事は体育祭。ここでも写真撮影ができたならククリさんはまたアルバムを作ってくれたかもしれないけど、残念なことにそういうのは駄目だった。まあ端末も使用禁止だったわけだしさもありなんといったところか。フラッシュ撮影での妨害とかを気にしてる可能性もある。

 

 妨害というとやっぱり龍園君だけど、彼のDクラスへの攻撃は概ね成功してた。堀北さんと須藤君は2人とも体育祭で十分な能力を発揮できず、Dクラスの結果は4位。僕たちは2位だったもののまあ上々なんじゃないかな。

 

 でも同級生を陥れるなんて、と思ってしまうのは僕が弱いからだろうか。どうもこの学校のシステムにはまだまだ慣れることができない。

 

 体育祭が終わった後、龍園君は堀北さんからの100万ポイントの受取(という名のカツアゲ)に失敗したと告げた。怪我させられた上にお金まで巻き上げられるなんて可哀想だと思ってたからちょっとほっとしてしまった。何でもDクラスには裏番的な存在が潜んでいるらしい。この仮称Xのせいで作戦は上手くいかなかったそうだけど、黙っていればおそらくバレないのに潔く自分の失態をクラスに話した龍園君の姿勢に僕はほんのちょっと彼のことを見直した。

 

 期末試験、というよりも特別試験『ペーパーシャッフル』では主にククリさんが音頭を取っていた。龍園君は体育祭で失敗したから一時的に引き下がったということなのか、水面下で実は工作とかしてたのか。わからないけど、ククリさんとペアになっても特に何も言ってくることがなかったのは良かった。覚悟はしていてもやっぱり龍園君は怖い存在だ。

 

 普通に勉強して、普通に勝ってペーパーシャッフルが終わると、今度は龍園君のX探しが本格化した。彼の指示で石崎君たちはDクラスの生徒を尾行し始めたのだ。おかげで龍園君がDクラスの中の誰かに敗れ、復讐のため探しているとか、そんな感じの命知らずな噂すら広まっていた。

 

 僕みたいな生徒には全然関係なかったから理由はよくわからないけど、冬休みが終わると龍園君はXの話をしなくなった。たぶんXの正体を突き止めたんだろう。そのうえで何らかの取引をしたんじゃないか、というのが大方の予想だ。

 

 それよりも僕が驚かされたのは彼がククリさんのことを『京楽』ではなく『ククリ』と呼ぶようになったことだった。石崎君があの2人の仲を深めさせようとしているのは知ってたけど、まさかあの龍園君を説得できるとは思っていなかった。もともとククリさんは龍園君のことを時々『たっつー』とかいう愛称っぽい名前で呼んでいたし(彼女はおそらく無意識に呼んでるから気づいてない)、ますます2人の親密度が上がったように見えた。

 

 とはいえ2人の関係はやっぱりいまいちわからない。付き合ってるなら付き合ってるとはっきり言って欲しい気持ちもある一方で、そんな真実なら知りたくないと思う自分もいる。龍園君にそんなこと聞く猛者はいないもののククリさんになら「彼氏いるの?」って感じで聞く人もいるんだけど、彼女の答えはいつも「いない」の一点張り。ただそれが本当なのかは確かめる術がないのだ。

 

 林間学校では男女の交流の時間である夕食を毎日2人で、いやまあ石崎君とアルベルト君も側にいたけど。ともかく2人は食事を一緒にとってその親密さを見せつけているようだった。もちろん頭ではわかっている。男女両方のグループの情報交換をしてるのだと。それは2人にしかできないことだ。でも仲睦まじくしている2人を見るのは僕の精神衛生上よくなかった。

 

 ククリさんと同じ生徒会役員の一之瀬さんの悪い噂も林間学校では流れていた。悪い、と言っても妹さんのために万引きした、という話だから何とも微妙なところだ。妙に話が細かいところとか単に彼女のことを貶めるだけの話でないところとかが本当のことっぽくて、しかも神崎君や柴田君たち彼女のクラスメイトが噂をやめるよう言ってきたから余計に真実味を帯びていた。

 

 一之瀬さんに噂が伝わってしまっても本人が何も弁明しないのも拍車をかけた。実際、林間学校が終わり少しして彼女はクラスメイトたちに事実を打ち明けたらしく、それ以降この噂は下火になった。まあ「それがどうした?」と開き直られると何も言えないからね。

 

 その後、時々一之瀬さんがシトラス系の香水をつけるようになったのは心境の変化とかなのか、単なるオシャレなのか。わからないけど、3月になって特別試験『クラス内投票』が始まってからククリさんがバニラ系の香水をつけている理由はおおよそ見当がつく。彼女はこの試験で自分に批判票を投じるよう、退学になるよう呼びかけていた。だから、自分の存在を少しでも皆の記憶に残したい。そう思って香水を纏うようになったんじゃないかな。というかそう信じたい。好きな人ができたから香水をつけたとかだったら僕は立ち直れない自信がある。

 

 彼女のために僕ができることは何一つなかった。自分が代わりに退学するとも言い出せないし、龍園君に逆らう気概もない。彼女に話しかける勇気もない。ないないづくしだ。

 

 投票日。僕はささやかな反抗をした。龍園君の指示に従わず、ククリさんに批判票でなく賞賛票を投じた。その程度で何かが変わるとは思えなかったけど、でもそれくらいしかできなかったんだ。龍園君にこのことがバレて制裁されても、それは僕が甘んじて受けるべき罰だと思っていた。

 

 でも、でも。事態は思わぬ方向へ進んだ。

 

 ククリさんでなく真鍋さんが退学者になったと聞いて、彼女には悪いけど僕は本当に嬉しかった。真鍋さんはククリさんの悪評を流していたし、その点では因果応報なのか。

 

 詳しいことはわからないけれど、真鍋さんが言っていた「ククリさんが龍園君を裏切った」というのはむしろ逆で、真鍋さんが龍園君を裏切ったことがあったようだ。その処罰として退学に追い込まれたというのは納得できる。正直、自分より下と見た生徒にはかなり悪い態度で接してくる真鍋さんのことを僕は人として好きにはなれなかったのだ。平等に人を見下してる龍園君のほうがまだ……いや、微妙なところかな。

 

 裏切った時点で制裁を加えず、今まで見逃していたのは龍園君にしては穏健だったと言っていいだろう。まあXにかかりきりで忙しかったり、ククリさんからの優しい口添えがあったのかもしれない。

 

 龍園君は侮蔑と尊敬を一身に集める人だ。彼は男子にだろうが女子にだろうが平気で暴力を振るったりするし、敵にも味方にも容赦がない。従わないと、従っていても怖いけど、でも彼についていけば間違いないだろうというカリスマ性がある。

 

 今回真鍋さんを退学させるという彼の選択も、正しいように思えた。申し訳ないけれど僕の優先順位としては自分の身とククリさんのことがとりわけ大切なのだ。

 

 1年最後の特別試験。ここでもあっさりと勝利した龍園君には、もうすごいという言葉しか出てこない。何で自分の退学がかかってるのにああも冷静に立ち向かえるんだか。奇術部の腕を使って一之瀬さんのクラスの人たちの端末を盗み見しなくちゃいけなかったのは気持ち的に辛かったけど……マジシャンはスリじゃないんだよな……。メモだとかチャットだとかのアプリの画面を急いで撮影したせいで柴田君がこっそり書いていたポエムを暴いてしまったのは本当に申し訳なかった。いや、そもそもがプライバシーの侵害なんだけどね?

 

 葛城君を引き抜いたことには驚いたけど……彼が入ることでうちのクラスがますます強力になるのはわかりきったこと。龍園君のストッパー的な役割も期待できるし、彼のような学力の高い人の加入は純粋にありがたい。

 

 ただ。その2000万ポイントを前の試験で、真鍋さんの退学のときに使っていたらどうなっていたことだろうと考えてしまうのは僕の心が弱いからだろう。何もしていないくせに、一丁前に罪悪感だけは抱えているんだ。

 

 真鍋さんにはこの学校に残っていて欲しかった、とかじゃなくて。クラスメイトを退学させたという後味の悪さと、いつか自分も切り捨てられるんじゃないかという恐怖。それらを感じた。

 

 でも結局、ポイントを稼げているのだって龍園君のおかげ。彼のやり方はハイリスクだけどきちんと利益は回収している。彼の性格は好ましくないけれど、このクラスが彼に頼っているのも事実だ。

 

 きちんと呑み込まないと、この学校で戦い抜くことなんて出来ない。僕は……ずるい言い方だけど、真鍋さんのぶんまで頑張ろうと。足掻いて、もがこうと決めた。

 

 

 

 

 最後の特別試験が終わって。春休みに入る直前に告白しようと思ったのは自分に自信がついたから……とかではなく、気づいたことがあったからだった。

 

 この学校では退学というものが珍しくはない。彼女も僕も、いつ教室から消えるかわからない。だったら。告白できる時にしておかないと絶対に後悔すると。そう思ったんだ。

 

 グループチャットから彼女のアカウントを追加して連絡すると、よく知らない男子からの謎の呼び出しにもかかわらずあっさりとOKをもらってしまった。やっぱりククリさんは優しい。その危機感の低さはちょっと心配だけど。

 

 待ち合わせ場所は、桜の樹の下。彼女を初めて見かけた場所だ。

 

 待ちきれなくて時間よりだいぶ早めに行って突っ立っていた僕のほうへと彼女は駆けて来てくれた。

 

「好きです。付き合ってください」

 

 凡庸な僕のありきたりな告白の台詞に、ククリさんは少し驚いたようだった。僕の気持ちに全く気づいていなかったんだろう。あくまでも僕の印象だけど、彼女は自分への好意に疎いところがある。

 

 どんな言葉が返ってくるのか。今までにないくらいに心臓が早鐘を打って、爆発してしまいそうだった。

 

「あなたは────」

 

 それは、彼女にしてはか細い声だった。消え入りそうな、空気に溶けてしまいそうな。そんな声だ。

 

 桜色の唇が動くのを、僕はほうけたように眺めていた。

 

「あなたは私に、愛を教えてくれるのかな?」

 

 それは、告白に対する明確な答えにはなっていなかっただろう。でもそんなことは関係ないくらいに、ふわりとした彼女の笑みはまるで化生(けしょう)の者のように美しかった。

 

 僕は、何も言えなかった。言葉を発しようとしてもカラカラと乾いた喉は掠れた音しか出さなかった。ただ彼女に魅入られていたんだ。

 

 それから彼女の言葉に頷いたり首を振ったりした気がするが、どんなやり取りだったか詳細は覚えちゃいない。死ぬほど緊張していたからだろう。

 

 記憶の糸をたどる限りでは振られてはいないが告白を受け入れられてもいない、そんな状況になったらしいことは理解できた。

 

 咲き始めている桜の木々が並ぶ中へと消えていく彼女の後ろ姿は、やはり一枚の絵画のように綺麗で。それだけは、しっかりと目に焼き付いている。

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